第 5 章 子宮頸がんワクチン事業における医学というサブ政治
5.1 サブ政治と政治
5.1.1 製薬というサブ政治
医学というサブ政治の概念は、「医学」という言葉を「製薬」に置き換えて考えることが 可能である(2.3.1 (3)参照)。現代の医薬品開発には、厖大な研究資金と長い研究期間、さ らに高い科学的知識および技術が要求され、その業界では日夜激しい競争が展開されてい る。世界の医薬品市場は、2013 年に約 100 兆円を超えており(田辺三菱製薬株式会社
2016:14)、日本は、業界の約 39%のシェアを持ち第 1 位である北米に続いて、シェア約
11%で世界第2位の市場規模を持つ3。日本の医薬品生産金額は、2000年で5兆9273億
円、2005年で約6兆3907億円、2015年では6兆7481億円と増加している4。
1 子宮頸がん検診受診率の向上と、公費負担による子宮頸がんワクチンの接種率の向上を目指 し、2008年に設立された産婦人科、小児科等の医師で構成される団体。HP,
http://www. cczeropro.jp/
2 子宮頸がんワクチンの推奨再開を求める団体。HP, http://hpvjapan.com/
3 製薬協HP, 日本の製薬産業-その規模と研究開発力,
http://www.jpma.or.jp/about/issue/gratis/guide/guide12/12guide_08.html ,2018年5月閲覧。
4 2000年のデータは、厚生労働省HP,「薬事工業生産動態統計調査・結果の概要」における平 成18年年報(http://www.mhlw.go.jp/topics/yakuji/2006/nenpo/01.html)、2010年のデータは 同平成26年年報(http://www.mhlw.go.jp/topics/yakuji/2014/nenpo/1.html)、2015年のデー タは同平成28年年報(https://www.mhlw.go.jp/topics/yakuji/2016/nenpo/1.html)からのもの
これらの医薬品はさらに、医療用医薬品、その他の医薬品、そして一般用医薬品および 配置用家庭薬に分かれる5。2015年の生産金額の内訳では、医療用医薬品が 90.1%、その 他の医薬品が9.9%であり、この内、一般医薬品が9.3%、配置用家庭薬が0.5%という割合 となっている。同じく2015年における外国からの医薬品の輸入金額は、4兆220億円で、
国内の生産金額と合わせると、合計10兆8425億円であり、国内への出荷金額は10兆4785 億円、外国への輸出金額は1535億円である(厚生労働省2015b:5-6)。
実際にどのような医薬品が開発・製造されているかというと、循環器官用薬、中枢神経 系用薬、その他の代謝性医薬品、消化器官用薬、血液・体液用薬、外皮用薬、生物学的製 剤、感覚器官用薬、体外診断用医薬品、アレルギー用薬などに分かれており6、ワクチンは 生物学製剤に含まれる(厚生労働省2015b:8,13)。
(2) 新薬開発に費やされる時間と資金
1つの薬の開発には、平均で9年から17年という時間が必要とされ、それにかかる費用 は、日本では、およそ500億円と言われている。加えて、新薬を開発して成功する確率は 約3万分の1とも言われており、途中で断念される新薬開発も多い7。新薬開発には大きく 分けて、基礎研究、非臨床(動物)試験、臨床試験(治験)などの段階があり、これらを 経て初めて、承認申請と審査に至る。
基礎研究の段階では、まず、将来、薬となる可能性のある新物質や成分の発見、またそ れを化学的に合成するための研究があり、これには通常 2~3 年を要する。次に、非臨床
(動物)試験においては、薬としての可能性のある新規物質の有効性と安全性の確認を動 物や培養細胞を用いて行う試験や、薬の元となる物質の吸収、分布、代謝、排泄の過程や
である。http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/105-1c.html, 2018年8月閲覧。
5 医薬品は医療用医薬品とその他の医薬品に分かれる。医療用医薬品とは、医師または歯科医 師によって使用されるか、これらの医師の指示またはこれらの医師の判断により出された処方 箋に基づいて使用される医薬品である。その他の医薬品とは、医療用医薬品以外の医薬品を指 す。その他の医薬品の内、一般用医薬品とは、一般家庭にいわゆる「置き薬」として常備され る配置用家庭薬以外の医薬品、つまり医師の処方箋なしで薬局やコンビニエンスストアで購入 できる医薬品を指す。厚生労働省「薬事工業生産動態統計調査・調査の結果・用語の解説」
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/105-1b.html#list01, 2018年5月閲覧。
6 医薬品薬効大分類による循環器官用薬には、たとえば、血圧降下剤、高脂血症用剤、血管拡 張剤などであり、中枢神経系用薬には精神神経用剤、解熱鎮痛消炎剤、総合感冒剤などが、そ の他の代謝性医薬品には糖尿病用剤、総合代謝性製剤、痛風治療剤などがある。(厚生労働省 2015b:10-14)。
