第五章 『婦女雑誌』の終焉と継承
第 3 節 『婦女雑誌』の「継承者」(1932 年~1934 年)
―『東方雜誌』 (婦女與家庭欄)を中心に
3.2 「婦女回家」論争から見る金仲華の女性観
1933 年 9 月 13 日、上海の『時事新報57』に掲載された林語堂58(1895 年~1976 年)
の「婚嫁與女子職業」(嫁入りと女子の職業)は第 1 回「婦女回家」論争のきっかけに なった。その記事では、女性にとって唯一男性との競争が起きない職業は結婚だけであ ると示されていた。すぐに、同誌に查士驥が「女子出嫁後就不必有職業嗎?」(女子が 結婚後に職業を持つ必要がないのか?)という記事で林の主張に反駁した。
さらに、「女性は職業と家庭を兩立すべきである」という新しい意見も現れた。同時 期に『婦女共鳴59』に掲載された「婚嫁能算女子職業嗎?60」(結婚は女子職業として認
1935 年、3 頁。
56第 1 回「女は家に歸れ」論争の口火を切ったのは、1933 年 9 月 13 日『時事新報』に掲載された林語 堂の「結婚と女性の職業」という記事である。その中で林語堂は、現在の経済制度ではどの職業にお いても男性に比べて女性が不利であること、唯一有利な職業は「結婚」であること、そして多くの中 国の女性はこの職業に最も適していると述べた。また、1936 年に出版された彼の『My Country and My People』(『我国土・我国民』)では、結婚は女性を最も安全な環境に置き、女性の唯一の幸福に対す る保証であり、母親になることは最大の権利であるとした。そして、中国女性は西洋女性の持つ自立 した精神に欠け、離婚や再婚によっては幸福にはなれないとも論じられた。
また、夏蓉の研究としての「20 世紀 30 年代中期關於『婦女回家』與『賢妻良母』的論爭」(『華南師 範大学学報科学版』、華南師範大学、2004 年 6 月)では、第 1 回「婦女回家」論争における男性知識 人の言論を主に以下のようにまとめている。
ⅰ.家庭の管理、子女の養育など全ての家事労働が女性の「天職」である。
ⅱ.女性の家事労働は家庭に貢献すると同時に、社会への貢献にもなる。
ⅲ.派手な都市のモダンガールにならないような、良妻賢母教育こそが女性を正しく導く。
57『時事新報』:前身は 1907 年 12 月 5 日に上海で創刊された『時事報』と 1908 年 2 月 29 日に創刊さ れた『與論日報』である。『時事報』の編集長は汪劍秋、『與論日報』の編集長は狄葆豊である。両誌は 1909 年合併し、最初の名称は『與論時事報』であったが、1911 年 5 月 18 日に『時事新報』に改名し、
1949 年 5 月 27 日廃刊するまで合わせて 14785 期を出版された。
58林語堂:福建省漳州県出身の文学者、評論家である。牧師の父親を持ち、上海の聖約翰大学を卒業し、
アメリカとドイツに留学した。北京大学・厦門大学の教員を経て、雑誌や新聞に寄稿する傍ら、自 らでも雑誌を編集、刊行した。
59『婦女共鳴』は 1929 年に「婦女共鳴」社より上海で刊行された機関誌である。1944 年に廃刊した。
60談社英、「婚嫁能算女子職業嗎?」、『婦女共鳴』第 2 巻第 9 號、1930 年 9 月。
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められるか)という記事もまた強い論調で林語堂の主張を批判した。ここから、論争の 中心が徐々に封建社会の根本的な男女不平等の根絶に移行したことが分かる。そして、
1937 年になると、日中戦争が勃発し、中国女性に家庭を出て戦争協力に参加すること が要求されるようになったため、第 1 回「婦女回家」論争は議論の途中で休止した。
1934 年 9 月、金仲華のこれまでの女性問題研究の集大成である著作として『婦女問題 的各方面』(婦女問題の各方面)が章鍚琛の開明書店から出版された。この著作の内容は、
女性問題に関する記事を婦女の思想・経済・性愛・参政と教育問題に分かれたものである。
(表 15 参照)。
表 15. 金仲華『婦女問題的各方面』(開明書店・1934 年出版)目次
タイトル 日本語訳(筆者訳) 初出誌 出版年月 バックナンバー 婦女的生活形態與
思想
婦女の生活形態と思想 『東方雜誌』 1933 年 4 月 1 日 第 30 巻第 7 號
近代婦女解放運動 在文學上的反映
近代女性解放運動の文 学的な反映
『婦女雑誌』 1931 年 7 月 第 17 巻第 7 號
從家庭到政治 家庭から政治へ 『婦女雑誌』 1931 年 5 月 第 17 巻第 5 號 從職業回到家庭么 職業から家庭に戻るか 『東方雜誌』 1933 年 12 月 1 日 第 30 巻第 23
號 婦女勞動問題之生
物學的觀察
婦女労働問題の生物学 の観察
『東方雜誌』 1932 年 10 月 16 日 第 29 巻第 4 號
家事社會化 家事社会化 『東方雜誌』 1932 年 11 月 1 日 第 29 巻第 5 號 我國婦女知識解放
運動的檢視61
