第4章 特定環境保全公共下水道事業計画
第5節 公共下水道(処理場)事業計画
1 終末処理場
公共下水道の設備には管渠(下水管)と終末処理場が一緒に設備される。
汚水は下水管を通して集められ、きれいな水に処理して放流する。そのきれ いな水にする施設が終末処理場である。
汚水処理の仕組みは様々あるが、汚水をきれいにして再び堰や河川へ流す には、法の規制がある。不適切な処理で、浄化されずに放流された水で公害 が発生し、環境に害を与えるのを防ぐためである。各都市で認可申請が相次 いだ昭和30年代(1955)から昭和40年代(1965)、下水道事業の認可は、管 渠整備(下水管工事)は建設省、終末処理場は水質の問題があったため厚生 省の管轄であった。
山形市の公共下水道計画も、昭和36年(1961)8月3日に厚生省の認可を 受け、同年12月1日建設省の認可を受ける。認可を受ける前に計画案を各省 へ打診したが、その案は、計画区域を城南地域と城北地域に分け、城南地域 は南館に城北地域は下条に終末処理場を作るものであった。その結果、厚生 省からは以下の2点の提案がなされた。
①人口約30万人の都市の場合、終末処理場が2ヵ所あるのは経費的に問題 があり、1ヵ所に絞ること。
②場所は沼木のし尿処理場近辺で、浄化された水を須川へ流すこと。
山形市の下水道計画は、浄化した水を灌漑用水として再利用するのが大き な目的でもあった。厚生省の提案では、その目的達成に困難が予想されたた め、改めて案を練り直すことになった。その結果、最終的に浄化した水を灌 漑用水として再利用しやすい場所として現在の浄化センターの位置、宮町字 川原田(現在の嶋南一丁目)を選定したのである。
水の再利用が目的なので汚水を浄化する施設の仕組みは「高級処理」を目 指した。当時、大都市以外の処理場は経費がかからない「簡易処理」が一般 的であったが、山形市は敢えて経費はかかるものの、将来を見据えて高級処
第5節 公共下水道(処理場)事業計画
※1『山形市下水道30年史』
理を選んだ。簡易処理とは、集まってきた汚水を大きなゴミを取り払い、沈 殿池へ流し、汚れと水を分離しただけで放流するものである。山形市は、高 級処理を採用し「活性汚泥法」を使って汚水を浄化することにした。活性汚 泥法とは、簡易処理後の汚水をさらに曝気槽へ入れ空気を吹き込んで汚水を バクテリアに分解させ、最後に最終沈殿池へ流し、汚泥と水に分け、消毒設 備を通して放流する仕組みである。下水道事業認可4年後の昭和40年(1965)
11月15日、山形市は仙台市、盛岡市についで東北で3番目の処理場「宮町終 末処理場」の供用を開始した。
2 供用開始、その後の課題
供用開始直後は、まだ下水管が整備されていないため汚水の量も少なく、
また高級処理をする設備が完成していなかったため、簡易処理でスタートし た。
昭和45年(1970)度末に曝気槽と最終沈殿池、塩素混和池が完成し、昭和 46年(1971)5月18日から活性汚泥法による高級処理が始まった。しかし、
当時は高級処理による処理場の運転は未経験で、苦労の連続であった。上手 くバクテリアが働いてくれなかったり、汚水から分離した汚泥の処理に手間 取ることもあった。
昭和46年7月1日に環境庁が発足。同時に水質汚濁防止法が施行され、浄 化した水の水質基準は同法によって定められることになった。高級処理を導 入していた山形市は、すでにこの基準をクリアしていた。
汚水は活性汚泥法で浄化すると汚泥が発生する。管渠整備が進むと汚水 の量が増え始め、分離した汚泥が場内に徐々に溜まっていった。昭和47年
(1972)に汚泥の真空脱水機が導入され、それまでのバッチ運転(ある程度 汚泥が溜まったら運転をする方法)から連続運転が可能になると、脱水汚泥 の量も増えていった。昭和48年(1973)にオイルショックがあり、ちょうど リサイクルという言葉が一般的なったころである。
