1. 三性説の萌芽形態について
2.4 小結
3.1.5 vastu には 2 つの側面があるのか?
これに対し、法性や真如という抽象的な概念よりも、勝義的実在としてのvastuという存 在論的な概念の方が、萌芽形態と三性説の構造との対応を、よりシンプルに伝えられると 考えられる。よりシンプルに仮設・仮設の所依という構造を表現できるように思われる。
従来、『菩薩地』のvastuには、(1)仮設の所依としての側面と、(2)勝義的実在としての 側面との、2つの側面があると指摘されている30。この指摘に対する疑義も一方で示されて はいるが31、本研究では vastu には 2 つの側面があると理解するのが妥当だと考えている
ているため、vastu には(2)仮設の所依としての側面があることが理解される。また波線 部から、vastu には(3)勝義的実在としての側面があることが理解される。つまり、(2)
と(3)とがvastuという同じ概念で表現されることによって、(2)と(3)との意味の違い
がvastuの質的な変化に起因していることが連想される。そして、本研究で後に検討するよ
うに、依他起性において遍計所執性のないことが円成実性である、という三性説の構造と の対応がより明確になると思われる。したがって、本研究では先の3 つの概念を三性説の 萌芽形態とする。
1.1.2『解深密経』の三性説
次に、三性説の萌芽形態の結実だと考えらえる、文献上はじめて三性説が体系的に説述 される『解深密経』第6 章「一切法相品」における三性説の定義を確認する。『解深密経』
「一切法相品」は諸法の相(*dharmalakṣaṇa)には三種類があるとし33、遍計所執相、依他 起相、円成実相の順番で説明される。以下にそれぞれの説明を順番に掲げる。
遍計所執相
yon tan 'byung gnas de (D14a6) la chos rnams kyi kun brtags pa'i mtshan nyid gang zhe na / ji tsam du rjes su tha snyad gdags pa'i phyir chos rnams (P15b2) kyi ngo bo nyid dam bye brag tu ming dang brdas34 rnam par bzhag35 pa gang yin pa'o //36
功徳林よ、そのうち諸法の遍計所執相とはいかなるものか。言語習慣(*anuvyavahāra)
を仮設(*prajñapti)するために、諸法の自性や差別として名前(*nāman)と言語協約
(*saṃketa)によって設定された限りのものである37。
33 SNS VI-3 D14a5, P15a8–b1, Lamotte 60.12–17
yon tan 'byung gnas chos rnams kyi mtshan nyid ni gsum po 'di dag yin te / gsum gang zhe na / kun brtags pa'i mtshan nyid dang / (P 15b1) gzhan gyi dbang gi mtshan nyid dang / yongs su grub pa'i mtshan nyid do //
功徳林よ、諸法の相はこれら3種である。3とは何かと言うならば、遍計所執相と、依他起相 と、円成実相である.
34 em. brdas : brdar DPL; 後註37参照
35 bzhag L : gzhag DP
36 SNS VI-4 D14a5–6, P15b1–2, Lamotte 60.19–24
37 高橋[2005: 52–53]は、「名称と言語協約として」(ming dang brdar)(高橋訳)に付されたla don 助辞のraを具格のsaに訂正して「名称と言語協約によって」(ming dang brdas)(高橋訳)と読み、
名前と言語協約が遍計所執相の原因であると理解すべきだと指摘する。その根拠として次の三点を挙 げている。まず、(1)ツォンカパの『善説真髄』(Legs bshad snying po)にこの箇所が引用されており、
そこではming dang brdasとなっていること。また(2)『解深密経』第6章「無自性相品」において遍
計所執相が言及される箇所でもming dang brdasとなっていること。そして、(3)「摂決択分」中「菩 薩地功徳品」に『解深密経』のほぼ全文が引用されるが、そこでは当該箇所が『解深密経』本論とは 異なり以下のようになっているという。
ViSg D zi 55a5, P 'i 60b1–2
ji tsam du rjes su tha snyad gdags pa'i phyir ming dang brdas chos rnams kyi ngo bo nyid dam bye brag tu ming dang brdar rnam par gzhag pa gang yin pa'o //
玄奘訳『瑜伽師地論』T30.718c16–17
謂一切法名假安立自性差別、乃至爲令隨起言説。
高橋訳2005: 53
日常的言語活動の範囲で仮設するために、名称と言語協約によって(ming dang brdas)諸法の
依他起相
yon tan 'byung gnas chos rnams kyi gzhan gyi dbang gi mtshan nyid gang zhe na / (D14a7) chos rnams kyi rten cing 'brel bar 'byung ba nyid de / (P15b3) 'di lta ste 'di yod pas 'di 'byung la / 'di skyes pa'i phyir 'di skye ba 'di lta ste / ma rig pa'i rkyen gyis 'du byed rnams zhes bya ba nas / de ltar na sdug bsngal gyi phung po chen po 'di 'ba' zhig po 'di 'byung bar 'gyur (P15b4) ro zhes bya (D14b1) ba'i bar gang yin pa'o //38
