第 6 章 総論
6.2 研究結果のまとめ
本研究では,匂いクラスタリングを可能にするセンサシステムの開発に向け,「匂いク ラスターの定義」,「分子認識吸着剤の開発」,「匂いクラスタリングシステムを用いた匂 いマップの作成」を行った.
匂いクラスターの定義164)165)
生物の受容体は,匂い物質自体を認識しているのではなく,匂い物質の極性官能 基や分子プロファイルという決定要因を識別する柔軟な分子認識を行っている.つ まり,匂い物質の分子パラメータを測定している.これらの情報は嗅球表面での匂 いマップの作成の際に使用される.生物はこのマップを用いて匂いを認識・識別し ていると本研究では考えているため,匂いマップ上で行われる匂いクラスタリング は分子パラメータで表現されていると考えられる.本研究では,ラットの匂いマッ プ画像を解析することで,匂いクラスタリングの解明を試みた.
• 主成分分析により得られた匂いマップ画像の主成分と各ピクセル値の因子負 荷量を用いて,匂いマップを9つのクラスターに分割することができた.各 クラスターを活性化させる匂い物質に共通した分子構造は,極性官能基や分 子形状であったため,嗅覚の受容メカニズムとも合致している.また,他の クラスター研究の結果とも大きな矛盾は見られなかった
• 匂いマップ画像の主成分と,分子モデリングソフトで計算した分子パラメー タ間の相関を調査した.その結果,クラスタリングに関与するキーパラメー タとして,pKa,Log Pといった疎水性,分子サイズ,環状構造を示唆する Number of rotatable bondsを探索することができた.
• 定義した匂いクラスターを基に,人工の匂いマップを作成した.作成したマッ プは,ラットの匂いマップ画像とも類似度が高く,匂いクラスター情報を取 り出すことで,画像情報の圧縮に成功している.
以上から今まで文献等で述べられてはいたが,領域が曖昧であった匂いクラス ターを分子構造といった初期情報を入れない解析方法で定義することができた.も しも,クラスタリングに関係するキーパラメータを測定できるセンサシステムを構 築できれば,匂いクラスタリングマップを作成することが可能になる.つまり,匂 い情報を可視化できる上に,生物と同様に匂いの違いを表現することもできるよう になる.
分子認識吸着剤の開発166)167)
市販の分離吸着剤では,吸着能力や選択性で大きく劣る上に,その吸着特性を設 計することが困難である.そこで,高い分子認識能力と濃縮能力を持ち合わせた分 子認識吸着剤(MIFA)の開発を行った.MIFAは高い濃縮能力をもつPDMSの上に,
分子鋳型技術で作成した分子フィルタが堆積された構造である.この分子フィルタ は鋳型分子の形状を記憶した認識サイトを持つ三次元網目構造になっており,複雑 な認識サイトを通過できる分子のみ吸着層に濃縮されるため,分子ふるい効果が見 込まれる.また,様々な機能性材料を用いて,特性の異なる分子フィルタの作成を 試みた.
• 表面ゾルゲル過程により基板表面に堆積したTiO2の単分子層の上に,ポリ
マー/template複合体を堆積させることで分子フィルタの作成を行った.PAA,
cross-inker,ポリペプチドを用いることで,異なる網目構造をもつMIPフィル
タやMIFAが作成された.
• 作成したMIPフィルタやMIFAの特徴をFT-IR測定,膜厚測定,SPME/ GC-MS測定により評価した.また,ポリマー溶液に堆積する時間や回数によって,
膜厚を制御することが可能であることがわかり,10nmほどの極薄のフィルム の作成に成功した.さらに,MIFAはtemplateに対する選択性とフィルター効 果を有していることも確認された.
• Cross-linkerのないMIPフィルタは柔軟性を有している.そのため,認識サ
イトを自由に壊したり,作り替えたりすることができる.異なる認識サイト
を持つMultiplex MIFAの開発や,MIPフィルタの認識サイトを異なるサイト
にも書き換えることにも成功した.
以上から,MIFAは吸着層とMIPフィルタを組み合わせた拡張性の高い吸着剤で ある.フレキシブルな分子フィルタを堆積したMIFAは可塑性を持っており,表面 特性をを最適化したり,テーラーメイドすることができる.そのため,MIFAには 匂い受容体のような柔軟かつ可塑的な分子認識能があり,MIFAを搭載したセンサ システムは高度な匂い測定が可能である.
匂いクラスタリングシステムを用いた匂いマップの作成168)169)170)171)172)173)
匂いクラスタリングを可能にする匂いセンサシステムの構築に向け,微小流路の 中に分子認識部と検知部を分離して配置した測定機構を設計した.具体的には,流 量と流路体積を下げ,分離吸着剤により測定ガスを分離・濃縮させ,加熱により脱
着した後,センサデバイスで測定している.これにより,希薄なガスであっても測 定することが可能になり,感度の向上が見込まれる.また,MIFAを搭載すること で,高レベルな選択性をもつセンサシステムになる.作成したセンサシステムを用 いて匂いのデジタル化と画像化を試みた.
• 分離吸着剤とMOXガスセンサを組み合わせた匂い分離測定装置を作製した.
選択した分離吸着剤の特性により,分子サイズや極性の強さを測定できた.つ まり,適切な吸着剤を搭載することで分子パラメータを測定できることが検 証された.
• 匂い分離測定装置のセンシングセルを小型化することで,3倍以上の感度の向 上が確認された.また,MIFAを搭載することで,単独臭や混合臭からtemplate を検知できたり,混合臭の応答パターンを出力できた.
• 得られたセンサ応答から人工の匂いマップを作製した.作成した匂いマップ は同じ官能基を持つ匂い物質からなる単独臭と混合臭の匂いマップは似てい ることが分かった.また,fatty acidとketoneを混合した匂いの人工マップ画 像はfatty acidマップとketoneマップの重ね合わせ画像になっていることも確 認した.
匂いマップは匂い物質画像の重ね合わせになることは他の研究でも明らかになっ ており,センサ応答を基にした匂いマップは生物が作成するマップと類似性が高く,
匂いの内部表現として見なすことができる.つまり,MIFAを搭載した匂いクラス タリングシステムは匂いの包括的な検匂や適切な分類を可能にすると考えている.