第 4 章 確率的フラッシュ AD 変換器の設計理論 49
4.4 確率的フラッシュ AD 変換器の線形化
4.4.3 提案する線形化手法
解析の前提として,オフセット電圧分布は標準正規分布に従い,無限個の比較器で確率的フ ラッシュAD変換器を構成していると仮定する[55, 56].すなわち,左右対称な釣鐘状の分布 を仮定する.有限個の比較器を使用することによる影響は4.5.4節で検討する.
提案手法による線形化のアイデアは,複数の差動対を用いて差動増幅回路の線形範囲の拡大 を行う“multi-tanh technique” [57, 58]の考え方をPDFの合成に適用したものである.すなわ ち,複数のPDFを配置する間隔と各PDFに重みを与え,再合成したPDFの度数を一様分布
図4.5 Weaverらは,AD変換後に分布端部の非線形を補償する方法によって線形化をしている[36, 39]
図4.6 Hamらは,比較器を2組に分割し,オフセット電圧分布 が左右対称系であること に着目してそれぞれの組に正負のちょうど平坦になる参照電圧(θREF=1σ)を印加して線形 化している[34]
図4.7 Ceekalaらのアイデアは,WeaverらとHamらの組合せと言える. 抵抗値の値が2 次関数となるように調整した抵抗ストリング(逆関数に相当)に複数組に分割した比較器群 を接続して線形化している[38]
図4.8 矢野らのアイデアは,分布端部の非線形な部分のみを検出してシフトすることで,
全体のPDFを平坦に近似する試みである[37].また,より平坦性を向上させるアイデアと して,矢野らは端部を検出してシフトしているが,PDFの中央を検出し,逆方向にシフト するとより平坦な特性を得られる.
にする*2.その際,以下の点がポイントとなる.
• 正規分布は左右対称な分布であるから,合成したPDFが左右対称になるためにはフル スケールの中央値を基準として左右対称に配置する.
• PDFを配置する間隔は外側に行くほど広くなり,重みも外側のPDFがより大きい.
図4.9は5組線形なPDFを合成する例であるが,内側のPDFは外側のPDF裾野が被ってい る様子がわかる.仮に全てのPDFが同じ重みで等間隔で配置されている場合,中央付近の度 数が高くなり平坦ではなく尖った分布になることが想像されるであろう.したがって,上に挙 げたポイントを考慮してパラメータを決定する必要がある.
以下に確率的フラッシュAD変換器のPDFを線形化するための,具体的な手法を説明する.
■解析的な手法 図4.9に提案する線形化手法を適用したPDFを示す.図4.10の破線で囲わ れた部分はそれぞれ分割された確率的フラッシュAD変換器の組を表している(同図の例では 5組すなわち M = 5に分割する場合を示す).各組の入力にはそれぞれの確率密度関数を左右 にシフトさせるための参照電圧±dk (k =1,2)が印加されている.ただし,この例では M = 5 で奇数組への分割なので,中央の1組の確率的フラッシュAD変換器だけは参照電圧を加えな
*2PDFに重みを与えるとは,確率密度関数の度数を変更することに相当する.したがって,AD変換に寄与する 比較器数を減らすことで調整できる.方法はアナログ回路側で電源の供給を止める方法や,デジタル回路側で 減らしたい分の比較器出力は加算しないなどがある.
い.線形化された最終出力は,各組のAD変換結果に対して,それらの和ができるだけ広い平 坦範囲を持つようにαk, βの重みづけ係数を最適化することで得られる.
比較器を2組に分割するHamらの方法では,適切な参照電圧を与えて左右のシフト量のみ を調整するだけで良かったが,3組以上では左右のシフトだけでは分布を平坦にすることはで きないため,中央付近の分布に重みづけをすることで,平坦な分布を実現する.
