第4章 雨水幹線の整備
第3節 下水道事業と将来負担
※ マイナス・シーリングとは、予算編成時に各省とも前年度の概算要求を一定の比率で抑えることで全体総額 を抑えるというもの
1 経済情勢の低迷と下水道財源への影響
昭和53年(1978)に発生した第2次オイルショックが、日本経済に大きな 影を落とし始めたのは昭和55年(1980)頃。それまで日本のGDPは毎年5%
台で伸びてきたが急落し、昭和58年度には3.7%になった。この景気の状況 で国の税収は減り始め、マイナス・シーリング※となった。建設省の下水道 事業の予算は他の事業の予算と同じように抑えられ、昭和56年度は1兆8,349 億円だったが、翌57年度は1,252億円の減、それが昭和59年度まで続く。昭 和61年度になってようやく昭和56年度の額を上回る状態であった。建設省は 下水道整備五箇年計画を立てているが、予算の増加を計上するものの実施額 が下回る結果となっていた。
当時の山形市の下水道事業は、浄化センターの汚泥処理のための設備の整 備(第3章第1節)や昭和53年(1978)から前明石処理場の建設が始まり(第 8章第3節)、昭和57年(1982)から浄化センターの管理棟建設が始まるなど、
終末処理場への投資が予定されていた。
一方、管渠整備は昭和58年度から流域下水道事業がスタートしたばかり で、特に流域幹線の管渠工事は直径1.8mにもなる大型の管渠を埋設しなけ ればならず、大規模な工事で期間がかかり建設費が嵩む。こうした理由から、
山形市では下水道整備に大型の予算を計上していたが、その財源の一つであ る国庫補助金の補助率は、平成4年度に暫定の補助率となり率が下がった。
山形市の下水道事業を推進して行くには、この幹線管渠の整備が進まない限 り、平成20年度の目標は達成できない。是が非でも整備を進めていくために は、市債(企業債)を発行して、下水道事業への投資を続けなくてはならな かった。
※ マイナス・シーリングとは、予算編成時に各省とも前年度の概算要求を一定の比率で抑えることで全体総額 を抑えるというもの
1 経済情勢の低迷と下水道財源への影響
昭和53年(1978)に発生した第2次オイルショックが、日本経済に大きな 影を落とし始めたのは昭和55年(1980)頃。それまで日本のGDPは毎年5%
台で伸びてきたが急落し、昭和58年度には3.7%になった。この景気の状況 で国の税収は減り始め、マイナス・シーリング※となった。建設省の下水道 事業の予算は他の事業の予算と同じように抑えられ、昭和56年度は1兆8,349 億円だったが、翌57年度は1,252億円の減、それが昭和59年度まで続く。昭 和61年度になってようやく昭和56年度の額を上回る状態であった。建設省は 下水道整備五箇年計画を立てているが、予算の増加を計上するものの実施額 が下回る結果となっていた。
当時の山形市の下水道事業は、浄化センターの汚泥処理のための設備の整 備(第3章第1節)や昭和53年(1978)から前明石処理場の建設が始まり(第 8章第3節)、昭和57年(1982)から浄化センターの管理棟建設が始まるなど、
終末処理場への投資が予定されていた。
一方、管渠整備は昭和58年度から流域下水道事業がスタートしたばかり で、特に流域幹線の管渠工事は直径1.8mにもなる大型の管渠を埋設しなけ ればならず、大規模な工事で期間がかかり建設費が嵩む。こうした理由から、
山形市では下水道整備に大型の予算を計上していたが、その財源の一つであ る国庫補助金の補助率は、平成4年度に暫定の補助率となり率が下がった。
山形市の下水道事業を推進して行くには、この幹線管渠の整備が進まない限 り、平成20年度の目標は達成できない。是が非でも整備を進めていくために は、市債(企業債)を発行して、下水道事業への投資を続けなくてはならな かった。
第3節 下水道事業と将来負担
※ 平成28年1月から、建設改良費の財源にする場合のみ償還期限が30年から40年に延長された。
表5−3−1 国費補助率
種 類 昭和59年度 平成4年度(暫定) 平成5年度以降(恒久)
公共下水道 管渠等 6/10 1/2 1/2
環境保全公共下水道 終末処理場 2/3、6/10 5.5/10、1/2 5.5/10、1/2 流域下水道(第1種) 管渠等 2/3 5.5/10
管渠等 1/2
終末処理場 3/4,2/3 6/10、5.5/10 流域下水道(第2種) 管渠等 2/3 5.5/10
終末処理場 2/3、
終末処理場 2/3,6/10 5.5/10、1/2 1/2
都市下水路 4/10 4/10 4/10
流域下水道の区分は、平成5年度に統合 出典:下水道事業の手引「国費率の区分」より
2 市債の償還残高
市債は一般の借金と性質が違い、近い将来下水道を利用する世代にもその 負担をしてもらうというものである。ただし、闇雲に債権を発行することは できない。これは地方債の充当率と呼ばれるものがあり、建設費に対する割 合が決まっている。また、その償還期限は30年※で、借り入れから5年後に 償還が始まる仕組みである。それらを考慮して山形市の下水道建設費は、昭 和60年度の総額23億7,790万円、うち市債は9億2,180万円、建設費に占める 割合は38.8%。昭和61年度は38.6%で9億9,760万円であったが、翌62年度は 25億88万円と57.4%まで占めるようになった。こうして市債の発行で財源を 確保すると市全域を視野にいれた下水道整備が本格的に始まった。
