1. 三性説の萌芽形態について
2.4 小結
3.1.1 有と無、増益と損減
3.1.1.1 有と無の定義
「真実義品」は冒頭に二種の真実義と四種の真実義231、そして真実の特徴(tattvalakṣaṇa)
を説明する。このうち真実の特徴とは、有(bhāva)と無(abhāva)の2つを離れること、
すなわち不二(advaya)なるvastuだとされる232。つまり、有と無とは否定されるべきもの
231 二種の真実義とは諸法の如所有性(yathāvadbhāvikatā)と尽所有性(yāvadbhābhikatā)である(BBh IV-1 Takahashi 85, Wogihara 37.1–4, Dutt 25.3–5, Murakami 6)。四種の真実義とは次の4つである。
BBh IV-2.1 Takahashi 85, Wogihara 37.4-7, Dutt 25.5-7, Murakami 7
sa punar eṣa tattvārthaḥ prakāraprabhedataś caturvidhaḥ / lokaprasiddho yuktiprasiddhaḥ kleśāvaraṇaviśuddhijñānagocaro jñeyāvaraṇaviśuddhijñānagocaraś ca //
(1)eṣa T : eva W D M (2)°prabhedhataś T W : °bhedhataś D M
さらに、この真実義は種類の分類に基づくと四種である。(1)世間に承認された[真実]と、
(2)論理によって承認された[真実]と、(3)煩悩障を浄化する知の対象領域[である真実]
と、(4)所知障を浄化する知の対象領域[である真実]とである。
232 BBh IV-3.4 Takahashi 89, Wogihara 39.23–27, Dutt 27.5–7, Murakami 14
yat punaḥ pūrvakeṇa ca bhāvenānena cābhāvenobhābhyāṃ bhāvābhāvābhyāṃ vinirmuktaṃ dharmalakṣaṇasaṃgṛhītam vastu tad advayam / yad advayaṃ tan madhyamā pratipad antadvayavarjitā niruttarety ucyate //
さらに、先の有と、この無、すなわち有と無の両者を離れている、法相に包摂される事物、
それは不二なるものである。不二なるものであるから、それゆえ、2つの極端を離れた無上の 中道である、と言われる。
なお、ここに言及される法相(dharmalakṣaṇa)について、高橋[2005: 22–23; 157 fn.13]は『菩薩 地』第 19 章「菩薩相品」(Bodhisattvaliṅgapaṭala)の用例を挙げる。対応するサーガラメーガ註も合 わせて以下に示す。
BBh XIX Wogihara 303.25–26, Dutt 209.9
mātṛkāyāṃ punar aviparītaṃ dharmalakṣaṇavyavasthānam
さらにマートリカーにおいて転倒のない法相の設定がある。(高橋訳)
BBhVy XIX D256a3–4, P318b3
phyin ci ma log pa'i chos kyi mtshan nyid rnam par 'jog pa ni ma mo bstan pa'o //
顚倒のない法相を設定することが、マートリカーを説示することである。
また、高橋氏は同趣旨の記述が『荘厳経論』第11章「述求品」(MSABh Lévi 53.22)、『雑集論』(ASBh
Tatia 96.21–22)に見られることを指摘した上で、「「法相によってまとめられる事物」とはアビダルマ
で説かれる一切法の特徴によってまとめられるもの、すなわち一切法ということになる」と述べる。
また、サーガラメーガ註では法相を一切諸法無我と言い換えていることも指摘している。
BBhVy IV D60b7, P71a1–2
chos kyi mtshan nyid kyis(1) bsdus pa zhes bya ba ni chos thams cad bdag med pas rab tu phye ba'o(2) zhes bya'i don to // de ltar na dngos po de ni gnyis su med pa ste / gnyis dang bral ba'i phyir dbu ma'i lam yin no //
(1)kyis P : kyi D (2)ba'o P : ba'i phyir ro D
