第 2 章 リスク社会論
2.2 リスクをめぐる多様な見解と主張
2.2.3 科学という知が生み出すリスク
(1) ベックのリスク解釈―空間と時間を超えて共有される不可逆的な脅威
ベックによれば、近代以前の伝統社会においては、地域間の争いや領土間の戦争、洪水 や干ばつ、嵐などの自然災害、家族員の死などは、神や自然のなせる業であり、人間の力 ではどうすることもできない運命として受け取られ、個々人が責任を問われるようなもの ではなかった(Beck1986=1998:268)。産業社会が成立して、列車や飛行機の事故、増 え続ける自動車や工場からの排ガスによる水または空気の汚染が発生するが、これらはい ずれも特定の場所に一定の時間継続するもので、いわば限定的で局所的な脅威であり
(Beck 1999=2014:2,56; 長島2014:3812)、人間の視覚、臭覚、感覚に訴える知覚可能 なものであった(Beck 1986=1998::27)。
しかし、ベックが第二の近代になって加わるとするリスクは、生産力の発達の最先端で 生じ、人間が直接的に知覚することが不可能なものであるため(Beck 1986=1998:28-29)、 科学的な知覚器官として機能する科学の知を必要とする(Beck 1986=1998:35-36)。この 科学という知が生み出したリスクを、科学という知をもってしか知覚できないということ が、ベックのリスク社会、すなわち再帰的近代の特質であり、科学が社会全体に対して大 きな権限を持つようになる状態を、ベックは「サブ政治」という概念により説明している。
さらに、第二の近代におけるリスクは、時間がたてば消滅するものでも、ある一定の地域 だけに限られるものでもなく、人間、動物、植物に対して、短期的にも長期的にも影響を 及ぼし、多くの場合、一度被害を受けると元へ戻すことが不可能な、不可逆的な被害をも たらす。(Beck 1986=1998:28-29)。
つまり、第二の近代のリスクは、社会や国家という枠組みや地理的な境界に捕らわれる ことなく拡大し、森林の枯渇や動植物の絶滅、土地の砂漠化などの自然破壊、放射能や有 毒物質による汚染は、国境だけでなく、人種や人の地位の上下、先進国であるか発展途上 国であるかに関係なく、そこにいる人間を脅威にさらすことになる。そして、このような 危険状態に対しては、国境や人類における様々な差異を超えた、世界社会としての対処が 必要とされるのである(Beck 1986=1998:69-72)。このような事象が起こり得る状況にお いては、それまで産業社会で構築されてきたリスクの予測や保険の原則、事故の概念、災
12 Beck(1999=2014)は、リスクだけでなく、第一の近代における社会関係、ネットワーク、
コミュニケーションも、基本的に領土内において行われるとしている。また、長島(2014)は、
四日市喘息や水俣病などの公害病の名前が地域と連関している例を挙げ、第一の近代のリスク の局所性を指摘している。
害対策や予防的措置などの制度や規範が機能不全となる。つまり、産業社会で培われてき た、1 つの国民国家または地域内において、保険により補償するというリスクへの対処法 は、成立不可能となるのである(Beck 1986=1998:51-58)。
ベックが考える第二の近代のリスクとは、産業社会の発展に伴って発達した近代科学の 技術が生み出したもので、それを理解し、それに対応するためには、科学の知に依存しな ければならないという再帰的な特徴を備えている。あるリスクに対処しようとして、新し い科学知または科学技術を開発すれば、それは最初のリスクへの対応策になり得るが、そ れが新しい知であるがゆえに、また新たなリスクを生み出すことを避けられないという、
果てしない循環に陥ることになる。三上(2010:46)が指摘するように、それは、最終的 に科学によって、予測し解決することが不可能なものとなる。
(2) ギデンズの2つのリスク-外的リスクと製造されたリスク
一方、ギデンズは、近代化が徹底される高度近代(high modernity)においては、これ まで見たことのない重大な帰結をもたらすリスク、「製造された不確実性(manufactured
uncertainty)」が生み出されるとしている(Giddens 1994:4=2002:14)。この不確実性に
は、自然環境のリスクに加えて、福祉、全体主義的立場の台頭や経済および財政の崩壊へ の危惧も含まれている(Giddens 1991:4=2005:4-5)。そして、これらの重大な帰結を持つ リスクがグローバルな性質をもつという点において、ギデンズはベックと認識を共有して いる(Arnoldi 2009:62)。
古代ローマや伝統的な中国社会を含む近代以前のすべての文化は、主として過去という 概念により存続しており、人生で遭遇する様々な成功や不幸は、運命、幸運、神の意志な どにより定められ、受け入れざるを得ないものであったため、伝統的文化はリスクという 概念を必要としなかったとギデンズは述べている13。近代資本主義が発展する過程におい て、天候による作物被害や病気など、人にとって可視的な範囲で起こる不幸や災難は、金 融における相場の変動や投資の結果を確立的に計算することを通じて、未来という時間の 中で思考されるリスクという概念を生み出すようになる。つまり、リスクは空間に密着し た志向性から、次第に 、時間という流動性において成立する概念となったのである
13 このような神や魔法や運命という考え方や占星術に頼ることは、近代でも完全に消滅したわ けではなく、現代人の中に未だ影響力を持っており、自分が直面する不確実性を心理的に軽減 するために、現代でもこのような儀式に頼っている人々は多くいると、ギデンズは指摘してい る(Giddens 1999:23=2001:53)。
(Giddens1999:21-22=2001:50-52)。
