第 5 章 まど・みちおの詩と童謡
第2節 ユン・ソクチュンの童謡との対照
2. まど・みちおとユン・ソクチュンの童謡の共通世界
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クチュン童謡 100 曲集』(1954 年)、『ユン・ソクチュン童謡 525 曲集』(1980 年)にまとめられている。
1300 余編の童謡の内、800 余編に曲が付いている。
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する過程で必ず体験する数の発見の喜びがあふれていることは同じである。この他、子どもは多く のことを発見し、学び成長していく。論理や物事の変化や因果の発見もある。大人にとって何の興 味も惹かない当たりまえのことが子どもには喜びであったり、おもしろさであったりする。それは 特に幼児を対象として提供される児童文学作品やテレビ番組などに繰り返し用いられる要素である が、それだけにまどとユンの上の童謡が 80 年ほども歌い継がれていることは、それらの童謡がただ 子どもの心を喜ばすだけではなく、大人が忘れがちな人間としての原始の魂の喜びとなごみを引き 出す力があることを物語っている。
生の喜び
〈ことり〉 (まど 1963 年)
ことりは/そらで うまれたか/うれしそうに とぶよ なつかしそうに とぶよ/ことりが/そらの なかを//
ことりは/くもの おとうとか/うれしそうに いくよ なつかしそうに いくよ/ことりが/くもの そばへ
〈ゆうやけ〉 (ユン 1940 年)
おひさま おひさま ねんねしに いく。/やまの むこうへ ねんねしに いく。//
おひさまの まくらは あかい まくら/おひさまの ふとんは あかい ふとん。//
まくら して ふとん かけて/おひさま おひさま よく ねんねしてね。
このユンの歌はわらべ唄に通ずる幼児の根源的な響きをもっている。まどのことばを借りれば、
「子どもという人間の萌芽が、この不思議に直面して発した叫び」56でもあり、「地球生物的、生き る喜び」57でもある。この「地球生物的」とは無生物に対する地球上の生物という意味ではなく、
まどの 1935 年に著した〈動物を愛する心〉に既に見られるように、すべての存在物が有機的なつな がりを持って共生している存在物であろう。その意味でまどの「地球生物的、生きる喜び」は生物 に限らない。ユンの〈ゆうやけ〉もそれに通じ、幼児的擬人化としての「おひさま」を越えた雄大 さを感じさせる。まどの〈ことり〉も、「ことりが とぶ」という事象を越えた世界が広がっていく。
「そらで うまれたか」「なつかしそうに とぶよ」「くもの おとうとか」は単なる幼児の単純さ を越えている。ユンの〈ゆうやけ〉の「おひさま」のように、自然現象にまで意味を見出そうとし、
また人格や生命を与えようとするのは子どもの特性である。波多野完治も「子どもが世界を合目的 に考えていること、世の中には一つとして無意味に偶然に存在するものはないこと、すべては一定 の意味と目的とを持っていることを信じていること、彼らが結局において世界の「意図」を信じて いることを示している。」と指摘している。58 そして、擬人化は「発見」の項の単純さと同様、幼
56 谷悦子『研究と資料』、p.42 まどの自筆のノート「へりくつ 3」(1969 年 7 月 17 日)。
57 同書、p.42 まどの自筆のノート「へりくつ 3」(1972 年 8 月 13 日)。
58 波多野完治『子どもの発達心理』国土社 、1991 年 3 月、p.98。
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児を対象として提供される児童文学作品に用いられる常套手段である。しかし、それらの中にまど とユンの童謡が埋没せずに生き残るのは、そこに膨らんでいくファンタジ-と時空間の広さがある からである。
共生
〈いずみの みず〉 (まど 1966)
いずみの みず/いずみの みず/ねずみが のみます
いずみの みずを/いい みずねって のみます// 第 2 連省略 いずみの みず/いずみの みず/みみずは みません
いずみの みずを/いい うたねって ききます
〈ポンポンポン〉 (ユン 1957)
いずみのみずが わきあがる/ポンポンポン。
ひるも よるも/ポンポンポン。
みち ゆく たびびとたち/のど うるおしていってと
がけの いしの われめから/ポンポンポン。 第 2 連省略
ユンは泉という自然現象にも意味を与え、生命体と有機的につながり、共に生きていると感じて いる。「生の喜び」の項でも見たように、まどが〈動物を愛する心〉で「この世の中に存在する全て のものが、みんなそれぞれ尊く、互いに自ら助け合っている」と言ったのと同じ理念である。これ は「万物共生論」ともいうべきものであり、このような発想には人間優越感などは存在しない。子 どもたちの視線は全てのものを自分と同等の立場として見ており、平等の価値観を持つ。〈ポンポン ポン〉の泉は人間に恵みを施す立場にあり、第 4 章の 2.1 の〈よかったなあ〉(p.117)に表れている
