第 6 章 子宮頸がんワクチン事業における選択と責任
6.3 子宮頸がんワクチンの選択に対する責任-客観的個人化と主観的個人化
6.3.1 客観的次元としての予防接種制度
3.3.2の冒頭で述べたように、1994年の予防接種法改正では医療に対する個人の意思を
尊重することを旨として、予防接種は義務接種から「接種を行うように努める必要がある」
勧奨接種に、すなわち義務規定から努力義務規定となり、接種の様式も集団接種から個別 接種に改定された(手塚2010:253)。つまり、予防接種政策の目的がそれまでの社会とい う集団防護から個人防護に方向に転換し、日本の予防接種制度は、「社会のシステムが個人 を単位とする」(落合2004:243)という意味での個人化を遂げたことになる。
一方で、予防接種はワクチンによる副反応という健康被害を内包しながら実施されるも のであり、救済制度が存在することにより国民の接種に対する自発性や接種に際しての医 師の協力を促すことができるという理由から、健康被害救済制度は予防接種法の中に残さ れている(手塚2010:254)。
本論はこの救済制度と先に触れた目的との間に矛盾があると考えるところから、本項で は、1994年の予防接種法改正における国の責任の縮小という政策が、「社会環境リスク」
と「制度組織リスク」という2つのリスクに具体的にどのように対応したことになるのか について、また、個人に接種の選択を委ねた結果、その責任がどのように変化したのかに ついて検討する。
(1) 国の責任縮小に伴う2つのリスクへの対応
1994年の予防接種法改正による変更を「制度組織リスク」と「社会環境リスク」という 2つのリスクから考えると、次のように整理することができる。
第一に、「制度組織リスク」に関しては、予防接種の実施において国が自らを防御するた めの対策として、ワクチン接種の決定は国民に、ワクチン接種時の禁忌識別の責任を接種 に関わる医師に、そして健康被害の損害賠償については国と自治体との分担が決められた。
国は予防接種による健康被害についての責任範囲を縮小することで、この「制度組織リス ク」に対応した(3.3.2(1)参照)。しかしながら、接種の選択権を個人に付与したことで、
国は「社会環境リスク」への対応から部分的に退いたと解釈することができる(5.2.3参照)。 その理由は、予防接種の目的を集団防護から個人防護へシフトさせても、実際に感染症 に罹る、または副反応に遭うのはあくまでも個人であり、その選択権を個人に与えること によって個人の健康被害の状況が変わるわけではない。この個人防護、すなわち接種の選 択権の個人への譲渡は、国民が義務接種として接種を「強制される」ことにより副反応被 害に遭うことを回避または軽減するための方策である。つまり、接種の選択は個人の決断 であるという大前提を設置することにより、国が強制したものではないことが明確化され たにすぎず、感染症に罹る、あるいはワクチンを接種して「副反応に遭うという社会環境 リスク」に対して具体的な変化はないことになる。
第二に、国は、接種の義務を廃止しても、救済制度を法的に設置することで国民が積極 的にワクチン接種に参加するとしている。しかし、この救済制度は、努力義務を課せられ た、すなわち接種を遂行すると期待される個人を接種に向かわせるためのインセンティブ として機能するものであり、「感染症に罹るという社会環境リスク」の回避、つまり接種率 の向上を意図したものであり、「副反応被害に遭うという社会環境リスク」の回避に対する 具体的な対策ではない。
第三に、この救済制度の法制化を、3.3.1 において言及した 2 つのリスク・トレードオ フという観点から考えると、感染症の蔓延と副反応被害の間にある第一のリスク・トレー ドオフにおいては、ワクチンの実施により、「感染症に罹るという社会環境リスク」の回避、
つまり、感染症から国民を守ることが優先されていることになる。これは、裏返せば「副 反応被害に遭うという社会環境リスク」の回避が切り捨てられていることになり、作為過 誤(するべきではないのにした)を容認していることになる。一方、副反応被害への非難 または感染症の拡大への非難に関する「制度組織リスク」における第二のリスク・トレー ドオフでは、ワクチンを実施しないで感染症が蔓延することに対する非難、つまり不作為 過誤(するべきであったのにしなかった)による非難の回避(ワクチンを実施する)が前 提とされており、ワクチンを実施して副反応被害が拡大することへの非難の回避は意図さ れていないことになる。つまり、この救済制度の法制化は、ワクチンには必ず副反応があ ることを認めており、国民に接種の選択を委ねているにも関わらず、あくまでも国民がワ クチンを接種することを前提にした措置であると解釈することができる。
