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1. 三性説の萌芽形態について

1.2 三性説の萌芽的思想についての先行研究

1.2.1.1 十種散動の対治として引用される『般若経』

  『摂大乗論』第2章「所知相分」(*Jñeyalakṣaṇa)では、三性説が主題とされ、詳細に説 明されている。その中に、十種の散動(vikṣepa)の対治である無分別智(nirvikalpajñāna)

があらゆる『般若経』に説かれているとされ、実際に『般若経』が引用されている。この

『 般 若 経 』 を 『 摂 大 乗 論 』 世 親 釈 (Mahāyānasaṃgrahabhāṣya: MSgBh) と 無 性 釈

(Mahāyānasaṃgraha-upanibandha: MSgU)は三性説によって解釈している。これに対して、

長尾[1982: 41–47]は所引の文言の具体的な典拠に関する先行研究を整理し、それら先行 研究に基づく詳細な考察をしている。長尾氏は、瑜伽行派は『般若経』所引の文言を解釈 する中で、そこに十種散動の対治の意味を見出していったのだろうと述べている。そして、

世親釈と無性釈が三性説によって文言を解釈しているからといって、そもそも『般若経』

に三性説の萌芽的思想があったと判断することはできないと述べる51。  

1.2.1.2『円集要義論』の三性説に基づく般若波羅蜜

  ディグナーガの『円集要義論』では、般若波羅蜜は三性説に依拠して説示されたとされ ている52。これを飯田[1966: 85–86]は三性説の発生が『般若経』においてであったことを 前提とした文言であると理解し、勝呂[1989: 305]もこの線に沿った理解を示す53。一方、

宇井[1958: 327]や長尾[1982: 46–47]はあくまで三性説の成立した後に、三性説に基づ いて解釈しているのであって、すでに『般若経』に三性説の萌芽的思想があったというこ とにはならないと指摘する。竹村[1995: 51]もこれを支持している。

51 長尾[1982: 347 fn.1]によれば、十種散動(あるいは十種分別)を説く文献には『荘厳経論』、『集

論』、『雑集論』、『円集要義論』があるという。このうち『集論』以外の文献にはすべて『般若経』が 引用され、その文言をいずれの文献も三性説を適用して解釈しているという。

52 Piṇḍārtha.27 Tucci 433, Frauwallner 142 prajñāpāramitāyāṃ hi trīn samāśritya deśanā / kalpitaṃ paratantraṃ ca pariniṣpannam eva ca //

まさに、般若波羅蜜は3つに依拠しての説示である。分別と依他起と円成実とに他ならない。

53 勝呂[1989: 305]は次のように述べる。「三性の典拠について右のような所説が唯識文献に見出さ

れるのであるから、唯識学派が三性説を『般若経』に由来するものと見たことは確かである。『般若 経』の思想の影響力の大きさを考えてみるとき、最初期のこの学派の学者たちが、『瑜伽論』『解深密 経』の編纂に先立って、この思想に基づいて三性の概念をすでに構成していたということは、あり得 ることのように思われるのである。」

1.2.1.3「弥勒請問章」

  大品系『般若経』のうちチベット訳にのみ「弥勒請問章」と呼ばれる一節が存在する54。 この「弥勒請問章」に三性説そのものは見出されないが、構想された色(parikalpitaṃ rūpa)、

分別された色(vikalpitaṃ rūpa)、法性としての色(dharmatārūpa)という三性説のそれぞれ に類似する表現が用いられている55。同表現は『中辺分別論』(Madhyāntavibhāga: MAV,『中 辺論』)にも見られる。『中辺論』によれば、同じ色蘊であっても遍計所執性としては構想 された色蘊であり、依他起性としては分別された色蘊であり、円成実性としては法性とし ての色蘊である、という内容が説かれている56。ここでは、rūpa とsvabhāvaが同義とされ

54 Hikata[1958]によって、チベット訳『一万八千頌般若』第83章と『二万五千頌般若』第72章と

がチベットの伝統において「弥勒請問章」と呼称される章であり、玄奘訳『大般若波羅蜜多經』には 対応箇所が欠如していることが明らかにされている。そして、『摂大乗論』無性釈玄奘訳に2回引用 される経典の文言を「弥勒請問章」だと比定したのは、当該箇所が著者が清弁に帰されているTJに も引用されていることを手掛かりに検討したIida[1966]である。そして飯田氏はコンゼとの共著と

してConze & Iida[1968]に「弥勒請問章」のサンスクリット校訂テキストを公開し、袴谷[1975]

はこの和訳研究を発表している。「弥勒請問章」に関する種々の問題は袴谷[1975]、長尾[1982: 33–

41]、金[2007: 37 fn.66]を参照。

55 袴谷[1975: 12–17]の翻訳では、「もののあり方に関する三種の様相」という見出しが付けられて

いる。その中の一節を例として掲げる。

「弥勒請問章」Conze & Iida 1968: 237–238

(37) Bhagavān āha, tribhir Maitreya ākārair bodhisattvena mahāsattvena prajñāpāramitāyāṃ caratā dharmaprabhedakauśalye varttamānena rūpaprabhedaprajñaptir anugantavyā yāvad

buddhadharmaprabhedaprajñaptir anugantavyā. yadutedaṃ parikalpitaṃ rūpam, idaṃ vikalpitaṃ rūpam, idaṃ dharmatārūpam itīme yāvat parikalpitā buddhadharmā, ime vikalpitā buddhadharmā, ime

dharmatābuddhadharmāḥ.