「有難いことに植物は動かないで私たち動物を待っていてくれる」というまどの植物に対する有り 難い思いもそれにつながる。まどとユンは、動物を始め自然物を人間と同一関係に置き、全てのも のに存在論的価値観を与えている。そしてそれは宇宙的調和としての存在で、その発見は喜びとな る。まどの上の〈いずみの みず〉はユンのに比べ、いずみの人格化と意図は弱くことば遊びの要 素が強いが、背後には同様な思想が底流としてある。無生物の人格化と意図に関しては、まどの作 品にも、たとえば「一ばん星は もう とうに/あたしを 見つけて まってるのに」〈一ばんぼし〉
や「石ころ けったら/ころころ ころげて/ちょこんと とまって/ぼくを 見た/―もっと けってと いうように」〈石ころ〉などではそれが明確に表現されている。このような、まどとユン の「万物共生論」的発想は現代人の人間中心的価値観を裏返すもので、波多野完治が指摘したよう に子どもと共感し得る世界である。
生活の一コマ
〈こっつんこ〉 (まど 1962 年)
158 おでこと/おでこと/こっつんこ/こっつんこ なみだと/なみだと/ぴっかりこ
ほっぺと/ほっぺと/だんまりこ/だんまりこ めと めは/いつの まにか/にっこにこ
〈へいの かど〉 (ユン 1933 年)
へいの かどを まがりかけて/スナミくんと イプニちゃんが ぶつかった。
こっつん!/おでこの しょうめんしょうとつ なみだが じーいん・・・//
なくと おもったのに ハ ハ ハ。
かおを おおって ハ ハ ハ。
なきっつらに なって ハ ハ ハ。 「イプニ」は可愛いの意
子どもの日常の一コマに対して、まどとユンの一致したカットの仕方が印象深い。他の作品を見 ても、目のつけどころや発想と歌の心が実に似ているものが多く、普通なら子どもでも、大人であ ればなおさら見逃してしまうであろう物事を、まどとユンは新鮮な眼で切り取って童謡に歌い込ん でいる。違いを言うならば、ユンの童謡に描かれる子どものほうがより動的である。ユンの童謡の 特性は、動的で明るく、楽天的、未来志向的などで代表されるが、それはユンの童謡創作の理念と 深く関わっている。ユンは時代や社会理念に支配されない普遍的な本来あるべき子どもの姿を童謡 に描き出した。日本統治下であった時でさえ、「ポンダンポンダン 石を なげよう。/おねえちゃ んに こっそり 石を なげよう。/かわの はもんよ ひろがれ、とおく とおくまで ひろがれ。
/むこうがわに すわって やさいを あらう/おねえちゃんの 手のこうを くすぐってやれ。」
(第 2 連省略)〈ポンダン ポンダン〉(ユン 1932)のような天真爛漫でいたずらっぽい子どもの世界を表現 した。そのために童心・天使主義との批判も受けた。しかし、子どもたちには現実生活の暗闇や陰 にとらわれない彼らの生きる世界があることをユンは感じとり、それを童謡の使命とした。先に見 たまどの「童謡は、児童への、よき遊びの贈り物」と同じ理念である。
途方もない発想
〈一ねんせいに なったら〉 (まど 1966 年)
一ねんせいに なったら/一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな/ひゃくにんで たべたいな
ふじさんのうえで おにぎりを/ぱっくん ぱっくん ぱっくんと 第 1 連
〈まえへ〉 (ユン 1970 年)
まえへ まえへ まえへ まえへ
ちきゅうは まあるいから ずうっと あるいていけば
せかいじゅうの こども みんなに あって もどるだろう。//
159 せかいじゅうの こどもが ハハハハと わらうと そのこえ きこえるだろうね つきのくにまで。
まえへ まえへ まえへ まえへ
上の二つの童謡は常識を超えた世界である。まどは「常識でがんじがらめになっているオトナた ち」59と言ったが、まどとユンは常識に縛られない子どもの世界を知っており、二人はその世界を 自由に遊んでいる。まどの〈一ねんせいに なったら〉の第2連、第3連は、「ひゃくにんで かけた いな/にっぽんじゅうを ひとまわり」「ひゃくにんで わらいたい/せかいじゅうを ふるわせて」
と途方もない。ユンの〈ゆきころがし〉(1939)も「ゆきを かためて ころがせ。/ごろごろ こ ろがせ。/みんな でてきて ころがせ。/ちきゅうを ひとまわり まわれ。」などと常識を超越 している。このような汎地球的とでも言える発想は国を越えて子どもたちが共感し得るものである。
ユンは1978年にラモン・マッサイサイ賞を受賞した祭、その受賞所感で「童心」について次のよう に語っている。
「本当に国境のないのが童心と知っています。童心というのは何でしょうか。人間の本心です。
人間の良心です。時間と空間を超越して動物や木石とも自由自在に話をやり取りし、情を交わ すことができるのが、すなわち童心です。」60
このユンの「童心」は人間の原初的な心で.........
、まどが「子どもは本来保持していたきらめきを大人 になるに従って失っていく」との思いで、それを守りたいと願った心と同じである。まどもユンも 子どもに解放された自由を与えたいと願っている。「常識を超えた非常識.........
、常識をひっくり返す.........
こと は詩に似ている」61というまどの晩年のことばもあるが、まどとユンのそのような遊びの心....
は子ど もの心を包み、そして時代と国を越えて飛翔する。そして、まどとユンの子どもを愛する想いは、
大人の理念と観念の領域に属さない子どもの心の解放........
と、良き贈り物.....
としての童謡を数多く子ども たちに与え、それらの童謡は大人をも共感させ、時代をも越える国際性を持つ。