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理想的な教育方法―「家訓」と「自発性」を中心に

第二章 民国初期における女性雑誌の出版活動

第 4 節 『婦女雑誌』から見る理想的な家庭教育(1915 年~1920 年)

4.4 理想的な教育方法―「家訓」と「自発性」を中心に

前述のように、子どもの「道徳教育」は「衣、食、住」など日常生活の隅々と緊密に関 連し、家庭教育に重要な位置づけがされていたと言える。惲代英121(1895 年~1931 年)は 1916 年 11 月の『婦女時報』に掲載した「家庭教育論122」という記事の中で、家庭教育を 学校教育前の補助として位置づけ、子どもにとって良好な道徳観念、科学知識、健全な身 体を目指す「徳育、智育、体育」という三つの教育項目を家庭教育の基本に置き、その中 で「徳育」即ち「道徳教育」が最も重要視すべき項目であると論じた123

その理由は、恐らく既に論じたように、伝統的な社会からもたらされた儒教的な「孝」

の思想が中国全体を支配していたからだろう。

1915 年 3 月の「家庭教育簡談」という記事には、子どもの家庭教育としては第一に「毎 惟現在新式之修身挂圖等頗合于兒童教育惜尚未流行也」「兒童與居室之関係(續)、『婦女雑誌』第 4 巻第 4 號、1918 年 4 月、65 頁。

121惲代英:中国共産党初期の指導者。共産主義青年団の機関誌『中国青年』の主筆として、全国の青年運 動に大きな影響を与えた。1930 年、上海で捕らえられ、1931 年、南京で処刑された。

122惲代英、「家庭教育論」、『婦女時報』第 20 期、1916 年 11 月、15 頁。

123筆者の調査により、1915 年から 1919 年にかけて『婦女雑誌』に掲載された記事の中で、「徳育、知育、

体育」の重要性については以下の記事に記された。当時中国の知識人らは「道徳教育」即ち「徳育」が子 どもの成長についての重要な問題だと意識したことがわかった。ここから、「知能教育」即ち「知育」は「徳 育」の次に位置づけられることが明らかになった。

①擷華女士、「家庭教育簡談」、『婦女雑誌』第 1 巻第 3 號、1915 年 3 月

②王三、「婦女職業論」、『婦女雑誌』第 1 巻第 4 號、1915 年 4 月

③陳麒、「先天教育論」、『婦女雑誌』第 2 巻第 3 號、1916 年 3 月

④西神、「家庭教育之精義」、『婦女雑誌』第 3 巻第 7 號、1917 年 7 月

⑤辛梅、「家庭教育淺説」、『婦女雑誌』第 4 巻第 10 號、1918 年 10 月

⑥徐辛梅、「家庭訓育之重要及實施法」『婦女雑誌』第 5 巻第 5 號、1919 年 5 月

⑦西神、「不傷個性之英美両國之家庭教育」『婦女雑誌』第 5 巻第 11 號、1919 年 11 月

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日朝起きてから必ず父母の部屋を訪れなければならない(中略)食事する前には必ず父母 及び年長者が料理を取るまで待たなければならない124」ことが子どもに要求された。翁麗 霞が「中国伝統社会は家庭内で常に秩序の育成と家庭を基礎にした文化建設を重視し、家 庭道徳性の自覚などを強調した125」と述べたように、児童中心教育など近代的な教育思想 を吸収したとしても、中国固有の伝統的な思想は根強く父母と子どもの間に存続していた ことがわかる。

中国の伝統的な家庭教育の主な内容も儒教的な道徳教育であった。子どもに秩序を教え、

人間としての完全さを厳しく要求していた。家訓は、古代家庭教育の読本の総称で、「始終 封建的道徳を主要内容126」としており、その道徳理論は家庭教育の核心であったといわれ る。1916 年 10 月の『婦女雑誌』の「家教改良談」という記事で「この家庭教育は新方法 ではなく外國から来た西洋の方法ではない(中略)正直に言えばこれが我が中国の古人が よく口にした家訓家教である127」と述べるように、家訓は子どもの道徳教育の基準として、

近代の「家庭教育」においても子どもの頭脳に刷り込まれ子どもの言動を支配することが 多かった。

例えば北宋の顔之推が『顔氏家訓128』で、「父母威嚴にして慈有れば、即ち子女畏慎して 孝を生ず129」と示すように、子どもは父母や目上の者に対する絶対の服従、献身という「秩 序」を守ることを要求された。父母の言葉に対しては、その指示に従い、少しの反抗もあ ってはならないとされていた。

一方、1910 年代初頭、欧米のモンテッソーリ教育法130が日本を経由し、中国に紹介され た131。その精髄は、周囲の状況によって子どもの正常な機能や健康の発達を促進させるこ とをねらいとし、その個性を伸長させるための教育を展開したことにある。

