第 2 章 匂い分離測定装置の開発と匂いの クラスタリングクラスタリング
2.3 実験結果
2.3.4 測定された分子パラメータを基にした匂い物質のマッピング
加えて,図2.18のマップにおいて,クラスターAの範囲とクラスターDの範囲が重な る部分があるなど,マッピングが十分であるとは言えないが,この重なりはChemBio3D で計算した分子モデルのパラメータを基に作成した匂いマップにも見られたことから,
分子サイズと極性モーメント以外の計測情報を匂いクラスターマップに付加する必要が ある.
2.3.5 混合臭の分解とマッピング
次に表2.4の9つの匂い物質の中からランダムに選択した2種類の匂い物質を混合し た混合臭を匂い分離測定装置で測定した.混合臭はそれぞれ10µℓの匂い物質の原液を コットンに染み込ませることで生成した.測定した応答波形から計算された分子パラメー タを基に匂いマップ上に混合臭に相当する点をマッピングできるが,構成する匂い物質 を推定できないため,混合臭の場合,匂い物質を識別することができない.そこで,混 合臭から構成する匂い物質を推定する手法について提案する.
はじめに,混合臭の規格波形は9つの匂い物質の匂い分離応答波形の線形和で表現さ れると仮定する.また,f (t),ai,gi(t)はそれぞれ,混合臭の規格波形,線形係数,匂い 物質iの規格波形であるとすると,混合臭の規格波形は以下のように定義することがで きる.tは規格波形の測定時間を表し,t=0〜2500 (s)になる.
f (t) = a1g1(t)+a2g2(t)+..aigi(t)..+g9g9(t)
= (g1(t),g2(t),..gi(t)..,g9(t))∗(a1,a2,..ai..,a9)T (2.3) MOXガスセンサの応答は単調増加条件を満たす必要があるが,提案する手法は厳密 な定量性は求めていないため,ガスセンサから得られる規格波形を線形和として仮定す ることができる.また,GはGi j = gi(tj) ( j=0〜2500),すなわち匂い物質の規格波形か
らなる行列,ベクトルaは(a1,a2,..ai..,a9)Tを表し,yが本研究で測定した混合臭の規 格波形であるとすると,以下の等式が成り立つ.
G∗a = y
a = G−1∗y (2.4)
次に,特異値分解法を用いて正規方程式を解くことで,擬似行列の逆行列であるG−1 を計算し,式(2.4)のベクトルaを求める.成分aiは混合臭と匂い物質iとの類似度を表 すため,ベクトルaは混合臭を構成する匂い物質の構成割合に相当する.最後に,ベク トルaの成分の絶対値の中で最も値が大きい要素と2番目に値が大きな要素に対応する 2種類の匂い物質により混合臭が形成されていると仮定する.これにより,ベクトルaが 得られたなら,aiの大きさにより混合臭を2種類の匂い物質に分離したり,構成分子の 属するクラスターに割り当てることができる.つまり,提案する手法は応答波形の類似 度によって構成分子を探索でき,ベクトルaの要素によって匂い物質iがどの程度,混 合臭に含まれているか確認することができる.
本研究では,表2.4で示されている匂い物質の組み合わせをランダムに選択し,生成 された混合臭の応答波形を測定した.それから,式(2.4)から混合臭のベクトルaを計算 し,混合臭を候補として挙がった2種類の匂い物質に分解した.表2.5 に選択された混 合臭の組み合わせと計算結果を示す.
表2.5 混合臭の分解結果
第一もしくは第二クラスターはベクトルaから候補になった匂い物質の属するクラ スターを意味する.分解結果から10種類の混合臭のうち5種類が,混合臭の属するクラ スターに正確に分解できている.また,他の混合臭においても少なくとも一方のクラス ターには分解できていることがわかる.このことから,提案した分解法は混合臭の応答 波形から構成する匂い物質のクラスターを推定することができる.ただし,75%の確率 でクラスターに割り当てることができたのに対し,構成する匂い物質を正しく推定でき た確率は30%にとどまった.これは,今回の分解において主たる特異値を上位の2つに 限定し,類似度aiの値が最も大きい成分と2番目に大きい成分に相当する匂い物質を構 成物質として選択し,選択されなかった他の匂い物質を切り捨てているためと考えられ る.それにより,クラスター内もしくはクラスター間で近い匂い分子が間違って候補と して挙がっている可能性がある.そこで,提案する分解法によるエラーを軽減するため,
候補となる2つの匂い物質の規格波形の線形和と,混合臭の規格波形との間の誤差が最 も小さくなるときの線形係数を最小二乗法によって計算した.そして,その値を基に候
補となる2つの匂い物質の疑似応答波形を作成している.
