第 5 章 日系ペルー人児童が持つバイリンガル言語能力の多様性
5.2. テレサ:母語能力と日本語能力の溝
エピソード1 英語とスペイン語の音の類似点に気づかないテレサ
<状況> 初めて亜美とテレサに支援を行う。亜美とテレサの英語で読む力を確認するた めに、様々な単語を読ませる。
支援者は亜美とテレサに「英語で読めるようになりたい。発音を教えて」と言われた。
それで、まず二人に簡単な単語を自分で読むように言った。テレサはAppleを「アップル」、 Oldを「オルド」、English を「イングリッシュ」と読んで、明らかにLとRの違いを区別 できていなかった。スペイン語でInglesと発音してみるように言うと、テレサはLの発音 がちゃんとできた。Inglesの[L]とApple の[L]は似ている音で、同じように言っても いいと教えたら、テレサは分からない顔をし、「アップル」と「オルド」を繰り返していっ た。「でも、英語とスペイン語は違うことばだから、似ていないじゃない」といって、「英 語で読むときはスペイン語の発音をするのはおかしい」といった。「すべての音はもちろん 似ていないが、[L]の発音が似ているから、同じように発音しても構わない。スペイン語 の[R]は英語の[R]と全然違うから、同じように発音してはいけない」といったら、「テ レサは[L]は違うの。でも先生はさっき似ていると言ってたけど」と言って、完全に迷 っている様子だった。
完全に混乱してしまったテレサを出発点に戻すために、自分の名前(Tereza)と妹の名
前(Clara)をスペイン語でいわせた。すると、テレサはRとLの音を正確にできた。支援
者の名前(スペイン語でもよくある名前)をスペイン語で言い、RとL、どちらが聞こえ るのかと聞いたら、テレサは答えられなかった。
2010年12月18日のフィールドノーツより
このエピソードでは、筆者は英語のRとLの発音を明示的に説明するために、スペイン 語のLと英語のLを対照することを試みた。そして、それを説明している時、[エル(L)] と[アル(R)]という文字と思わせることばを使わず、音だけを提示した。テレサは音だ けを聞き、二つの音が似ていることに気づくことを願った。しかし、テレサはスペイン語 のLと英語のLは似ていることに気づかないことがわかる。さらに支援者がスペイン語の R音、英語のL音、そしてスペイン語のL音を使うと、テレサはどれがどの音なのか分か らなくなり、完全に迷ってしまうことが明らかとなった。このように、テレサは音を正確 に聞き取れないことが示唆されたが、筆者が一歩戻り、RとLの音がある自分の名前と妹 の名前を言わせた時、テレサは正確に発音する。そこで、テレサはよく知っていることば であれば、RとLを正確に発音する力があることがわかる。しかし、慣れていない単語(例 えば、支援者の名前)の場合、音を聞き取る力が不十分であることが明らかとなった。
スペイン語の音でも充分に聞き取ることができないテレサは、英語でも音を聞き取る力 が弱いことが分かった。テレサはスペイン語と英語のLの音が似ていることが認識できな いため、同様に発音できない。支援者が同じように発音してみることを指導しても、テレ サは同じような音の発音がなかなかできない。
このように、テレサは音韻認識、つまり音を聞き取り、正確に発音する力が低かった。
テレサはスペイン語で音を正確に発音できても、その音を単語から取り出し、それを英語 の単語に意識的に入れることができない。このようにテレサはスペイン語の音や単語を無 意識的に発音する様子が窺える。バイリンガルの人は、無意識に発音することがよくある が、バイリンガルとして生きていく経験を得ることによって、自分の発音を訂正し、訛り などを変容することができる力を身につけていく。だが、この力を身につけるためには、
音と文字を区別する力や音を意識する力が必要となる。このような力がない限り、音韻認 識の発達は難しいと考えられる。
2)日本語とスペイン語を関連づける力の不足
エピソード2 言語間を移動することが難しいテレサ
<状況> 初めて亜美とテレサに支援を行う。亜美は英語が読めるようになりたい、テレサ は現在形のテストがあるから現在形を学びたいという希望を言う。
亜美は、「英語をきれいに発音したい、カタカナがなくても英語を読めるようになりた い」と言う。テレサは「来週現在形のテストがあるけれど、現在形の動詞はよく分からず よく出来そうもないから、教えて」と言う。すると、「あ、再来週私もテストがあるよ」
と亜美は思い出し、現在形を学びたいと言う。支援者は、現在形が持つ機能から始めるこ とにした。支援者は「現在形をいつ使うの」と聞き、亜美は「毎日やることについて話す 時」だと答える。支援者は「そうだね」と言い、「毎日」以外のことでも言えると指摘す る。時間を表わす単語、Time Markerというのがあり、その言葉を文章で使う場合、大体 現在形を使うと説明する。その単語の例を英語で、Always, Usually, Sometimes, Never, Every
