第 2 章 まど・みちおの歩みと詩作 ――戦後
第3節 童謡から詩への推移
2. まどの童謡と詩の創作数の時代的推移
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続け、それは 1959(昭 34)年国民図書刊行会退社後も続いた。それに対して、他社の雑誌は退社後の 掲載となっている。雑誌以外の作品発表もあったが、前述のように「しつけうた」「あそびうた」
の創作が中心であっただろう。それは仕事上の要請で、まどの本意ではなかったと思われる。
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画報、翌年国民図書刊行会に就職し、1959 年の退社まで 10 年間編集の仕事をする。『全詩集』所収 のこの期間の作品数は 82 編で、その内作曲されたものは 58 編、作品に対する作曲されたものの割 合は 70%である。かなりの高率である。全体の作品数は後半こそ 10 作を超す年もあるが、前半の 少なさは多忙をしのばせる。そういう中で、〈ぞうさん〉をはじめ、〈つみき〉、〈おさるが ふねを かきました〉など、傑作と言われる童謡が生み出されていった。作品の中での童謡の割合が高い理 由の一つに、子ども向けの雑誌の編集に携わったことが考えられる。19 作品が国民図書刊行会に関 わる雑誌での発表である。そして、「あたらしい子どものうた」運動の中心的役割を果たした作曲家 の集まり「ろばの会」の協力や NHK などの放送メディアの発展もまどの童謡創作意識に関係があっ たはずである。
3. 童謡中心時代 1960(昭 35)年、50 歳 ~1967(昭 42)年、57 歳
1959 年に国民図書刊行会を退社し、創作に専念するようになってから初めての詩集を出すまでの 期間である。『全詩集』による作品の初出年度は実際の創作年とのずれが予想され、一年ごとの判断 はあまり意味のないことであるが、10 年近くの単位で見れば傾向は知ることはできるであろう。こ の期間の作品数は 315 編で、作曲されたものは 278 編ある。一年で 40 編近い創作である。しかも作 曲されたものの割合は 90%近い。まどの童謡創作において最も充実した期間であり、優れた作品が 数多く創られている。
4. 詩中心時代 1968(昭 43)年、58 歳 ~1986(昭 61)年、76 歳
1968 年に初めての詩集『てんぷら ぴりぴり』51 を出版した。それから童謡をほとんど創作しな くなった時期までの期間である。作品数は 553 編で、その内作曲されたものは 100 編である。1971 年、1977 年は保育のための曲集が出版されたために、作曲された数が 25 編、12 編と多くなってい るが、その他の年は 10 編以下で、その 2 年を除いた期間だけの作曲された作品の割合を見ると 13%
である。そして『全詩集』発刊が近くなってほとんど 0 に近づいている。
5. 詩時代 1987(昭 62)年、77 歳 ~100 歳ごろ
童謡は全く創らず詩のみを創作している。2011 年 5 月の雑誌52のインタビューで、もう詩は創ら ないというまどのことばがあったが、100 歳近くまでは詩作が続けられた。100 歳を記念した詩集『の ぼりくだりの…』53『100 歳詩集 逃げの一手』54を出版している。
51 まど・みちお『てんぷら ぴりぴり』大日本図書、1968 年 6 月。
52「詩人 まど・みちお 101 年の思索」『婦人画報』アシェット婦人画報社、2011 年 5 月、p.329 。
53 まど・みちお『のぼりくだりの…』編集市河紀子、理論社、2009 年 11 月。 帯には「100 歳詩集 最新・書き下 ろし」とある。
54 まど・みちお『100 歳詩集 逃げの一手』小学館、2009 年 11 月。
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3.3 『てんぷら ぴりぴり』がもたらした転機
「前半に童謡が多くて、昭和 43 年頃から詩に移っていくような気がしますが・・・」という谷悦 子の問いかけに対して、まどは次のように答えている。
それはその通りです。というのは、いま言いましたように、童謡集を出せと言われて『てん ぷらぴりぴり』という詩集を出したんです。そしたらたまたまそれが認められたんです。それ で、あー、なんだ自分も詩を書けば書けるな、という気になって、それから積極的に詩を書き 出したんです。55
このまどのことばは、上で見た詩と童謡の創作数対比の変化の時期と合っている。しかし、童謡 に対する詩の割合の増加があるのは当然としても、なぜ童謡創作が減少の一途をたどって創らなく なってしまったのだろうか。
このことについては佐藤通雅の論考がある。「この転機には年齢の問題も介在している」とし た上で次のように述べている。
うたうとは、文字を持つ以前の身体から湧出する韻や律と感応することであった。そこでは認 識以前の自然性が主たる要素としてあった。
ところが、まどはその対極に認識者の要素も色濃く持っていた。『てんぷらぴりぴり』がき っかけとなって詩のほうへと傾いたのは、自然性の衰退に替わって埋もれていた認識の目が前 面に出てきたからにほかならない。56
うたうという身体性や動性よりも、より静的な物・沈潜するもの・透明度のあるものに嗜好 が推移しても不思議ではない。徐々にそれらは忍び寄り、たくわえられ、いつしか満水状態に なった。『てんぷらぴりぴり』の話はそういう時期にやってきた。57
佐藤のこの結論の背景には「声の文化」と「文字の文化」の概念がある。「声の文化は共有的・集 団的である。しかし人間はそれだけで生きる存在ではなく、より高度な自己意識と内面を獲得しよ うとする。それが文字の文化である。」58。そして、童謡は「声の文化」、詩は「文字の文化」・「意 味」の特性を持ち、まどについては、童謡から詩へ移行していった理由を次のように結論付けてい る。「まどはうたうことへのたぐいまれな資質を持つと同時に対象を凝視する・認識する資質をも宿 していたがゆえに、それらを亀裂として内部に抱え込んでいた。それが『てんぷらぴりぴり』を転
55 谷悦子『まど・みちお 研究と資料』、p.186。
56 佐藤通雅『詩人 まど・みちお』、p.236。
57 同書、p.238。
58 同書、主に第 5 章童謡の世界の p.179-187 に詳しい。
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機とし、年齢の問題も介在して童謡から詩へ傾斜させていった。」59
この佐藤の論述は詩と童謡を考える上で深い示唆を与える。谷はまどに次のような問いかけをし た。「まど先生の原点は童謡にあって特に「ぞうさん」にあるみたいな言われ方なのですが。私はむ しろ、原点は童謡よりも詩そのものだという感じがします。そもそもが詩であって、たまたま童謡 も書き得たみたいな気がするのですが。」60 それに対して、まどは「私もそう思う」と答えている。
まどにとって童謡とはどういうものであろうか。たまたま童謡を書いたのであろうか。第 5 章で引 用するが、まどは自分が詩と名づける詩の世界は大人語ではとても構築できないことが多いから子. ども語...
で書くと言っている。61 このことは童謡詩人と見られていた時の童謡創作も本来的詩人とし ての詩作に近いものではあっても、童謡とは切り離せない何かが内に秘められていたということを 暗示しているように思える。