第2章 先行研究:バイリンガル継承語教育の理論的枠組み
2.1.2. バイリンガル継承語学習者としての日系ペルー人児童
バイリンガル継承語教育及びバイリンガル継承語学習者という包含的な用語を用いるこ とによって、言語の位置づけやアイデンティティがよく議論される様々な学習者のグルー プについて述べることができる。先に説明したFishman(1999)とCarreira(2004)の
定義を援用すると、日本の文脈では以下の学習者のグループはバイリンガル継承語学習者 であるといえる。
1)北海道や琉球島に住んでいる先住民の言語話者―日本の先住民言語話者の過半数は 日本語能力(国語能力)を持ちながら、アイヌ語や琉球語においても言語能力をある程度 持っていることでバイリンガルであるといえる。そして先住民の言語は消滅の危機にあり、
学習者は自分の言語能力を向上するとともに、その言語話者の数を増やしたいという動機 が珍しくないため、学習者にとって先住民の言語は継承語である。
2)オールドカマー―オールドカマーは在日韓国・朝鮮人を意味することが多いが、在 日中国人も含まれる。この学習者は日本語能力があるが、韓流ドラマの人気などの影響で 自分の民族的アイデンティティと密接な関係がある韓国語・朝鮮語、そして中国語を学ぶ 動機が高くなりつつある。現時点では、このような学習者は外国語として中国語や韓国語・
朝鮮語を教える教室にいる場合が多いが、バイリンガル継承語教育の枠組みを援用するこ とによって、このような学習者のニーズを捉えなおし、そのアイデンティティを支えるよ うな言語教育のあり方などを議論することができる。
3)中国帰国者や中国帰国者の子ども及び帰国子女―年齢や背景が非常に異なる学習者 であるように見えるが、バイリンガル継承語教育の枠組みを援用すると、彼らの言語教育 ニーズに共通点が多いことがよくわかる。両グループの学習者は民族的背景に日本語があ るにもかかわらず、長期海外滞在によって、母語であるはず日本語の発達に途切れがあっ た。そして学習者は日本に帰国すると、自分の日本語能力を変革したいという動機を強く 持つ。無論、学習者の日本語能力や教育ニーズには多様性が見られるが、日本語は自分の ものであるという学習者の意識と母語として発達するはずだった日本語は一時的に継承語 となったことは共通している。
4)ニューカマー―このグループは非常に広く、1990年代をはじめ、就労、留学や結婚
などの経緯で来日して、長期滞在になった外国籍を持つ学習者を意味する。このグループ には、日系ペルー人児童が入っていると考えられる。このグループの大きな特徴は、言語 文化的アイデンティティの著しい多様性とともに、母語と継承語、第二言語と外国語の位 置づけが非常にあいまいであるということである。特に、言語が発達途上にあることもの 場合、このような位置づけは非常に議論しにくい場合が多い。
本研究では、日系ペルー人児童の例を取り上げながら、バイリンガル継承語教育の理論 的枠組みを援用し、彼(女)らを「バイリンガル継承語学習者」と「発達途上にあるバイ
リンガル」として捉えることで、言語の位置づけやアイデンティティに関する議論に貢献 することができると主張したい。
日系ペルー人児童の母語及び継承語に関する議論は大変興味深いが、それを概観する前 に、母語と継承の定義について改めて述べてみよう。Skutnabb-Kangas(1981, p. 18)が 述べるように、母語を定義するために研究分野によって四つの基準を援用することが多い。
社会学では民族的背景を基準にし、個人が最初に学んだ言語を母語とする。言語学では言 語能力が重視され、個人が最も高い言語能力を持つ言語を母語とする。社会言語学は言語 の機能に焦点を当て、個人が最もよく使用する言語を母語とする。社会心理学では言語に 対する姿勢が重視され、個人が自分の母語として捉える言語を母語とする。さらに、個人 の思考力の言語、個人が夢を見る言語、数える言語、日記を書く言語は母語であるという 一般的な考え方も存在している。
継承語の定義に関しても研究分野や地域によって複数の定義がある。個人の民族的背景 を視野に入れた、「家庭で使う言語、親から継承する言語」という定義がよく見られるが、
