第 3 章 まど・みちおの認識と表現世界
第3節 まど・みちおの感覚と認識世界
4. 時空間認識
3.4-1 物が占める空間
物の存在の基本的なことは物が存在すればその物はある空間を占め、その空間に他のものは存在 し得ないことである。まどの作品ではリンゴやコップなどの個体が主題となるが、それを取り巻く 気体と液体として空気と水はまどの詩作の中では重要である。また、まどの空間認識の背後には空 間占有には関わらない地球の引力の思想がある。
〈リンゴ〉
リンゴを ひとつ/ここに おくと
リンゴの/この 大きさは この リンゴだけで/いっぱいだ
リンゴが ひとつ/ここに ある ほかには/なんにも ない
ああ ここで/あることと/ないことが まぶしいように/ぴったりだ
「この 大きさ」というのはリンゴの占めている空間そのものを指している。この詩の場合空気 の存在を意識に入れないとすれば、それはリンゴの形のままくりぬかれた無の空間である。このよ うな空間意識は普通はしない。そしてその無の空間に改めてリンゴが満ちていること、リンゴ以外 にはないことに気づく。その空間にはめ込まれたリンゴの形は、完全無欠のパズルのように無の空
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間と一致するとまどは驚嘆する。くりぬかれた空間のより明確なイメージは次の詩に表れている。56
〈スイカの たね〉
ひとつぶの スイカの たね
だれの じゃまにも ならないように うちゅうを
こんなに 小さく くりぬいて
ここに おらせて もらっている 前半
この詩ではスイカの赤い果肉をたねの存在する空間として宇宙と表現している。くりぬかれる空 間とたねは視覚的にその存在をよりはっきりと示す。個体とも言えるスイカの果肉は空気以上にく りぬかれるイメージが強く、「じゃまにも ならないように」「おらせて もらっている」という人 格化と存在の恵みの視点を引き出している。存在する物の周りが流動的な空気の場合は、空気に物 をいとおしむ心を与えて、「自分は よけて/その物をそのままそっと包んでいる/自分の形は な くして/その物の形に なって…/(中間部)」〈空気〉というように、まどには包む物と包まれる物 の融合の志向がある。
また、包むという意識に関連して、まどには特殊な空間認識の例がある。
〈コップ〉
コップの中に 水がある そして 外には 世界中が
コップは世界中に包まれていて 自分は 水を包んでいる 自分の はだで じかに
けれども よく見ると
コップのはだは ふちをとおって 内側と外側とが一まいにつづいている
56 まど・みちお〈ぼくが ここに〉『ぼくが ここに』童話屋、1993 年 1 月、p.130。この詩でも、まどは自分自身 を主語とした空間占有の原理を言い、それがまもりであり、いることこそがすばらしいと繰り返している。
103 コップは思っているのではないだろうか 自分を包む世界中を
自分もまた包んでいるのだと その一まいの はだで 水ごと すっぽりと
コップが ここに坐って
えいえんに坐っているかのように
こんなに静かなのは…
まどの〈コップ〉は存在主体として包んで、坐って、思っているコップである。世界に包まれて いることを感じ、水を包んでいることを感じ、自分の身に肌を感じるコップである。コップの材質 を仮にガラスとすると、コップを形成するガラスの表面に肌という一枚の面を想定すれば、ガラス 材質の内なる空間と外なる空間に二分される。意識を反転すれば、ガラス材質の自分の体は水をも 含みながら外の空間を包んでいることになる。これはトポロジー的発想の空間認識である。
3.4-2 自己を含む時空間認識
空間意識は視覚に最も依存するが、暗闇での体験でも分かるように、地面に立つ感覚や水平感覚、
また周りからの風などの肌触り、さらに音、匂いなど総合的なものである。まどの時空間認識の奥 に潜むのは 3.2-1「静けさ」で述べたまどの幼少時体験の「あたりがしーんとしていた感じ」であ る。 ひとり寂しくレンゲの田にいて、自分を取り巻く空間と過ぎ去る時間はより強く意識化された。
時の流れを一瞬一瞬の無限の積み重ねと感じる〈鳥愁〉や〈私たちは〉(『でんでん虫のはがき』)の感 覚はこの幼い時の体験からきているであろう。「空で鳴いているヒバリと、ひとりぼっちでそこにい る自分と、台湾の両親とが、見えない大きな三角形をつくっているような、そんな感じもありまし た。」57 ともまどは言う。第 2 章 2 節のアイデンティティで触れた〈逃凧〉と同じモチーフをまど は晩年になっても繰り返している。これらのキーワードは「遠い」である。「糸のありったけを の ばすと/凧は とおく/切手に なって//父や母を はなれて/今 ここで/こんなに ぽつん と/ひとりぼっちでいる ぼくを」〈凧〉
このような子どもの時の寂しさを基調とする時空間認識は晩年になっても消えない。一方、大人 となって新たな時空間意識も生まれた。それは一種の安らぎを基調としている。その基となってい る一つは、めぐりめぐるという循環性...