近代的資本主義は、未来の利益と損失を、そして、それゆえ成立するリスクを継続する プロセスとして計算することにより、未来という土壌に成立するものとなる。このような 過程において、人々は、健康に影響を与えるようなものを含めた多くのリスクをできるだ け減らしたいと考え、そこから、リスクの概念は、悪いことが起こるかもしれないが敢え て行う行為に対して準備をするという意味で、保険と歩みをともにするようになる14
(Giddens 1999:24=2001:55)。
保険は、人々が未来と積極的な関与を持とうとする場において、神や運命の代わりに安 全の基盤として機能するものであり、それが私的な保険であろうと、福祉システムであろ うと、本質的にはリスクを再配分するものである。それは、実際の損害よりもずっと少な い保険料を同じリスクを共有する複数の人間から集めることにより、誰かが損害を受けた 場合、集めた保険料をその損害の補償に充当し、自分は損害を受けなくても保険料を払い 続けることで、他の人のリスクを共有することを意味する。つまり、保険料の支払いを行 うことを通じて、保険会社にリスクを引き受けてもらうという交換(trade off)を行って いるのであり、この交換という行為を通じてリスクという重荷を下ろすことなしには、資 本主義は上手く機能しないものとなる(Giddens 1999:24-25=2001:55-56)。
このように、第一の近代である産業社会においては、資本主義の発展とともにリスクが 認識され、保険という対応策が発達してきたが、ギデンズは、高度近代においてリスクと して認識されるものは保険で対応することが不可能であるような、新しい、また特異な重 要性があると主張している。(Giddens 1999:24-25 =2001:57)。第一の近代におけるリス クは、人間が統計を取り、計算して保険をかけることで制御可能であり、また、人間が、
統一的に支配することができるものと考えられていた。しかし、高度近代においては、人 為的に製造された不確実性の出現および増大により、以前の予想をはるかに裏切るような 結果がもたらされるようになり、それに対して何か別の取り組み方を探さなければならな くなったのである。
ここにおいて、何が起こっているかを理解し、説明する最良の方法として、ギデンズは リスクを2つのタイプに分別することを提案している(Giddens 1999:25-26=2001:57-58)。
14 ギデンズによれば、近代的な保険の形式が整うのは海洋貿易が盛んとなる16世紀であるが、
イギリスのエリザベス朝時代にも、病気、損害、失業や老いなど、かつては神の領分であった 危険(hazard)から人々を守るための、保険的な意味の福祉政策が存在していたことが指摘さ れている(Giddens 1999:24-25=2001:55-56)。
その1つは、伝統や自然など、かつて不動とされたものから発生する「外的リスク」であ り、もう1つは、世界で生み出される知識の、まさにその成果により「製造されたリスク」
であり、後者は、我々が歴史的に直面した経験をほとんど持たない「重大な帰結(high consequence ) 」 を も た ら す も の で あ る ( Giddens 1999:26=2001:58;
Giddens1990:131-134=1993:163-167)。
伝統的文化および産業社会においては、人類は、自分達の外にある自然からもたらされ る作物の不作や洪水、ペストの流行や飢饉などのリスクを恐れ、それに翻弄されてきた。
しかしながら、ある時点、歴史的にはごく最近において、我々はこのような自然が我々に 何をするかという「外的リスク」への関心を失い、我々が自然に何をしたかという「製造 されたリスク」により関心を寄せるようになった15(Giddens 1999:26=2001=59)。製造さ れたリスクは、新しい脅威を持って拡大しており、それは、交通事故に遭う可能性と結び 合わされた保険によって保険料と交換するようなものではなく、それがどんなレベルのリ スクであるかについて、多くの場合、それが手遅れになるまで知ることができないもので あると、ギデンズは主張している(Giddens 1999:28=2001:63)。そして、地球温暖化とい う例から理解できるように、製造されたリスクは、誰か特定の人間にその責任を追及でき るものではないという点において、また、第一の近代で培われたリスクの対応策が第二の 近代では役に立たないものとなるという点において、ギデンズはベックの主張と共通の視 点を持つと考えられる(Giddens1990:131= Giddens1993:163)。
さらに、ギデンズは、社会と自然に対する人為的介入により生産される製造されたリス クは、それまでにないような脅威をもたらす一方で、それは常に革新と結びついて偶然の 好機をもたらすこともあり、近代経済においては富を生産するエネルギーの源泉であると、
リスクを肯定的に捉える面も示している。この点は、ベックが、2007年の著作において「リ スクはチャンスと危険の二面性を持つ」16としている点と、ギデンズは視点を共有してい ると考えられる。(Giddens1999:3,22=2001:6,52)。
ギデンズは、第二の近代におけるリスクというものが、人間が作り出した科学や技術か
15 このように書くと、近代においては「外的リスク」への関心が低下するほど、その源泉 となる問題が解決されてしまったように聞こえるが、経済的に貧しい国では、未だに、多 くの伝統的リスク、つまり「外的リスク」が存在しており、そこに新しいリスク、すなわ ち製造されたリスクが重なる状況となっている(Giddens 1999:27=2001:59-60)。
16 本論の2.2.1(1)において言及した、ベックの2007年出版のドイツ語版『世界リスク社
会』からの引用(伊藤2017:51)を参照のこと。