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1. 三性説の萌芽形態について

1.5 小結

  本章では、三性説の説述意図を明らかにするための研究基盤を構築することを目的とし て、先行研究に指摘されている三性説の萌芽的思想を確認し、その萌芽的思想に対する空 性、二諦説の影響を再検証した。

  従来三性説の萌芽的思想だと指摘されている『菩薩地』「真実義品」の(1)仮設の語、

(2)仮設の所依、(3)真如/法性という3つの概念は、すでに体系的に構築された後の三 性説との内容、構造の一致を根拠に、「萌芽的思想」だとされている。本研究でもこの見解 を支持した上で、これを踏まえて(1)仮設の語、(2)仮設の所依、(3)勝義的実在という 3つの概念を三性説の「萌芽形態」として規定した。

  そして、三性説の萌芽形態が結実した最初の三性説として、『解深密経』の三性説との内 容、構造の一致を確認した。また、三性説と表裏の関係にあるとされる三無自性説が『般 若経』の教説である「一切諸法無自性」の密意とされていることを確認した。

  『般若経』の思想はしばしば瑜伽行派の文献において三性説と関連付けられている。こ のことから三性説の「萌芽的思想」を『般若経』に求めようとする見解もある。これに対 し、瑜伽行派がすでに形成された三性説という教義を援用して、既存の『般若経』の思想 を解釈しているのであって、必ずしも『般若経』に直接三性説の萌芽的思想が説かれてい ることを意味しない、という見解を確認し、本研究でもこれを支持した。

  ただし、瑜伽行派は『解深密経』以降、『般若経』の「一切諸法無自性」を三無自性説と して解釈するようになるが、『菩薩地』に見られる「一切諸法無自性」解釈は、三性説と三 無自性説が形成される以前の思想を示すものだとされている。そのため、『菩薩地』の解釈 がなされた理由や意義を考察することは、三性説の説述意図、また三性説が形成された理 由を明らかにするための一助となると考えられる。これについては本研究第3 章で考察す る。

  また、『菩薩地』に見られる三性説の「萌芽的思想」に『中論頌』の二諦説が影響を与え ているという従来の指摘を再検討した。『中論頌』の二諦説は、paramārthaの連語関係や文 脈、また『菩薩地』ではparamārthaとparamārthasatyaという表現がsatyaの有無によって意 味に違いが見られること、そして『菩薩地』の二諦説などを鑑みたとき、約理の二諦では なく約教の二諦として理解するのが妥当だと考えらえた。したがって、世尊の教説の分類 である約教の二諦が、諸法の持つ自性に区別を設ける三性説には、直接の影響を与えては

いないと指摘した。

  しかし、『中論頌』からの影響がまったくなかったわけではない。『中論頌』の二諦説が 説述された背景には、有自性に基づく実在論者と、無自性、空性に基づくナーガールジュ ナとの対立があった。(1)実在論者はナーガールジュナが主張する無自性に基づく空性を 虚無論とみなし、(2)一方で自身の思想的立場である有自性に基づく空性を、空性という 自性、空性もまた自性であると解釈しているのだと考えられた。ナーガールジュナは前者

をdurdṛṣṭā śūnyatā、後者をśūnyatādṛṣṭiという表現で批難していた。この両表現を関連付け

る考察は従来なされていないが、どちらも有自性に基づくからこそなされる空性理解の 2 つの側面であって、相互に因果関係を形成し得る点に、√dṛś という同じ語根に由来する表 現であることの意義が考えられた。