である。前項「触覚の世界」②〈梢〉などの水の循環がその 一例である。二つ目は、すべてを包み込む永遠性を持った上なるもの............
の存在意識である。それは「は るかな母」〈山〉、「宇宙の父」〈落ち葉〉、「神さま」〈ブドウのつゆ〉などである。三つ目は、帰るべきふ るさととしてまどに安定感を与えている地球の中心への引力.........
である。四つ目は、アイデンティティ........
57「まど・みちおの心を旅する」『月刊 MOE』9 月号、白泉社、1993 年 9 月、p.80。
104 と共生..
である。〈動物を愛する心〉からそれは変わらないものであるが、まどは自分自身のアイデン ティティの模索を経て、第 2 章 2 節で挙げたアイデンティティの一要素、「自分を良しとする自己肯 定感」を獲得した。そして、「他者との関わりにおいて自分の存在意味の自覚」を深めた。まどの場 合、その「他者」は動植物や存在物として語られることが多い。これら四つは時空間認識の枠を越 えていると感じる面もあるが、基本的には、その延長上にある。キリスト教の神のように、魂の救 いに至る契約を結ぶ相手として神格(ペルソナ)を持った上なるものではない。もっと漠とした自 分を温かく包み込む場の延長としての上なるもの....................
である。
〈太陽の光のなかで〉
みんな 安心しきっています 太陽の あたたかい光のなかで じぶんが じぶんで あることに
ウサギでも 小川でも タンポポでも アメンボウでも 雲でも
ツバメでも にんげんでも イチョウの木でも
おかあさんの おなかの中にいる あかちゃんのように…
引力のヘソノオに
しっかりと つかまえてもらって…
ヘソノオから きこえてくる 神さまの子もりうたに みんな みんな うっとりと
どんなに すばらしい明日あ し たが
待っていてくれるのかも知らないで…
『まど・みちお詩集⑥ 宇宙のうた』
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次にまどの時空間意識・存在意識を解く鍵となるまどのことばを引用したい。まどは幼年のころ、
ある店で薬の外箱に印刷された髭もじゃの鐘軌が一人で立っている絵姿を見た。その鐘軌がまた薬 品箱を手にしており、それにも小さな鐘軌が描かれ、薬品箱を手に遠近法のゼロへ向かって無限に 小さくなっていく鐘軌の列がまどには見えた。その時まどは世界中がしーんとしてくるような、胸 が痛くなるような痺れ..
を感じた。それをまどは「遠近法の詩」と言う。
私たちの視覚はこの地球上で、「遠いものは小さく見える」という宇宙の法則に支配されて いますが、私はこれらの視覚的な詩を、極端な言い方かも知れませんが「遠近法の詩」と言える のではないかと考えます。夕焼の地平線へ向かって遠近法で並ぶ電信柱の列を見た時に、顫え..
を覚えずにはいられないのが人間の心のように思うのです。感じ方の強さ弱さに個人差はあり ましょうが、それは大人でも子どもでもです。
いや子どもの時に「遠近法の詩」に「痺れた」経験があるからこそ、感受性の鈍った大人に なってからも、それへのさまざまな発展的感応.....
が可能なのではないかと思います。
私は幼年のころ、肉眼でやっと見えるくらいの小さなもの、かすかなものを見るのが好きで した。そういうものを見つけては、顔をすりよせる.......
ようにして、そのものと一緒に息をする.......
よ うにして、じーんとなったような塩梅で見とれていたものです。(中略)
そんな時の私は、そんな小さなかすかなものへ向かって、自分という大きな確かなものから、
遠近法的に、おさえがたく同化意識....
のようなものを働かせていたのではなかったかと思うから です。勿論無意識的にです。58(傍点 張)
まどは自分の思索の原風景はほとんど幼少時の体験だと言った。それがあるから大人になって発. 展的感応....
をし、それを詩にすることができるとまどは感じている。幼少時の寂しさから何かに近付 きたい、一緒にいて生きていることを実感したい、そのような気持ちが顔をすりよせる.......
、同化意識....
となっていく。それは時空間における孤独から逃れたい願望である。「さわる」という触覚、「一方 通行ではない視線」を求めるのも同じである。同化意識....
については少し「映像的表現」で触れた。
「一緒に息をする」もまどの作品には時々現れる。それは存在物との共存意識である。動物だけで なくまどは無生物とも一緒に息をする。
〈つぼ・Ⅰ〉
つぼを 見ていると しらぬまに
つぼの ぶんまで
いきを している
58 まど・みちお「遠近法の詩」『ことば・詩・こども』責任編集谷川俊太郎、世界思想社、1979 年 4 月、P.191-192。
『KAWADE 夢ムック[文芸別冊]まど・みちお』、 p.61-62、再録。