第2章 先行研究:バイリンガル継承語教育の理論的枠組み
2.2. バイリンガル継承語教育における言語能力の捉え方
2.2.2. マルチリテラシーズ教育
本節では、複数言語における言語能力の質に多数の示唆を与えるマルチリテラシーズ教 育ついて述べる。
マルチリテラシーズ教育は1996年にNew London Groupによって提唱され、情報社会 やグローバル化が進んでいる世界に生きている学習者が必要としているリテラシーを考え る新しい観点を提示した。それは、学習者に言語教育を行う際、学習者の背景にある言語 文化の多様性に着目し、その多様性によって言語の使用や働きかけはいかに変化している のかを考えさせると言う観点である。さらに日々進化していく情報技術を利用し、自分が 置かれている学習情報やコミュニティを拡大し、自分の言いたいことや自分のアイデンテ ィティをネット上の文章を通していかに発信できるのかということに焦点を当てるべきだ と述べている(New London Group, 1996)。マルチリテラシーズ教育学を援用した実践は 以下の四点を考慮すべきであるとCope and Kalantzis(2000)は考えている。
1) 学習者の経験を考慮した、学習者にとって意味のある場面の中の指導 2) 意識的な学習を促すための、体系的、分析的、明示的な指導
3) 知識体系や社会的習慣に埋め込まれる社会・文化的文脈を批判的に分析する活動 4) 以上を通して再構築できた知識や意味を、新しい文脈に置き換えて実践するための指導
ここで、カミンズによる「転移を目指した教育」とマルチリテラシーズ教育のつながり が明らかになる。両理論は複数言語で文章を作成する作業がバイリンガルの言語能力につ ながるという。そしてこの文章は、情報技術を利用し、インターネットを通して公開され、
学習者のアイデンティティを支える様々なコミュニティと共有される。このように、学習 者は自分が属しているコミュニティの多様性に気づき、自分のメッセージを的確に伝える ためにいかに言語を使うべきなのかを試行錯誤を繰り返しながら意識的に学ぶ。このよう な意識的な学びを支えるために、教師は明示的指導を行う。明示的指導が不可欠であると いう点は、カミンズとCope and Kalantzisの研究では共通している。学習者は明示的指 導を受けながら、言語を対照する力を獲得していく。そこで、カミンズが述べる言語間の 転移は促進されるといえる。
このように上記の二つ理論は、子どもの言語能力をバイリンガルによる言語能力として 捉え、子どもが接触しているすべての言語を学習過程に入れ、その向上を目指す実践が必
要であると主張していることがわかる。この主張は次節で述べるバイリテラシー論に共通 していることを指摘すべきである。さらに複数言語の流動性や転移を主眼に置く教育実践 のあり方についてBaker(2001)やGarcía(2009)がBHLEの新潮であるトランスラン ゲージング論にて詳しく述べている。
2.2.3.バイリンガル言語能力の発達過程の包括分析を提唱するバイリテラシー論 複数言語におけるリテラシーを議論する多くの研究は、複言語能力(複言語リテラシー)
の概念を普遍的で文化に左右されない認知的スキルとして捉える場合が少なくない。換言 すれば、このような研究は複数言語におけるリテラシーを普遍的で妥当性が高い標準テス トによって図れる識字スキル(読み書き能力)、いわゆる機能的リテラシー(functional literacy)として捉えることが明らかである。同様に、バイリンガル教育に関わる教育組織 や学校が機能的リテラシーに着目し、それぞれの言語における書く力と読む力の発達につ いて述べる(Fishman, Riedler-Berger, and Street, 1985, p. 377; Valdés, 1983)。この傾 向は、学年相当レベルで読む力、筆記体(きれいでわかりやすい文字)、そして正しいつづ り(正書法)を重視する教師や親が一般的に持っている考え方と一致しているだろう。
しかし、García(2009)が指摘しているように、バイリテラシーという概念において「テ
ストによって測れるスキル」より様々な深い意味があると言う。García は Hornberger
(1990, p. 213)によってまとめられた定義を援用し、「バイリテラシーとは、バイリンガ リズムとリテラシーの結合であり、書くことを中心とする、または書くことに関わるコミ ュニケーションのすべての要素」であると述べる。Hornberger の定義は幅広く、バイリ テラシーはバイ(bi-)(二を意味している)という接頭辞を使っていても、二つの言語に おけるリテラシーに意味を制限せず、複数言語におけるリテラシーも含むと言う。このよ うにバイリテラシーの概念は複数言語環境に置かれているマルチリンガルの子どもが持つ 言語能力を議論するために重要であると言う。
Hornberger による理論的枠組みが包括的なものであり、様々なケースやバイリンガリ
ズムのグループを議論することに適切である。バイリテラシーを議論する場合、書くこと や読むこと自体だけでなく、書くことを中心とするコミュニケーションのすべての場面や そのコミュニケーションの参加者及びその背景にある複雑な文脈や利害関係を視野に入れ るべきであるとHornbergerは述べている。そして書くことがこのような複雑な文脈とど のような関係性を持ち、どのように左右・影響されるのかという理解が、言語教育に携わ
るすべての者の意識、そしてその実践に影響を与えると言う。