言い換えれば、予防接種制度は、国の責任を縮小することにより、「制度組織リスク」に 対しては、自らの制度に対する批判を最小限にすることが可能な政策を取り、「感染症に罹 るという社会環境リスク」のみを回避する方向に進み、個人が副反応に遭うというリスク については、救済制度に一任させる形を取ったと解釈することができる。しかしながら、
1994年の法改正では、接種の選択が個人に委ねられており、国が定めたワクチンを個人が 各々選択することについては、その選択の帰結としての責任の問題を考えることが必要で ある。これについては以下において検討を行う。
(2) 国家と個人-責任の二重構造
前項では、1994 年の予防接種法の改正により国の責任の縮小が 2 つのリスクにどのよ うに反映されたかについて検討した。一方で、この責任の問題は、予防接種制度における ワクチンの提供という事象に関して、誰が決定者であり責任者であるのかという責任の構 造の問題についても考察の必要がある。
2.2.1で言及したように、ルーマンは決定と責任の関係に注目し、リスクと危険の区別を
主張している。それは、未来において起こるだろう損害(hazard)が、その影響を受ける 者の決定の結果であれば、それはリスクであり、その影響を受ける者がその決定に関与し ていない場合、つまり損害がその個人の外部である環境からもたらされる場合は、それは 危険と認識するというものである(Luhmann 1991=1993:21-22 =2014:38)。
1994年の予防接種法改正においては、ワクチン接種の選択の決定は個人に与えられた が、予防接種制度が提供するワクチンの選定に関しては国が承認を行っており、この時点
における決定者は国であり、責任者は国となる。一方で、国が承認したワクチンを接種す るかしないかを決める判断が個人に任される状況においては、実際の接種の時点での決定 者は個人であり、決定者であるから責任者となる。すなわち、現行予防接種制度には、責 任の主体が2つ存在することになる。
この場合に責任を問われる問題とはワクチンによる副反応被害であるが、前項でも述べ たように、国はそれに対して救済制度を法制化することで対応している。厚生労働省にお いては、予防接種の副反応による健康被害は、「極めて稀だが、不可避的に生ずるものなの で、接種に係る過失の有無にかかわらず、予防接種と健康被害との因果関係が認定された 方を迅速に救済するものである」(下線は筆者)と明記されている25。しかしながら、ワク チンの副反応被害に遭った人々が救済制度により救済されるためには、医師によりワクチ ンと副反応の因果関係が証明されなければならない。つまり、その証明はワクチンを提供 した科学と同じ科学知に頼らなければならないことから、それを担う医師の診断が得られ ないとワクチンの副反応被害者と認められることは容易ではなく(全国子宮頸がんワクチ ン被害者連絡会他 2014:8,13,19)、副反応に苦しむ人達が、せめて経済的な面だけでも救 済されることが、非常に困難な状況となっている(母里・古賀2016:63)。それにも増して、
子宮頸がんワクチンによる副反応に対する有効な治療が見つかっていないことから、この 救済制度は被害者にとって十分意義のある制度とは言えない状況にある。
つまり、子宮頸がんワクチンを選択して副反応被害に遭った個人は、決定者であり責任 者であり、また被害者となるが、ワクチンを承認した国は決定者であり責任者ではあるが、
当然のことながら被害者にはならず、その責任は個人にとって利用が容易ではない救済制 度に任されている。このような構図が、この責任の二重性の裏側に存在しているのである。
このように、国と個人が1つの同じワクチンの異なった側面をマークしていることに加え て、国が審査を行い、承認したワクチンをさらに個人が選択の決定をするという構造が複 雑さとなり、ワクチンという選択対象をめぐって対立(コンフリクト)が起きている状態 であると考えられる(5.2.2参照)。つまり、決定者は誰かという問題について、国は「ワ クチンを選択したのは個人」、個人は「ワクチンは国が承認したもの」であるという、対立 が可能となるような状況が成立しているのである。
25 厚生労働省HP、「予防接種健康被害救済制度」
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou20/kenkouhigai_kyusai/, 2017年8月閲覧。