「法相に包摂される」(dharmalakṣaṇasaṃgṛhītam)とは、一切諸法が無我によって顕わし出さ れる/特徴付けられる(*prabhāvita)、という意味である。そのようであれば、「[法相に包摂
として定義されるのであるが、この定義は「真実義品」が否定する増益と損減の内容に一 致することがすでに指摘されている233。端的に言えば、有と増益とは、仮設の語に自性を 認め実在視することであり、無と損減とは、仮設の基体に自性を認めず非実在視すること だとされている。また、「真実義品」は一切諸法には言語表現され得ない自性があるという 主張を理証と教証とによって証明するが、そのうちの理証においては、「法と律から逸脱す る者」として増益をなす者と損減をなす者という、自身の思想的立場と異なる二者を立て て両者を批判する。そこで、有と無の定義、そして増益をなす者と損減をなす者の定義を それぞれ確認する。
(1)有の定義
tatra bhāvo yaḥ prajñaptivādasvabhāvo vyavasthāpitas, tathaiva ca dīrghakālam abhiniviṣṭo lokena, sarvavikalpaprapañcamūlaṃ lokasya, tadyathā rūpam iti vā vedanā ... antato yāvan nirvāṇam iti vā / ity evaṃbhāgīyaḥ prajñaptivādanirūḍhaḥ svabhāvo dharmāṇāṃ lokasya bhāva ity ucyate //234
そのうち、およそ有とは、仮設の語を自性とするものとして設定されたところのもの である。また、まさにそのように、長時に渡って世間の人々によって執着されたもの であり、世間の人々にとっての一切の分別と戯論との根本である。たとえば、「色」
や「受」や・・・(中略)・・・最後は「涅槃」に至るまで、このような同類の、仮設 の語によって慣習的に了解された諸法の自性が、世間の人々にとっての有と言われる。
2つの下線部の内容を要略すれば、有とは「諸法が仮設の語を自性とすること」、あるい は「仮設の語を自性とする諸法」と定義されていると理解できるだろう。
される]事物、それは不二である」(vastu tad advayam)。二を離れているから、「中道」(madhyamā pratipad)である。
233 高橋[2005: 22–23]は有と無を離れた不二とは、増益と損減を離れることであって、それは勝義
的自性だとする。そして勝義的自性とは、言語表現され得ない自性を持つことを意味すると述べる。
阿[1982: 28]は有と無を離れた不二なる事物を『菩薩地』の核心であるとし、また『菩薩地』特
有の思想だと述べている。しかし、有と無を増益と損減とに直接関連付けてはいない。
234 BBh IV-3.2 Takahashi 88‒89, Wogihara 39.3‒17, Dutt 26.18‒28, Murakami 12‒13
(2)無の定義
tatrābhāvo yāsyaiva rūpam iti prajñaptivādasya yāvad antato nirvāṇam iti prajñaptivādasya nirvastukatā nirnimittatā prajñaptivādāśrayasya sarveṇa sarvaṃ nāstikatā asaṃvidyamānatā / yam āśritya prajñaptivādaḥ na pravartetāyam ucyate 'bhāvaḥ //235
そのうち、無とは、この同じ「色」という仮設の語から、乃至、最後は「涅槃」とい う仮設の語に至るまでが、事物を欠いていること、因相を欠いていることであり、仮 設の語にとっての所依がまったく存在しないこと、現に存在していないことである。
およそ、それに依拠しては仮設の語がはたらくことのできないもの、これが無と言わ れる。
この内容を要略すれば、無とは、有の定義で列挙されたものと同じ、「色」乃至「涅槃」
という仮設の語にとっての所依が存在しないことだと理解される。より端的に言えば、無 とは「仮設の所依が存在しないこと」と定義されていると理解されるだろう。また、仮設 の所依としてnimitta やāśrayaが用いられていることから、vastuが仮設の所依として扱わ れるとき、それはnimittaやāśrayaと同置される概念であることが分かる。
な お 、 こ の 無 の 内 容 に は 自 性 と い う 概 念 が 関 連 付 け ら れ て い な い 。 そ の 理 由 は 、
nirabhilāpyasvabhāva を認める点で有自性の立場にある『菩薩地』にとって、無とは自性を
認めないことだからだと考えられる。
