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まど・みちおの詩におけるオノマトペ

第 3 章 まど・みちおの認識と表現世界

第2節 詩と童謡におけるオノマトペ表現

3. まど・みちおの詩におけるオノマトペ

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「日常的実用的言語認識を超えようとする造型的創造的次元」33であると文学的オノマトペ用法を 定義している。まどのオノマトペ用法を概観すると、独自の創造的オノマトペ34と思えるものは繰 り返しも入れて約 250 語で、全体の約 13%ある。その詩と童謡の割合を見ると、まどの創造的オノ マトペ35 は童謡が詩の 4 倍ほども多く現れている。詩のオノマトペが日常的実用的言語認識を超え ようとする造型的創造的次元の表現であるならば、詩人としてのまどの詩にもそのような「創造的、

象徴的用法」がもう少しあっても不思議はないように思える。まどの詩のオノマトペの全体的な数 が童謡に比べて少ないことに加え、創造的なものはより以上に少ない理由はどこにあるのだろうか。

以下、まどの詩と童謡におけるオノマトペについての考察を進めたい。

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と思いますが、白秋の批評に「表現が自在である」とあったのが嬉しくて今も覚えています。36 写真 10

まどの音に対する思いを示す逸話である。左の写真は『綴り方倶楽 部』(第 4 巻 10 号 p.137)に載った白秋の〈ジヤンク船〉の選評である。

もう一つはオノマトペの改作の例〈朝日に〉である。第 1 節 3.2 ま どの映像的詩の類型の最初にそれを示した。この詩は『昆虫列車』第 2 輯37に掲載の改作で、誤って前号に原作を登載したとまどは記してい る。第 3 輯に訂正作品を掲載した。38 そして、さらに『全詩集』では オノマトペが変更され、その新訂版で句読点を取っている。下に最初 の第 2 輯の原作を示し、次に前節でも引用した第 3 輯の改作を示す。

朝日に 鳴いた/猫の 口、/湯気を 残して 閉ぢました。//

朝日に 白く/咲いた湯気、/ヒゲを 残して 消えました。//

朝日に 鳴いた/その小猫、/お椽えん 残して 逃げました。

『昆虫列車』第 2 輯

朝日に 鳴いた/猫の 口、/湯気を 残して/リヤン、/閉ぢた。//

朝日に 咲いた/白い 湯気、/おヒゲ 残して/ヒユン、/消えた。//

朝日に 鳴いた/猫の 顔、/朝日 残して/プイ、/逃げた。

『昆虫列車』第 3 輯

初出では擬態語が無く、改稿でオノマトペを使用し「だ体」となった。さらに『全詩集』ではオ ノマトペ「リヤン、ヒユン、プイ、」が「ムン、ユン、プイ、」と変更された。最初の「ます体」は 自分という存在の在り方を香らせる文体であるが、「だ体」となりオノマトペが入ることによって、

表現から作者は消えて、完全な実写の感じになる。「リヤン→ムン、ヒユン→ユン」の変更はまどの 感覚の世界である。

この〈ジヤンク船〉と〈朝日に〉の二例にまどのオノマトペ創作過程が垣間見られる。かなりの 熱意とこだわりがあったことが想像できるが、それ以外の創造的と言えるものは台湾時代では、台 湾語:「アンニア、アンニア、アイクンラア。」、祭りの擬音:「 チャーイヌ コッコ」、その他:「ぴ ろっ ぴろっ」「チンキ」「リンコロ」「ぴんひょろ」「チピン」があるのみである。

では、戦後の詩における創造的オノマトペはどうであろうか。

一つは短詩〈ハト〉である。「ハト ハト/ハト ハト/はおとで じぶんを/よぶ しくみ」。

36 まど・みちお「処女作の頃」『KAWADE 夢ムック[文芸別冊]まど・みちお』河出書房新社、2000 年 11 月、再録、

p.58。 初出『びわの実学校』97 号、びわのみ文庫、1980 年 1 月)。

37『昆虫列車』第二輯、昆虫列車本部、1937 年 4 月、p.7。

38『昆虫列車』第三輯、1937 年 6 月、p.15 それには次のような断り書きがある。「前輯の拙作〝朝日に〟は、改作 してありましたのを、誤って原作を登載したのでした。左に改作を記しておきます。」