市債の額は、昭和63年度で36億円。さらに翌平成元年度には初めて40億円 の大台を突破し、40億5,410万円、建設費の58.6%を占めるようになった。先 の章でも述べたとおり、平成5年に策定された長期目標では、計画達成が平 成20年(2008)であるため、5年毎の事業費計画を策定。その計画では年間 約100億円の規模になった。市債の発行実績額はピーク時の平成10年度には 97億円に達した。
こうして毎年市債を発行し、その残高が昭和63年度には約176億2,573万円 に達し、同年度の償還額は利息込みの約10億6,070万円となった。さらに平 成14年度には残高は1,003億322万円、償還額は56億8,675万円となり、こうし た市債の償還は財政を次第に圧迫するものとなっていた。こうした状況に対 応するため、平成17年(2005)1月21日総務省が全国財政課長・市町村課長
第5章第3節
合同会議を開催し、その会議のなかで資本費平準化債の活用について説明が なされた。
償還期間と設備等の資産に対する減価償却費の期間に構造的なズレがあ り、そのズレが事業費の財源に影響を及ぼすため、施設の耐用年数を考慮し たうえ償還期間を最大の20年間とした市債を利用することを促した。山形市 も平成17年(2005)3月の市議会予算委員会で説明し、平成18年(2006)5 月に5億3,970万円の資本費平準化債を発行した。
平成元年から平成25年度までの市債残高のピークは平成20年度の1,139億 1,497万円で、同年の償還額は133億7,108万円だった。その後、市債残高は減 少に転じた。平成20年6月の市議会で市川市長は、償還で経営は苦しいが、
一般会計からの繰入金を増加させ、また公営企業借換債等を活用しながら、
できるだけ企業経営の安定を図っていきたいと述べた。その後、資本費平準 化債を利用しながら、過度な償還にならないよう運営をおこなうことに重き を置き、目標達成年度である平成20年度以降は経営の透明化を目指して、地 方公営企業法の全適用及び公営企業会計の導入、また上水道部との統合によ る維持管理費の削減を行うなど大きな転換点を迎えた。
5−3−2 平成4年度からの市債(企業債)残高の推移
合同会議を開催し、その会議のなかで資本費平準化債の活用について説明が なされた。
償還期間と設備等の資産に対する減価償却費の期間に構造的なズレがあ り、そのズレが事業費の財源に影響を及ぼすため、施設の耐用年数を考慮し たうえ償還期間を最大の20年間とした市債を利用することを促した。山形市 も平成17年(2005)3月の市議会予算委員会で説明し、平成18年(2006)5 月に5億3,970万円の資本費平準化債を発行した。
平成元年から平成25年度までの市債残高のピークは平成20年度の1,139億 1,497万円で、同年の償還額は133億7,108万円だった。その後、市債残高は減 少に転じた。平成20年6月の市議会で市川市長は、償還で経営は苦しいが、
一般会計からの繰入金を増加させ、また公営企業借換債等を活用しながら、
できるだけ企業経営の安定を図っていきたいと述べた。その後、資本費平準 化債を利用しながら、過度な償還にならないよう運営をおこなうことに重き を置き、目標達成年度である平成20年度以降は経営の透明化を目指して、地 方公営企業法の全適用及び公営企業会計の導入、また上水道部との統合によ る維持管理費の削減を行うなど大きな転換点を迎えた。
5−3−2 平成4年度からの市債(企業債)残高の推移
第6章
普及率の向上対策
施設見学の様子
山形市において公共下水道施設の設置が始まったのは、昭和36年(1961)
のことである。第一期山形市公共下水道事業は、昭和36年度から昭和46年度 までの7カ年の継続事業とし、事業総額8億5千万にのぼる大型予算が計上 された。事業に着手してから5年を経て、昭和40年(1965)11月1日に公共 下水道の供用が始まった。この記念すべき日は、東海道新幹線ひかりが、東 京新大阪間を3時間10分という驚異的なスピードで運行を開始した日でもあ る。広報やまがた同年9月11日号の紙面には「下水道まもなく運転開始」と いう文字が踊り、高度経済成長時代にあって、用排水の水質が改善され、水 洗トイレによる衛生的な生活が実現できる市民待望の供用開始であった。
昭和40年度の処理区域内の戸数は2,320戸で、山形市では利用率32%と見 込んでいたが、実際の処理(水洗化)戸数は37戸、利用率1.59%に過ぎなかっ た。翌年の昭和41年度には処理区域内の戸数は3,293戸に増えたが、処理戸 数は214戸にとどまり、利用率は6.50%と低く、市が見込んだ利用率を大き く下回る結果となった。その原因としては①PRの不足、②保守的な市民性 や従来からの生活様式、③トイレ改造の資金問題、などである。いずれにし ても、供用開始後の公共下水道利用率の低迷は、終末処理を含めた維持管理 費を下水道使用料で賄う原則の上から問題であり、また終末処理場流入水量 が不足して爆気処理が行えないなどの困難な問題に直面した。
昭和41年(1966)7月に、公共下水道の普及率を向上させて、これらの問 題を解消するために取り入れたのが普及員制度である。この制度は、5名の 嘱託普及員を採用し,本管埋設区(処理区)の未利用家庭を訪問して利用促 進を図ることを目的とした。普及員は訪問した家庭の排水設備の設置や汲取 り便所の水洗化の相談を受けながら、下水道の利用について趣旨や意義、資 金融資制度について説明することを主な業務としていた。昭和44年(1969)
に普及員が実施した、50世帯を対象に水洗化阻害要因のアンケート調査の結 果では、上位の阻害理由として①関心がない、②住宅改造時に、③地形上困