第 5 章 日系ペルー人児童が持つバイリンガル言語能力の多様性
5.3. 亜美:バイリンガル・バイリテレートとして生きている
エピソード1 英語の発音とスペイン語の訛り
<状況> 支援者は亜美の発音を確認するために、英語の単語を発音させる。亜美が難しい と思われる音([L]、[R]、[V]、[B]、[TH])の発音はできるのかを検討する。
亜美は日本人の訛りを持っていないことがすぐ分かる。RとLの区別ができて、それは
「スペイン語とあまり変わらないから、簡単」だと言っている。しかし、BとVの差があ まり分からないようで、「Volleyball」を[Boleivol]、「Subway」を[Suvwei]と読んで いる。[Th] の音を単に[T]と発音する。
2010年1月15日のフィールドノーツより
このエピソードでは、亜美は英語で特殊な訛りを持っていることがわかる。ある難しい と思われる音はよく聞き取れ、正確に発音できるが、[B]と[V]や[TH]の音の発音は全然で きていないことがわかる。スペイン語ができる支援者にとって、亜美の発音で見られる傾 向はスペイン語母語話者と共通していることが明らかだった。スペイン語では単語がBか Vから始まる場合、発音はいつも[B]である。単語の真ん中にあるBとVはいつも[V]と発 音される。亜美は英語の単語を読むとき、無意識にそのルールに従っていることがわかる。
そして[TH]という音を単にTとして読むことも、亜美が自分のスペイン語における能力を 英語に転移している証拠であることを指摘すべきである。なぜなら、ペルーのスペイン語 では[TH」という音がなく、Hは発音しない文字であるため、Hを完全に無視しながらT だけを発音した亜美は明らかにスペイン語の読み方のルールに従っているからである。
このように亜美は、音韻面では母語と英語の間の転移が見られることがわかる。亜美は まだそれを意識していないことは明らかだが、バイリンガルとしての基礎能力の一部であ る音韻認識の発達への第一歩ができているといえる。続いて、亜美の音声に関する知識を 探っていこう。
エピソード2 文字と音の差が分からない亜美
<状況> 亜美に発音と読み方のルールを継続的に教えていた。1か月前に学んだ文字と音 の差について復習する。
亜美は自分の進学のための英語受験対策を説明する。今までカタカナで書かれた発音を 暗記したりしたけど、受験向けの勉強をはじめたら、新しい単語が出てきて、カタカナに よる発音の綴りがなかったら、読めない。読めなかったら、当然暗記できないから困ると 説明する。それで、持参した本に出てくる新しい単語の読み方を教えてと言う。読み方の ルールはいくつかあり、すべて暗記しなくてもいいと支援者が説明すると、亜美はびっく りする。支援者が「一つの文字に複数の読み方があると前に学んだでしょう」と聞くと、
亜美は答えられない。文字は音を表わすことを説明をすると、思い出したような顔をする。
さらに、音では母音と子音があると言うが、亜美はその意味が分からない。スペイン語で
もVocal(母音)とConsonante(子音)の意味が分からない。母音と子音を漢字で書いた
ら、「ボオン」と「シオン」と読む。母音と子音の定義を広辞苑で調べたところ、説明が複 雑すぎて意味がさっぱり分からない亜美は諦めたような表情を見せる。支援者は、自分の 小学校の経験を思い出して、母音は歌える、長音にできるけれど、子音はできない。たと えば、AAAは続くでしょ。でも、BBBは歌えないよね。亜美は、「でもBiiiは続く」と言 う。「Biは文字だよ、[B]と[I]という2つの音で、[I]は母音だから続く」と支援者は 説明する。亜美は、「そうしたら、CiもDiも2つの音?CとI? 」と聞く。「そうだよ」
と支援者は頷く。(中略)
今日はCの読み方を説明した。母音のルールより簡単で、亜美は迷わないだろうと支援 者は期待した。Cは2つの音を表わす([S]と[K] )、Cの次にI, E, Yという文字があ る場合、[S]と読み、それ以外の文字があれば、[K]と読むというふうに説明する。例え ば、Cell-[sel], Bicycle[baisikl] の例を出す。亜美はこの説明をよく理解でき、どん どん読んでいく。「超簡単じゃん、なんで先生はそれを前に教えなかったんだろう」。「なん ででしょうね。教えたかもしれないけど、亜美は忘れたかも」。「いや、忘れないと思う。
先生はいつもいちいち単語のカタカナをふって、それを覚えるように言うよ。ルールがあ るなんて一度も言っていない」と亜美は主張する。「まあ、どちらにしても、この簡単なル ール以外もいろいろあるから、頑張って覚えておけば、自分で読めるようになるよ。ただ、
理解するために、母音と子音の差をよく知らないといけない。もう一度復習しよう、さあ、
母音と子音の違いは何?」と支援者は聞く。
2011年2月5日のフィールドノーツより
このエピソードでは、亜美が自分の学習ストラテジーについて述べている。学校で学ぶ 英語の表現や単語の発音をカタカナで書き、そのまま暗記すると言う。今まで聞いたこと がない、または見たことがない単語が出てきたら、読み方が分からなくて困ると嘆く。そ して亜美のことばによれば、学校の英語教師は読み方のルールなどを教えないで、単語を 一つずつ覚えるように求めるそうである。亜美は頑張って覚えてきたことがわかるが、こ のやり方では限界がある。亜美は、受験向けの本に出会って初めてそれが分かる。何百個 の新しい単語が掲載されている本を丸覚えすることに違和感を持つ。他に何かいい方法が あるのではないかと考え、「自分で読めるように、教えてください」という希望を言った。
