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詩と童謡におけるオノマトペ使用の量的分布

第 3 章 まど・みちおの認識と表現世界

第2節 詩と童謡におけるオノマトペ表現

2. 詩と童謡におけるオノマトペ使用の量的分布

ローレンス・スコウラップは日本語表現の色々な場面でのオノマトペの使われ方を定量的に分析 している。25 児童図書、小説、学術論文、新聞、漫画、会話などを取り上げ、字数 1000 に対する オノマトペ使用語数を割り出した。大雑把に言えば、書きことばよりも話しことばの使用頻度が高 く、フォーマルよりもインフォーマルの方が高い。この結果は日常の体験からもある程度予想され ることではあるが、明確な分析数値が示されたことは意義のあることである。まどの詩と童謡との

21 小野正弘『オノマトペと詩歌のすてきな関係』NHK 出版、2013 年 6 月、p.131。

22 「すいすいと」などの「と」とオノマトペの結合は語によって強弱がある。「って」という形にもなり、本論で原 則として「と」を省く形とした。ただし、「ちょっと、ちゃんと、きちんと、ずっと、ずうっと、ふと そうっと」

などは語として成熟しているので「と」を含めて1語とした。スコウラップはそれらを副詞として除外している が、本論では浅野鶴子・金田一春彦『擬音語・擬態語辞典』(角川書店、1978 年 4 月。)を参考にオノマトペに入 れた。

23 ただ「る」を長々と連ねて蛙の卵の視覚的イメージと鳴き声をイメージした。

24 縦書きの場合「つららら」は垂れたつららがまだらに光の模様を創る感じになる。まどの詩にはもう少し広い視 覚効果をねらった視覚詩・カリグラム的なものも数例ある。〈アリ〉については前節 1.5 の〈アリ〉型で見た。〈か んがるー〉:カンガルーの象形である「る」が茂みを飛び出して草原をジャンプしていく。〈わまわし まわるわ〉:

「まわるわ」と「わまわし」の文字列を二重の輪に 32 文字ずつ並べている。〈キリン〉:食べたご飯が首の中を落 ちていく様子。

25 ローレンス・スコウラップ「日本語の書きことば・話しことばにおけるオノマトペの分布について」(『オノマト ピア 擬音・擬態語の楽園』筧寿雄/田守育啓編、勁草書房、1993 年 9 月、p.77 )。

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比較のために、スコウラップのそれぞれの分析数値を紹介しておく。

児童文学:8.00~18.00、 一般的小説:(本文)0.67~2.33、(対話部分)0.89~1.33 学術論文:0.0、 毎日新聞:0.33、 スポーツ新聞:(相撲)3.55、(野球)1.03 漫画:(台詞)1.44、 会話:2.09

この数値から分かることは、児童文学がいかに突出しているかである。これを見るとオノマトペ は子どものことば、幼児的という一般的な考え方の証明のようにも見えるが、スコウラップはオノ マトペは大人にも用いられており、子どもじみているという指摘は語自体の固有の幼稚さないしは その機能に起因するのではなく、子どもに対して使うことばにオノマトペがきわめて頻繁に用いら れる26ことから生じる二次的現象だろうと述べている。27

それでは、次にまどの詩と童謡についての分析結果を見るが、問題はまどのオノマトペの一語を どのようにとらえるかである。スコウラップの対象としたオノマトペは「キイーン」「ごっそり」「よ たよた」など以外、「グイッ、グイッ、グイッ」を一語とみなすといった程度の基準で一語の認定が 明確であった。しかし、まどのオノマトペには「たっぷ らんらん/ち― たった」(/は行変えの印) のようなものがあり、もし分かち書きで数えれば 4 語、行単位では 2 語、音の一まとまりで言えば 1 語、といった可能性がある。分かち書きにも行変えにもそれなりのまどの意図があるはずだが、

音の調子と律動からは「たっぷ らんらん/ち― たった」は分離できない一まとまりとしての力 を持っている。それで、本論では「ぽとん」「ずしんずしん」「ゆらり ゆらり」などと同じように、

「たっぷ らんらん/ち― たった」28などの連続した一まとまりも 1 語とみなした。

そのような語の定義で数えると、まどの詩と童謡のオノマトペの概数は次のようになる。

オノマトペを含む詩

詩作品数:326 詩作品総字数:90000 語数:718 1000 字当たり語数:8.0

オノマトペ総字数:3500 1 語当たり 4.9 字 オノマトペを含む童謡

童謡作品数:305 童謡作品総字数:55000 語数:1161 1000 字当たり語数:21.1 オノマトペ総字数:7500 1 語当たり 6.5 字

(※数える文字の表記はテキスト通りとし、字数計算は句読点、記号は含まれていない。語数は繰り返しも含む。)

26 これは子どもの言語発達の問題で、まどの作品を見ても、「うしの あかちゃん おっぱい チュチュ・・・つばめ の あかちゃん むしを パクリ」などのように語の品詞的見方からは未分化な原始的オノマトペが数多く見られる。

