本節では、仮定(3)と仮定(3)を支える理由に焦点を絞って考察することで、探求のパラ ドックスの論証を一つの形に定式化する。
前節の引用から、仮定(3)、すなわち、「学習者に知られていない内容について、その 学習者は探求することはできない」である理由は、「何を探求すべきなのかを知らない」
ことである、と言われている。しかし、この仮定(3)を支える理由と仮定(3)が正確にはど のようなことなのかは明確ではない。『メノン』の中では、この点は詳しく説明されてい ないので9、以下では、メノンの挑戦、および、ソクラテスとメノンの召使いとの問答を 参考にしながら、まず、仮定を支える理由と仮定(3)がどのようなことなのかについて考 察し、その後、仮定(3)を支える理由と仮定(3)の議論がどのようなものなのかを考察しよ う。
まず、仮定(3)を支える理由がどのようなことなのかを明確にしよう。幾何学の問題に ついて探求するソクラテスとメノンの召使いとのやり取りを考えると、仮定(3)を支える 理由の文における「何を探求すべきなのか」は、学習者が探求中に取り組む諸問題のこ とを表しているだろう。探求における問題は、少なくとも次の二つのタイプに区別され る。一つ目は、探求の開始時に立てられる問題であり、二つ目は、探求の過程における 各ステップにおいて立てられる諸問題である。以下、場合に応じて、それぞれを「最初 の問題」、「中間の問題」と略記する。例えば、幾何学の問題を事例とすると、最初の問 題は「面積が8となる正方形の一辺を求めよ」であると考えられ、中間の問題とは、そ れを探求の目標として立てるとき、その探求の過程における各ステップにおいて立てら れる諸問題のことである。
うえの二つの問題のタイプの区別に従うと、仮定(3)を支える理由である「何を探求す べきなのかを知らない」の内容は、探求中に取り組まれる問題が最初の問題の場合と中 間の問題の場合により、次のように区別される。すなわち、最初の問題の場合、「何を探 求すべきなのかを知らない」は、「学習者が最初の問題をどのような問題を立てれば良い のか分からない」ことを述べている、すなわち、
(5) 学習者は最初の問題として、どのような問題を立てれば良いのか分からない。
となる。中間の問題の場合、「中間の問題をどのような問題を立てれば良いのか分からな い」ことを述べている、すなわち、
(6) 学習者は探求の目標を達成するために必要な中間の問題として、どのような問題 を立てれば良いのか分からない。
40 第2章 探求のパラドックスを再考する
となる。これら命題(5)および命題(6)が、仮定(3)を支える理由の内容である。10
次に、仮定(3)、「学習者に知られていない内容について、その学習者は探求すること はできない」とはどのようなことなのかを明確にしよう。まず、前節の引用から、「学習 者に知られていない内容」とは、例えば幾何学の問題の解答など、問題の正答である。
次に、「探求することはできない」の意味は、探求における最初の問題と中間の問題とい う、問題のタイプによって次のように場合分けされる。最初の問題を「探求することは できない」とは、
(7) 探求を始めることができない。
ということである。次に、中間の問題を「探求することはできない」とは、
(8) 探求を進めることができない。
ということである。
次に、仮定(3)とそれを支える理由との関係を詳しくみてみよう。これまでの考察から、
探求中に取り組まれる問題の種類の区別により、仮定(3)は命題(7)あるいは命題(8)を意味 し、仮定(3)を支える理由は、命題(5)あるいは命題(6)を意味する。仮定(3)とそれを支え る理由との間には、次の二つの関係が成り立っていると考えられる。一つ目は、命題(5)、
「学習者は最初の問題として、どのような問題を立てれば良いのか分からない」ことが 理由となり、命題(7)、「探求を始めることができない」が導かれる議論である。二つ目 は、命題(6)、「学習者は探求の目標を達成するために必要な中間の問題として、どのよ うな問題を立てれば良いのか分からない」ことが理由となり、命題(8)、「探求を進める ことができない」が導かれる議論である。以下、それぞれの議論をみていこう。
議論に入る前に、今後の論証がやや煩瑣になることを鑑み、命題同士の接続関係を表 すいくつかの記号を導入することで、議論の論証構造を図示できるようにし、議論の論 証構造を視覚的にも確認できるようにする。現在の議論の中で現れる命題同士の接続関 係は次の四つである。すなわち、第一に、複数の命題が同時に成り立っていることを述 べる「A かつB」のような連言、第二に、複数の命題の中でどれかが成立していること を述べる「A または B」のような選言、第三に、ある命題が別の命題の理由であること を述べる「AゆえにB」のような理由(関係)、そして第四に、或る命題が別の命題の言 い換えであることを述べる「A すなわち B」のような言い換えである。連言、選言、理 由、および、言い換えを図式の中ではそれぞれ、「∧」、「∨」、「→」、「=」で表すことと する。たとえば、仮定(3)、「学習者に知られていない内容について、その学習者は探求 することはできない」とは、言い換えるなら、命題(7)、「探求を始めることができない」、
あるいは、命題(8)、「探求を進めることができない」のいずれかであった。この命題(7) と(8)のいずれかが成り立つということは、命題(3)が成り立つことである、すなわち、探 求ができないことになる。このことを図示すると、次のようになる。
(3)
∥ (7) ∨ (8)
図 2.1
