第 6 章 日系ペルー人児童が表出するアイデンティティの多様性
6.3.1. 言語的アイデンティティの捉え方への示唆
1)第一回の指導のブレインストーミング エピソード1 <様々な言語を学ぶ>
亜美は「教育」ということばを知らなかったので、「教育は勉強のことだよ。将来何を勉 強したいのか、何を学びたいのかということだよ」と説明したら、亜美は「様々な言語を
学ぶ」と言った。「どの言語を学びたいの」と聞き続けると、「ヨーロッパの言語を学びた い。ほら、私はスペイン語ができるでしょ。スペイン語に似ている言葉は多いでしょ。イ タリア語とか、フランス語とか。その言語を学びたいの。多分すぐにできると思う」と亜 美は答えた。
2011年6月11日のイールドノーツより
このエピソードでは、亜美はスペイン語に関する知識を示すことがわかる。スペイン語、
イタリア語とフランス語は似ていると述べ、さらに自分はスペイン語が得意なので、イタ リア語とフランス語も上手になるという自信溢れる発言をする。このように亜美は、自分 とスペイン語のつながりを明らかにし、将来スペイン語の知識やスキルをさらに活用し、
自分の学びに役立てようと考えている様子が窺える。
筆者は言語学習について亜美にさらに聞き続けた。
エピソード2 <だから今は英語も勉強するよ。将来ドイツ語もできるように>
支援者は、「じゃあ、スペイン語に似ている言葉だけを勉強する予定なの」と聞き続けた。
「違う、だから今は英語も勉強するよ。将来ドイツ語もできるように」と亜美は答えた。
「なぜドイツ語なの」と聞いたら、「そこにいとこの家族が住んでいて、ドイツに興味があ るのよ」と亜美は説明した。「ヨーロッパの言語ばかりだね、フランス語、イタリア語、ド イツ語と英語」と支援者が言うと、「そうよ。スペイン語はヨーロッパの言語だもん。家族 はヨーロッパだし、勉強しなきゃね」と亜美は言った。
2011年6月11日のイールドノーツより
このように亜美はスペイン語をヨーロッパ言語として捉え、他のヨーロッパ言語を学び たい気持ちを表す。ヨーロッパに住んでいるいとこの家族に言及し、ドイツ語も学びたい ことを明らかにする。だが、今はドイツ語を学べないことと言い、ドイツ語に似ている英 語を勉強していると亜美は説明する。
ここで興味深いのは、亜美はスペイン語をペルーのことばや南米、つまり遠くて開発途 上国のことばとして捉えず、先進国が多いヨーロッパのことばとして捉えていることであ る。それは、亜美が自分のスペイン語能力を遠慮なく示す理由であるかもしれない。日本 では、ヨーロッパはよく知られており、憧れの地域でもあるため、そこの言語ができると
格好いいという一般的な考え方がある。この考え方をある程度意識している亜美は、「スペ イン語はヨーロッパの言語だもん」と格好よく言ったのだったと思われる。
このように、亜美は自分の言語的アイデンティティをスペイン語とスペイン語に似てい る他のヨーロッパの言語とつなげて考えている。将来自分のスペイン語知識を深めるとと もに、様々なヨーロッパの言語を学び、自分の「ヨーロッパの言語話者」という言語的ア イデンティティを構築したいと考えていることがわかる。さらにいとこがドイツに住んで いることを自分の言語能力につなげ、家族の中にはドイツ語ができる人もいるため、自分 もドイツ語を勉強するという気持ちを示す。このように亜美は自分の言語的アイデンティ ティと家族の絆をつなげ、「ヨーロッパ言語話者」のアイデンティティを継承していること が、「家族はヨーロッパだし、勉強しなきゃね」という発話から分かる。
2)第二回の指導の文章作成
第二回の指導に亜美が持ってきた文章では、フランス語、イタリア語と英語の次に日本 語が現れ、日本語も勉強するという亜美の気持ちが明らかとなった。日本語学習をめぐる やり取りは以下のエピソードで提示する。
エピソード3 <7年間色々と苦労して日本語を勉強してきたから、勉強しないと、もった いない>
支援者は「日本語を学ぶ」というところに気づき、「あ、日本語も学びたいの」と聞いた。
亜美は「そうね、7 年間日本語を学んできて、色々と苦労して勉強してきたから、勉強し ないともったいないかなと思って、あと将来の仕事にも役立つと思うの」と亜美は答えた。
「そう、どうして役立つ?」と支援者は聞いた。「ほら、私は漫画家になりたいでしょ。日 本の漫画って世界で有名でしょ。だから、日本の専門学校、漫画家になるための専門学校 を卒業したら、世界、どこでも漫画家の仕事が出来るでしょ。私は色んな国に旅行して、
仕事が出来るといいなと思うのね」と亜美は説明した。
2011年6月18日のフィールドノーツより