袴谷訳1975: 12–13

世尊は言った。「マイトレーヤよ、智慧の完成について実践し、もののあり方の区分に関する 熟練を行なっている菩薩大士は、三種の様相によって、物体の区分設定(rūpa-prabheda-prajñapti)

…ないし仏法の区分設定(buddha-dharma-prabheda-prajñapti)を理解すべきである。すなわち、

これは仮構された物体(parikalpitaṃ rūpam)であり、これは分別された物体(vikalpitaṃ rūpam) であり、これはものの本性(法性)としての物体(dharmatā-rūpa)である、…ないし、これは 仮構された仏法であり、これは分別された仏法であり、これはものの本性としての仏法である、

と。」

56 MAVBh III Nagao 44.12–22

katham idaṃ daśavidhaṃ kauśalyatattvaṃ mūlatattve 'ntarbhavati / yatas triṣu svabhāveṣu te skandhādayo 'ntarbhūtāḥ / katham antarbhūtāḥ /

parikalpavikalpārthadharmatārthena teṣu te // MAV III.16cd

trividhaṃ rūpaṃ parikalpitaṃ rūpaṃ yo rūpasya parikalpitaḥ svabhāvaḥ / vikalpitaṃ rūpaṃ yo rūpasya paratantraḥ svabhāvaḥ tatra hi rūpavikalpaḥ kriyate / dharmatārūpaṃ yo rūpasya pariniṣpannaḥ

てはおらず、三自性それぞれの観点に応じてrūpaのあり方も変わるという趣旨だと考えら れる。いずれにせよ、三性説と類似する思想が『般若経』にも確認できることに変わりは ない。

  しかし、「弥勒請問章」は漢訳『般若経』のすべてが欠いていることから後代の付加だと 考えられている。長尾[1982: 40]はヴァスバンドゥ(Vasubandhu)よりも後、アスヴァバ ーヴァ(Asvabhāva)よりも前の成立だと想定し、「弥勒請問章」を三性説、三無自性説の 直接の起源ではないと指摘する。これは竹村[1995: 52]によっても支持されている57。な お、この「弥勒請問章」は『摂大乗論』無性釈の玄奘訳にのみ、三性説を説明する際に二 度引用される。その二箇所は玄奘訳とチベット訳とではほぼ一致しているもののおり、「弥 勒請問章」の部分だけが玄奘訳にあり、チベット訳には欠けている58

svabhāvaḥ / yathā rūpam evaṃ vedanādayaḥ skandhā dhātvāyatanādayaś ca yojyāḥ / evaṃ triṣu svabhāveṣu skandhādīnām antarbhāvād daśavidhaṃ kauśalyatattvaṃ mūlatattva eva draṣṭavyam / どうしてこの十種の善巧真実は根本真実に含まれることになるのか。三自性にかの[五]蘊な どが含まれているからである。どのように含まれているのか。

構想と分別の意味と、法性という意味によって、それら[五蘊など]はそれら[三自性]

に[含まれることになる]。(3.16cd)

色[蘊]は3種である。構想された色[蘊]とは、色[蘊]にとっての遍計所執性である。分 別された色とは、色[蘊]にとっての依他起性である。なぜなら、そ[の依他起性]において 色[蘊]という分別がなされるからである。法性という色とは、色[蘊]にとっての円成実性 である。色[蘊]と同様に、受[蘊]などの[五]蘊や、[十八]界や[十二]処なども適用 されるべきである。このように、三自性に[五]蘊などは含まれているから、十種の善巧真実 は他ならぬ根本真実において理解されるべきである。

57 ただし、兵藤[2010: 321–322]は「弥勒請問章」の所説と『解深密経』の三性説とは同一構造であ って、どちらも唯識思想と結び付く以前の構造であることを指摘している。そのため、萌芽的思想と はみなせないものの、初期の三性説の構造を伝える資料としての価値がある。

58『摂大乗論』無性釈にはチベット訳と玄奘訳が現存するが、玄奘訳にのみ『大般若波羅蜜多經』の 名前で「弥勒請問章」が二箇所に引用される。これらの『般若経』からの引用は Lamotte氏に指摘さ れ、Iida[1966]がそれを「弥勒請問章」と同定した。「弥勒請問章」に関する諸問題とともに、無性 釈玄奘訳における引用箇所が長尾[1982: 33–35]によって紹介されている。

  引用箇所の一つ目は、『摂大乗論』の序章(*Prastāvanā)において章構成の次第を説明する中の、

第2章「所知相分」について説明する箇所に対する註釈である。この箇所は本研究第1章第3節で扱 う。

  もう一箇所は、第2章「所知相分」の冒頭で三相それぞれが定義される箇所である。一通り註釈さ れた後、チベット訳では末尾に偈頌が置かれているが、玄奘訳では偈頌ではなく「弥勒請問章」が引 用されている。梵本はConze & Iida[1968: 238]、和訳は袴谷[1975: 13–14]に対応する。袴谷[1975:

13 fn.49]の和訳には梵本の文節番号を振って対応関係が示されており、以下の引用文にもそれに基

づき番号を付す。