では、はじめに、命題(5)、「学習者は最初の問題として、どのような問題を立てれば 良いのか分からない」ことから仮定(7)、「探求を始めることができない」に至る議論を みてみよう。この議論は、メノンの挑戦における議論を踏まえたものである。メノンの 挑戦では「知らないもののなかで、どのようなものとしてそれを目標に立てたうえで、
探求なさろうというのですか」と言われている。この疑問は、「学習者は探求を始めるこ とができるのだろうか。というのも、探求の目標としてどのような問題を立てれば良い のか分からないのであるから」と解釈できると思われる。この議論は次のように定式で きる。すなわち、
(5) 学習者は最初の問題として、どのような問題を立てれば良いのか分からない。
それゆえ、
(7) 探求を始めることができない。
というものである。この命題同士の関係を図示するなら、
(5)
↓ (7) 図 2.2
となる。
この論証で問題となるのは、『メノン』の問題設定では、なぜ命題(5)が真であると考 えられるのか、というものである。というのも、例えば、私たちの多くは学習者として、
「面積が1000となる正方形の一辺の長さは何か」という幾何学の問題を探求の目標とし
42 第2章 探求のパラドックスを再考する
て立てることができるように、学習者が最初の問題として、どのような問題を立てれば 良いのか知っており、探求の目標として最初の問題を立てることができる場合がある、
と考えられるからである。
仮定(5)が真であると見なされる理由を考えよう。『メノン』の問題設定では、学習者 には特定の条件が付けられている、と考えられる。例えば、「面積が8となる正方形の一 辺を求めよ」という幾何学の問題を解くメノンの召使いは、誰からも幾何学を教わって いないとされている(ibid., 85d)。ソクラテスとの問答をする前、この召使いは、例えば「正 方形」、「面積」、あるいは「対角線」などの概念を理解していないし、正方形の一辺の長 さと面積との関係など、諸概念の間の関係を理解していない。加えて、召使いはそれら の概念と関連する諸々の公式の中から問題を解くために適切なものを選択できないし、
公式や解法を具体的問題に有効に用いることもできないだろう。今、このようなことを 学習することを一括りにして、「問題に関連する内容を学習する」と呼び、また、問題に 関連する内容を学んでいない者を「問題の初心者」と呼ぼう。11 そうすると、メノンの 召使いは幾何学の問題に関連する内容を学習していない、すなわち、問題の初心者であ る。
メノンの召使いの事例のように、『メノン』の問題設定では、学習者は探求される問題 の初心者であることが非明示的に前提されていると考えられる。すなわち、
(9) 学習者が問題の初心者である
ということが議論の前提として含まれる。学習者が問題に関連する内容を学んでいない 場合は教育の文脈では多くある。例えば、これから算数を学習する小学生達は通常、幾 何学の問題に関連する内容をまだ学習していないだろう。
学習者が初心者であると、その学習者は最初の問題として、どのような問題を立てれ ば良いのか分からない、と言えるだろう。すなわち、
(10) 学習者が最初の問題として、どのような問題を立てれば良いのか分かるのは、問
題に関連する内容を学習しているときに限られる、
と考えられる。
『メノン』の問題設定では、学習者が初心者であること、すなわち、命題(9)が前提と されていた。この前提のもとでは、命題(10)より、その学習者は最初の問題として、ど のような問題を立てれば良いのか分からない、すなわち、命題(5)が成り立つことになる。
それゆえ、その学習者は探求を始めることができないことになる、すなわち、命題(7)が 成り立つ。
(9) ∧ (10)
↓ (5)
↓ (7) 図 2.3
次に、命題(6)、「学習者は探求の目標を達成するために必要な中間の問題として、ど のような問題を立てれば良いのか分からない」ことから命題(8)、「探求を進めることが できない」ことに至る議論をみてみよう。この議論は、ソクラテスとメノンの召使いと の問答を踏まえたものである。探求の開始時に立てられる問題、すなわち、最初の問題 は必ずしも学習者自らによって立てられる必要があるわけではなく、教育者に与えられ たり、教科書を見ていたら偶然発見されることもある。例えば、『メノン』では、ソクラ テスが幾何学の問題を召使いに与えている。
何らかの仕方で、学習者に最初の問題が与えられるなら、その学習者は探求を進める ことができるように見える。しかし、ここで、『メノン』の問題設定ではおそらく、学習 者が探求を進めることができるために必要な別の条件が必要とされている。それは、学 習者は、探求の過程中の各ステップにおいて立てられる諸問題、すなわち、中間の問題 として、どのような問題を立てれば良いのか分かっていなければならない、というもの である。この議論は以下のように定式化できる。すなわち、
(6) 学習者は探求の目標を達成するために必要な中間の問題として、どのような問題 を立てれば良いのか分からない、
それゆえ、
(8) 探求を進めることができない。
『メノン』の議論では、幾何学の問題の初心者である召使いに、ソクラテスが「面積 が8となる正方形の一辺を求めよ」という幾何学の問題の正解を得るために必要な諸々 の問題を与え、一つずつ、それを答えさせている。ソクラテスは「問題を与えること」
と「答えを教える」ことを区別し、召使いに問題を与えているだけであることを何度も 強調している(Scott, 2006, p. 101)。おそらく、このようなソクラテスによる補助のおかげ で、召使いは探求の途中で、幾何学の問題に誤った回答を与えながらも12、最終的には、
幾何学の問題の正解を得ることができたのだろう(cf. Moravcsik, 1994, p. 124)。
この召使いの事例から、おそらく次のことが言える。すなわち、幾何学の問題に関連