  また、従来は空性が虚無的に理解されることを危惧する問題意識が『中論頌』と『菩薩 地』には共通していると指摘されている。しかし『菩薩地』において、言語表現され得な い自性を主張する点で有自性の思想的立場にあり、自身の空性理解をsugṛhītā śūnyatāだと する。そして、ナーガールジュナの思想的立場を追随すると考えられる損減をなす者の空 性理解を虚無論とみなし、durgṛhītā śūnyatāとする。つまり、『中論頌』は無自性の立場から 有自性の立場へのdurdṛṣṭā śūnyatāという批難であったが、『菩薩地』では逆に有自性の立場 から無自性の立場へのdurgṛhītā śūnyatāという批難がなされている。このことから、空性が 虚無論だとされることを危惧する共通の問題意識の背景には、有自性と無自性とを巡る存 在論的な問題意識が通底しており、無自性を虚無論とみなすのはいつも有自性の思想的立 場であることが分かる。したがって、空性や二諦説が三性説の形成に直接影響を与えたの ではなく、その根本にある、有自性と無自性とを巡る存在論的な問題意識こそが影響を与 えているのだと考えられるのである。あるいは、そのような問題意識の延長線上に三性説 の形成を位置付けることができると考えられるのである。

  さらに、三性説の萌芽形態が存在論的な文脈で言及されているのに対し、アーラヤ識や 唯識思想と結び付いて認識論的な性格を帯びた三性説であっても、増益と損減と関係付け られており、また依他起性が実在として理解されていることを確認した。このように、後 代に至っても三性説は存在論的な性格を持ち続けていることから、そもそもの三性説の説 述意図が有自性と無自性とを巡る存在論的な問題意識に起因していることを指摘した。

2.『菩薩地』における「真実義品」の位置付け 

2.1 『菩薩地』の伝える構成

  本章では、『菩薩地』第 4 章「真実義品」(Tattvārthapaṭala)に見られる三性説の萌芽形 態の考察に先立ち、全28章からなる『菩薩地』の章構成、ならびに「真実義品」の位置付 けを確認する。

  『菩薩地』は全28 章で構成されるが、それらは ①「瑜伽処」、②「十法」、③「種姓・

発心・菩提分法」、④「三種の学道」という異なる観点から、階層構造を伴って分類されて いる。このうち、三種の学道については先行研究においてその適用範囲にいくつか異論が 提起されている。その理由として、『菩薩地』には適用範囲が明示されていないことが挙げ られる。そこで、先行研究の諸見解を整理した上で、従来参照されていない後代のサーガ ラメーガによる註釈の解釈を参照し177、適用範囲について考察する。

177 『菩薩地』のインド選述とされる註釈書にはチベット訳で四種類伝えられている。以下に箇条書 きで示す。

(1)全章に渡る註釈

Sāgaramegha(Rgya mtsho sprin, 海雲)著、*Bodhisattvabhūmivyākhyā(BBhVy, サーガラメーガ註)、

Śāntibhadra・Tshul khrims rgyal ba訳

(2)第9章「施品」(Dānapaṭala)までの註釈

Guṇaprabha(Yon tan 'od, 徳光)著、*Bodhisattvabhūmivṛtti(D4044, P5545)、Dīpaṃkaraśrījñāna

(Atīśa)・Tshul khrims rgyal ba訳

(3)第10章「戒品」(Śīlapaṭala)のみの註釈

Guṇaprabha著、*Bodhisattvaśīlaparivartabhāṣya(D4045, P5546)、Prajñāvarman・Ye shes sde訳

(4)第10章「戒品」(Śīlapaṭala)のみの註釈

Jinaputra(Rgyal ba'i sras, 最勝子)著、*Bodhisattvaśīlaparivartaṭīkā(D4046, P5547)、Jinamitra・ Prajñāvarman・Ye shes sde訳

