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第 3 章 匂いマップの解析と分子パラメー タを基にした匂いクラスタリングタを基にした匂いクラスタリング

3.1 匂いマップの解析

3.1.3 解析手法

本研究では,クラスターに関する特徴量の抽出と次元圧縮を目的として,匂いマップ 画像を主成分解析した.解析手順を以下に述べる.はじめに,匂いマップ画像を197× 357のベクトルとみなし,321種類の匂い物質に対する匂いマップのグレースケール画像 をピクセル行列に変換し,321種類の行列からなるデータセットを生成する.次に,画 像行列(約7万画素)を入力信号として,主成分分析で321種類のピクセル行列の基底ベ クトルを抽出した後,すべての匂いマップ画像において,活性パターンに全く寄与しな い要素の除去を行う.それから,抽出したピクセル要素のみで主成分分析を実行するこ

とで,ラットの匂いマップ画像の主成分得点(PCn)と因子負荷量が計算される.最後に,

各PCnに関して,因子負荷量の絶対値の小さなピクセル要素を除去する.これらの処理 により,匂いマップの中で,匂い物質の受容に関わる糸球体層の活性領域に寄与してい る主成分を取りだすことができる.

3.1.4 主成分と分子パラメータの相関

匂いクラスターに関するキーパラメータを探索するために,計算された主成分と

Chem-Bio3Dを用いて計算できる様々な分子パラメータとの間の相関を評価した.ChemBio3D

は化学物質をモデリングする研究者を支援するために,特別にデザインされたソフトウェ アである.分子モデリングとは,計算機上で分子を構築し,分子の立体構造や電子配置

(分子軌道)を予測する手法であり,コンピュータによる理論化学計算に基づいて実行さ

れる.分析ツールや計算ツールと組み合わせ,最適化された分子モデルを三次元的に表 現し,分子グラフィックを通した分子の可視化と分子構築・変換操作の他,分子動力学計 算によって,分子シミュレーションをすることができる107).本研究では,計算パッケー ジとして,MOPACやGAMESSなどを使用している.計算した分子パラメータは76種 類で,匂いマップ画像に対応する321種類の匂い物質,それぞれ対して計算している.表 3.1にそのパラメータを列挙している.本研究では,主成分と各分子パラメータの相関性 を評価するために,ピアソンの積率相関係数を算出した.

3.1 ChemBio3Dで計算された分子パラメータ

3.1.5 人工匂いマップの作成

ラットの匂いマップ画像により定義された匂いクラスタリングマップを基に,人工の 匂いマップが作成できる.匂いマップ上で各クラスターに対応する領域は二次元のガウ ス分布を形成した「楕円形」になると仮定すると,各クラスターは楕円形状と活性度で 表現され,人工の匂いマップはそれらのクラスターの重ね合わせで描写できる.人工マッ プのxy軸は,Leon研究所で観察された画像と一致させ,クラスターNに相当する楕 円を以下の方程式で定義する.(x,y)は匂いマップ画像上の位置を表す.





X Y





=





cosθN −sinθN

sinθN cosθN









xxN yyN





(X

aN )2

+

(Y

bN )2

=1 (N = A, B, …I), (3.1)

(xN,yN),aN,bNはそれぞれ,クラスターNの中心座標,半長径,半短径を表す.また,

マップのx軸とクラスターN の楕円の長軸とのなす角度をθN と定義している.これら の値は定義されたクラスタリングマップから算出され,クラスターごとに決まった値が 当てはめられている.また,匂いマップに関して,活性点周辺は徐々に活性が弱まって いくことが分かっているため,各クラスターの活性パターン fN(x,y)はガウス分布に従っ て楕円中心から減少していくと仮定し,以下のように表現できる.

Ψ = Φ/2σ2, Φ =

( X

aN )2

+

( Y

bN )2

fN(x,y)= AN× 1

√2πσ2×exp [−Ψ]+I0 (N = A, B, …I), (3.2)

ANI0はそれぞれ,匂い物質に対するラットの匂いマップ画像において,クラスターN に相当する領域の平均輝度値に相当する活性度定数と,匂いマップの活性度のオフセット 値を表す.本研究では,標準偏差とオフセット値には,クラスターごとに一定の値σ=13I0=30を設定している.各クラスターの位置と活性度定数AN を基にして,ラットの匂 いマップ画像を321種類の人工匂いマップに変換できる.そして画像解析ソフトImageJ

(NIH)を用いて人工マップを疑似カラー表示する.

 人工匂いマップはラットの匂いマップ画像を上位の主成分画像により区分されたクラ スターを基に再構成したもので,クラスター情報のみで表現され,圧縮された画像になっ ている.本章で作成される人工匂いマップは,ラットの匂いマップ画像の輝度値から計 算されている.ラットの匂いマップ画像の輝度値でなく,センサデバイスに得られた各 クラスターに相当する応答値を得ることができれば,センサシステムによる匂いマップ の作成が可能になる.つまり,この人工匂いマップは匂いセンサシステムの出力として 活用でき,匂いの情報を可視化し,一目で匂いの違いを見ることができるようになる.