それは上の例のような動詞の未分化だけではなく、形容詞、副詞、名詞にも現れる。それが大人との用法の違い であり、子どものことばにオノマトペが多い一つの理由である。

27 ローレンス・スコウラップ 前掲論文「日本語の書きことば・話しことばにおけるオノマトペの分布について」

p.95。

28 このような行を越えて 1 語とみなした例は他に 32 例ある。中には「ビン ブン/ビン ブン/ミン ブン ミン」の ように 3 行以上に渡るものもあるが、数値上の差は 3%未満で、大きな違いではない。なお、語を分かち書き単 位で 1 語とみなした場合、その語数は詩が 887 語となり 1.2 倍、童謡が 1928 語で 1.7 倍の増加となる。

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上に見るまどのオノマトペ数は 1000 字当たり、詩:8.0、童謡:21.1 で、童謡は詩の 2.6 倍の語 数である。この詩の値はスコウラップの児童図書 3 冊のテキストの中でオノマトペ語数の少ない作 品例の数値と同じで、童謡は 3 冊の児童図書で一番多い 18.00 よりもまどの童謡のオノマトペ数値 が高い。29

また、オノマトペが用いられた作品数は詩が 326、童謡が 305 なので、1 作品当たりのオノマトペ 数は詩が 2.2、童謡が 3.8 である。この詩と童謡の開きには歌うという童謡の特性が一つの理由と して関わっていると考えられる。佐藤通雅はまどのオノマトペの例も引きながら詩と童謡という深 いテーマで、「声の文化」という観点から童謡について次のように述べている。

まど・みちおが「ひとりの自分が創るのではなくて、自分の中のみんなが創る」といったのは、

声の文化に特徴的な共有性・集団性に由来していた。「自分の中のみんなが いくらか わい わいと、そんなに深刻にではなく、天を仰いでいるような」「自分の中にある普遍性みたいな もの ――庶民としての我々一般、子どもも含めて誰でもがもっているもの、その世界の中を 自分が書くという感じ」といったのも同じだ。童謡がことばから見ても構造から見ても、素朴・

単純・明快なのは享受対象を考慮しているからにはちがいない、しかし、それだけでは半分し かいいあてていない。個人の意識が細分化・鋭敏化する以前の声の文化を根拠とするために、

「自分」ではなく「みんな」が、あるいは「個別」ではなく「普遍」が前面に出てくる。その 文化は文字の文化よりもはるかに長い時間つづいていた。30

そして、佐藤はまどの〈つみき〉のオノマトペ「いっちん かっちん/たーん ぽん」を「意味や 理屈の成立する以前の場所を呼吸している、そういう種のことばだ。いや、ことばとしてのかたち もまだ持ちえていない、始源における音韻というべきだろう。」31 と評価している。佐藤の上のこ とばは、まどの一つ一つの童謡に流れる「声の文化」としての呼吸を論じた中での言及である。「い っちん かっちん/たーん ぽん」をその呼吸の一つの始源における音韻の表れと見る時に、童謡に おけるオノマトペの重要性が理解できる。そうすると、「音」からことばという「意味」へ傾斜して いった後期のまどの詩におけるオノマトペはどうであろうか。

小嶋孝三郎は自身のオノマトペ研究を集成した『現代文学とオノマトペ』の序で、オノマトペに ついて「すぐれた文学作品、例えば天才偉才と言われた人々の作品の中で、この種の記号が用いら れている場合には、決して単なる概念の符合たるに止まらず、その聴覚的側面の映像を最大限に発 揮して、直接事象の状態なり程度なりを暗示するとともに、読者の表象に訴えて作者自身の心象の 顫律までも奏でるものがある。」32と述べ、そのようなオノマトペ用法を「象徴的用法」と呼んで、

29 スコウラップの児童図書のオノマトペ1語の平均字数は計算すると 4.3 字で、まどの詩よりもいくらか短い。

30 佐藤通雅『詩人 まど・みちお』、p.185-186。

31 同書、 p.191。

32 小嶋孝三郎『現代文学とオノマトペ』桜楓社、1972 年 10 月、p.1。

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「日常的実用的言語認識を超えようとする造型的創造的次元」33であると文学的オノマトペ用法を 定義している。まどのオノマトペ用法を概観すると、独自の創造的オノマトペ34と思えるものは繰 り返しも入れて約 250 語で、全体の約 13%ある。その詩と童謡の割合を見ると、まどの創造的オノ マトペ35 は童謡が詩の 4 倍ほども多く現れている。詩のオノマトペが日常的実用的言語認識を超え ようとする造型的創造的次元の表現であるならば、詩人としてのまどの詩にもそのような「創造的、

象徴的用法」がもう少しあっても不思議はないように思える。まどの詩のオノマトペの全体的な数 が童謡に比べて少ないことに加え、創造的なものはより以上に少ない理由はどこにあるのだろうか。

以下、まどの詩と童謡におけるオノマトペについての考察を進めたい。