(day, week)と書き、発音と日本語訳を求める。亜美はためらいながら、読もうとするが、
スペイン語の訛りは明らかである。テレサは、知っていた単語(SometimesとNever)をカ タカナ風に読み上げ、Always と Usually がわからないと言う。支援者は「Always はいつ も、Usually は普段」だと言っても分からない顔をする。亜美は「Always はしょっちゅう だよ」と手伝ってくれ、すると、テレサは「ああ」と分かったような発言をし、「毎日と どう違うの」と質問する。すると、亜美は「毎日としょっちゅうは違うでしょ。英語も同 じ」と言ったが、それでもテレサは納得できない。ここで、私はスペイン語訳を求める。
テレサは「毎日はCada dìa、しょっちゅうは知らない」と言い、「Siempre」だと亜美は言 う。そこで、テレサは「なるほど!今よく分かった」と言う。
2010年12月18日のフィールドノーツより
このエピソードからは、自分の日本語能力に自信があるテレサにとっても、時間を表わ す語彙は少し難しいことがわかる。テレサが「いつも」という単語がわからなかった時、
支援者よりテレサと長く付き合っている亜美は「しょっちゅう」という単語に切り替えた。
おそらく、二人が話す時、「しょっちゅう」という単語をよく使うと考えられる。テレサ は「しょっちゅう」の意味が分かったが、さらに「毎日」と「しょっちゅう」の違いが分 からないとい言い出した。亜美にとってこの違いは明確であり、この質問自体が不思議で あったため、仲間であるテレサを手伝おうとする姿勢は見られなかった。筆者は、二つの 単語の違いを説明するのに、例を出して説明する方法とスペイン語を活用して説明する方 法を取った。このときは、筆者はスペイン語を使うことを選んだ。自分のスペイン語能力
を高く評価しないテレサであったが、「Siempre」という単語を聞いた途端、「今よく分か る」といい、それ以上の説明を求めなかった。
ここで、テレサは「しょっちゅう」と「Siempre」という単語を知っていたものの、意味 が同じであることに気づいていなかったことが興味深い。第2章で述べたように、バイリ ンガルは言語間の転移が自然に起こり、同じ意味を持つ単語を自ら関連づける力を持つと 主張する研究がある。しかし、テレサの場合、言語間の転移は自然に起こらなかったこと がわかる。テレサは2つの単語を知っていても、自分の力でこの2つの単語をつなげるこ とができなかった。筆者が明示的に「しょっちゅうは Siempre」と言うまでに、テレサは この2つの単語を別々に理解していた。その理由は、おそらくテレサが置かれている学習 環境にあるといえる。テレサは、「しょっちゅう」という単語を父親、妹、そして学校で 会う教師や仲間と使い、「Siempre」という言葉を母親とよく使っていたと考えられる。こ の2つの世界が重なることがなく、そして「Siempre」と「しょっちゅう」を同時に使う文 脈はなかったと想像できる。つまり、この2つの単語は孤立しており、別々に存在すると テレサは捉えていた。今回の支援の時、この2つの単語が初めて同じ文脈で使われた。そ れをきっかけに、テレサはスペイン語と日本語に同じ言葉があることを学んだ。
3)言語の共通点や相違点に気づく力の不足
エピソード3 英語とスペイン語には冠詞があることを知らないテレサ
<状況> テレサは学校のテストを持ち込み、間違った箇所を直したいと言う。間違った理 由を知り、繰り返さないようにしたいと指導を求める。
学校で受けたテストでは「This is」 と「These are」を使った文が出てきて、テレサはそ れがよく分からず間違ったと言う。意味と使用のルールを説明してほしいと言う。日本語 で説明してもピンとこない表情をするテレサ。「This is」はスペイン語の「Esto es」、「These
are」は「Estos son」と説明してみる。支援者のペンケースを開け、これは鉛筆ですと日本
語で言う。スペイン語にするとどうなると聞いたが、「Esto es un lapiz」とテレサは答える。
では、英語にすると、「This is pencil」とテレサは答える。「何か足りないよ。スペイン語 ではUnもあるけど、このUn は何?」と支援者は聞く。テレサは「知らない」と答える。
「じゃあ、Unがなくてもいいの?Esto es lapizでもいい?」と支援者は突っ込む。「いや、
おかしい」とテレサは笑う。「この Un は冠詞と言う。スペイン語で何と言うか知ってい
る?Articulo。英語ではArticle」と支援者は説明する。テレサは「似てるね、名前、でも初