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ハトの飛ぶ羽音を名前をもじってオノマトペとしている。39 「ハト ハト」は創造的なオノマトペ であるには違いないが、小嶋の文学的象徴的用法というよりは日常的実用的言語認識を超える短詩 的面白さが勝っている。これはまどの一つの技法であって、詩には他に「キリン、カニ、ちゃわん、

げた」に関すものがある。

もう一つはことばの意味をオノマトペに重ねた例で、これも一般的なオノマトペ用法ではなく、

技法としてのまどの創造性が加味されたものである。

〈セミ〉

土の中から けさ でてきて もう セミが うたえている

ならったことも ない きいたことも ない

とおい そせんの日の うたを とおい そせんの日の ふしで

たいよう ばんざい ざいざいざい

たいよう ばんざい ざいざいざい 前半部

セミの擬声語としての「ざいざいざい」は小嶋の読者の表象に訴えて作者自身の心象の顫律まで も奏でるものだと思うが、「たいよう ばんざい」という意味が吹き込まれており、まどが託した思 いと叫びが生き物と自然の壮大な循環の讃美として「ざいざいざい」は響く。これはまどが幼年期 に抱いた世界である。まどは思い出の中で言っている。「セミは、何年間も地の底で幼虫というもの をやってから、セミになって鳴くんですからね。私に「夏が来ましたよ」と教えてくれるような気 がしていました。」40

その他、詩の創造的オノマトペとして、「ほ― ろろろ ち― ろろ」は海を歌った貝のふえの音、

「くるるる ぴっち」はジュウシマツが粟の皮をむく様子で、擬音というより擬態の感じのものであ る。「あーたん てんきん なありんぼ」〈サクランボ〉はすべての物の概念を取り払った音色そのもの をまどは創出した象徴的オノマトペである。また、創造的オノマトペの一種である社会習慣的用法 から逸脱した用法に、シソの実を揚げる擬音としての「ぴりぴり」〈てんぷら ぴりぴり〉がある。

以上、まどの詩における創造的オノマトペを見た。それでは、まどの詩の中で創造的オノマトペ

39 小野正弘は独創的な萩原朔太郎のオノマトペの一例として、蝶類が群がって飛ぶオノマトペ「てふ てふ て ふ・・・」(小野正弘 前掲書、p.139)を挙げている。まどの「ハト ハト」が擬音語なのに対して、これは擬 態語である。

40 まど・みちお『百歳日記』、p.51。

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ではない「社会習慣的な用法」のオノマトペのいくつかの例も見てみよう。

擬音語

ことり、ぽとり、ひそひそ、グウグウグウ、ドカン、ピヨピヨ、がやがや、ちゃぽちゃぽ、げ らげら、くすくす、ワーン、ぴーひゃら、ぺちゃぺちゃ、等

擬態語

きらきら、すいすい、ぐるぐる、くっきり、ふわふわ、ころころ、うっすら、ひょろひょろ、

こちこち、ぞろぞろ、ゆっくり、ぺろん、そうっと、ひっそり、そそくさ、ふと、しゃんと、

ぴらぴら、とぼとぼ、つるつる、等

これらは一部にすぎないが、擬音語よりも擬態語が多いのが特徴である。そして擬態語の中で、

「ふと、ひっそり、とぼとぼ、よぼよぼ、しげしげ、しみじみ、ぎょっ、ゆったり、うっかり、う っとり、しょんぼり、きちんと、ちゃんと、ぴったり、ぼうっ」などは、何らかの心理的要素が含 まれた語で、「ふと」以外は価値判断のある評価語と言えるものである。これらは童謡として、「自 分の中のみんな」と一緒には歌いにくい世界であり、実際に童謡には少ない。この中で一番顕著な のは「ふと」で、全作品の中で童謡は一例だけである。後の 16 例は詩に使われている。それらは「気 がつく、手にする、見上げる、思う、聞く、目をそらす」などの自分の思いや行動との関連性をも って使われる。唯一の童謡〈ゆきが ふる〉も雪が降る中で一人立つ自分は空へと昇っていくという 錯覚をおぼえ、「・・・ふと きがつくと ゆきが ふる」という用いられ方である。これは自分一 人の世界で、作曲はされているが詩に近い作品である。その傾向はオノマトペ以外にも、私という 主語が表現上現れたり、または背後にあったりという文体的特徴としてあり、その結果として「の だ」という判断表現や疑問表現が見られる。表記も漢字交じりになり、分かち書きも少なくなって 思いの世界に近付いている。