7 中外製薬HP, http://chugai-pharm.info/medicine/create/create001.html, 2015年7月閲覧。
品質および安定性に関する試験を行い、これらに通常3~の5年を必要とする。そして臨 床試験の段階では、人を対象とした場合の有効性と安全性を確認するため、必要な非臨床 試験を合格した治験薬が、安全かつ実際に人に効果があるかどうかを調べる最終的な確認 の試験が行われる。これは治験とも呼ばれ、法律に従って、多くの専門家による検討や審 査に基づいて行われ、通常、3~7年という年月がかかる8。
(3) サブ政治としての製薬という領野
このように、製薬という分野では、資本と時間を費やして医薬品が開発されるが、それ らは、医学および薬学専門の研究者および技術者により製造され、医師という専門家の下 で処方され、薬剤師という別の専門家により供給される。医薬品についての専門知識を持 たない一般の患者は、自分が体内に取り込むその医薬品について、一応の説明を医師や薬 剤師から受けるが、ほとんどの場合、その薬剤の組成や効果のメカニズムについては理解 することなく、言われるまま処方された薬を服用することになる。
医師が薬を処方し、薬剤師により薬が提供されるこの段階においては、薬についての専 門知識を持たない患者は、ギデンズが家の階段の昇り降りの例で説明したように、一連の 危険(danger)が、減少または最少にとどめられている状態としての「安心(security)」 を前提として、医薬品の供給を受け、服用していると言えるだろう(2.2.4(1)参照)。つま り、この場合に患者が受け入れる対象としているのは、医師が専門知識に基づいて処方し た医薬品であり、それに対しての信頼と受け入れ可能なリスクのバランスが取られている 状態が、大前提として成立しているからこそ、患者はその薬を服用するのである。このよ うな患者と医薬品の関係における信頼は、ギデンズが述べているように、より継続的な状 況で成立する特殊なタイプの確信であり、対象つまり医薬品に対する情報が、その受け手 に欠如しているという条件の下で成立しており、相手に、この場合は医師と医薬品に、白 紙委任状を与えてしまうような、絶対的な権限を認めた状況が成立していることになる
(Giddens 1990:32,33 =1993:48,50)。
医学と医薬品の進歩により、過去においては死を免れなかった病気が減少したことは、
紛れもない事実である。かつて不治と言われた疾病でも現代では完治するものも多く、ま
8 製薬協HP, くすりの開発—新薬開発のステップ(1) 基礎研究, (2) 非臨床試験, (3) 臨床試験
(治験), http://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/labo/2_develop/02.html, http://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/labo/2_develop/03.html ,
http://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/labo/2_develop/04.html, 2018年5月閲覧。
た完治しないまでも、死を免れ生き続けることが可能となっている。医学の進歩は日進月 歩と言われるように、その発展により人類は、19世紀よりは21世紀の今日、そして昨日 よりは今日において、それまでの生活を飛躍的に向上させてきたのである。
2.3.1の(3)で述べたように、疾病により身体に与えられる苦痛は、専門知識を持つ医師
により、それを持たない患者には理解できない方法で対処される。そして、医学が進歩し て診断が可能になればなるほど、それまでは解明されなかった新しい病気が発見され、医 学は、そのための治療法や薬を開発するための研究を進める。どんな薬が治療に有効なの かを独自に研究開発し、その認可や患者に投与する判断も、製薬という科学とそれを用い て患者を治療する医師が行う。医薬品の研究と、それを実際に利用する臨床を含む医学が、
政治における行政府と立法府の役割を1人で果たすことになるのである(Beck 1986 = 1998:411-412;419)。さらに、製薬は医学内部において、尽きることのない需要を生み出 す。それは、医師が病気を診断し、治療を与えることで起こる二次的な症状や薬の副作用 などを、新たな医薬品の開発や治療法の開拓へと結びつけることができる。つまり、その 専門化が際限なく進展することにより、製薬という分野は、医学とともに永久に拡大する 市場を形成することを可能としているのである。
製薬という領野は、その医薬品の効果により、それまでの人間の生活を一変させるよう な向上をもたらし、その分野内での専門知により発展と拡大を継続し、それ以外の分野の 侵入を許さず、二次的、三次的な障害さえも、その発展の土台とすることにおいて、「自己 内省的」に発展することが可能なサブ政治と考えることができる。