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『婦女雑誌』の男性知識人から見る女性観

第五章 『婦女雑誌』の終焉と継承

第 2 節 『婦女雑誌』の男性知識人から見る女性観

『婦女雑誌』は常に時代と共に変化する読者の要求に応じていた。周知のように、近代 中国において女性雑誌の発刊は女性の手によるものであったが、女性の編集による雑誌は わずかであった。商務印書館など大型出版社の女性雑誌の編集は、殆ど男性編集者の手に 委ねられていた。そこでは、女性教育、家政知識、生活改良、外国の人物などの紹介も掲 載された。彼らの言論は広範な女性読者に影響を与えた。早期には、纏足、女性教育の促 進など中国社会の封建思想の否定を試み、民国初期に入ると、日本由来の「良妻賢母」と いう教育方針の紹介、五四時期以降の男女平等、女性の社会進出について議論を展開した。

『婦女雑誌』が女性雑誌として果たした役割は、中国女性の生活情況を記録するだけでは なく、各方面から当時の女性を支えたことにあるだろう。

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そして、『婦女雑誌』で作り上げた様々な理想の「女性像」は決して同様な意味を付与 されたわけではなく、その時代の風潮に応じて変化する流動的な存在であった6。しかし、

理想的な女性像はメディアで称揚される存在である同時に、社会的な批判を浴びた存在で もあるような関係と思われる。『婦女雑誌』の「女性像」は、伝統的な「良妻賢母」にせ よ、30 年代初期に現れた「新式女性」にせよ、これらの女性形象を通して、男性編集者 の女性観が社会の「分利」(利益を分け合う)としての存在から社会の「生利」(利益を生 産する)の一員へと変遷する過程を読み取ることが出来る7

そして、本研究では各時期の編集長及び編集者の言論に対する考察を女性教育、女性職 業など極力広いテーマから検討した。もちろん、これで『婦女雑誌』の全体像が鮮明され たというわけではない。例えば、『婦女雑誌』に紹介された労働女性の生活に対する考察 については、本研究で殆ど検討できなかった8

筆者は序章で、Jacqueline Nivardの『婦女雑誌』時期区分(表 1 参照)に関する先行 研究を引用し、それぞれ時期に応じた編集方針の解釈に疑問を投げかけた。『婦女雑誌』

全時期の再考察を通して、改めて新しい認識を得た(表 2 参照)。

表 1.Jacqueline Nivard による『婦女雑誌』各時期の編集方針

時期名 期間 編集方針 編集長

The Beginning 1915 年~1920 年 良妻賢母 王蘊章、胡彬夏 The Taking off 1921 年~1925 年 女性解放 章錫琛

The Reaction 1926 年~1930 年 反動復古 杜就田

Tentative Revival 1930 年~1931 年 急進回復 葉聖陶、楊潤余(金仲華)

表 2. 筆者による『婦女雑誌』各時期の編集方針

期間 編集長 編集方針 外国語能力 女性教育 社会進出 家庭役割 社会役割 1915 年~1920 年 王蘊章 科学普及 日本語・英語 男女別教育 否定 内職

家庭教育

夫の補助 胡彬夏 高等教育 日本語・英語 高等教育

1921 年~1925 年 章錫琛 女性解放 日本語 男女共学 肯定 無関心 種族改善

6何瑋、「1920 年代中国社会における『新婦女』-『婦女雑誌』を主なテキストとして」『ジェンダー研 究』(7)、2004 年、67 頁。

7繆程淑儀、「何謂生利婦女何謂分利婦女」『婦女雑誌』第 6 巻第 6 號、1920 年 6 月、73 頁。

8『婦女雑誌』の読者層に関して、葉韋君の「個人経験與公共領域:『婦女雑誌』通信欄研究(1915~1931)

『近代中国婦女史研究』第 29 期、中央研究院近代史研究所、2017 年、51~104 頁)という論文で『婦 女雑誌』を 4 つの時期に区分し、それぞれ時期の読者欄の特徴を分析した。ただし、葉氏は詳細な考察 を行っておらず、一層の検討が俟たれる。読者層の問題は本研究の範囲から外れるため、本論では詳し く言及していない。

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1926 年~1930 年 杜就田 感性養成 不明 男女別教育 否定 家庭教育 家庭改革 1930 年~1931 年 葉聖陶 人格独立 英語 男女共学 肯定 無関心 精神改造 金仲華 社会進出 英語 男女共学 肯定 集団保育 社会服務