次に,図2.18に描写されたマップの上に混合臭と構成物質への分解結果をプロットし た(図2.19).混合臭1と2は規格波形から計算されたSiとPiを基にマッピングしている.
矢印の先の分解点は,最小二乗法によって計算された疑似応答波形を基に記述している.
図2.19からpropanoic acidとanisoleからなる混合臭1は,適切なクラスター内に割り当 てられている上に,構成物質のプロット点近くに分解できている.また,1-propanolと
4-heptanoneから成る混合臭2も属するクラスターかつ構成物質に分解できている.
注目すべきは,表2.5では混合臭2は1-propanolとanisoleからなるという間違った分解 結果が出たのに対し,図2.19マップ上では,混合臭2は正しく1-propanolと4-heptanone の近くに分割されていることがわかる.つまり,最小二乗法を用いることで,混合臭と 構成する匂い物質の分解結果を改善できることが分かった.結論として,2種類の分子 パラメータを基に作成されたマップを用いることで,匂い物質を適切なクラスターに分 類できる.さらに,混合臭を匂いマップ上にプロットすることもできる上に,提案する 分解法とマップを用いることで,ある程度ではあるが正確に構成物質に分解することが できることも分かった.
図2.19 匂いマップ上での混合臭の分解
しかしながら,最小二乗法だけでは完全にエラーを解消できているとは言えない.こ の要因として,分離吸着剤に対する吸着量が小さいため,測定した匂いの応答パターン 間に差がほとんど見られないことが挙げられる.そこで,提案する分解モデルを用いな くても正確なマッピングを行えるように,すべての匂い物質ごとで明確な違いの出る応 答波形を得ることができる匂い分離測定装置を構築する必要がある.
2.4 まとめ
近年の嗅覚の研究において,嗅球で行われるクラスタリングと言う概念が確立され,
この概念を満たしたセンシングを行うことで,匂い受容機構に近いセンシングが可能に なると考えられる.同時に,嗅球で作成される匂いマップに近いマッピングも可能にな
る.本研究では,生物の匂い受容機構の匂い測定を模倣し,匂いクラスタリングのでき るセンサシステムとして,新たに匂い分離測定装置を開発した.この装置を用いること で匂い物質の種類によって異なる応答パターンを得ることができることを示した.また,
サイズおよび極性選択性を持つ分離吸着剤を導入することで,匂い物質の分子サイズと 極性を推定し,匂い物質がクラスターに分けられた匂いマップを作成することができた.
加えて,混合臭を大まかではあるが,適切なクラスターに分類し,構成する匂い物質へ と分解することもできた.つまり,匂い分離測定装置は適切な分離吸着剤を用いること で,出力された匂い分離応答波形から,匂い物質を表現する分子パラメータを抽出する ことができるという非常に有用性の高い研究結果が得られた.
今後,匂い分離測定システムの改良すべき点として感度や測定時間,より精密なクラ スタリング能力が挙げられる.そのためには,以下を実行することが求められる.1つ 目は分子の大きさと極性だけでなく,生物の嗅覚で作成される匂いマップのクラスタリ ングに必要な分子パラメータを探索することである.そのためにも,生物の匂いマップ を解析する必要がある.2つ目は,新たな分離吸着剤の開発である.匂い物質に対する 選択性は分離吸着剤の吸着特性に依存するため,測定できるパラメータを制御できる吸 着剤が必要になる.3つ目は匂い分離測定装置の小型化である.これにより,測定時間 の短縮と共に,感度の向上が期待できる.