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まど・みちおにとっての童謡と曲

第 2 章 まど・みちおの歩みと詩作 ――戦後

第3節 童謡から詩への推移

4. まど・みちおにとっての童謡と曲

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機とし、年齢の問題も介在して童謡から詩へ傾斜させていった。」59

この佐藤の論述は詩と童謡を考える上で深い示唆を与える。谷はまどに次のような問いかけをし た。「まど先生の原点は童謡にあって特に「ぞうさん」にあるみたいな言われ方なのですが。私はむ しろ、原点は童謡よりも詩そのものだという感じがします。そもそもが詩であって、たまたま童謡 も書き得たみたいな気がするのですが。」60 それに対して、まどは「私もそう思う」と答えている。

まどにとって童謡とはどういうものであろうか。たまたま童謡を書いたのであろうか。第 5 章で引 用するが、まどは自分が詩と名づける詩の世界は大人語ではとても構築できないことが多いから子. ども語...

で書くと言っている。61 このことは童謡詩人と見られていた時の童謡創作も本来的詩人とし ての詩作に近いものではあっても、童謡とは切り離せない何かが内に秘められていたということを 暗示しているように思える。

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・・・ところでツマラヌ童謡は、今でもツマラナクナイ童謡を上回って出回ってはいないでし ょうか。ここでいう童謡とは曲ではなくて歌詞の方のことですが、ツマラヌ童謡とはその歌詞が 精神の高度の燃焼による所産とはいいがたい作、つまり詩ではない童謡のことです。

自分で実作してみて思いあたるのは、歌詞が多少とも詩にちかづいたような作は案外ジャーナ リズムの担当者や作曲家が喜んでくれず、逆に常識になり下がった失敗作が往々にして佳作とし て歓迎され、すばらしい作曲をされてしまうことです。63

童謡曲集『ぞうさん まど・みちお 子どもの歌 100 曲集』の「はじめに」の中で、昔のいわゆ るレコード童謡をツマラヌ童謡と言った上で述べたことばである。まどの厳しいことばは、童謡に 対する基準の高さから自分に対しても他人に対しても個人の名前こそ挙げないが手厳しい。この 1963(昭 38)年のことばは、まどが童謡をもっとも精力的に創作していた時期のものである。

以上、まどのことばから童謡が創られ子どもに歌われるという現実のあり方に対して、まどは時 の経過とともにある意味での悟りを感じるようになっていったことが窺える。佐藤通雅の鋭い指摘 と共に、曲に対する諦念も歌うという童謡からまどを遠ざけていった一つの要因となった。まどは 作曲家もジャーナリズムの人々も童謡の良し悪しを識別する力がないという厳しい評価もしたが、

一方、「もともと作曲するための童謡には、あやふやなことがつきまとっていた。作曲家のことは考 えずに、詩人は自分勝手に詩を書けばいいんだ。」とも言っている。まどの童謡はことばの音おんと表 現世界が重要であった。「詩の意味についても、厳密に言えば、もはや作曲家の支配に属する」と まで言うまどの気持は、曲がつけばもはやまどの詩の意味を十分表わし得ないということである。

まど自身は自分の作品をどう捉えられていただろうか。『ぞうさん まど・みちお 子どもの歌 100 曲集』(以下『100 曲集』)についての気持ちを次のように述べている。

国土社の詩の本64は、あれは童謡集みたいなもので、私の場合はフレーベル館から出ている

『ぞうさん』という曲集をもとにして編んだんです。そしてその曲集はいくらかでも広く歌わ れている歌をということで編んだのです。自分が詩としていいと思って選んだわけではないん です。そのためかあれを見ると、あれに入れなかった作品の中に却っていいのが残っているよ うな気がしてならないのです。つまり、逃した魚は大きいみたいな感じがいつもあってね。65

このまどのことばを手がかりにすれば、『100 曲集』にもあって国土社の『ぞうさん』にも載せた ものはまどの作品としてのお墨付きの童謡ということになる。また、『100 曲集』になかったものは 逃した大魚ということになり、どちらにしても国土社の『ぞうさん』はまどの童謡観を探る上で重 要なものである。そして曲集とはせずに、詩としての童謡を主張している。いくつか作曲されてい

63 まど・みちお『ぞうさん まど・みちお 子どもの歌 100 曲集』フレーベル館、1963 年。

64 まど・みちお 『ぞうさん』 国土社、1975 年 11 月。

65 谷悦子『まど・みちお 研究と資料』、p.202。

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ないものも載せている。これは多少なりともまどが作曲者や童謡に関わる大人たちへの自分の童謡 はこのような世界なのだというメッセージでもあろう。