3.2 解析結果

3.2.1 匂いクラスタリングマップの定義

主成分は321種類のラットのグレースケールの活性化糸球体画像から計算され,累積 寄与率はPC1からPC80までで80%に達するという主成分分析結果が得られた.すべて のピクセルには各主成分ごとに因子負荷量が決まっている.それゆえ,匂い画像は因子 負荷量の値が正か負かによって領域が区分できる.しかしながら,PC7以降の主成分に おいて,ほとんどのピクセルに対する因子負荷量が小さく,主成分分析処理の際に除去 されている.そのため,本研究では,PC6までの重要な主成分に注目した.PC6までで 累積寄与率は36.8%になっている.図3.2に因子負荷量の大きさに応じて色付けされた PC1からPC6までのラットの匂いマップの主成分画像を示す.図3.2のプロット点は抽 出されたピクセル要素の中で因子負荷量が正もしくは負となったものであり,プロット されていない領域は除去されたピクセル要素になる.図3.2より,匂い画像は18個,匂 いマップの対称性から考えると,9つの独立な領域に分けることができた.この9つの区 分はPC2からPC6の中で,因子負荷量がより大きい,もしくは,より小さいピクセル要

素に対応する領域を基に作成されている.これらの領域が匂いクラスターに相当するか どうか確かめるために,主成分得点の評価を行った.その散布図を図3.3に示す.

3.2 PC1からPC6までの因子負荷量により区分された匂いマップの主成分画像

(a) PC1PC2

(b) PC3PC4 (c) PC5PC6

3.3 分子構造により分類された主成分得点散布図

図3.3(a)を見ると,第1主成分の負の領域において,主に環状構造を有する匂い物質 が,正領域に直鎖の匂い物質が分類されている.特に,炭素数が9個以上の炭素鎖を有 する匂い物質が正の領域に集まっている.つまり,第1主成分には,環状構造に関する 情報が含まれていることがわかる.図3.2(a)の負の領域は,環状構造を有する匂い物質 をラットが嗅いだ際に活性する可能性のある領域ということになる.つまり,この領域 に属する糸球体には,環状構造を識別できる特徴をもった嗅覚受容体からの活性情報が 投射されていることを意味している.正の領域と直鎖の匂い物質に対しても同様のこと が言える.これらの結果から,匂いマップは分子の環状構造によって,大域的な構造で ある第一主成分が構成されており,嗅覚受容体は環状構造の有無を認識していることが わかる.他の主成分に対しても,同様に説明できる.

 図3.3(a)の第2主成分の正領域において,直鎖の炭化水素が,第2主成分の負領域に

は脂肪酸,もしくは,硫黄か窒素を含む匂い物質が分類されていることが分かった.特 に,第2主成分の因子負荷量が大きい領域はPC1とPC4の正領域とも一致している.こ れらの領域を活性化させる匂い物質に共通する特徴としては炭素鎖数が9以上の長鎖の 匂い物質であることが確認された.加えて,図3.2(a)において,PC2の正領域にはサイ ズ依存性があることも観察され,中鎖の匂い物質を識別できる匂い受容体に対応する匂 いマップ上の領域も同時に表現できる.

 次に,図3.2(b)において,第3主成分の正領域において,エステル構造を持つ匂い物質 が分類されていることが分かった.つまり,この領域に属する糸球体には,エステル構 造を識別できる特徴をもった嗅覚受容体からの活性情報が投射されていることを意味し ている.また,第4主成分の正領域において,PC2と同様に長鎖の匂い物質が,負領域 には脂肪酸が分類されていることが分かった.つまり,PC4において,因子負荷量がよ り小さな領域は脂肪酸を識別できる受容体に対応する糸球体が属していると言える.そ れから,図3.2(c)において,第5主成分の正領域には脂肪酸が,負領域にはPC1の結果

から環状のアルデヒドが分類されている.最後に,第6主成分の正領域には分子構造が 立体構造となる匂い物質,例えば,樟脳の匂いを発する匂い物質が分類されていること も分かった.負領域には,PC1における環状領域に共通する領域にはフェノールが,直 鎖の匂い物質の領域に共通する領域には中鎖の匂い物質が分類されていることも分かっ た.

 以上の結果は,主成分分析により分割された9つの活性領域が分子のサイズや極性官 能基に相当する情報を基に分類されていることを表している.第1章で述べたように,受 容体は連続する炭素鎖や官能基といった匂い物質の特定の構造を認識しているため,匂 いマップも匂い物質の分子パラメータで分類できる.ゆえに,糸球体層での活性パター ンが匂い物質の炭素鎖長や極性官能基により分類されるという主成分分析結果は嗅覚受 容メカニズムの知見とも一致しており,本研究で提案するカテゴリーは潜在的には匂い クラスターに等しいと言える.図3.4に9つの分類されたクラスターと各部位を活性化 させる匂い物質に共通した分子特徴を示す.各クラスター領域の糸球体に対応している 匂い受容体は,膨大な匂い物質の分子パラメータの中で,図3.4に示したような分子特 徴を認識している可能性が高く,同じ分子パラメータを持つ分子が検知されると,対応 するクラスターが活性化していくと考えられる.