このエピソードでは亜美は自分の将来と日本語をつなげていることが明らかとなる。自 分の夢の仕事、漫画家になるための勉強をするのに日本語がいいと意識している亜美にと って日本語は実用的な価値を持つことが窺える。亜美は将来の成功を得るために、日本語
能力を活かし、日本で漫画家になるために勉強するという計画を持っていると言う。日本 語を通して、自分がほしい資格さえ持っていれば、「色んな国」で成功したいという期待も 窺える。
しかし、日本語は亜美にとって手段に過ぎないのか。亜美は自分の言語的アイデンティ ティと日本語のつながりをているのだろうか。
エピソード4 <漫画の国内コンクールに参加する。そうしたら、私の能力が認められる>
亜美は自分の将来の仕事について話し続けた。そして「漫画の国内コンクールに参加す る」、「そうしたら、私の能力が認められる」と言った。支援者は「何の能力?漫画家の能 力が認められるの」と聞くと、亜美は「漫画家、そして日本語能力、ほら日本語ができな ければ、コンクールに参加ができないわけでしょ。だから、コンクールに出れば、私の日 本語と絵を書く力を見せることができると思う」と答えた。
2011年6月18日のフィールドノーツより
このエピソードでは、自分が世界で活躍することを想像している亜美の国内でもある程 度成功したいという気持ちが現れる。国内コンクールに参加することによって、自分の能 力を見せたいという亜美の気持ちの裏には、おそらく現時点で自分の能力があまり認めら れていないという感情があるのだろう。亜美がこの感情に示唆したエピソードは2011年4 月10に起きた。
エピソード5 <日本語はまだまだだねっていつもいわれる>
支援者は亜美に学校について聞いた。好きな教科科目と難しい教科科目、そして日本語 の取り出し授業を受けているかどうかを聞いた。すると、亜美は嫌がるような顔をして、
「算数が難しいね、私は得意じゃないし、問題がよく分からないことがあって、それでい つも『日本語はまだまだだね』って言われる。日本語の問題じゃないと思うけど」と答え た。(中略)「取り出し授業に出たことがあるけど、簡単で退屈だったから、もう受けない。
今も受けたら、みんな、私の日本語は下手だと考え続けると思う」と亜美は悲しそうに言 った。
2011年4月10日のフィールドノーツより
このエピソードでは、亜美が難しい教科科目に触れ、算数ができないということが、彼 女の日本語能力の評価に使われていることを述べる。亜美が算数問題を解けない原因は、
不十分な日本語能力にあると教員が考えていることが窺える。しかし、絵を書くことが大 好きな亜美、つまり理系より芸術系のことに興味を持っている亜美は、その理由は別であ るという考えを持っている。亜美は日本語があまり上手ではないという周りの人の思い込 みを肯定しないように、亜美は取り出し日本語授業を受けないことにした。その授業の内 容が本当に「簡単で退屈」だったのかは不明であるが、亜美の考えでは、その授業を受け ること自体、彼女の日本語能力の低い評価につながるということだった。
第5章でも述べたように、筆者が観察できた亜美の日本語能力は特に低いものではなか ったため、亜美の考え方に同感する。筆者が見た亜美は、様々なことば、音楽や絵を書く ことに興味があり、つまり人文系のことにより興味を持つ女の子であった。たとえ、スペ イン語でも数学は難しかった可能性は高いと考えられる。興味深いのは、亜美が自分を評 価する大人の考えを分析する傾向であり、それに対抗する姿が徐々に現れるということで ある。そして、自分の日本語能力が、周りの人が考えているより高いということを示した いという亜美の気持ちは、その方法の模索・追求につながる。そしてエピソード4で述べ たように、亜美が自分の様々な能力を見せる方法として、漫画の国内コンクールの参加(優 勝までは亜美は想像していない)を考えた亜美の姿は筆者にとって感動的だった。
このように亜美が持っている言語的アイデンティティの主な要素は、スペイン語をはじ め、他のヨーロッパ言語に対する親近感や流暢性の希望であると考えられる。亜美は、ス ペイン語を継続的に学びたいという気持ち、そして他のヨーロッパ言語が上手になりたい という気持ちは、自分の「ヨーロッパ言語話者」というアイデンティティの継承の希望に 関係するといえる。さらに亜美は、日本語の学習も続けたいという気持ちを明らかにし、
自分の日本語能力の高い評価を望むことがわかる。今までの苦労と勉強を台無しにしたく ない気持ちと日本語は将来の仕事に日本語が役立つという気づきは、現時点で亜美が持っ ている言語的アイデンティティに影響を与えるといえる。