また、『蒙臺梭利女史新教育法』(モンテッソーリ女史の新教育法)の出版に従って、『婦 女雑誌』に「蒙臺梭利教育法132」(モンテッソーリ教育法)、「二十世紀之女教育家133」(二

124擷華女士、原文「兒童每日早起必令謁見父母(中略)凡用膳時須令兒童俟父母及長者舉筷后再行舉筷」「家 庭教育簡談」『婦女雑誌』第 1 巻第 3 號、1915 年 3 月、44 頁。

125翁麗霞・神川康子、「中国の古典書における家庭教育の社会学的要素について」、『人間発達科学部紀要』

第 6 巻第 2 號、富山大学人間発達科学部、2012 年、123 頁。

126同注 125、翁・神川、119 頁。

127荘慶祥、原文「這家庭教育并不是個新法也不是外國來的洋法(中略)老實的說就是我們中國古人所說得 家訓家教」「家教改良談」『婦女雑誌』第 2 巻第 10 號、1916 年 10 月、30 頁。

128『顔氏家訓』:中国北斉の顔之推が著した家訓、子々孫々に対する訓戒の書である。全では 7 巻である。

129顔之推著、宇野精一訳『顔氏家訓』、明徳出版社、1982 年、14 頁。

130マリア・モンテッソーリ(Maria Montessori 1870 年~1952 年):イタリアの医学博士、幼児教育者、モ ンテッソーリ教育法の開発者として知られる。子どもの自主性、独立心、知的好奇心などを育み、社会に 貢献する人物になるという教育目的である。

131日暮トモ子、「近代中国の幼稚園論の展開にみるモンテッソーリ教育法の受容に関する考察」『有明教育 芸術短期大学紀要』第 6 號、2015 年、18 頁。

132彬夏、「蒙台梭利教育法」、『婦女雑誌』第 2 巻第 3 號、1916 年 3 月、23 頁。

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十世紀の女性教育家)などの記事も掲載された。このような書籍や雑誌等から、当時のモ ンテッソーリ教育法に対する関心の高さが窺える。子どもの個性を自発的に発展させると いう特徴が、中国の知識人らから高い評価を受けていたと思われる134

子どもの自己活動、個性の自発的な発展を重視する新しい教育法として、モンテッソー リ教育法から影響を受けた中国知識人も議論を行った。例えば、『婦女雑誌』では家庭教育 は学校教育と社会教育の根本となり、「第一に愛情をもって接する135」ことにより、ただや たらに子どもに命令することなく、たとえ過失があったとしても、「一.寛嚴適宜。二.統一 必須。三.個性適應136」の考慮から、あまり厳格にせず子どもに忠告もしくは指導すること を通して自発的に改善させ、子どもの心を傷つけないように、健全で自立的な人格を養成 することが強調された。

モンテッソーリの教育は、子どもの自発性を重視する教育として評価されていた。しか し、子どもを放任する親が現れたため、就学前の子どもに自由を与えるよりも、教育者が 子どもの悪習慣を矯正する必要があることが強調された。しかし、モンテッソーリが提出 した「本能を自由に發達させること」という、子どもが本来持っていた能力を養い、自発 的な活動を鍛えることは民国初期の中国ではあまりにも現実的ではなかったと考えられる。

また、当時の中国においては上等の家庭であっても、教育を十分に受けられなかった母 親が多数存在していた。モンテッソーリの理念が科学的な根拠に基づき、子どもの知能や 身体の発展にとって有益な部分があったとしても、当時の儒教的な道徳理念により支配さ れた社会背景の下では、たとえ父母たちが子どもの自発性を認識しても、全て正確に受け 入れることは困難だったと考える。

さらに、1919 年後半になると、五四運動の勃発はついに商務印書館に影響を及ぼした。

商務印書館によって創刊された『小説月報』、『東方雑誌』、『婦女雑誌』などの雑誌の 編集方針は世間から多大な批判を浴びせられるようになった。そのため、『婦女雑誌』は 新しい編集長である章錫琛とその助手である周建人を迎え入れた。次章では、章錫琛が編 集していた 1920 年代前半の『婦女雑誌』の誌面内容を取り上げ、西洋の女性思想の受容と いう方面から当時の男性知識人の女性問題に関する言説を分析したいと考える。

133張菊姝、「二十世紀之女教育家」『婦女雑誌』第 2 巻第 2 號、2016 年 2 月、71 頁。

134同注 131、日暮、19 頁。

135李公耳、原文「第一當以臨以愛情」「育兒要訣」『婦女雑誌』第 2 巻第 8 號、1916 年 8 月、39 頁。

136徐辛梅、「家庭訓育之重要及其實施法」『婦女雑誌』第 5 巻第 5 號、1919 年 5 月、19 頁。

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