  袴谷[1977: 18 fn.20]は『ターラナータ仏教史』を根拠にサーガラメーガを8世紀の人物だと想定 する。「註釈者Sāgarameghaは、Tāranātha …(省略)…によれば、Kri srong lde btsanと同時代とされ る、インド西方Cakrayudha王の時代の人として記述され、「菩薩地の註訳が非常に有名(Byang sa'i 'grel

pa ni grags che'o)」とある。この記述のみによれば8世紀の人ということになる。」と述べる。

2.1.1 瑜伽処

  『菩薩地』は全28章で構成されるが178、それらは幾種かの枠組みによって体系付けられ、

分類される。一番大きな枠組みは『声聞地』同様、4つの「瑜伽処」(yogasthāna)である。

この枠組みは本文中で言及されるわけではなく、梵本とチベット訳では各章の末尾、漢訳 では各章の冒頭で章題が示されるが、その際に瑜伽処が合わせて示されることによって知 られる。玄奘の訳語によれば、(I)「初持瑜伽処」(ādhārayogasthāna)、(II)「第二持隨法瑜伽 処」(ādhārānudharmayogasthāna)、(III)「第三持究竟瑜伽処」(ādhāraniṣṭhayogasthāna)、(IV)

「第四持次第瑜伽處」(anukrama)179である。

178 現行のすべての梵本が第27章「三十二相八十種随好品」(Lakṣaṇānuvyañjanapaṭala)と第28章「建

立品」(Pratiṣṭhāpaṭala)とを別立しているが、本来は前者を後者に含めて全 27 章としていた可能性

がある。『菩薩地』の基本的な章構成を示す「十法」(daśadharma)に数えられていないこと(後註181 参照)、チベット訳、曇無讖訳、玄奘訳が「三十二相八十種好品」を別立していないことが根拠であ る。しかし、求那跋摩訳は「畢竟地三十二相八十種好品第五」(T30.1009b17)として別立している。

179 梵本のうち荻原本(Cambridge写本)、チベット訳、玄奘訳には第28章「建立品」の後にanukrama が付されている。梵本とチベット訳では単にanukramaとするのみで瑜伽処とはみなされていない。

一方、玄奘訳は「第四持次第瑜伽処」とし、さらに「發正等菩提心品」という章題を与えている

(T30.575b27–28)。

  サーガラメーガ註では『菩薩地』全体は第三持究竟瑜伽処までの3つで構成されると示されており、

『菩薩地』本論の梵本とチベット訳と同様にanukramaは瑜伽処に数えられてはいない。

BBhVy D2b2–3, P2b7–3a1

yang byang chub sems dpa'i sa ma lus pa ni gnas gsum gyis bsdus par rig par bya'o // gzhi'i rnal 'byor gyi gnas dang / gzhi'i rjes su mthun pa'i rnal 'byor gyi gnas dang / gzhi'i mthar thug pa'i rnal 'byor gyi gnas so // gzhi'i rnal 'byor gyi gnas ni le'u bco brgyad kyis bsdus pa'o // gnyis pa ni le'u bzhis bsdus so //

gsum pa ni le'u lnga'i bdag nyid do //

さ ら に 菩 薩 地 全 体 は 3 つ の 処 に 包 摂 さ れ る と 知 ら れ る べ き で あ る 。 持 瑜 伽 処

(*ādhārayogashtāna)、持随[法]瑜伽処(*ādhārānudharmayogasthāna)、そして持究竟瑜伽処

(*ādhāraniṣṭhāyogasthāna)である。[第一の]持瑜伽処は18章に包摂されている。第二[の持

随法瑜伽処]は4章に包摂されている。第三[の持究竟瑜伽処]は5章を自体とする。

  サーガラメーガ註にも anukramaは存在しているが、それに対してサーガラメーガは何ら註釈して おらず、本論のanukramaがそのまま同文で記載されている。これについて古坂[1996: 126–127]は、

サーガラメーガはanukramaのない梵本を註釈し、それがチベット語に訳される際にanukramaが付加 された可能性があることを指摘している。anukramaの内容については古坂[1996]を参照されたい。

  なお、古坂氏によれば窺基撰『瑜伽師地論略纂』(T43.128c7–9)と遁倫撰『瑜伽論記』(T42.484a21–

27)は第四瑜伽処まで数えているというが、それは anukramaを含む玄奘訳に対する註釈だからであ ろう。