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第三章 1920 年代前半の『婦女雑誌』に関する考察

第 2 節 章錫琛編集期の『婦女雑誌』(1921 年~1925 年)

2.1 章錫琛におけるエレン・ケイ思想の受容

2.1.2 章錫琛の恋愛観について

王蘊章編集期の『婦女雑誌』は五四時期の思想的な潮流の中で批判され、新しい転機を 迎えるのである52。そして、1920 年末に、遂に編集長が交替し、章錫琛が新しい編集長 となった。

章錫琛(1889~1969)は、浙江省の紹興に生まれた。字は雪村であり、筆名に玉深な どがある。彼は紹興山会師範学堂を卒業し、1912 年に商務印書館に入り、『東方雑誌』

の日本語翻訳と『婦女雑誌』の編集に従事した。幅広く外国の文化に接した中で、西洋 の個人主義思想の影響を強く受け、五四新文化運動の先駆者となった。

1920 年代に、恋愛、結婚についての記事が『婦女雑誌』に多数掲載されている中で、

恋愛という新概念に対する疑問が生じるのは当然である。王平陵53は『婦女雑誌』の誌 面において恋愛が頻繁に取り上げられたことについて、以下のように批判している。

先生は一切の婦人「問題」を解決するためにまず「戀愛」問題から着手することを主 張し、言葉を変えていえば婚姻問題から解決しようとすることに、私は疑問を抱かず にいられない(中略)如何に雙方が人格を持つことができるのかというのは教育上の 大問題ではなかろうか(中略)それゆえ先生が「戀愛という概念の提唱」は婦人問題 を解決する基本的な条件であると主張し、先生と周建人先生の意見が合致したとして も私はやはり疑問を持っている54

王平陵のこの投稿は、ケイの恋愛問題を話題として『婦女雑誌』の方針を批判し、恋愛 より教育の問題が一層重視されるべきという主張を批判する。これに対して、章錫琛は「女 性が男性に對し、子供が家長に對して個人の人格、意志の自由を主張することは同じよう に重要であり、一層重要であって、この程度まで行くためには、戀愛の自由を主張するこ

51金子幸子「大正期における西洋女性解放論受容の方法――エレン・ケイ『恋愛と結婚』を手がかりに」

『社会科学ジャーナル』24〈1〉、1985 年 10 月、77 頁。

52五四新文化運動は、少なくとも『婦女雑誌』の販売数に影響するほど、女性読者の読書需要を高めて はいなかったのである。陳姃湲、『東アジアの良妻賢母論―創られた伝統』、勁草書房、2006 年、143 頁。

53王平陵(1898 年~1964 年):江蘇省溧陽の人である。原名は仰嵩、筆名は西冷、史痕、秋涛である。

1920 年から作品を発表し始め、1924 年に『時事新報』副刊である『学灯』の編集長となった。著作は 小説集『期待』、長編小説『茫茫夜』などがある。

54原文「先生主張解決一切婦人『問題』先從解決『戀愛』問題着手、換句話就是先從解決婚姻問題起、

這層意思、我仍不免有些懷疑(中略)如何能使雙方都有人格這豈不是教育上的大問題麽?(中略)

所以先生主張『提倡戀愛觀念』就是解決一切婦人問題的基本運動雖然周建人先生和先生表同意、我 卻仍舊有些懷疑」、王平陵・章錫琛、「關与戀愛問題的討論(二)、『婦女雑誌』第 8 巻 10 號、1922 年 10 月、147 頁。

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としかない55」と反駁した。章錫琛によれば、中国が「戀愛の自由」を認識すれば、女性 は人格と意志とを認められることになり、男性と対等になることができる。彼は、「戀愛 の自由」が女性問題を解決できる鍵だとしていることが分かった。

そして、恋愛の重要性について章錫琛は、「前の手紙で述べた戀愛は、完全にエレン・

ケイ女史の所謂『靈肉合一』の戀愛のことです(中略)戀愛で婦人問題を解決するという 私の主張は決して空想ではありません(中略)女性を教育、經濟、政治、道徳の各方面か ら解放しようと望むなら、第一には女性の人格を認め(中略)こうして始めて女性が獨立 したと言えるのです56」と、女子教育や経済的自立等の問題の解決は女性解放の手段であ って目的ではないこと、女性解放の要点は正確な恋愛観を樹立することだと明確に示して いる。さらに、恋愛を一切の婦人問題を解決できる最も根本的方法とすることへの疑問に 対しては、彼は「女性問題を解決するには先ず女性の人格を認め、そして女性は男性の性 的な道具として使用されるではないのだということを認めねばなりません(中略)戀愛が 本當に自由になれば女性問題も解決できる57」と王平陵に答え、恋愛問題は女性の教育、

職業問題より先に実現すべきものであることを改めて主張している。

また、1922 年 8 月号の『婦女雑誌』には、恋愛について記事が多数掲載された。「鳳子」

という女性読者による「戀愛の自由についての問いに答えて、その一~三」という記事を きっかけに「戀愛の自由と自由戀愛の討論」に展開し、章錫琛、周建人などの編集者もそ の討論に参与した。

鳳子は、『婦女雑誌』1922 年 4 月號の「離婚問題號」に自らの離婚体験を書いている。

それによれば、彼女は「自由戀愛」と「戀愛の自由」の違いを分析し、「自由戀愛」を「free love」とし、「戀愛の自由」を「freedom of love」とそれぞれ彼女の定義によった解釈を している。「自由戀愛」は自由を重視し、性欲から愛情に至る恋愛で、性欲に偏重してい るが、「戀愛の自由」は恋愛を重視し、愛情から性欲に至る恋愛で、愛情を中心に置いた ものである58

