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言語的アイデンティティの捉え方への示唆

第 6 章 日系ペルー人児童が表出するアイデンティティの多様性

6.5. ケイティの場合

6.5.1. 言語的アイデンティティの捉え方への示唆

ケイティは自分のスペイン語能力に自信を持ち、現時点ではスペイン語ができていても、

学び続けるということ発信している。

1) 第一回の指導の話し合い

エピソード2 <難しいよ。だからもちろん、勉強する>

ケイティと将来の教育について話し始めると、「日本語とスペイン語を両方勉強する」と 彼女は答えた。日本語は進学のためだけではなく、仕事のためにも必要だと説明したケイ ティは、「そして英語も必要だから、学んでいるよ」と言った。(中略)ケイティはスペイ ン語の勉強についてはっきりしたイメージを持っているという印象が強かった。「日本語は 難しい、難しいとみんなは言っているけれど、スペイン語も難しいよ。書きことばは長く て、難しいよ。だからもちろん勉強する」とケイティは説明した。何のために勉強するの か聞くと、「工場ではなくて、事務所、オフィスの仕事がしたいから、いろんなことばがで きるといいじゃない。それで、スペイン語と英語の勉強頑張る」とケイティは答えた。

2012年4月21日のフィールドノーツより

このエピソードでは、ケイティが持っている、スペイン語に関する知識について推測す ることができるといえる。「書きことばが長くて、難しい」という発言から、おそらくケイ ティがスペイン語の書きことばに触れたことがあると推測できる。日本語の書きことばと 比べ、スペイン語の書きことばではラテン語に由来することばが多い。それらのことばは 10文字以上からなるものが多く、さらに日常生活では使われていないため、確実に難しい と判断できる。スペイン語で公的な教育を受けていないケイティにとって、書きことばに 触れる機会も限られているだろうと考えられる。それでも、ケイティは書きことばについ てある程度知っており、さらにそれらを学ぶ必要性を意識していることがわかる。これは、

やはりケイティのスペイン語能力がやや高いといえる理由となる。このように、言語的ア イデンティティの一要素である「流暢性」をケイティは持っているといえる。

次に、もう一つの要素である「言語の継承」、つまりスペイン語の継承に関するケイティ の考え方について述べる。

エピソード3 <スペイン語はきれいな言語だから、学ばせたいね>

家庭について、ケイティは他の女の子と同じように、子どもは二人ぐらいほしいと言っ た。そして、日本に住み続けたいから、日本語の学校に通わせると言った。「スペイン語の 勉強はどうする」という支援者の質問に「スペイン語はきれいな言語だから、学ばせたい ね」といった。「私はスペイン語の響きが好き、Rの響きとかね。日本人はやっぱりこの音

ができないね。でもペルー人はできる。たとえば、この音をうちの子どももできてほしい ね」とケイティは説明した。

2012年4月21日のフィールドノーツより

このエピソードでは、ケイティが自分の子どももスペイン語ができるようになってほし いという希望を持っていることがわかる。語った理由は、「きれいなことば」という表面的 なものであったことに見えるが、ケイティは明らかにスペイン語に対する深い思いを持っ ていることが窺える。「スペイン語の響きが好き」、「Rの響き」に言及することは、スペイ ン語を大切にする気持ちを表していることを示すだろう。そして自分の子どももこのよう な思いを持ち、「きれいな音がするスペイン語」を自分のものにしてほしいというケイティ の考えが明確になる。

このように、ケイティはスペイン語を大切にしながら、「ペルー人ができる」スペイン語 を子どもに継承してほしいと考えていることがわかる。この思いを踏まえると、ケイティ が持つ言語的アイデンティティにおいてスペイン語は重要な役割を果たしていることがわ かる。

ケイティがスペイン語を大切にしていることは明らかであるが、彼女が日本語及び日本 語学習をいかに捉えているのかは興味深い問いである。次のエピソードを取り上げ、ケイ ティが持っている日本語学習に対する立ち位置について考えていく。

エピソード4 <大学に入りたい、いい仕事したいなら、日本語は必要>

将来住みたい国について話し合った時、ケイティは「私は日本に住む」と自信を持って言 った。(中略)日本語の勉強は難しいかどうかと聞くと、ケイティは「難しい時もあるけれ ど、勉強するしかないでしょ。大学に入りたい、いい仕事したいなら、日本語は必要。だ から私は頑張っている。ありえないことはない。うちの兄さんだって、大学に入ることが できたし、O さん(ケイティの親の友達)も日本語ができるようになって、いい仕事を見 つけたからね。私もきっとできる」と言い続けた。

