第 5 章 まど・みちおの詩と童謡
第3節 まど・みちおの創作意識と表現
1. まど・みちおの創作意識
ここまで[創作の出発]から[台湾]、[戦争体験]、[戦後の童謡創作]、[詩への移行]、そして[作品 の表現]について考察した。そして最後にまどの童謡に焦点を当て、韓国のユンの童謡にも触れた。
62 ノ・ギョンス『ユン・ソクチュン研究』チョンオラン、2010 年 10 月、p.108。
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それら全体を振り返って、ここでもう一度まどにとっての童謡は詩作全体の中でどのように位置づ けられるかを考えて見たい。
まどの創作の歩みの出発は童謡の募集に応募したことであった。出征までの台湾でのまどの作品 は広さがある。童謡と言っても必ずしも曲がついて歌われることを前提とはしていなかった。短詩 や散文詩、また内省的な自由律の詩、『動物文学』に載せた思索的な随筆もある。それらを総合する と、仮に創作のきっかけが童謡であったとしても、まどは童謡の世界に止まらず、より広い詩世界 へ道を開いて行く可能性はあった。しかし、まどには「子どもものに惹かれた」という何かがある。
後に『てんぷら ぴりぴり』を出し、詩人としての自覚を持って自由に詩を創るようになってからも、
「子どももの」の印象は残る。
童謡を書くときオレは子供になったつもりになっている。永年の習性だけでなく、その用語 からの必然で。そしてよいものができたときには「人間の子供」になっているのではないか。
知らぬまに。これに反し作詩のときは、こどもになったつもりはない。大人のつもりで、ただ の自分のつもりで書いている。応々にして。しかし気がついてみると、それは、やはり子供の つもりで書いていることが多いのだ。宇宙の子供のつもりで。オレがオレの深いところでそう 信じて疑わないところのものが、自然に出てしまうのだろう。宇宙の子が親なる宇宙を仰ぎみ て、感にたえかねて書いているのだ。オレの詩なるものは。でつまりオレに於ては童謡も詩も 子供としてのオレの創作物ということになり、それで当然みたいな顔をして子供物として発表 しているのか。63
このまどのことばに、童謡をも詩をも含むまどの表現世界、そして表現の手段としてのことばの 有りようが表れている。
3.1-1 詩の表現としてのことば
まどは「僅かな言葉の知識で複雑な内容を伝えている」という子どものことばについての認識を 持っている。そして、それは逆に童謡の表現形式のあり方を暗示している点でまどの童謡の表現に も基本的なところでヒントを与えている。まどの詩は童謡に限らず簡潔である。可能な限り説明を そぎ落とそうとする。「映像的表現」で中井正一のことば「文学者は、この繋辞でもって、自分の意 志を発表し、それを観照者に主張し、承認を求めるのである。ところが、映画は、このカットとカ ットを、繋辞をさしはさむことなくつないで、観照者の前に置きっぱなしにするのである。」を引用 したが、それと同じような思いをまどは詩の創作において基本的に持っている。言語習得のまだ十 分でない子どもは、大人の物事の表現手段として駆使されることば、ある場合は観念的でさえある ことばの中に置き去りにされる。それでも子どもは何かしらの本質的なものを感じ取る力があり、
子ども自身僅かなことばで深いものを言い表しているのだとまどは感じている。むしろ、そのよう
63 まど・みちお「原稿箋」1981 年 11 月 15 日(谷悦子『研究と資料』、p.44)。
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な子どものことばの方に真実を突く力がありはしないかとまどは思っている。次のまどのことばは それを裏付ける。
常識でがんじがらめになっているオトナたちのオトナことばでは、とても表現しにくい オト ナの詩がある。そういう詩を自分の為に自分かってにかきにかいている。その中の子どもに向 くものだけを子どもに与えることだ。そういう気がする。子どものためにかくということでは ない。自分の為にかくのだ。それは おとなにも子どもにも読めるものなのだ。むしろ 子ど も語でかいた大人の詩なのだ。(中略)「子どももの」を「おとなもの」以下と考えること自体間違って いるが。/もう一ど自分にいってみる。オレがかいているのは子ども語によるオレの詩だ。(中略)
なぜ大人のオレが オレの詩を子ども語でかかねばならぬのか。オレが詩と名づける世界は大 人語ではとても構築できないことが多いからだ。64
