第 5 章 まど・みちおの詩と童謡
第2節 ユン・ソクチュンの童謡との対照
1. 童謡詩人としてのまど・みちおとユン・ソクチュン
2.1-1 童謡詩人としてのまど・みちお
童謡詩人という言い方はもっぱら童謡を創る詩人である。北原白秋を詩人とは言っても童謡詩人 とは言わないことを見ればそのニュアンスは分かる。まど自身の意識も台湾時代は前節で示したよ うに童謡詩人としての意識があった。しかし、その当時の意識は戦後の「出版社勤務時代・童謡中 心時代」の童謡創作に追われていた時の意識とは異なっていたであろう。
童謡詩人としてのまどの位置を知る目安に、『日本童謡唱歌大系第Ⅳ巻』47にある作詞者索引の作 者別作品数を見てみたい。はやりすたりの激しい童謡の短期的な見方ではなく、ある程度の時間も 経、詩と曲の分かる専門家が多くの童謡と唱歌を対象に監修したこの本は、一定の判断を示してい ると思える。対象とされた童謡・唱歌数は 1077 編で、選ばれた作品の作詞者数は 316 人である。一 人平均 3.4 作品が選ばれている中で、阪田寛夫とまど・みちおの作品数は群を抜いている。作品数 の多い順にあげると次のような結果である。
46『昆虫列車』第 3 輯、P.10-11。本論 P.145 で引用。
47 藤田圭雄、中田喜直、阪田寛夫、湯山昭監修『日本童謡唱歌大系第Ⅳ巻』東京書籍、1997 年 11 月、p.332-334。
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阪田寛夫 68、まど・みちお 60、サトウハチロー37、こわせ・たまみ 35、小林純一 33、北原白秋 32、佐藤義美 31、武鹿悦子 27、関根栄一 25、野口雨情 23、香山美子 23、中村千栄子 19、鶴見正 夫 18、藤田圭雄 16、宮沢章二 15、谷川俊太郎 13、…中略… 西條八十 9、与田凖一 6、他。
阪田寛夫とまど・みちおの多さと西條八十と与田凖一の少なさが目立つ。阪田は〈サッちゃん〉
〈おなかのへるうた〉など子どもの本音を子どもの現実的言語表現で歌っており、その数が 68 編と いう評価は頷ける。それではもう一方の双璧であるまどの童謡の評価はどこにあるのであろうか。
一言での結論は難しいが、前節「まど・みちおの童謡論」やこれからの考察でそれを裏付けるもの が感じ取れると思う。
ここで童謡の評価という表現を用いたが、実は童謡の場合それには難しい問題が潜んでいる。第 一は童謡は詩だけではなく、曲の良し悪しが大きく左右する点である。ユン・ソクチュンも「もし 私の童謡が長く続くならば、それは曲調の力であり、聴いて良いように上手に歌ってくれた子ども の皆さんのおかげです」48 と言い、童謡においての曲の重要性を示唆している。実にユンの多くの 童謡は一流の作曲家によるものであることも見逃せない。第二に作品の享受者が子どもである点で ある。歌う行為は即時的に全身的な反応で表れ、またマスコミや保育現場などでの童謡の提供媒体 からの影響を受けやすいので客観的な総合評価は難しい。
以上のような童謡に対する評価の難しさはあるものの、『日本童謡唱歌大系』における編集者の作 品選択意識には、第二の童謡を歌う子ども側からの反応、ある意味での子どもからの評価も自然に 加味されていると推測される。それは時代を越えて子どもに歌い継がれる童謡の特性を暗示し、ま どの 60 編という作品数の重要性を示す。歌い継がれるという点では、伝承童謡・わらべ唄がその本 質を最も表しているが、大人である詩人が子どものために創った童謡も歌い継がれれば、そこには 共通した特質があるはずである。何世代も歌い継がれるということに関連して、ユンのことも付け 加えておきたい。
民族音楽学者の小泉文夫は谷川俊太郎の「日本以外の国でこれほど子供の歌を新しくつくること に熱心な国というのはあるんでしょうか。」という質問に対して次のように答えている。
いまだないですね。子供の歌はどこの国でもつくられていますけれども、しかし、日本のよ うに運動としてちゃんと一流の詩人が、またその専門の作曲家が必死になってたくさんつくっ て、しかもそれがレコードでどんどん売れてゆく状況は世界でも珍しい。49
しかし、小泉は韓国を見落としている。50 小泉が初めて韓国を調査したのは、この谷川との対談
48 ユン・ソクチュン『子どもと一生』ボンヤン出版部、1985 年、p.244。
49 小泉文夫『音楽の根源にあるもの』平凡社、1994 年 6 月、p.311。 引用した谷川俊太郎との対談の初出は「音楽・