2012年4月28日のフィールドノーツより

このように、ケイティは日本語学習が、将来の大学への進学や就職のためであると考え ている様子が窺える。ケイティは日本に住み続けることを想像しており、そのために無論

日本語の高い能力が必要であることを意識していることがわかる。そして、ケイティの周 りにも大学に入学できたお兄さんといい仕事を見つけた親の友人という成功した人がいる からこそ、ケイティは「ありえないことはない」と信じているといえる。

第5章でも指摘したように、ケイティの日本語能力はやや高い。ケイティの高い動機づ けはその理由の一つであるかもしれない。言語的アイデンティティの要素である「流暢性」

をケイティは持っているといえるが、ケイティは日本語とアイデンティティのより深い部 分をつなげているのかは興味深い課題である。このエピソードを読むと、ケイティは自分 のアイデンティティと日本語を結びつけていないという印象を受けやすい。そのため、イ ンタビューの時、筆者はそれについて直接聞いた。そのエピソードを以下に紹介する。

2) 第二回の半構造化インタビュー

エピソード5 <文化の勉強か。私は日本人じゃないし、時間がないの>

支援者は、「日本語の勉強は日本の文化の勉強に役立つと思う。ケイティは日本の文化に 詳しいの」と直接聞いた。すると、ケイティは「日本の文化?茶道と格闘技とか?私はあ まり興味がないよ。後、日本人じゃないし、時間がないの」と答えた。「ケイティは日本人 のことをよく知っていると思う?」と聞くと、「あまりそういうことを考えたことがない。

言っていることは大体よく分かるけど、わからないこともいっぱいある。でも日本語を勉 強すればするほど、わかりやすくなるんじゃない」とケイティは答えた。

2012年6月02日の記録データの要約

このエピソードでは、ケイティが「日本文化」を茶道や格闘技、つまり伝統的な文化に 絞って捉えていることがわかる。そして、ケイティは自分がそれらに興味がない理由を「日 本人じゃない」と説明している。このように、ケイティは伝統的な文化と民族をつなげ、

自分が(伝統的な)日本文化を学ぶ必要性がないことを正当化しようとしている。日本文 化は伝統的な文化だけでなく、「日本人を理解する力」でもあると考えている支援者は「日 本人のことをよく知っていると思う?」という質問を投げかける。しかし、ケイティはそ の質問の深い意味が分からず、「知っている」ということを「日本人が日本語で言っている ことが理解できる」と理解する。自分の日本語能力について聞かれると思い、わからない こともあるが、勉強すればわからないことがなくなるというように答える。

このように、ケイティは日本語の役割を、コミュニケーションを取る手段に絞り、自分

のアイデンティティにおける役割について深く考えていないことが伝わる。「日本人じゃな い」ケイティにとって、日本語が持っている文化的価値は明らかではない。そしてケイテ ィは日本人が「わかる・わからない」ことは日本語能力だけに左右されるものではないこ とをケイティは意識していない。日本人との接触時間とコミュニケーション経験こそが、

日本文化の学びの源であり、日本人を理解できる鍵となる。そして自分と異なる文化を持 つ人間を理解する力を身につけることによって、自分の言語的アイデンティティが変容し ていくというのが、筆者の捉え方である。ケイティはこのような文化の捉え方に出会った ことがないため、自分が日本人を理解した時、日本語能力だけでなく、文化能力、つまり 自分の言語的アイデンティティのある部分が働いたとは考えていない。

上記の考察を踏まえると、ケイティが持っている言語的アイデンティティではスペイン 語の方がより重要な役割を果たしていることがわかる。ケイティはスペイン語が流暢にで き、家族とのつながりを守るために、学び続けたい気持ち、そして子どもに継承してほし い気持ちが明らかとなった。一方、日本語はケイティにとって実用的な価値を持ち、自分 の家族と文化とは関係ないものであることが分かった。「スペイン語を学ぶことによって、

自分が成長していき、日本語を学ぶことによっていい仕事が見つかる」という言い方は少 し単純ではあるかもしれないが、ケイティの考え方をよくまとめていると考えられる。