民国期以来、女性に対する束縛は、様々な角度から揺さぶりがかけられた。男性知識人 の中から、女性を労働力として活用して国家の近代化を目指す意見が現れ、女性解放運動 の先駆けを成した9。『婦女雑誌』の考察を通して明らかになった。それぞれ編集長の女性 解放に関する意見は以下のとおりである。

王蘊章 女性が副業に従事することは家庭だけではなく、国家経済の発展に寄与する。

胡彬夏 家庭の中で女性の才能を発揮させることが社会を前進させる源泉となる。

章錫琛 女性教育や経済的自立などの問題の解決は女性解放の手段であって目的では なく、恋愛問題は一切の女性問題を解決する最も根本的な方法である。

杜就田 女性が職業を持つことに対してさほど関心を示さなかったが、むしろ女性とし ての感性を磨くことは重要である。

葉聖陶 女性の経済独立が男女平等に繋がる。

金仲華 女性は家庭外作業によって、健全な身躯を持つことが出来る。

以上のように、1920 年代以降の『婦女雑誌』の内容から見ると、家庭内における女性 の役割を強調することによって、女性を間接的に国家と社会のために、「生利」の一員と して付け加えようとする言論と思想には、女性の役割を家庭内に限定する従来的な「良妻 賢母」の規範と異なる進歩的な一面があったことを明らかにした。結局、『婦女雑誌』の 男性知識人らは、中国の儒教的な女性観に対する抵抗を意識しながら、家庭教育、家政知 識などの提供によって外国の先進的な女性思想を中国に導入し、それと同時に科学的な知 識を備えた女性が、主婦として家政管理能力を発揮することで国家発展に貢献する能力を 持つという近代的な「理想的な女性像」を提示しようとしたのではないかと推測できる。

本研究の検討で明らかになったように、『婦女雑誌』に登場した知識人が中国女性に付 与した役割は、「個人」として、「家庭」と「国家」という二つの側面により示されるもの である。そして、彼らの言論には殆ど女性問題を「国家建設」と関連させる傾向があると 見られている。『婦女雑誌』の中で最も先進的だと言われるのは章錫琛編集期であるが、

新思想に染まった章錫琛が自由結婚、自由離婚、産児制限、新性道徳など女性問題に積極 的に取り組んでも、新性道徳を提唱する際に、優生学を第一に考え、女性の生殖をコント

9関西中国女性史研究会編、『中国女性史入門』、人文書院、2005 年、61 頁。

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ロールし国家の発展と繋げる方法とみなしていた点が注目される。また、金仲華は結婚後 の女性は社会進出を可能にするために、子どもの集団保育を担う保育機関を早急に設立す べきと主張し、それを実行に移すことは、決して容易ではないことが推察されるはずと考 える。彼らは「科學的」「先進的」な理念を受け入れる一方、それが中国社会の現状に適 応するかどうかについては、彼らの中に明確な答えを持っていなかった可能性がある。

『婦女雑誌』の歴代の編集長は、女性解放思想を危険視しないことでは共通していたが、

その時期の編集方針に従って必ずしも編集者全員の意見は一致してはいなかった。例えば、

杜就田編集期において、杜就田は撮影技術、芸術鑑賞に関する記事を多く採用し、『婦女 雑誌』を「軟性読物」にすることを目指したが、当時一部の記事には女性の職業の重要性 を提唱し、男性の「附属品」にならないように呼び掛ける内容もあった。これらの言論か らやがて女性の就業が中国の女性解放思想に結びつける思想が生まれることが分かった。

また、『婦女雑誌』初期で称賛された「新良妻賢母」という女性像は決して一般的な理 解がいうように、完全的「封建的」なものではない。そして、1930 年代の中国文化界で 一斉批判された「モダン・ガール」は、経済の発展に従って生まれた新たな階層の女性で あり、ショートカットのヘアスタイル、ハイヒール、それに顔に施された外国の化粧品な ど贅沢と逸楽の象徴を身にまとった女性は、同時に職業を持つ知識女性として家庭や社会 に貢献する可能性もあると考えられた。『婦女雑誌』において議論された称賛される女性 像にせよ、批判される女性像にせよ、男性知識人が想定したすべての女性像は、彼女らを 最終的に「家庭」の中に押し込もうとするものにほかならかった。

本研究では民国期の女性の情況に多く関心を注いたが、メディアを通して男性知識人か らの言論を分析することで、近代中国における女性像の変化と、それに伴う女性問題の多 様性を理解することができたと考える。そして旧い倫理規範や良妻賢母主義などの問題は、

解決が 21 世紀に持ち越され、都市と農村の地域格差の問題と絡み合って、さらに複雑化 しており、中国女性学研究の大きな課題となり続けると考えられる。