昭和50年(1975)代は、メンテナンスと効率のよい汚水処理に焦点があて られていた。汚泥は水分が多すぎると、体積が増え量が多くなる。また凝集 剤などを入れると水分が抜けるが、凝集剤を入れた分、汚泥の量が増える。
汚泥は場内の窪地に貯留していたが、それも一杯になり、さらにそこへ積み 上げ「東北のピラミッド」※1と呼ばれるぐらいの量になった。このためコン ポスト化による汚泥の農地還元を目指した調査を開始した。一方汚泥の嫌気
第1章第5節
※2 嫌気処理とは、酸素のない嫌気的条件において微生物の代謝作用により汚れのもととなる有機物を分解する生物学的プロセス
※3 昭和53年(1978)9月14日、山形市議会建設委員会にて
処理※2によって発生する消化ガスは、ガスエンジンを使って発電ができな いか調査を開始した。
汚泥と消化ガスの再利用に目処がついたのは昭和50年代後半である。汚泥 をコンポスト(堆肥)化する調査を行い、水分を70%台まで脱水した脱水汚 泥ならコンポストにできる見込みが出てきた。その当時、市議会の建設委員 会で「脱水汚泥または脱水ケーキとは処理済みのものを言っている」として、
「汚泥」の悪いイメージを払拭するため「脱水ケーキ」に統一する※3こと になった。以後、下水道関連の説明には「脱水ケーキ」という言葉が使われ るようになった。
昭和53年(1978)10月2日の事業認可変更で脱水ケーキをコンポスト化す るための施設「前明石ケーキ処理場」を追加した。
わが国の下水道建設は合流式を主流に採用されてきた。このため宮町終末 処理場の処理設備は、合流式の処理場のデータを参考にして設計せざるを得 なかった。しかし、分流式に取り組んだ山形市の場合、供用開始から約10年 も経過すると独自のデータが集まり、当初の計画に使用したデータとの差か ら修正を行う必要があった。課題となっていた臭気問題、汚泥の脱水の問題 などに対処するため、昭和56年(1981)3月23日の事業認可変更で、施設の 改善に着手し、それまで「宮町終末処理場」としていた処理場の名称を「浄 化センター」と改名し、イメージアップを図った。
続いて浄化センターとしては環境問題とリサイクル、そして省エネを目指 すことになる。昭和63年(1988)11月に火花点火式ガスエンジン発電機を導 入。場内の約20%の電力をまかなうことができるようになった。
最上川流域関連公共下水道(山形処理区)の事業が認可されたのが昭和58 年(1983)11月22日である。以降、流域関連の管渠工事が進むとこれまで公 共下水道事業(単独)の区域で受け持っていたところを流域関連の区域へ編 入する作業が進められた。
平成18年(2006)8月8日の公共下水道事業(単独)の事業認可変更で、
流域関連事業への編入は終了する。
この時、流域関連事業に編入された区域に流通センター処理区がある。流 通センター処理区は、もともと流域関連公共下水道事業で整備する予定で あったが、流通センターを建設した当初、下水道の整備を行うため急遽、単 独公共下水道事業へ編入し、流通センター終末処理場を建設して汚水の処理 を行った。供用開始は昭和54年(1979)4月1日であった。処理方法は回転
※2 嫌気処理とは、酸素のない嫌気的条件において微生物の代謝作用により汚れのもととなる有機物を分解する生物学的プロセス
※3 昭和53年(1978)9月14日、山形市議会建設委員会にて
処理※2によって発生する消化ガスは、ガスエンジンを使って発電ができな いか調査を開始した。
汚泥と消化ガスの再利用に目処がついたのは昭和50年代後半である。汚泥 をコンポスト(堆肥)化する調査を行い、水分を70%台まで脱水した脱水汚 泥ならコンポストにできる見込みが出てきた。その当時、市議会の建設委員 会で「脱水汚泥または脱水ケーキとは処理済みのものを言っている」として、
