第 2 章 匂い分離測定装置の開発と匂いの クラスタリングクラスタリング
2.3 実験結果
2.3.2 匂い物質の匂い分離応答波形の測定
クラスターに属する匂い物質を匂い分離測定装置を用いて測定し,匂い物質の特性を評 価する.表2.4に本研究で使用した匂い物質の分子情報を示す.表2.4において,匂い物質 全体の極性モーメントを匂い物質の極性の強さと定義している.極性の値はChemBio3D を用いて計算した値である.また,長軸と短軸の値は,それぞれ分子の最大長と最小長 を意味する.そして,平均長とは,匂い物質が回転した際の擬似球の直径で,長軸と短 軸の値を用いて計算している.
表2.4 匂い物質の分子情報
はじめに,ヒータ表面に4種類のZMSを塗布した匂い分離測定装置を用いて匂い物 質を測定した.測定結果の匂い分離応答波形を図2.13に示す.MOXガスセンサは還元 性ガスに応答すると抵抗値が減少するので,クリーニング,サンプルガスの注入,4種類 のZMSに脱着したガスによる応答が見られる.図2.13のセンサ抵抗の最大値は150kΩ を超えており,通常の正常な室内雰囲気化で数10kΩとなることを考えてると,活性炭 とモレキュラーシーブで空気を洗浄できていることがわかる.
図2.13 ZMSを塗布して得られた匂い分離応答波形
しかし,本システムではサンプルガスを注入していない場合でも,センサ抵抗に変化 が出ている.これは匂い分離測定装置から得られる分離応答波形には匂い成分と匂い物 質以外の大気中の成分の応答が含まれていることを示唆している.そこで,本研究では 独立成分分析105)を用いて匂い成分の応答の抽出を行った.測定した匂い分離応答波形 から脱着処理時の応答だけを取り出した応答波形に独立成分分析を行い,清掃大気応答 応答の除去を行った.清掃大気応答を除去したアニソールの匂い分離応答波形を図2.14 に示す.図2.14では,1000-1200sで最も大きな反応が出ている.これはアニソールがモ レキュラーシーブ13X(細孔径10Å)に多く吸着し,5A(細孔径5Å)にあまり吸着しなかっ たことを表す.このことから,アニソールの分子サイズが5〜10Åであると推定できる.
表2.4を見るとアニソールの平均長が約10Åであることから,ZMSは分子ふるいとして 正しく機能していることがわかる.
図2.14 独立成分分析処理による応答波形
しかし,測定されたすべての匂い物質はすべて5Å以上の分子サイズであるため,13X 以外のモレキュラーシーブにはあまり吸着せず,匂い物質に対するZMSのサイズ分離能 は高くない.ZMSには10Å以下の細孔を持つものしかなく,測定対象からサイズ情報を 取り出すことが困難である.また,炭素鎖が長くなるにつれて反応が弱くなったり,ZMS の特性からより極性の強いものが多く吸着したということも考えられる.そこで,本研 究では,より大きな細孔を持ち測定範囲の広いCMSを使用して匂い物質のサイズの測定 を行った.同様に,GCCAMを用いて匂い物質の極性を測定した.CMSのヒータへの塗 布には,住友3M株式会社製のカプトンフィルムシリコーン両面粘着テープ4390を用い ている.
CMSとGCCAMを塗布した匂い分離測定装置から得られた匂い分離応答波形から匂
い物質の特性を評価する.ここで,吸着剤にトラップされた匂い物質に基づく抵抗変化 は,測定シークエンスの脱着処理時のMOXガスセンサの応答波形になる.4種類の分離 吸着剤が塗布されたヒータを順に加熱するため,匂い分離応答波形の450〜1650sに見ら れる4つのピークが,脱着した匂い物質の応答を表す.これらのピーク波形から,抵抗
変化を示すピーク値を計算する.このピーク値は塗布した分離吸着剤に対する匂い物質 の吸着特性を表しているため,計算されたピーク値を比較することで匂い物質の特性を 評価できる.応答波形からピーク値を抽出するため,匂い分離応答波形の規格化を行っ た.