しかし、亜美は「英語で読めない」と言いつつも、完全に英語で読めないわけではない。
エピソード1でも指摘したように、亜美は英語でスペイン語の訛りを持ち、無意識に英語 をスペイン語の読み方のルールに従い読もうとする姿が見られる。2011 年2月 5日の指 導を記述する次のエピソードからも、この傾向が強いことがわかる。
エピソード3 スペイン語の読み方のルールに従いながら、英語で読む亜美
<状況> 亜美は「Study」という、よく出てくる動詞をどのように読めばいいか聞く。
亜美は「Study」という動詞の発音について聞いたとき、支援者は「自分で読んでごら ん」と言った。すると、亜美は「読めない」と言った。「読んでみて、読めないと考えすぎ かもしれないね」と励ましたら、亜美は「ストウディ」と読んだ。
2011年2月5日のフィールドノーツより
このエピソードは、亜美が動詞を不正確に読んでいることを示すという解釈は可能だが、
筆者は異なることに焦点を当てる。亜美は、自分は英語が読めないと信じ込みながら、動 詞をほぼ正確に読んでいることに着目したい。「U」と言う、複数の音を表わす文字だけが 読めなかったことを筆者は問題として捉えない。亜美が、英語の「U」をスペイン語の「U」
と同様に読んだことが筆者にとっては重要である。
「Study」を読むという短い出来事を通して、亜美が持っている様々な能力とビリーフ を垣間見ることができたことは、本エピソードの意義であると考える。言語能力に関して は、亜美は、スペイン語で読む力があり、その力を英語で読む時、応用する力(いわゆる 転移する力)があることがわかる。そして、亜美は自分の力に気づかず、それを無意識に 行っていることも明らかである。さらに、亜美は自分の言語能力を高く評価せず、「読めな い、できない」ということから、自分の言語能力について内省する力はまだ充分に発達さ れていないことが考えられる。つまり、亜美はメタ言語意識が薄く、それを育む実践を必 要とするといえる。
上記二つのエピソードからは、先行研究で述べられている「バイリンガルの子どもが意 識的に言語を学ぶ力」が亜美にはそれほど養成されていないということがわかる。亜美は、
自分の記憶力に頼りながら、学んでいく姿勢が見られる。意識的に学ぶ力が身についてい ない理由は、学習経験にあると考えられる。英語教師だけでなく、国語教師や取り出し日 本語授業の担当者も亜美に漢字や単語の暗記を要求したのかもしれない。また理解できな
くても、暗記さえすれば、テストに受かるという経験を亜美は持っているのかもしれない。
正確な理由は不明であるが、明確なのは、亜美は言語を意識的に学ぶレディネスを持って いるということである。つまり、亜美が暗記という方法に違和感を持ったことは意識的な 学びへの第一歩と言える。この違和感を共有している支援者は意識的及び明示的に音や読 み方のルールについて教えていった。そして亜美は徐々にこの教え方を受け止め、支援者 の説明についてくることができた。
このように、音韻認識に関する示唆を与えるエピソードでは、音韻認識以外の様々な力 が明らかになることは、BHLEを援用する研究ではよく見られる。バイリンガルとしての 基礎能力がお互いに影響を与えているため、一つだけの力を見るエピソードを抽出するこ とは非常に難しい。上記のエピソードでは、音韻認識以外は、言語を意識的学ぶ力や言語 間の転移を行う力の発達状態もある程度明らかとなったといえる。そして、亜美は言語間 の転移を無意識的に行うことが明らかとなったため、支援者は転移を行う過程を亜美にと って意識的な過程にすることを目指し始めた。言語間の点を意識的に行うために、言語を 対照する力、つまり言語の共通点や相違点に気づく力が必要であると考えられる。以下に 亜美はこの力を持っているか否かに関する示唆を与えるエピソードを述べる。
2)複数言語における相違点と共通点に気づく力
エピソード4 日本語、英語とスペイン語における時制のしくみを分析する亜美
<状況> 過去形と過去進行形について学びたいという亜美の希望を基に、その文法を整 理・習得する実践を行う。
亜美は過去形と過去進行形の差が分からないと言った。支援者は形から入ることにした。
亜美は、「wrote、did、studied、played」などの例を挙げ、それは過去形だと説明した。
過去進行形はwasと‐ing動詞を使うと説明し、was reading, was writing という例を挙 げた。次に、支援者は過去形と過去進行形が同じ文章に使われることが多いと説明し、
「When Ami entered the room, I was waiting in the room」という例を挙げ、その機能の 差を察することを求めた。亜美は、文章を見ながら、「あ、進行形は先に始まったことを指 す」といった。支援者は、「そうね、私は先に来たから、亜美が教室に入った時に、もう待 っていたのね」と言うと、亜美は「あ、日本語も同じになっている。『入った』と『待って いた』は違う時制だね」と言った。支援者は「よく気づいたね」と言った。次に支援者が 日本語で文章を言い、亜美がそれを英語に訳す活動を行った。亜美は突然「ね、先生、ス