個人による言語に対する姿勢を重視する「個人が特別な繋がりを感じる言語」や「消滅の 危機にある先住民の言語」などの定義も見られる。
上記のように定義が広く、様々な解釈の余地があるとともに、個人の中でも母語と継承 語を指す言語が変わる可能性を示唆している。個人の移動や人間関係の変容によって、使 用する言語及び言語能力の変化が見られることが多い。そのため、個人にとって母語や継 承語とは何かを議論する際、個人による移動や置かれている環境を視野に入れるべきと多 くの研究者が主張する(Baker, 2001 ; Skutnabb-Kangas, 1981など)。
そして教育学や言語学の観点を活かすために、個人が置かれている環境は言語学習にど のような影響を与えているのかを視野に入れるべきだと考えられる。言語との接触が豊富 で、自然習得の機会が恵まれている環境の中で学ばれ、そしてこのような学習環境が子ど もが成人になるまで続く場合、その言語は母語であるといえる。しかし、子どもの移動に よって、言語との接触が家庭にとどまり、自然習得の機会が減ってしまう場合、母語だっ た言語は継承語になるといえる。このような状況は一時的である場合が多いが、長期にわ たる場合も少なくない。「母語が継承語となった」という位置づけは、その言語の価値や子 供の成長のための意義を反映していない。言語の学習環境が変わり、特別な対応が必要で あるという意味である。この指摘は、途切れなしに開発した母語と途切れがあった母語の 開発の比較を行ったSkutnabb-Kangas(1981, p. 53)の指摘に共通しているといえる。
Skutnabb-Kangas は、子どもの移動によって母語の開発が簡単に断ち切られる場合があ り、特別な支援なしに母語が衰退していく危険性さえあると述べている。そこでは、筆者 の指摘と同様に教育者の特別な配慮の必要性が示唆されるといえる。Skutnabb-Kangas は継承語ということばを使わないが、筆者が上記の指摘を拡大し、教育者による特別な配 慮を論理的に裏付けるために、「母語は継承語になった」、つまり学習者は母語の自然発達 の環境から離れ、継承語が学ばれている学習環境に置かれているという観点が必要である と主張したい。つまり、母語学習は継承語学習に近い環境にあるからこそ、自然習得に任 せず、特別にデザインした支援の必要性を訴えることができると考えらえる。
上記の指摘は日系ペルー人児童の言語教育にとってどのような意義を持っているのか。
日系ペルー人児童にとってスペイン語と日本語の重要性や位置づけに関する議論に戻って 説明してみよう。
中南米に住んでいる日系ペルー人の場合、スペイン語は母語であり、日本語は日本語能 力や文化との接触によって継承語か外国語であるという考え方が一般的である。これはあ る程度分かりやすく、納得しやすい考え方である。
だが、在日日系ペルー人の場合、スペイン語と日本語の位置づけを定めることは非常に 難しい。ペルーで生まれ、就学年で来日した子どもの場合、母語だったスペイン語は接触 の機会が著しく減ってくるため、継承語に近い位置づけとなる。そして日本語は、継承語 から第二言語あるいは生活・学習言語になる。そして子どもの滞在が長期である場合、日 本語は母語に近い位置づけになる可能性もある。日本生まれの日系ペルー人児童はこのよ うな位置づけはさらに難しくなる。この場合、スペイン語は最初から母語ではなく、家庭 内言語、つまり子どもが親から受け継ぐ継承語であるといえる。そして日本語は第一言語、
つまり母語になる可能性がある。日系ペルー人の家庭では家庭内の言語が日本語であると いう場合もあるため、日本語が母語であるという傾向がさらに強まる。しかし、この子ど もはペルーへ移住する場合、スペイン語は母語になり、日本語は継承語になる可能性もあ るといえる。このように母語と継承語に関する議論は非常に複雑で、様々な基準を視野に 入れるべきであること分かる。さらに個人による捉え方を重視することで、先に述べた考 え方は正反対になる可能性もある。
そこで、日系ペルー人児童にとってスペイン語と日本語、また母語、継承語と第二言語 の位置づけを別個に議論するのではなく、包括的に考えなければならないと主張したい。
日系ペルー人児童にとってスペイン語と日本語は同様に重要であり、思考力や学力、そし