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日本における流通システムの変革プロセス

ドキュメント内 中国の流通システムに関する研究 (ページ 189-195)

第 7 章 日本の流通システムの変革とパートナーシップ型 流通システムの生成

2 日本における流通システムの変革プロセス

戦前、日本の流通構造は、個々の商業者の経営規模が小さくて人口・世帯数に 比べて業者数が多すぎたことに加えて、商業機構における中間流通段階が多いた め、商品の流通経路は長く複雑であった(増田・玉置著、2005、12 頁)。当時、

零細メーカーと零細小売業者が多く存在し、卸売業者がその媒介者としてリーダ ーシップを発揮した。日本の流通システムは戦後以降の高度経済成長期を経て大 きな変革が起こってきた。本節では、日本の 流通システムの発展過程を①戦後復 興期、②高度経済成長期、③安定成長期および④バブル経済崩壊後の 4 つに区分 して各段階の特徴について考察した上で、小売業態の発展特徴を明らかにする。

2-1 戦後復興期における流通システムの変革(1945-1955年)

日本における戦後復興期は、第二次世界大戦で敗北した直後の混乱期の困難な 時代を経て、その後に続く1945から 1955年までの時期である。この時期の日本 では、1950 年頃から朝鮮戦争による特需景気を機に混乱から脱して 1956 年には 国民所得が戦前の水準を回復したと言われる。戦時期以来の主要物資に対する価 格面と供給面での統制は、1946 年 3 月の「物価統制令」と同年 10月に施行され た「臨時物資需給調整法」により戦後も継続され、百貨店は公定価格で商売を行 う「配給機関」であった(高岡、1997、4頁)。百貨店の事業展開は、商業機能の 剥奪や占領軍による売場接収によって百貨店の事業展開に大きな影響を受けた 。 この時期の百貨店は、各種統制令により小売業としての機能を果たせず、日常必 需品の配給所としての役割が付された(石原・矢作編、2004、192-193頁)。戦後 の数年間、すべての物資は政府の統制によって管理されたため、ヤミ市場がはび

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こり、正常な商業活動はできなかった。1947 年に食料品の公定価格が廃止され、

1948 年から 1949 年にかけて経済統制が撤廃された後、百貨店をはじめ多くの小 売業は、自由な営業活動ができるようになった。当時、小規模・零細なメーカー と小売商が数多く存在し、戦前から強力な主導権を保持し続けてきた大規模卸売 商が流通システムにおいてリーダーシップを発揮し続けていた。

2-2 高度経済成長期における流通システムの変革(1956-1972年)

日本の経済は、戦後復興期を経て1956 年から世界に例のない高度成長期に入っ た。多くのメーカーは、アメリカを中心として海外諸国から新しい生産技術を導 入することで、大きな成長を遂げた。とりわけ、重化学工業を中心に大量の設備 投資が行われ、合成繊維・家庭用電気機器・自動車などの消費財 分野において技 術の革新と設備の近代化による大量生産方式が確立された。大量生産体制を確立 した大手メーカーは、大量の新製品を効率よく市場に流すために、 マーケティン グ戦略を駆使して流通段階に介入するようになった。寡占メーカーの流通段階へ の介入は、一般的に「流通系列化」政策と呼ばれている。流通系列化とはメーカ ーが自己の販売について、流通業者の協力を確保し、その販売について自己の政 策が実現できるように流通業者を掌握し、組織化する一連の行為である (野田、

1980、13 頁)。大手メーカーは流通業者の協力を確保するため、通常、非価格手

段(テリトリー制、顧客制限、排他的取引など)を行使して流通業者の行動をコン トロールするとともに、特約店制や建値制、リベートなどの商慣習を形成した。

特約店はメーカーが継続的で安定的な商品供給ネットワークを効果的かつ効率的 に形成するために、各地の有力卸売業者に対して特定地域の独占的販売権などを 与え、特定製品の継続的・優先的な供給を保証する 取引制度である(崔・石井編 著、2009、32 頁)。建値制とは、メーカーは全国どこにでも同程度の価格で商品 を供給するために、メーカー希望小売価格を設定し、その価格を基にして一定の 掛率によって、流通段階での取引価格を設定するものである(同上、33頁)。リベ ートとは、取引の一定期間後に卸売業者や小売業者に対して、その仕入れ額に応 じて支払われる金銭のことで、販売促進や流通業者のマージン補償、流通業者の コントロールなどを目的としている(渡辺、2011b、70頁)。このように、寡占メ ーカーは流通段階への介入によって自らの販売経路を直接的あるいは間接的に構 築することで、卸売業者に代わってチャネルの主導権を握るようになり、メーカ

184 ー主導型流通システムが形成された。

一方、戦後、アメリカからスーパーマーケットが日本に導入され、1956年から 低価格・大量販売を志向する総合スーパーが急速に成長し、新たな流通システム の変革をもたらした。アメリカ式セルフサービスの第1 号店は、1953年に青果食 料品を取り扱った小売業の「紀ノ国屋」である。1950年代にかけて既存の食料品 店はセルフサービス方式を取り入れてスーパーへと変わった(石原・矢作編、2004、

