1.3 第 2 章以降の構成と概要
1.3.2 理知的な探求者となるため学ぶべきこと:情動、動機、および、
徳
第三章から第五章にかけて、第二章で提示された「学習者がより理知的な仕方で探求 を行えるようになるため、教育を通じて学ぶ必要のあることは何か」という問題が扱わ れる。具体的には、第三章から第五章で私は、探求をより理知的に行えるようになるた めに学ぶ必要のあることについて一つずつ挙げたうえで、各条件に関連する内容につい ての議論を提示する。30
まず、第三章では、探求を理知的な仕方で行えるようになるために学ぶ必要のある一 つ目として、適当な情動が、教えと学びのしかるべき状況で繰り返し生じるようになる ことを挙げる。
情動についてのこのような傾向性は「情動的徳(emotional virtues)」と呼ばれる。この条 件が必要な理由は、情動の種類の中には教えや学びを促進しうるものがある、というこ とにある。第三章では、教えと学びに役立つような情動の一例を示し、情動がどのよう に学びや教えに貢献しうるのかを具体的に検討する。
情動的徳が理知的な探求に貢献することを論証するために私は、イズラエル・シェフ ラーの「認知的情動(cognitive emotion)」と呼ばれる情動の議論を取り上げる。具体的に は、認知的情動についてのシェフラーの議論を批判的に検討することで、次の三つのこ とを論証する。すなわち、一つ目は、驚きは、当の教えや学びの内容に関連のある質問 や批判に意識的な注意を向けさせてくれるセンサーの役割を果たしうる、ということで ある。二つ目は、この点で驚きが合理的生活における教えや学びに貢献しうる、という ことである。三つ目は、驚きを含む、適切な情動が生じることで、適切な状況で関連の ある認知内容を当人に気付かせうる情動的徳は、子どもがより理知的な仕方で探求を行 えるようになるため、教育を通じて学ぶ必要がある、ということである。
次に、第四章では、子どもが理知的な仕方で探求を行えるようになるために学ぶ必要 のある二つ目として、批判的に思考しようと動機付けられるようになることが取り上げ られる。ここで想定される子どもは、まだ理由や証拠に対して敏感ではなく、必要な場 面でも理由に導かれることのない者である。31 このような子どもが理知的な探求者へと 成長するうえで、しかるべき場面で理由を評価するなど、批判的に考えるよう動機づけ
32 第1章 教育の認識論の現状と本研究の位置づけ
られるようになることは必要なことだろう。
批判的に思考しようとする動機の問題を扱うために私は、現代の教育哲学者であるハ ーヴィ・シーゲル(Harvey Siegel)の議論を分析および敷衍する。そして、次の三点を論証 する。32 一点目は、教師や親、あるいは、小説や映画などのメディアにおける虚構の登 場人物は、合理性を示す手本(exemplars)と見なされうる、ということである。二点目は、
子どもは手本を示されることで、批判的に思考するとはおおそよどのようなことなのか を学ぶ、ということである。三点目は、手本に対する敬慕という情動(the emotion of admiration)は子どもが批判的に思考しようとする動機要因としての役割を果たすだろう、
ということである。
第五章では、学習者がより理知的な探求者になるために、教育を通じて学ぶ必要のあ る三つ目として、問いをみずから同定し、修正し、洗練させるなど、良い問いを立てる ことができるようになることが取り上げられる。第一節で言及した、エレンコスと呼ば れる問答法を基礎にした教育など、教育の文脈ではしばしば、与えられた問題の答えを 出すだけでなく、みずから問いを立てて問題を解決することは重要であると想定されて きた。
では、問いをみずから同定し、修正し、洗練させるなど、子どもが良い問いを立てる ようになるために、どのようなことを身につける必要があるだろうか。本章では、知的 徳と呼ばれる、探求者の性格特性の種類の中には、それを持つ探求者が、焦点の定まっ た、的を射た問いを立てることができるという意味で「良い」問いを立てることに貢献 するものがあることを明らかにする。これにより、次のことが言える。すなわち、関連 する知的徳を身につけ、良い問いを立てることは子どもが探求を通じて新しくて重要な 信念を獲得することに貢献する。このような意味で、子どもが良い問いを立てることが できるようになることは、教育を通じて学ぶべき重要なことである。
以上のことをまとめると、理知的な仕方で探求を行えるようになるため、子どもは適 切な情動的徳を身に付け、批判的に思考しようと動機づけられようになり、良い問いを 立てられるようになる必要があると結論づけられる。
ここで学ぶ必要があると想定された三つ、すなわち、情動、動機、あるいは、知的徳 はすべて、主にわれわれの性格特性に関係するものである。これらは、たとえば、大量 の知識を得ることなどとは異なり、子どもが教育機会において大人との関わりを通じて ゆっくり身についていくものであると考えられる。他方で、情動、動機、あるいは、知 的徳は、教育を受ける時期を終えた後、大人になっても理知的な探求者であり続けるた めの助けとなるものであるだろう。というのも、探求は、われわれが生涯、何かを学ぼ うとする限り、従事するものであるからである。
したがって、子どもが必要な情動的徳を身につけ、しかるべき動機づけられるように なり、そして、知的徳を習得することは、その子どもが理知的な探求者となるうえで、
とくに学ぶべき重要なことであると言えよう。
第六章では、本研究の議論を整理した後、教えと学びの認識論的文脈における自己と 他者の問題などの探求を中心とする教育の認識論の今後の課題を挙げる。
第 2 章 探求のパラドックスを再考する
教育哲学の歴史の中で『メノン』における探求のパラドックスは、学びの想起説と ともに注目されてきた。本章では、まず、探求のパラドックスに教育の観点を考慮し たオリジナルの定式を与える。次に、定式化されたパラドックスを、教えという観点 を導入することで解決しようとする。このような検討を通じて、探求に関係する教え や学びと知識との関係について改めて考える。