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自由離婚の考察―「離婚問題號」との比較を中心に

第四章 1920 年代後半の『婦女雑誌』と『新女性』

第 1 節 杜就田編集期の『婦女雑誌』(1925 年~1930 年)

1.2 自由離婚の考察―「離婚問題號」との比較を中心に

発刊初期の『婦女雑誌』には、離婚問題に関わる記事が殆ど掲載されなかっただけでは なく、離婚に関する観点もかなり保守的であった。離婚は「人倫の不幸22」と断言される と同時に、当時の中国で欧米の自由離婚法を援用した行動は「文明の障害23」とされ、全 体的に自由離婚に反対する立場を取っていた。

許慧琦の研究によれば、『婦女雑誌』が自由離婚に関心を持つようになったのは 1920 年代に入ってからである24。章錫琛が編集長になった当初、1921 年を境に自由離婚をめ ぐる討論がますます激しくなり、さらに 1922 年 4 月の『婦女雑誌』に掲載された「離婚 問題號」で頂点に達したことが明らかにされている25

「離婚問題號」に見えるのは、自由離婚に賛成する西洋の主張だけではなく、日本の著 名な離婚事件や、中国の離婚問題の現在と将来に至るまで、あらゆる方向の翻訳記事や論 説である。その記事の内容から見て、大多数の投稿者は自由離婚に賛同していたようであ る。自由離婚とは、「理想的な家庭を創造するための大前提26」であり、そこから本当の 結婚の居場所を作れると説かれている。このような言論から、五四時期以降高まってきた 自由恋愛と自由離婚の主張について、「束縛」から「自由」へと前進したいという青年知 識人らの強い願望が現れていることが分かる。

しかし、自由離婚の名義のもと「一夫一妻」制が破壊されると、道徳を堕落させる「元 凶」になる可能性があるという不安の声も誌面には見られた。

彼は、古い妻と離婚して再び新しい嫁を娶ることを自分で試してみたい。そのため 彼が離婚したくて仕方がない一方、戀人を探すことに忙しい(中略)我々は決して離 婚を反對しない、ただ我々が主張する離婚というものは、他人と姦通、虐待、破棄さ

21五四時期において、「自由離婚」が「自由戀愛」「自由結婚」など西洋思想と同時にヨーロッパから中 国に受容された。許慧琦(陳姃湲訳)『婦女雑誌』からみる自由離婚の思想とその実践」、同注 12、村 田、277 頁。

22史寶安、「河南女子師範學校畢業訓詞」『婦女雑誌』第 2 巻第 1 號、1916 年 1 月、87 頁。

23同注 22、史、91 頁。

24同注 12、村田、275 頁。

25同注 12、村田、278 頁。

26原文「自由離婚是創造理想家庭的大前提」、C.N、「離婚的意義與價值」『婦女雑誌』第 8 巻第 4 號、

1922 年 4 月、199 頁。

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れてからするものではなく、性情が合わないことも離婚の理由となり得るものである

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恐らく、西洋思想から影響を受けた五四時期の男性知識人は、自由離婚が「間違った結 婚」から自身を解放し、再び他の異性と幸福に結合するための方策であると認識したのだ と思われる。自由離婚が可能になって初めて、人々は真の恋愛による幸福な結婚生活を保 障されるであろう。しかし、当時の『婦女雑誌』の誌面から「現在の新女子は、何かする とすぐ離婚したがらせたり貞操を攻撃したりする弊害へと陷らせた28」のような批判もあ った。1920 年代前半に「革新29」を目指す姿勢を見せた『婦女雑誌』も、当時では「自 由離婚」をめぐって激しい討論を呼び起こした中で、多元的に賛否両論を読者に提示した ことが分かった。

そして、1925 年 9 月から登場した編集長の杜就田は、「頭ははっきりしていない30」「時 代に合わず淘汰されるべき31」と章錫琛から批判された「舊式文人」であった32。杜就田 が編集長となって就任した期間の『婦女雑誌』は、誌面から激進的な文章と翻訳文の本数 が減少していたとはいえ、自由離婚に対して彼の意見は決して否定するわけではなかった。

1926 年 5 月『婦女雑誌』の「通信」という欄目で、「伊文思黄」という男性の読者が以 下のように訴えた。

私は生まれつき藝術が好きで、性情は淡泊で、意志は固い人間なので、自分の結婚 相手については、どうしても自分に似た者を見つけなければ満足できない。しかし、

私の不幸は、五,六年前に家長が知らない人を結婚相手に定めてしまったことです。

三年前、無理矢理自分は彼女と一緒にさせられました(中略)離婚ですか?私は終始 恐ろしくて口にできません。何故なら彼女は舊社會の産物で、もしくは彼女は「終身 で一人につき從う」という古訓を抱えているかもしれません。離婚しないとしたら?