我が国婦女知識解放運 動の検視
我國新婦女與婚姻 糾紛
我が国新婦女と婚姻紛 争
『東方雜誌』 1932 年 10 月 16 日 第 29 巻第 4 號
目前我國的婦儒保 護問題
目前我が国の婦女児童 保護問題
『東方雜誌』 1933 年 5 月 1 日 第 30 巻第 9 號
托兒所與嬰兒院之 理論的基礎
托児所と嬰兒院の理論 的な基礎
『東方雜誌』 1933 年 9 月 1 日 第 30 巻第 17 號
禁娼與公娼 禁娼と公娼 『東方雜誌』 1933 年 7 月 1 日 第 30 巻第 13 號
節制生育與婦人生 理的解放
生育節制と婦人生理の 解放
『婦女雑誌』 1931 年 9 月 第 17 巻第 9 號
世界婦女奴隸現狀 世界婦女奴隷現状 『婦女雑誌』 1930 年 8 月 第 16 巻第 8 號
61表 15 に示されたタイトルの「我国婦女知識解放運動的検視」、初出掲載誌は現時点で不明である。筆 者が『婦女問題的各方面』の発表にあたって、金仲華の書き下ろした文章ではないかと推測してい る。
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当時の社会経済の状況は、女性の就業を制限することで男性失業者に労働の機会を増 やし、軍事力の基盤となる人口を増加させようとする傾向があった62。それに対し金仲 華は、人口を増加させるための方法は女性を家庭に帰らせることだけではなく、女性だ けが家事と育児の全責任を負うべきだとは言えない。即ち、男性にも責任があると論じ たのである。
『婦女問題的各方面』では金仲華の『婦女雑誌』と『東方雜誌』における代表的なもの を選択して収録しているが、『婦女雑誌』に掲載された「嫁前與嫁後的生活概論」(結婚前 と結婚後の生活概論)という最初の記事が選ばれていない。その理由は恐らく当時の『婦 女雑誌』全体の誌面の性格に影響を受け、金仲華はその記事に対して 1934 年現在の考え 方と大きく食い違うため、意図的に選択しなかった可能性があると推測できる。
第 1 回「婦女回家」論争63は 1933 年 9 月に発生したが、この際、金仲華は 1933 年 12 月の『東方雜誌』に「從職業回到家庭嗎64」(職業から家庭に戻るか)という記事を 発表した。恐らく、「婦女回家」論争に対して、金仲華は不満を持ったからこそ、「職業 から家庭に戻るか」という疑問を投げ出したのであろう。民国期に入ると、職業女性が 中国都市部の人々に広く認識されるようになった。
金仲華は「最近まさに新しい良妻賢母の主張が、薄っすらと現れるようになってきた
65」と当時の中国社会に現れた「婦女回家」の風潮を感じ取っている。女性の社会活動 は既に確定的な地位を占めているため、彼女らは「社会」の一員であることを十分に意 識して相応の貢献を行うべきと提唱している66。金仲華は明確に「婦女の社会進出は抑 えられない」とする自分の信念を持ったうえで、「①婦女を家庭に帰るべきとして抑え つけた者がそうする動機は何か?また②婦女は現在の職業界においてどのような地位
62陳姃湲、「女性に語りかける雑誌、女性を語りあう雑誌―『婦女雑誌』一七略史」、同注 25、村田、
247 頁。
63この論争についての先行研究は多数存在する。代表的な研究は前山加奈子の「林語堂と『婦女回家』
論争―1930 年に於ける女性論」(柳田節子先生古稀記念 中国の伝統社会と家族』、汲古書院、1993 年)や、江上幸子の「中国の賢妻良母思想と『モダンガール』―1930 年代中期の『女は家に歸れ』論 争から」(『東アジアの国民国家形成とジェンダー―女性像をめぐって』、青木書店、2007 年)である。
前者は、「女は家に歸れ」論争の中で林語堂の女性に関する言論について考察した上で、林の思想背景 に触れた。また「女性の職業」に関しては、時代を超えた重要な問題として取りあげられ、以降の各 論争でも常に焦点となった。後者は、論争に表れた言説を四派―(A):良妻賢母派(清末型)、(B):新 良妻賢母派(近代家族型)、(C):新良妻賢母派(家庭・職業両立型)、(D):賢母良母否定派(経済自立・
社会変革型)に分類し、その言論から中国の「良妻賢母」思想及びそれに抵抗した人々のジェンダー 観を探り、「良妻賢母」思想が単に「封建的」一色のものではなく、しかし一律に「反動」の思想とし て切り捨てられるわけでもないという結論を導き出している。
64孟如、「從職業回到家庭嗎」、『東方雜誌』第 30 巻第 23 號、1933 年 12 月 1 日、125 頁。
65原文「社會上甚至因爲排斥職業婦女的趨向,已經發生了一種新的以家庭為婦女天職的說素。最近德國 的獎勵婦女結婚和提倡賢妻良母教育,可說是這種趨勢的極頂的發展,在中國雖然一切都遠落人後,而最 近竟也有新的賢母良妻的主張,隱約地發現出來」、同注 64、孟、125 頁。
66原文「婦女已經在職業界占著確定的地位了,社會職業在許多婦女已經成爲她們的生活的基礎。在目前 婦女只應該以更大的努力,把她們的職業生活改善起來」、同注 64、孟、129 頁。