章錫琛はこの「自由戀愛」に対して、霊魂に至る恋愛として否定し、「戀愛の自由」は

「完全に自由な恋愛」と説いている。その区別について、彼は以下のように述べる。

自由戀愛の恋愛は結婚できるかできないかの自由であり、短期で同居するか一生同 居するかの自由であり、別居の結婚か同居の結婚かの自由であり、数人と同時に恋 愛するか一人だけと恋愛するかの自由であり、子供に対して責任を持っているかあ

55原文「使女子對於男子、子女對於家長、主張個人的人格、意志的自由、實在是同樣的要緊、或者是更 要緊要辦到這一層、就只有主張戀愛自由」、王平陵・章錫琛、「戀愛問題的討論」『婦女雑誌』第 8 巻 第 9 號、1922 年 9 月、122 頁。

56原文「我前信中所説的戀愛完全是愛倫凱女士所謂『靈肉一致』的戀愛、先生把我當作絕對的精神戀愛

(中略)至於我的主張以戀愛解決婦女問題也并非是一種空想(中略)如果要使女子從教育、經濟、

政治、道德各方面解放出來必先承認女子的人格(中略)這樣女子才能算作獨立」、同注 55、王・章、

148 頁。

57原文「我們要解決問題必先承認女子的人格、要承認女子的人格必先承認女子不是供男子泄欲的器具(中 略)戀愛真正自由了婦女問題也便解決了」、同注 55、王・章、149 頁。

58鳳子、「我的離婚」、『婦女雑誌』第 8 巻第 4 號、1922 年 4 月、168 頁。

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るいは持っていないかの自由であり、肉体しか含まれない性交か靈肉合一かの性交 の自由である(中略)このような恋愛はあまりに自由過ぎる。だからこそエレン・

ケイはこれに反對したのである59

章錫琛は「自由」ではあるが肉体の関係しか含まれない恋愛を「自由戀愛」とし、ケイ が反対したのはこのような恋愛であると強調した。また、「戀愛の自由」に対して彼はケ イの文章を借りて、以下のように指摘する。

所謂戀愛の自由はエレン・ケイが「ある種の感情の自由」と解釈したものであり、異 性からいかなる干渉も受けない戀愛の自由があるということである。しかし戀愛が成 立して後ふたりは必ず夫婦とならねばならず、ふたりは戀愛が破綻するまで、第三者 と戀愛關係になることはできず、家庭を作り、生まれた子供に對し相当の責任を負わ なければならない。所謂自由戀愛のように何でも自由というわけにはいかない。これ こそが戀愛の自由である。近頃多くの人がこの二つの名詞を混同しているのは、実に 大きな誤りである60

その「戀愛の自由」はまさに「自由戀愛」の反対語として、恋愛の中で本当の「自由」

を見出し、家庭に対して、子供に対して責任を果たすこととしてケイが推奨した神聖な恋 愛形式である。しかし、ケイの「戀愛の自由」は恋愛という条件において、相互の自由意 志を尊重するものである。恋愛と結婚は一致されるべきだが、それは恋愛の自由によって 家庭を創るためではなく、人類のより良い進化のために優秀な子供を産むことを目的とし ていた。種族の繁栄は、恋愛によって融合し生殖欲を伴った性愛によって成り立つので、

それ故に恋愛は神聖視された。章錫琛が示したのは、当人に純真な同棲生活と両者の育児 の意志があれば、たとえ結婚が行われなくとも二人が結ばれることは正当であるとされた。

即ち結婚しなくても愛情があれば二人の恋愛は「戀愛の自由」である。

一方、章錫琛の説明からはケイが重視した「戀愛の神聖」という言葉は殆ど見られない。

ただ恋愛は必ず結婚を導くものであり、決してこの結婚は第三者に破壊されてはならない と彼は考えていた。恐らく章錫琛は、ケイの「戀愛の自由」において重視されるべき「相 互意志の尊重」という部分については意識していなかったと思われる。これは彼自身がエ レン・ケイの恋愛観に対して理解不足であったと言えるのかもしれない。

59原文「自由戀愛的戀愛、是有可結婚可不結婚的自由的、是有可僅僅一朝相處或可終身相守的自由的、

是有可異居或可同居的自由的、是有可同時戀愛多人或只戀愛一人的自由的、是有對於子女可負責任 或可不負責的自由的、是有可只有性交或可兼有靈感的自由的(中略)這種戀愛因爲太自由―卻也未 必是放縱―了所以愛倫凱要反對他」、章錫琛、「讀鳳子女士和 Y.D 先生的討論」、『婦女雑誌』第 9 巻 2 號、1923 年 2 月、48 頁。

60原文「所謂戀愛的自由則如愛倫凱女士所說『只是一種感情的自由』就是對於異性有不受任何干涉的戀 愛的自由、但至於有了戀愛以後則此兩異性必須成爲夫婦、直到戀愛破裂爲止、不能再和第三人發生 戀愛、并且必須組織家庭、必須對所生的子女負相當的責任、不是像所謂自由戀愛的都可以自由、這 便是所謂戀愛自由、近來有許多人往往把這倆個名詞混而爲一實在大誤」同注 55、王・章、148 頁。.