233頁)。日本では、1950年代後半から 1960年代にかけて、総合スーパーの誕生 が相次ぎ2、1960 年代以降本格的な発展を遂げた。1960 年代から、日本の経済は 高度成長時代に入り、大量生産体制の確立、消費水準の向上および生活様式の洋 風化などを背景に大衆化した消費型の市場社会が実現した。 当時、多くのスーパ ーは、大量仕入れとセルフサービスによるコストの削減や、取扱商品の拡大でチ ェーン店化へと急速に進展し、低価格販売を実現した。しかし、低価格販売を追 及するスーパーの台頭は、チャネルリーダーたる大手メーカーにとっては既存経 路とのコンフリクトの深刻化を意味していた。1964年、総合スーパーのダイエー が有力メーカーの松下電器産業(現、パナソニック)のテレビを 2 割引で販売し たことに対して、松下電器は製品出荷停止の措置を採って反発した。これに対し てダイエ ーは 松 下電 器 の出荷停 止が 独占禁 止 法違反に 当た るとし て 告訴した。

1965年には、花王石鹸(現、花王)もまたダイエーの大幅な値引き販売に対して 取引を停止することで反発した(矢作、1993)。これらメーカーによる対抗措置に もかかわらず、スーパーは1960 年代の高度成長を背景に急成長し、小売業の近代 化を主導した。そして1972 年には、総合スーパーのダイエーは当時小売業として 売上がトップであった三越百貨店を抜き、小売業トップの座を占めた (石原・矢 作編、2004、238-239頁)。

日本のスーパーは 1964 年から 1985 年にかけて急成長を遂げ、売上高も 7,880 億円から77,800億円へ約 10倍、店舗数も 3,620店から1985 年の25,221店へ約 7倍に増えた(図7-1を参照)。さらに、1974年になると、スーパーの売上高は百 貨店を上回って全小売業の10.5%のシェアを占めるようになった(表7-1を参照)。

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図7-1 スーパーの店舗数の推移(1964-1985年)

(出所):『我が国の商業』の各年版より筆者作成。

表7-1 全小売業・百貨店・スーパーの売上高比較

売上高(億円) シェア(%) 売上高(億円) シェア(%) 売上高(億円) シェア(%)

全小売業 83,500 100 403,000 100 1,017,190 100 百貨店 7,880 9.4 35,630 8.8 77,800 7.6 スーパー 3,924 4.7 42,535 10.5 147,656 14.5

1964年 1974年 1985年

(出所):同上。

2-3 安定経済成長期における流通システムの変革(1973-1991年)

日本の経済は、1973 年と 1978 年のオイルショックを経て、高度成長から安定 成長へ構造が転換した。安定経済成長期では、景気が次第に低迷し、消費者の生 活意識も物質的な豊かさを追求する「大量消費」から合理的な節約を追求する「計 画消費」や自分なりの生活を追求する「個性化消費」へと変わった。消費者のニ ーズに対応するために、製造業者の生産体制は、少品種大量生産から多品種少量 生産へと転換しなければならない。(増田・玉置著、2005、30-35 頁)。しかし、

多品種少量生産では、在庫の増加や納期の遅れというリスクが大きいため、需要 と密接に同期した生産方式が求められる。また、多品種の製品を需要の変化に即 応しつつ効率的に生産し、低コストで供給できる生産システムの確立が要請され

3,620 4,790

7,062 9,403 10,634 12,034

14,543

19,172

22,217 25,221

0 5,000 10,000 15,000 20,000 25,000 30,000

1964年 1966年 1968年 1970年 1972年 1974年 1976年 1979年 1982年 1985年 店舗数(店)

186 ていた。

一方、1974年にいわゆる大規模小売店舗法3が制定され、大規模小売業者の営業 活動に大きな制約が加えられ、小売業態の発展に大きな影響を与えたと同時に、

多様な形態の小型店を誕生させた一因となった。消費者の個性化や多様化のニー ズに応えるため、流通業者はコンビニエンス・ストア、ディスカウント・ストア 等の新たな小売業態を開発した(増田・玉置著、2005、33 頁)。日本の経済は、

1985年の「プラザ合意」以降、円高による景気後退を回避するために、政府が公 共投資拡大の積極財政に取り組むと共に、日本銀行が公定歩 合を引き下げる金融 緩和政策を推進した結果、景気拡大をもたらした一方で、土地や株式などへの投 機を助長し、バブル経済へと移行していくことになる。1980年代後半以降、消費 者の可処分所得が増加し、高額商品や高級品の購入によって生活の質を高める消 費者行動への変化が見られる。消費者のニーズに対応するため、大規模小売業者 は積極的に既存店舗の増床、リニューアルなどの設備投資や小売以外の事業分野 への多角化戦略が行われた。同時に大規模小売業者は、情報ネットワーク技術な どの発展を背景として、店舗の大型化およびチェーン・オペレーションが展開さ れるようになった。日本の流通におけるパワーが寡占メーカーから大規模小売業 者へとシフトする中で、寡占メーカー主導型の流通システムは動揺し、小売業者 主導型流通システムへと転換した。大規模小売業者による優越的地位の濫用が頻 繁に発生し、日本の流通システムの効率化を阻害する要因となる時期でもあった。

寡占メーカーによって形成された特約店制、建値制、リベートといった取引慣行 は、それまで相互補完的に機能することで、流通業者をコントロールしてきた が、

機能不全に陥っていた(崔・石井編著、2009、37-52頁)。すなわち、特約店制は チェーン小売業の規模拡大および特約店間の競争によって崩壊した。建値制は、

価格交渉のスタート・ラインに過ぎなくなり、実際の取引価格とますます乖離す るようになった。このことが、流通段階の実勢価格の更なる低下をもたらし、メ ーカー側が出したリベートの効果を低下させた。

2-4 バブル経済崩壊後の流通システムの変革(1992-現在)

1990年代初頭に日本のバブル経済が破綻し、「失われた20年」と呼ばれる低成 長期に突入した。多くの消費財メーカーは特約店の再編成、建値制やリベートの 廃止とオープン価格制の導入、という取引制度改正の動きを見せた。メーカーの

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