Hornbergerの理論的枠組みはBHLEにおいて高く評価され、マイノリティの子ども達
を対象とする言語教育政策やバイリンガル教育学を議論する際、よく援用される。たとえ ば、Cummins(2008)はバイリテラシーの枠組みにおいて、コミュニケーションの参加 者及びマクロの文脈で言語政策や言語教育政策に携わるエイジェンシー(ここでは、
agencyが参加者の自立意識及び決定力を意味する)を持った参加者が着目されることを高
く評価する。García and Baker(2007)はバイリテラシーの四つの連続体(Biliteracy continuum)の概念を援用しながら、メキシコ系アメリカ人の子どもが持つ言語能力を検 討し、「複数言語における言語実践のモデル(model of plurilingual practices)」を提示し、
バイリテラシーのすべての側面が同時発達を必要とすると結論付ける(García, 2009,
p. 213)。Garcíaの包括的結論づけは、Hornbergerがバイリテラシーの理論的枠組みを提
唱した目標及び観点に共通しているということが明らかである。さらに、日本国内の研究 でも、中島(2010)がHornbergerの理論的枠組みに言及し、効果性を持つ理論的手法で あるとは述べているが、在日外国籍児童が置かれている教育環境を検討するための研究方 法としては応用されていない。
Hornberger自身が認めるように、「バイリテラシーの枠組みは分かりづらい概念であり」、
「誤解を招くことが多く」、追加説明が必要な観点であると言う(Hornberger, 2008,
p. 285)。本研究の目的は、バイリテラシーの枠組みを詳細に分析することではないため、
ここでは四つの連続体について述べないこととする。しかし、バイリテラシーの枠組みに おいて強調される、バイリテラシーの流動性及び柔軟性、個人の中に起きる様々な変化や 文脈の様ざまな変容に敏感であることを改めて指摘したい。バイリテラシーは識字教育を 通して身につく固定して永続するスキルではなく、個人による成長や発達、そして文脈や 環境の変化に伴って変容していく「自己表現する力及び意味づける力である」という。
García(2009)が指摘しているように、バイリテラシーの枠組みはバイリテラシーのダ イナミズムや流動性に着目するため、言語を流動的、かつダイナミックに使用するバイリ ンガルの教育実践の開発に貢献していると言う。バイリテラシー論を援用した研究者は、
言語間を移動する過程を含む、口頭コミュニケーションや文章を通すコミュニケーション 及び家庭内や学校内におけるリテラシー教育を分析し、お互いにどのように影響し合うの かを検討しながら、言語間を移動する過程を教室内に持ち込むことを奨励する。言語間の 移動はコード切り替え、言語切り替えやコードミキシングとも呼ばれ、教室内及び教室外
に起こる複数言語の同時使用を意味する。
以上を踏まえて本研究では、バイリンガルの人が行う複数言語の使用は様々な機能を持 っており、単なる言語を切り替えることではないということを主張するために、トランス ランゲージング(translanguaging)という概念が生まれ、言語間を移動する過程を正当 化することを試みる。そして、トランスランゲージングはモノリンガル観点を中心とする
「バイリンガル教育方法(たとえば、目標言語を目標言語で学ぶ実践や目標言語を学ぶ時 間や教室と現地言語を学ぶ時間や教室を分ける実践)」を批判し、言語を孤立させない、言 語間の移動を促進するバイリンガル教育方法を提唱する。
以下にトランスランゲージングの定義、トランスランゲージング教育学の主なガイドラ イン及び実践方法について次節で述べていく。
2.2.4.言語間の移動の正当化を目指すトランスランゲージング論
1990年代には、言語は公式的な標準語に限定されない、創造的に使用されている個人的 なものであり、コミュニケーションは多種多様なインターアクションを含み、服装やファ ッション、食べ物やその香り、身振りや手振り、感情や音楽を通して自己を表現すること も言語行為であると多くの研究が指摘したとShohamy(2006)が述べる。Shohamyはこ のような意味づけや自己表現の創造的な方法は言語行為の一部であり、重要な役割を果た すと述べ、ランゲージング(languaging)と名づけた(Shohamy, 2006, p. 16)。ランゲー ジングは視覚的触知できるものを通して言語によるメッセージはいかに伝わるのかを観察 できると言う。Butler(1997, 1999)、そしてPennycook(2004) が指摘しているように、
ランゲージングの行為こそが自己のアイデンティティの表現への示唆が豊富であると言う。
ランゲージングは言語より人間的で、ダイナミックであり、新しい意味や異なる次元を言 語に与えると言う。
上記の議論を意識していたWilliams(1994, cited in Baker, 2001)がダイナミックなバ イリンガリズムを育む教育学及び教育実践の開発を試み、それをトランスランゲージング と名付けた。
Baker(2001)が指摘しているように、トランスランゲージングはウエールズ(英国)
のある高校において研究を行っていた Williams によってカリキュラムデザインとして開 発された。トランスランゲージングを基にする授業は知識(情報)獲得を目的とする活動
(聴解や読解など)が一言語で行われ、獲得した知識の内面化及び内省化(解釈や応用に