功徳林よ、諸法の依他起相とはいかなるものか。諸法の縁起性である。すなわち、「こ れが存在するからそれが生じ、これが生じたからそれが生ずる」つまり、「無明を縁と して諸行が[生じ、]」乃至「このようにこの純大苦蘊が生ずる」までのものである。
円成実相
yon tan 'byung gnas chos rnams kyi yongs su grub pa'i mtshan nyid gang zhe na / chos rnams kyi de bzhin nyid gang yin pa ste / byang chub sems dpa' rnams kyis (39-rtun pa'i-39)(P15b5) rgyu dang / legs par tshul bzhin yid la byas pa'i rgyus de rtogs (D14b2) shing de rtogs pa goms par byas pa yang dag par grub pas kyang bla na med pa yang dag par rdzogs pa'i byang chub kyi bar du yang dag par 'grub (P15b6) pa gang yin pa'o //40
功徳林よ、諸法の円成実相とはいかなるものか。諸法の真如なるものである。菩薩た ちが精進を原因とし、また如理作意を原因としてそ[の真如]を証得し、そ[の真如]
の証得の修習を達成することによって、さらに、無上正等覚に至るまでを達成すると ころのものである。
自性や差別として名称と言語協約として(ming dang brdar)定立されたものである。
このチベット訳には二つの下線部にming dang brdasとming dang brdarがどちらも見られ、玄奘訳 に前者が見られないため、チベット訳は後代挿入された可能性もあるが、挿入であるならば、それは
後者のming dang brdarを註釈する意図でming dang brdasが補われたと想定されるという。
以上の三点から、『解深密経』本論のming dang brdarはming dang brdasとされるべきであり、した がって遍計所執性の定義は「諸法の自性や差別として名称と言語協約によって定立されたもの」と解 釈されるべきだと指摘する。これによって、名前と言語協約とが遍計所執性の原因として位置付けら れるという。本研究もこの解釈を支持する。
38 SNS VI-5 D14a6–b1, P15b2–4, Lamotte 60.25–34
39 rtun pa'i DL : btul ba'i P
40 SNS VI-6 D14b1–2, P15b4–6, Lamotte 61.1–6
これらの記述から、まず三相とは諸法にある3 つの特徴(lakṣaṇa)のことであり、諸法 には遍計所執という特徴、依他起という特徴、円成実という特徴のあることが知られる。
それぞれの説明を要略すれば、(1)遍計所執という特徴とは、諸法の自性や差別が名前と 言語協約とによって設定されたものだとされる。(2)依他起という特徴とは、諸法の縁起 性だとされる。(3)円成実という特徴とは、諸法の真如だとされる。竹村[1995: 70]はそ れぞれを端的に、遍計所執相は言語にかかわる世界、依他起相は縁起の世界、円成実相は 真如であるとまとめている。また、このような『解深密経』の三性説はいまだ唯識思想と は結び付ついていないことが指摘されている41。
41 竹村[1995: 70]はその他に『瑜伽論』「摂決択分」と『顕揚論』の三性説も唯識思想と結び付いて
い な い と す る 。 兵 藤 [2010] は そ れ に 加 え て 、「 弥 勒 請 問 章 」(Byams zhus kyi le'u,
*Maitreyaparipṛcchāparivarta)の三性説もまた唯識思想と結び付いていないことを指摘している。
ここまでに確認した『解深密経』の遍計所執相、依他起相、円成実相はそれぞれ、言語 的なものを特徴とする諸法、縁起なる諸法、そして諸法の真如であると規定されている。
これら三相の相互の関係を以下に確認する。
yon tan 'byung gnas de la mtshan ma dang 'brel ba'i ming la42 brten nas ni kun brtags pa'i mtshan nyid rab tu shes so // gzhan gyi dbang gi mtshan nyid la kun brtags pa'i mtshan nyid du mngon par zhen pa la brten nas ni gzhan gyi dbang gi mtshan nyid rab tu shes so // gzhan gyi dbang gi mtshan nyid la kun brtags pa'i mtshan nyid du mngon par zhen pa med pa la brten nas ni yongs su grub pa'i mtshan nyid rab tu shes so //43
功徳林よ、そのうち、相(*nimitta)と結び付いた名前に依拠して、遍計所執相は了知 されるのである。依他起相において遍計所執相に執着することに依拠して、依他起相 は了知されるのである。依他起相において遍計所執相に執着しないことに依拠して、