そうしたら、結局に人は人、我は我のまま何の関係もないまま、この生涯を終え、沢 山の名義だけの夫婦と同じことになってしまう33

27原文「他想自己去嘗試、想把舊的離掉、重新娶新的、于是他一方面忙着想離婚、一方面又爲了找尋戀 人而忙碌(中略)我们絕不反對離婚、我們是離婚不必要等到和别人通奸、虐待、背弃之后總可以、便是 性情不投也應當成爲離婚的理由的」、開時、「離婚和戀愛」、『婦女雑誌』第 11 巻第 3 號、1925 年 3 月、

25 頁。

28原文「現在的新女子動要離婚、也許是攻擊貞節、提倡離婚的流弊」、竹友、「對於本刊的意見」『婦女 雑誌』、第 11 巻第 12 號、1925 年 12 月、122 頁。

29邵雍、『中国近代婦女史』、合肥工業大学出版社、2013 年、64 頁。

30章錫琛、「漫談商務印書館」、『商務印書館九〇年(一八九七~一九八七)―我和商務印書館』、商務印 書館、1987 年、117 頁。

31同注 30、章、117 頁。

32陳姃湲、「女性に語りかける雑誌、女性を語り合う雑誌」、同注 12、村田、30~31 頁。

33原文「我是天生愛好藝術、性情淡泊、而又堅決的人、所以對於我的對偶、也要得到相似的一个、那才 可以称意、但是、我的不幸、在五六年前、我的家長早又把一个不相識的人给我定了、三年前也不管三七 二十一、给我把伊拉在一處了(中略)離棄麼?我終是不敢開之于口、因爲她是舊家庭的產物、或者她抱

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経済的に独立できなかった「舊式女性」にとって、離婚とは生活が維持できなくなると 同時に、生存すらできなくなってしまうという意味をもつ。男性を中心とする多くの若い 学生たちは、恋愛による結婚を定着させるために、教育を受けたことがない旧式の妻と離 婚し、自らの性情と嗜好に相応しい相手を選ぶことを求めた。その読者の悩みに対し、編 集長である杜就田は、以下のように回答した。

この三年間平凡に過ごせたことは、彼女が大逆無道ではないことを十分に証明する

(中略)新式結婚というものは、戀愛によって夫婦になっても全員が必ず白髪になる まで添い遂げるわけでもない。舊式結婚であっても、仲人の媒酌によっても、全員が 必ず中途で離婚するわけでもない。夫婦間の性情と嗜好がそれぞれ極端でなければ、

決して不和に至ることはない。もし性情と嗜好が人と異なるとしたら、天下を踏破し ても、良好の伴侶を得ることは極めて困難であるという道理は疑いを差し挟む餘地が ない34

「舊式文人」と称された杜就田であっても、「自由離婚」に反対する意見が彼の発言か ら見られなかった。1920 年代後半になると、『婦女雑誌』は保守的な傾向を見せ始める。

当時の編集長である杜就田は、あまり「極端」でない限り離婚を選択せず、婚姻関係継続 の機会を「舊式女性」に与えようとした。しかし、五四時期の「自由離婚」に対して男性 知識人が疑問を呈する発言が 1920 年後半には見られなくなったことがわかる35。また、

同時期の『新婦女月刊』の記事を見てみると、「戀愛生活の永久性を抹殺する36」という 可能性があるという「自由離婚」に対して知識人が反対の声をあげていると分かった。

さらに、1920 年代の全体的な『婦女雑誌』を見ると、「自由離婚」に対して女性の発言 は殆ど見当たらず、大部分が男性読者からの発言であった。これは、1920 年代の中国社 会では女性解放の発言権すら、女性ではなく男性によって占有されていたことを反映して いる。

定「從一而終」的舊訓。不離麼?那麼、终是你爲你、我爲我的一無關係、終其身、不過形成一堆名義上 的夫婦吧了」、伊文思黄、「通信」『婦女雑誌』第 12 巻第 5 號、1926 年 5 月、155 頁。

34原文「此三年中平平過去、足證她并非大悖不道的(中略)有新式結婚、由戀愛而成的、未必能個個戀 愛到白頭。有舊式結婚、由媒人撮合的、也未必個個皆倒半途離棄。盗因夫妻間、苟非性情嗜好各走極端、

决不致發生不和、如果性情嗜好不與人同的、雖走遍天下、極難得到良好伴侣、此理無容質疑」、農隱、「通 信」『婦女雑誌』第 12 巻第 5 號、1926 年 5 月、155 頁。

35杜就田編集期の『婦女雑誌』に掲載された「自由離婚」に関する記事は以下のようなものがある。

ⅰ.王重民「論我國古代的再嫁和離婚」『婦女雑誌』第 13 巻第 5 號、1927 年 5 月、89 頁。

ⅱ.明養「離婚問題之社會學的研究」『婦女雑誌』第 14 巻第 7 號、1928 年 7 月、20 頁

ⅲ.八二「從哲理上論我國離婚律的改良」『婦女雑誌』第 14 巻第 8 號、1928 年 8 月、36 頁。

ⅳ.陳伯吹「婚姻問題的六個断片」『婦女雑誌』第 14 巻第 8 號、1928 年 8 月、45 頁。

ⅴ.周大年「離婚的條件」『婦女雑誌』第 14 巻第 11 號、1928 年 11 月、19 頁。

ⅵ.陳罕敏「離婚與家庭及道徳問題」『婦女雑誌』第 15 巻第 8 號、1929 年 8 月、18 頁。

ⅶ.徐亜生「離婚論略」、『婦女雑誌』第 16 巻第 3 號、1930 年 3 月、22 頁。

36鄧染原、「性道徳觀與中國現行法律」『新婦女月刊』第 1 巻第 2 期、1926 年 1 月、52 頁。