3.1.1.2 増益と損減の定義
増益と損減の内容を示す記述として、増益となす者と損減をなす者とは法と律から逸脱 する者だと批難されて次のように説明される236。損減をなす者の説明の一部は本研究第 1 章に前掲であるが(1.3.2.1 paramārthaの用例)、それを含めて全文を以下に掲げる。
dvāv imāv asmād dharmavinayāt praṇaṣṭau veditavyau //
235 BBh IV-3.3 Takahashi 89, Wogihara 39.18–22, Dutt 27.1–4, Murakami 13, Sugawara 155
236 阿[1982: 30–31]は増益をなす者を主に説一切有部だとし、一方で損減をなす者を学派名をもっ
て名指しはしないが、「虚無論者」(nāstika)などの蔑称で呼ばれることなどから、増益をなす者より も批判の重点が置かれているとする。なお、菅原[2010: 345]は二類の対論者を想定せずに「二つの こと」(Skt: dvāv imāv, Tib: 'di gnyis, 玄奘: 二種人)と理解している。
(1) yaś ca rūpādīnāṃ dharmāṇāṃ rūpādikasya vastunaḥ prajñaptivādasvabhāvaṃ svalakṣaṇam asadbhūtasamāropato 'bhiniviśate //
(2) yaś cāpi prajñaptivādanimittādhiṣṭhānaṃ prajñaptivādanimittasaṃniśrayaṃ nirabhilāpyātmakatayā paramārthasadbhūtaṃ vastv apavadan nāśayati sarveṇa sarvaṃ nāstīti //237
以下の二者はこの法と律から逸脱していると知られるべきである。
(1)およそ、色などの諸法、色などの事物の、仮設の語を自性とする自相を、実在 しないものを増益することに基づいて執着する者と、
(2)およそ、仮設の語にとっての因相である基体、仮設の語にとっての因相である 所依にして、言語表現され得ない本質を有するという点では、勝義的実在である事物 を損減して、「まったく存在しない」と否定する者とである。
(1)の増益をなす者とは、法や事物が仮設の語を自性としていると理解する者だと分か る。この点は先の有の定義と同趣旨である。異なる点として、下線部ではそれが本来は実 在しないものであって、増益だとされている。(2)の損減をなす者とは、仮設の所依であ
るvastuを存在しないと理解する者だと分かる。この点は先の無の定義と同趣旨である。異
なる点として、波線部ではその仮設の所依は、言語表現され得ない本質を有するという点 では、勝義として実在するものであって、それを存在しないものだと否定することが損減 だとされている238。この増益と損減の両方を否定することによって、「真実義品」は一切諸 法には言語表現され得ない自性があることを証明するのである。
このように、有と無の定義が増益と損減の内容に一致することが確認できる。そして、
237 BBh IV-5.3.1 Takahashi 98, Wogihara 45.13–19, Dutt 30.27–31.2, Murakami 24, Sugawara 345
238 波線部は高橋[2005]をはじめとする多くの先行研究が、vastuに勝義的実在としての側面がある と解釈する根拠の1つであり、菅原[2010]によってその解釈に疑義が提示された、問題のある箇所 である。菅原氏はparamārthaやtathatāといった真理概念がvastuと同格で併記される箇所を、従来と は異なった読み方を提案し、vastuには真理概念の意味はないと主張する。この問題は次節で扱う。
なお当該箇所に関しては、高橋[2005: 164]はparamārtha-sadbhūtaṃをvastuに掛けて読む。一方 で、菅原[2010: 345]はparamārtha-sadbhūtaという複合語のうち、後分のsadbhūtaのみをvastuに掛
けるが、paramārthaは掛からないとして、「[しかしながら]言語表現できないという本質において真
理にして、かつ[言語表現できないという本質で]実在している vastu「もの」を」と試訳する。筆 者は高橋氏の読み方を支持する。
これらの説明において、すでに三性説の萌芽形態である3 つの概念、(1)仮設の語、(2)
仮設の所依、(3)勝義的実在が見られる。これらは、増益と損減とを否定するにあたって
「真実義品」の思想的立場に論理的整合性を持たせるための概念装置として機能している ことが確認できるのである。