円成実相は了知されるのである。
下線部には、依他起相において遍計所執相に執着しないことが円成実相を了知すること だとされており、三相の相互関係が端的に示されている。この三者の関係は『解深密経』
以降の『摂大乗論』や『唯識三十頌』といった、唯識思想と結びついた三性説にも継承さ れている44。
そして、『菩薩地』に見られる三性説の萌芽形態の3つの概念が、実際にここまで確認し た『解深密経』の三相それぞれの定義、および相互関係と、内容、構造の点で類似してい
42 la DL : las P
43 SNS VI-10 D15a5–7, P16b3–4, Lamotte 63.11–17
44 MSg II-4 D13b2–3, P14b7–8, Nagao 59–60
de la yongs su grub pa'i mtshan nyid gang zhe na / gang gzhan gyi dbang gi mtshan nyid de nyid la don gyi mtshan nyid de gtan med pa nyid do //
そのうち、円成実相とはいかなるものか。その同じ依他起相において、その[外]境を特徴と するもの(遍計所執相)が完全に存在しないことである。
TrK.21 Lévi 14.13–14
paratantrasvabhāvas tu vikalpaḥ pratyayodbhavaḥ / niṣpannas tasya pūrveṇa sadā rahitatā tu yā //
一方、依他起性は分別であり、縁から生じるものである。一方、円成実[性]は、およそ、そ
[の依他起性]に前のもの(遍計所執性)が常に欠けていることである。
ると考えられる。三性説の萌芽形態が具体的にどのように用いられているのかは、本研究 第3章において考察する(3.1『菩薩地』「真実義品」における三性説の萌芽形態の論理)。
1.1.4「一切諸法無自性」の密意としての三無自性説
『解深密経』第7章「無自性相品」には三無自性説が説かれている。世尊が説いた「一切 諸法無自性、不生不滅、本来寂静、自性涅槃」という教説には、三無自性説が密意されて いると『解深密経』は解釈する。この三無自性説は『解深密経』だけではなくその他の文 献においても、それぞれが定義される際に三性説のそれぞれと同格で置かれて説明される。
このことから、三無自性説と三性説とは表裏の関係にあると指摘されている45。このように、
『般若経』に説かれる既存の「一切諸法無自性」という教説が三無自性説として解釈され、
三無自性説と三性説とが対応させられていることから、「一切諸法無自性」が間接的に三性 説へ影響を与えていると考えられている。以下は「無自性相品」の導入部である。
...bcom ldan 'das kyis ci las dgongs nas
chos thams cad ngo bo nyid ma mchis pa / chos thams cad ma skyes pa / ma 'gags pa / gzod ma nas zhi ba / rang bzhin gyis yongs su mya ngan las 'das pa
zhes bka' stsal pa'i don de nyid bcom ldan 'das la bdag yongs su zhu lags so //46
...don dam yang dag 'phags ngas chos rnams kyi ngo bo nyid med pa nyid rnam pa gsum po 'di lta ste / mtshan nyid ngo bo nyid med pa nyid dang / skye ba ngo bo nyid med pa nyid dang / don dam pa ngo bo nyid med pa nyid las dgongs nas
chos thams cad ngo bo nyid med pa'o
45 竹村[1995: 8]は「三性と三無性とは、各々一つの事柄の両面であり、常に同時に成立しているも
のである。我々は三性説を考えるとき、常にその無自性性についても考慮すべきであろう」と述べる。
『菩薩地』「真実義品」に対応する「摂決択分」中「菩薩地真実義品」においても、三性説と三無 自性説とが対応せられている。たとえば、遍計所執性と相無自性性とは次の通りである。
ViSg D22b5–7, P24b4–7, Takahashi 144–145
ngo bo nyid gsum dang / ngo bo nyid med pa nyid gsum po mtshan nyid ngo bo nyid med pa nyid dang / skyes pa ngo bo nyid med pa nyid dang / don dam pa ngo bo nyid med pa nyid de la / mtshan nyid ngo bo nyid med pa nyid kyis ni kun brtags pa'i ngo bo nyid ngo bo nyid med pa yin no //
その三自性と三無自性性、[すなわち]相無自性性と生起無自性性と勝義無自性性のうち、相 無自性性として遍計所執性は無自性である。
46 SNS VII-1 D16b4–5, P18a3–4, Lamotte 66.30–34 玄奘訳『解深密経』T16.693c27–694a4(全文)
世尊。復説一切諸法皆無自性無生無滅本來寂靜自性涅槃。未審世尊。依何密意作如是説。一切 諸法皆無自性無生無滅本來寂靜自性涅槃。我今請問如來斯義。惟願如來哀愍解釋。説一切法皆 無自性無生無滅本來寂靜自性涅槃所有密意。