まどには観念に縛られない解き放たれた自由を求める心があり、そこからほとばしり出るものが まどの作品の底流にある。「宇宙の子が親なる宇宙を仰ぎみて、感にたえかねて書いているのだ。オ レの詩なるものは」このことは表現手法の違いを別にすれば詩にも童謡にも共通する。まどが「子 どものつもりで」と言うときの「子ども」は「童心童語」と白秋たちが言った「童」とは違う。「も ともとわたしは少年少女詩を書くときと、おとなの詩を書くときの心がまえや仕事の進め方に、そ んなに違いはないように思います。」65 とまどは言うが、まどの少年少女詩と大人の詩の区別は難 しい。詩集『てんぷら ぴりぴり』の重版の帯の表示には「小学校三年以上」とあったそうだが、ま どはそれを大人である自分のために書いた詩集であるから、「小学三年以上の中高大学生とすべての 大人」という意味に解釈している。66 〈わたしのシシュウ〉67という詩の中でさえ「そのシシュウ に/こどももの おとなもの ごったに/いれていることには へいきだ」と言い、そして「こど もがふと じりきでおとなものを/よみかじるような ぼうけんに/であえるのが このよのしぜ んだろう/そこからこそ こどもたちは/たんけんかとなっていくのでないか/めをかがやかし むねふくらませて…」(詩の一部)というように、まどの主張は戦前の『昆虫列車』で述べた「平易 さ」と変わらない。「大人語ではとても構築できない」まどの詩の世界は、宇宙の子供のつもりにな ったまどが少年少女詩の表現でしか表せない。
「つけものの おもしは/あれは なに してるんだ」〈つけものの おもし〉。ある日、中村桂子は
『てんぷら ぴりぴり』を手に入れ、家で子どもと読んだ。子どもはこの詩が気に入って「つけもの の おもし」ごっこに興じた。68 自分が漬物のおもしになったつもりで色々演じるのである。無邪 気な子どもの遊び心と、まどの深淵な世界とが結びつく。まどの詩の子ども語には必然性が隠され
64 まど・みちお直筆ノート「へりくつ 3」(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』、p.59)。
65 インタヴュー、ききて・市河紀子「見えるものじゃなくても すべてを短いことばで言い表したい」『KAWADE 夢 ムック[文芸別冊]まど・みちお』、p.90。
66「子どもの声を聞いて」『[文芸別冊]まど・みちお』再録、p.74。初出『児童文学読本』、1970 年 8 月。
67 まど・みちお『たったった』理論社、2004 年 5 月。
68 中村桂子・ほか『まど・みちおのこころ ことばの花束』佼成出版社、2002 年 9 月、P.8-11。
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ている。その一つは、大人語によって表現される観念の排除であろう。
3.1-2 詩と童謡の手法の違いと連続性
まどは、詩においてそれが少年少女詩であろうと大人の詩であろうと、ことばにおいて大きな違 いはないと言った。「詩の中で子どもに向くものを子どもに与えればいい、その選択は子どもに委ね ればいい」という考えさえまどは持っている。しかし、童謡は別だと言う。それは歌われることを 前提とした手法の違いということだ。台湾時代の創作はそれほど作曲されることを意識しなかった が、戦後、童謡を集中的に創っていた時期はその意識は高めざるを得ない。第 1 節に示したまどの 童謡論の実践に迫られたであろう。
まどの「子どもに向くものだけを子どもに与える」ということは主に詩についてのことばである。
台湾時代であれば、「うちなる詩が歌謡的リズムに乗りたがっていた時にそれに乗せたのが童謡であ って、自由律でいきたがっている時にはそれにのせて詩にする。そんな感じだったかと思います。」
69 というような創作の幅があったが、戦後の出版社勤務時代には作曲されることを前提とした童謡 は子どもが対象として想定されていたことが多い。
私は童謡を作りおえて「こんなものを書いて何になるのだろう。子どもと自分をバカにする だけじゃないか」というような空しい気持ちに襲われることがよくあります。自己顕示や銭も うけのためにただ惰性で書いた常識うた、子どもにタカをくくって子どものためみたいな顔を して書いた偽善うた、などいろいろですが、どうにもやりきれない感じです。70
理想はあってもその通りにはいかない現実がある。『全詩集』の「編集を終えて」で編者の伊藤英 治は、「しつけうた」「あそびうた」を収録するのをまどは恥ずかしがっていたと報告している。そ れでも、谷川俊太郎が「童謡を創る際に自分には邪心・邪念があるが、まどには邪念と作為がほと んどない」71 と指摘しているように、まどの「子どものために」という意識は基本的には希薄であ ったと言えるであろう。
童謡とは何だろう。この世の不思議、自然の不思議、すべての存在と非存在、反存在の不思 議への叫びである。子どもという人間の萌芽が、この不思議に直面して発した叫びである。凡 ゆる人間の文化の歴史がそこから出発したところのその叫びそのものである。だからこの世に 生きて何の不思議も感じることのない大人に童謡を作る資格はないのだ。だから存在の不思議 さにうち震えていないような童謡は、童謡とは言えないのだ。童謡は存在の根源に迫ろうとす るものでなくてはならない。そうでなければ童謡を詩として、われらが取組む意味はなくなる72。
69「対談 童謡を語る」『児童文学’82 秋季臨時増刊』ぎょうせい、日本文芸家協会、1982 年 9 月、p.36-55。
70「アリの詩について」『想像力の冒険』理論社、1981 年 12 月、p.159。
71「シンポジウム まど・みちおの世界 最後の詩人、その宇宙」『KAWADE 夢ムック文芸別冊 まど・みちお』、p.134 。
72 まど・みちお「へりくつ 3」1969 年 7 月 17 日(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』、p.7。)