言葉・共同体」『あんさんぶる』1975 年 7 月-9 月。
50 日韓の間で戦後文化交流の途絶えた時期が長かったためか韓国の童謡については日本であまり知られていない。
畑中圭一も童謡について、「こうした児童文芸は他の国にはほとんど例を見ないものである。世界に誇れるわが国 独自の児童文化だと言ってよい。」と述べている。(『文芸としての童謡 ――童謡の歩みを考える――』世界思想
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があった 1975 年の 3 年ほど前と思われるが、51 この時点で韓国の童謡については詳しくなかった ことが推測される。韓国は日本と同様に非常に童謡の盛んな国であり、52 その最も代表的な詩人が ユン・ソクチュンである。ユンの童謡は 1920 年代から現在に至るまで韓国の子どもたちに親しま れ歌い継がれている。
2.1-2 ユン・ソクチュンの童謡創作の歩み まず、ユンの背景について少し見ておこう。
ユンは 1911(明 44)年ソウルに生まれ、2 歳のときに母を亡くし祖母に育てられた。国の喪失とそ の状況下で社会・労働運動に専念する父や兄弟を失う悲しみの中でユンは文学に目覚めた。ユンが 詩に興味を持ったのは 10 歳の時で、1924(大 13)年 13 歳の時に童謡〈春〉が児童雑誌『新少年』に 入選し、創作活動を始めた。1932(昭 7)年 21 歳で、童謡集『ユン・ソクチュン童謡集』を出し、そ の頃は既に童謡作家としての立場を確立していた。1939(昭 14)年に東京の上智大学に入学し、1941(昭 16)年に新聞学科を卒業した。
韓国の創作童謡の出発は日本支配という暗く難しい時代であって、初期のパン・ジョンファンら の第一世代の児童文学者たちの童謡は悲しいものが多かった。第二世代の出現がユンらの若手作家 で、彼らは「少年文芸家」と呼ばれ、自分たちの楽しみとして児童文学に親しんだ青少年であった。
ユンはその代表格であり、天才的童謡作家として脚光を浴びた。「ユン・ソクチュン式の童謡文体」
と言われるほどの、それまでにない、はつらつとした言語感覚は当時の子どもに大いに歓迎され愛 された。当時の童謡を支配していた 7・5 調からも脱皮し、韓国本来の韻律に根ざしたリズムをユン は自分のものとしていった。内容的にも「ため息と悲しみを童謡から追い出そう!子どもの私は決 心した。」と自叙伝53で述べているように、「寂しい彼らの心を喜ばせよう!希望を失わせないよう にしよう!」という明確な童謡観を確立した。
ユンの童謡は歴史や社会理念に支配されない普遍的子どもを描き楽天性をもっていたため、子ど もの現実を直視しない童心・天使主義作家と酷評を受けたこともあったが、一生それは変わること なく初志を貫いた。一生を子どものための文学・文化運動に捧げ、「韓国の童謡の父」と称されて 2003 年 12 月 9 日に 92 歳の生涯を閉じた。韓国の児童文学 100 年の歴史はユンを抜きにしては語れ ない。
ユンは主に童謡・童詩集 24 巻(1932~87 年)、童話集 5 巻(1977〜85 年)、回顧録 2 巻(1985 年)を 発刊した。これは『ユン・ソクチュン全集 30 巻』にまとめられている。この後も童詩・童謡集 4 巻(1990〜99 年)をはじめ、90 歳記念創作文集1巻(2000 年)を残した。童謡曲集は主に『ユン・ソ
社、1997.3、 p.ⅰ)
51 同書所収の小泉の「三分割リズムと生活基盤」は韓国のリズム研究のために初めて韓国を調査した時の報告であ る。その初出は 1973 年 3 月刊の『ユリイカ』であった。
52 韓国の創作童謡は日本に留学したパン・ジョンファンが興した児童文化運動の流れの中に位置づけられるが、そ の当時、日本の童謡だけを歌う子どもたちの将来を心配したパンの呼び掛けで始まった。そこには著名な詩人や 一流の作曲家たちが加わり、児童文化運動の一つとして展開され、今日まで至っている。
53 ユン・ソクチュン『子どもと一生』ボンヤン出版部、1985 年。
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クチュン童謡 100 曲集』(1954 年)、『ユン・ソクチュン童謡 525 曲集』(1980 年)にまとめられている。
1300 余編の童謡の内、800 余編に曲が付いている。