まず,単純移動平均法を用いて匂い分離応答波形からノイズを除去し,クリーニング に伴う応答波形と匂い物質の注入に伴う応答波形を除いた後,4つのピークをもつ波形 を取り出し,入力信号とした.そして,正確なピーク値を得るために個々のピークごと に補正を行い,ベースラインを一定にした.最後に,面積分の平均で補正波形を規格化
した.図2.15にCMSとGCCAMを塗布した匂い分離測定装置から得られた規格波形を
示す.各ピークの0Ωからの変化量(ピーク値)が,対応する分離吸着剤に対する匂い物 質の吸着応答を表す.
図2.15 CMSとGCCAMを塗布した匂い分離測定装置から得られた規格波形
図2.15より,サリチルアルデヒドはアニソールに比べてPEG300により吸着している
が,疎水性を示すDOPやLPにはあまり吸着せず,逆にアニソールはDOPやLPにより 吸着していることがわかる.表2.4からサリチルアルデヒドはアニソールよりも極性が強 いので,極性の強いPEG300により多く吸着したと考えられる.このことから,GCCAM は匂い物質の極性の違いを測定可能であると言える.
2.3.3 匂い物質のサイズと極性の測定
分子のサイズと極性が分かれば匂い物質をクラスターに分類することができるため,
CMSとGCCAMに対する応答ピーク値を基に匂い物質のサイズと極性を評価した.
はじめに,分子サイズを推定するために,図2.15の規格波形から各CMSに対応する4 つのピーク値を計算した.測定した匂い物質のサイズは7-13Åであるので,Carboxen-1012 (pore size 19-21Å)とCarboxen-1000 (pore size 10-12Å)のピーク値を用いて分子サイズの 定量を行った.ここで,匂い物質iのサイズ定数Siを以下のように定義した.
Si =Carboxen1000に対する応答ピーク値/Carboxen1012に対する応答ピーク値 (2.1) ここで,Carboxen1000に対する応答ピーク値を最も大きな細孔を持つCarboxen1012 で規格化することで,Carboxen1000の分子ふるい効果を評価できる.Carboxen1012の 細孔サイズは約20Åであるので,これよりサイズの大きな匂い物質を検知する必要はな い.また,Carboxen1000に対する応答ピーク値だけでなく,Carboxen1000以外のCMS のピーク値も同時に測定し,サイズ定数Siの分子を変えることで,広範囲の分子サイズ を測定することができる.それから,推定されたサイズ定数の妥当性を評価するために,
既知の匂い物質の平均長との相関を調べた.図2.16に回転モデルに基づく分子サイズと サイズ定数Siの相関を示す.回帰直線は原点を通過しており,相関係数も0.83に達する ことが観察された.一方,長軸や短軸とSiの相関では,回帰直線は原点を通過しないこ とも分かっている.以上のことから,平均長とSiには高い相関が見られており,CMSを
用いることで匂い物質の分子サイズを推定可能であると言える.
図2.16 測定されたサイズ定数Siと分子サイズとの相関
次に,GCCAMを塗布して得られた規格波形から計算された4つのピーク値を用いて 匂い物質の極性の評価を行った.匂い物質は近い極性を持つ材料により多く吸着するた め,それぞれ極性が強いPEG300と弱いDOPの応答ピーク値から極性の数値化を試み た.匂い物質iの極性を以下のように定義している.
Pi = PEG300に対する応答ピーク値/DOPに対する応答ピーク値 (2.2)
この数値が大きいほど極性は大きく,小さいほど極性も小さいと考えることができる.
表2.4の極性モーメントと極性定数Piとの相関を取った結果を図2.17に示す.匂い物質 と極性モーメントと極性定数Piには相関係数0.87という高い相関が見られる.それゆえ,
Piを計算することで匂い物質の極性モーメントの推定に利用できる.しかし,GCCAM
に吸着する匂い物質の量が少なく,MOXセンサの応答値が小さいために,エラーバーが 大きくなっている.
図2.17 測定された極性定数Piと極性モーメントとの相関
以上より,匂い分離測定装置は匂い物質の分子サイズと極性モーメントという匂い物 質の決定要因と関連のある2つのパラメータを推定でき,したがって,匂いクラスタリ ングにより匂い物質を識別できる.なお,サイズ定数Siと極性定数Piはそれぞれ,同一 のセンサデバイスで得られたピーク応答で規格されているため,MOXガスセンサの個体 差や匂い物質の濃度差の影響を考える必要がない.しかし,上述したように,極性モー メントの測定はまだ不十分であるので,GCCAMに代わる新たな分離吸着剤を開発する 必要がある.