最後に『100 曲集』にはなく、国土社の『ぞうさん』に入れられた「一ばん星」(曲はない)を挙 げたい。初出は詩集『てんぷら ぴりぴり』で、童謡集の『ぞうさん』に載った。まどにとっての詩 と童謡の近さを示している例と言えよう。

広い 広い 空の なか 一ばん星は どこかしら

一ばん星は もう とうに あたしを 見つけて まってるのに

一ばん星の まつげは もう あたしの ほほに さわるのに

広い 広い 空の なか

一ばん星は どこかしら

『てんぷら ぴりぴり』

まどの童謡の神髄は魂の震えである。そして、その震えは子どもの中にこそあるとまどは感じ取 っている。幼年の日の日暮れの空に探しあぐねた一ばん星を見つけた時の感激をまどは忘れない。

3.5 『まど・みちお全詩集』発刊後

『全詩集』の発刊は 1992(平 4)年 9 月であった。〈鳥愁〉の例で見たように、まどはその際原作に かなり手を入れた。80 歳を越えての改稿は大変なことである。『全詩集』所収の最後の作が 1989(昭 63)年でその数年前は創作数が少ない。最初の詩集『てんぷら ぴりぴり』以降『全詩集』発刊まで 10 冊の詩集を出し、旺盛な創作を続けていたまどであるが、『全詩集』発刊の際に 300 編66近い作 品に何らかの改稿をしたのであるから、その間創作数は当然減少する。まどは 1994(平 6)年 10 月の 増補新装版の際にもまた 200 編に再度手を入れ、2001(平 13)年 5 月の新訂版でも 50 編を直している そうである。67 まどの推敲癖は尋常ではない。「ふつう全集には、その時代時代に書いたものをそ のまま入れるのが当然だし、直したら意味がないのはわかっているんだけど、直さずにはおられま せんでした。」68とまどは述懐している。

66『全詩集』索引における改稿の表示による。

67 まど・みちお『いわずにおれない』集英社、2010 年 3 月、p.174 。

68 まど・みちお『いわずにおれない』、p.173。

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『全詩集』発刊後も詩集は 13 冊を数える。最後の詩集『のぼりくだりの・・・』『逃げの一手』

はまど 100 歳の 2009(平 21)年の刊行である。その 13 冊の作品数は 450 編を越える。この推敲癖と 最晩年までの創作意欲は次のまど 65 歳のときの〈いわずに おれなくなる〉が物語っている。

いわずに おれなくなる ことばでしか いえないからだ

いわずに おれなくなる

ことばでは いいきれないからだ

いわずに おれなくなる

ひとりでは 生きられないからだ

いわずに おれなくなる

ひとりでしか 生きられないからだ

『まど・みちお詩集5 ことばのうた』

まどが心に感じる世界はなかなかことばでは表現しきれない。しかし、言わずにはおれない。そ れには限られたことばでしか言えないもどかしさが付きまとう。一つの詩に推敲を重ねる。また、

一つのテーマや題材を限りなく追い求める。蚊を題材とした詩は驚くほど多い。タイトルに出てく るものだけでも『全詩集』で 5 編、後の詩集で 16 編もある。[吁 この柩やうに静かな頁に/をし 花とも見える音のない蚊だ](〈ノートに挟まれて死んだ蚊〉終わり部分。『動物文学』第 9 輯 1935 年)が蚊に 関する最初の作品で、このモチーフは何度か繰り返される。晩年になるに従って題材は限られ、詩 も短くウィットを帯びてくるが、幼少の時に心に抱いた心の世界は晩年になっても甦る。テレビで 見たツルが空を見あげているのを見た時に、まどは涙が出そうになった。恐らくまどが 80 歳を越え た時の作品であろう。「ぼくがツルで そこに立って/ひとり/空を/見あげているのかと・・・」

(〈ツル〉の終半部『それから…』1994 年)は徳山の田んぼで一人でいる時に見たツルが重なっている。

『文芸台湾』に載せた〈鶴の雑記帳〉も童謡の〈かたあし つるさん〉もそうである。小さな命に対 する感動や畏怖の念、幼少時の孤独な世界、花の美しさや自然の深遠、ものの存在と不思議と面白 さ、その中にあって、ひとりでは生きられない...........

自己を感じ、またひとりでしか生きられない............

自己を まどは知っている。アイデンティティも共生観もそこから生まれる。ことばではいいきれない...........

心の 世界をまどは自分の詩の世界として詩作の歩みを進めた。