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第五章 『婦女雑誌』の終焉と継承

第 3 節 今後の課題

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ロールし国家の発展と繋げる方法とみなしていた点が注目される。また、金仲華は結婚後 の女性は社会進出を可能にするために、子どもの集団保育を担う保育機関を早急に設立す べきと主張し、それを実行に移すことは、決して容易ではないことが推察されるはずと考 える。彼らは「科學的」「先進的」な理念を受け入れる一方、それが中国社会の現状に適 応するかどうかについては、彼らの中に明確な答えを持っていなかった可能性がある。

『婦女雑誌』の歴代の編集長は、女性解放思想を危険視しないことでは共通していたが、

その時期の編集方針に従って必ずしも編集者全員の意見は一致してはいなかった。例えば、

杜就田編集期において、杜就田は撮影技術、芸術鑑賞に関する記事を多く採用し、『婦女 雑誌』を「軟性読物」にすることを目指したが、当時一部の記事には女性の職業の重要性 を提唱し、男性の「附属品」にならないように呼び掛ける内容もあった。これらの言論か らやがて女性の就業が中国の女性解放思想に結びつける思想が生まれることが分かった。

また、『婦女雑誌』初期で称賛された「新良妻賢母」という女性像は決して一般的な理 解がいうように、完全的「封建的」なものではない。そして、1930 年代の中国文化界で 一斉批判された「モダン・ガール」は、経済の発展に従って生まれた新たな階層の女性で あり、ショートカットのヘアスタイル、ハイヒール、それに顔に施された外国の化粧品な ど贅沢と逸楽の象徴を身にまとった女性は、同時に職業を持つ知識女性として家庭や社会 に貢献する可能性もあると考えられた。『婦女雑誌』において議論された称賛される女性 像にせよ、批判される女性像にせよ、男性知識人が想定したすべての女性像は、彼女らを 最終的に「家庭」の中に押し込もうとするものにほかならかった。

本研究では民国期の女性の情況に多く関心を注いたが、メディアを通して男性知識人か らの言論を分析することで、近代中国における女性像の変化と、それに伴う女性問題の多 様性を理解することができたと考える。そして旧い倫理規範や良妻賢母主義などの問題は、

解決が 21 世紀に持ち越され、都市と農村の地域格差の問題と絡み合って、さらに複雑化 しており、中国女性学研究の大きな課題となり続けると考えられる。

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ような影響があったかを考察したが、実際に、先進国から受けた知識と思想は読者にどの ような程度で受け入れたのかについては殆ど論じられなかった。今後は、『婦女雑誌』の 読者投稿を踏まえて、先進国の新しい技術と情報の実際の普及度及び現場での利用効果な どについても検討したい。

第 2 に、商務印書館は数多く日本の出版物を編集して出版したことが明らかにされてい る。本研究では、『婦女雑誌』が発刊される以前に商務印書館によって刊行された出版物 について殆ど考察しなかった。『婦女雑誌』が刊行された同時期に、日本の女性雑誌ある いは修身教科書が常に翻訳され出版されたことはなかったとしても、一部の内容が雑誌に 取り入れられた可能性は高いと考えられる。今後は、1915 年以前の商務印書館の出版状 況を踏まえて、日本の出版物から影響を受けたかどうか、女性雑誌だけではなく、日本か ら取り入れられた修身教科書も視野に入れて考察したい。

第 3 に、『婦女雑誌』の刊行時期は 1931 年 12 月までであり、1930 年代の中国女性史 を研究するには不十分であると思われる。今後は 1930 年代中国女性の表象を研究課題と し、『玲瓏』、『良友』、『上海婦女』など 30 年代の代表的な雑誌を通して、1930 年代の女 性が抱える問題を分析したい。そして、より広い範囲で新しい研究成果を取り上げ、近代 中国における女性雑誌の考察という課題を、さらに多様な観点から検討し続けたい。

近代中国における女性雑誌の研究は、まだ端緒を開いたばかりである。

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参考文献

*すべて時間順

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