• 検索結果がありません。

新しさと重要性という基準

ドキュメント内 教えと学びの認識論 (ページ 90-93)

本節では、探求の産物として捉えられる信念の評価に関しては、信念の質が考慮され る必要があること、および、以下で説明される新しさと重要性は、ハイグレードな正当 化された信念の質を評価するために必要な基準である、ということを論じる。これらの 認識論的基準を明らかにすることは、次節で、探求において問いを立てることの意義を

明らかにするために重要なステップとなる。

Zagzebski (1996, p. 274) は、「狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミは一つ

しか知らなくても大事なことを知っている(The fox knows many things, but the hedgehog knows one big thing)」という格言を引いて、良い探求の末に獲得される信念や知識を評価 する場合、その質を考慮する必要があることを示唆している。質の評価という観点から 見て、正当化された信念も知識も探求者によって生み出される産物と見なされうる。で は、探求の産物として見られるハイグレードな正当化された信念を評価するために、ど のような基準が適用されるのだろうか。

この考察の出発点として、はじめに、「産物の認識論(product epistemology)」と呼ばれ

るGoldman (1986, p. 138) のアイディアを参照しよう。Goldmanによれば、認知的プロセ

スのほか、認識論的評価の対象には、出版された作品や論説などの産物が含まれる。

知的評価は、内的状態や操作に対してより、私が産物と呼ぶものに対して頻繁に関 わっている。日々の知的および文化的交流において、評価の主要な対象となるのは、

心的な行為ではなく、論説や出版された作品である。(p. 137)

ここで Goldman が関心をもっている対象は、集団によって生み出された産物であるが、

評価の対象には、個人によって創造された産物を含めることもできよう。産物を評価す るという考えは、(5-1)で規定された、ハイグレードな正当化された信念に対しても適用 できる。その理由は、探求に関しては、探求のプロセスだけでなく、探求の産物もまた 評価の対象と見なされうること、また、探求の産物は個人の探求か集団による探求かど うかに関わらず、評価されうる、ということにある。

それでは、ハイグレードな正当化された信念の質を評価する具体的な基準はどのよう なものだろうか。しばしば挙げられる基準の一つが、新しさである(e.g., Goldman, ibid., p.

138; Hausman, 1979, pp. 239–40; Kronfeldner, 2009, pp. 578–9)。10 ここで新しさとは、具体 的には、産物(の内容)が歴史的に初めて生み出されたとき、そのときに限り、その産 物は新しい、というものである(e.g., Hausman, 1979, p. 239)。11 たとえば、前節で挙げた、

山中氏による iPS細胞を生成する方法は、生理学の歴史において新しい産物と認識され る。

しかし、よく指摘されるように、新しさは、産物として捉えられるハイグレードな正 当化された信念の質を評価するための十分な基準ではない(e.g., Gaut, 2010, p. 1039)。とい うのも、新しい産物は自明なものに過ぎないことがあるからである。たとえば、証明さ れた数学的定理が歴史的に新しい結果であっても、それはあまりに自明であったため、

数学者の関心を惹かないものかもしれない。

議論で取り上げられることのある別の基準は、オリジナリティである。Goldman は、

新しさに加えて、オリジナリティあるいは創造性が産物を評価するための基準となるこ

92 5章 知的徳は良い問いを立てることにどのように貢献するか

とを提案している。

産物の評価のための別の決定要素は、心的な要因(mental factors)に遡るものであるか もしれない。概して、産物に対する評価度数は、オリジナリティ、あるいは創造性 に対する問いに関わる。たとえば、いったい、この産物はどの程度、或る分野にお けるこれまでの作品を超えるのだろうか。この作品を生み出すのは、分野における、

広く知られる知識と道具のことを考えると、どれほど難しいものだったのだろうか。

(中略)知的功績の尺度は、部分的には、それを生み出すことの難しさに比例する。

(Goldman, 1986, p. 138)

しかしながら、ここでGoldmanは、オリジナリティに関して異なる二つの点を指摘して いることに注意しよう。一つ目は、オリジナリティは、功績がどれほど困難だったかに 応じて測られる、というものである。この場合、産物を生みだす認知的プロセスの複雑 さが、オリジナリティの基準となるかもしれない。二つ目は、産物は、「或る分野におけ るこれまでの作品を超える」限りで、オリジナルである、というものである。この場合、

評価される対象は産物そのものの質であり、オリジナリティは、産物を生みだすプロセ スの難しさとは独立に測られる。

実際、オリジナリティを評価される対象が何であるのかに関しては論争がある。12こ のことを勘案し、現在の主題に従って、ここでの議論の焦点を、上で挙げたケースの中 の二つ目の場合、すなわち、評価の対象が産物の質である場合に絞ることにする。ここ で私は、或る産物がどの程度、「或る分野におけるこれまでの作品を超える」のかを見積 もるために、重要性という基準を提案したい。ここでの文脈において重要性とは、或る 産物が特定の分野に関連性のある貢献をするなら、その産物は特定の分野において重要 である、というものである。13 もちろん、この重要性は、程度を許すものである。たと えば、産物Pが科学に意義のある貢献をするなら、Pは科学において重要な産物と見な

される。Goldman が指摘していたような、「或る分野におけるこれまでの作品を超える」

産物とは、このような意味で新しい産物のことであるだろう。

ここで、今規定された、新しさと重要性という基準は、探求の産物として捉えられる ハイグレードな正当化された信念を評価するために完全なものではない、と言われるか もしれない。ほかにも必要な基準があるかもしれない、というのはその通りだろう。し かし、現在の文脈では、産物の質を評価するいくつかの基準がどのようなものなのかを 示すこと、および、そのような基準の中に、新しさと重要性が、おそらく重要なものと して含まれるということを説明することで十分である。この二点に基づいて、新しさと 重要性が、探求の産物として捉えられるハイグレードな正当化された信念を評価するた めの基準であることが認められるだろう。

ここまで明確にしたことは、探求のプロセスの中での、良い問いを立てることの意義

を明確にするために重要なものである。次節では、この意義について考えよう。

ドキュメント内 教えと学びの認識論 (ページ 90-93)