「汚泥」の悪いイメージを払拭するため「脱水ケーキ」に統一する※3こと になった。以後、下水道関連の説明には「脱水ケーキ」という言葉が使われ るようになった。
昭和53年(1978)10月2日の事業認可変更で脱水ケーキをコンポスト化す るための施設「前明石ケーキ処理場」を追加した。
わが国の下水道建設は合流式を主流に採用されてきた。このため宮町終末 処理場の処理設備は、合流式の処理場のデータを参考にして設計せざるを得 なかった。しかし、分流式に取り組んだ山形市の場合、供用開始から約10年 も経過すると独自のデータが集まり、当初の計画に使用したデータとの差か ら修正を行う必要があった。課題となっていた臭気問題、汚泥の脱水の問題 などに対処するため、昭和56年(1981)3月23日の事業認可変更で、施設の 改善に着手し、それまで「宮町終末処理場」としていた処理場の名称を「浄 化センター」と改名し、イメージアップを図った。
続いて浄化センターとしては環境問題とリサイクル、そして省エネを目指 すことになる。昭和63年(1988)11月に火花点火式ガスエンジン発電機を導 入。場内の約20%の電力をまかなうことができるようになった。
最上川流域関連公共下水道(山形処理区)の事業が認可されたのが昭和58 年(1983)11月22日である。以降、流域関連の管渠工事が進むとこれまで公 共下水道事業(単独)の区域で受け持っていたところを流域関連の区域へ編 入する作業が進められた。
平成18年(2006)8月8日の公共下水道事業(単独)の事業認可変更で、
流域関連事業への編入は終了する。
この時、流域関連事業に編入された区域に流通センター処理区がある。流 通センター処理区は、もともと流域関連公共下水道事業で整備する予定で あったが、流通センターを建設した当初、下水道の整備を行うため急遽、単 独公共下水道事業へ編入し、流通センター終末処理場を建設して汚水の処理 を行った。供用開始は昭和54年(1979)4月1日であった。処理方法は回転
円板法による高級処理を採用。これは公共下水道としては全国でも初めての 処理方法であったため、全国各地の下水道関係者らの脚光を浴びる。最初沈 殿池から円板をいくつも並べた回転体を反応タンクで回転させ、円板に付着 したバクテリアが汚水と空気に交互に触れることによって汚水を分解するシ ステムであった。山形流通センター区域はもともと流量が少なく、且つ、日 中と夜間の汚水の量の変動が大きいことからこの処理方法で対応したのであ る。
平成15年(2003)処理場は建設から24年がたち、処理設備の老朽化が激し いため、その対処についての会議が開かれた。平成6年度に流域下水道大野 目幹線が完成しており、流通センター処理場から400mしか離れていないこ となどから、処理設備の修繕・維持よりも流域幹線への接続を選び、平成17 年(2005)10月31日の流域関連公共下水道事業変更認可の申請に流通センター 処理区を追加し、平成18年(2006)3月24日に切替工事を完了して、流通セ ンター終末処理場の運転を休止した。その後、同年8月8日の公共下水道事 業計画の変更認可で流通センター終末処理場は廃止となった。流通センター 処理区の移動で公共下水道区域がほぼ確定したことにより、浄化センターは次の 計画に移っていく。その計画は環境問題、省エネ化、リサイクルであった。
3 環境問題と省エネ化、効率化
平成5年(1993)11月19日、これまでの公害対策基本法が廃止され、環境 基本法が施行。公害から環境へ時代の視点は移った。さらに同年には「エネ ルギー使用の合理化等に関する法律」(通称「省エネ法」)が改正され、平成 9年(1997)には京都議定書が合意される。
昭和63年(1988)9月に完成した消化ガス発電設備
第1章第5節