以上の考え方を分割数が任意のM組である場合に一般化すると,式(4.3)により標準正規分 布のPDFであるg(x)から,線形化された平坦範囲がより広いPDF fM(x)を設計することがで きる.
fM(x)=
βg(x)+
[M/2]
∑
k=1
αk{g(x−dk)+g(x+dk)}
β+2
[M/2]
∑
k=1
αk
(4.3)
ここで,βとαk, dk(k =1,2, . . . ,[M/2])は定数である.また,記号[m]はmを超えない最大 の整数を表す.すなわち,M が偶数なら[M/2] = M/2であり,奇数なら[M/2]= (M−1)/2 となる.fM(x)は偶関数でなければならないので,係数βは Mが偶数のときゼロであり,奇 数のときのみ値を持つ.また,分母は fM(x)が確率密度関数となるための正規化定数である.
この手法により分割組数が M = 3 ∼ 5組の場合について fM(x)が最大平坦特性を持つよう にパラメータαk, β, dkを最適化した結果(解析解)を表4.1に示す.線形化のポイントとして 述べたように,外側に行くほど配置の間隔が拡がり,重みも大きくなっていることがわかる.
また,fM(x)が等リプル特性を持つようにパラメータを最適化することも可能なので,許容さ れるリプル値が与えられれば,同じ Mの値に対して最大平坦特性よりもさらに線形入力範囲 を拡大することができる.
表4.1 最大平坦設計のパラメータ(M =3∼5).
M 3 4 5
d1 √ 3
√ 3−√
6
√ 5− √
10 d2 –
√ 3+√
6
√ 5+ √
10
β 4e−3/2 – 32
9 (7+2√
10)e−(5/2+√5/2)
α1 1 (5+2√
6)e−√6 1
9(89+28√ 10)e−
√10
α2 – 1 1
-6 -4 -2 2 4 6 0.04
0.08 0.12
α1 β
d1 d2 α2
d1 d2 P(x)
max. flat(M=5)
図4.9 PDFの最大平坦設計(M =5).
. Σ
. . . . .
. Σ
. . . . .
. Σ
. . . . .
. Σ
. . . . .
. Σ
. . . . .
SUM
× α1
× α1
× α2
× α2
× β
. . .
d1
d1
d2
d2
. . .
Analog input
Digital output
図4.10 提案する線形化確率的フラッシュAD変換器の構成.図はM =5組での線形化をする例
■近似的な方法 6組以上の最大平坦近似の厳密解は筆者らの解析した範囲では得られなかっ た.そこで,考え方を変えて,近似的に平坦化する方法を検討する.
多数組を用いてPDFを平坦化する場合,中央付近にある正規分布は左右の正規分布から同 程度の影響を受ける.そのため,図4.11に示すように,正規分布を等間隔に配置しても,最 終的に得られる分布は中央付近では良い精度で等リプル特性を示すと考えられる.分布の両端 付近では左右からの影響が非対称になり等リプル性が崩れるが,使用する比較器の総数が一定 であれば分割組数を増やすことによって,分布の端部にある比較器の影響は減少するので,線 形化手法として有効であると考えられる.
図4.11から明らかなように,リプルの量は参照電圧の間隔dにより調節できる.線形性を 良くするためには分布ができるだけ平坦であることが望ましいので,分割数を多くして適切な dの値を設定すればよい精度で平坦近似が成り立つと考えられる.
図4.12(a) はd = 1.5σとした例であるが,PDFが広い範囲で平坦になっている.こうして
得られたCDFの線形性を見るため,CDFを3折れ線近似したものからの誤差をプロットした
(同図(b)).CDFのリプル量はピーク値で6.0×10−4 であり,十分な精度で平坦と看做せるこ とがわかる.
同図(c)は,参照電圧の間隔がd= 1.5σ±20%の範囲で変動した場合を示している.同図よ り,dが設定値から±20%の範囲で変動したとしても,平坦性は殆ど崩れない.すなわち,参 照電圧の間隔dが多少ばらついても平坦性は維持されるということであり,このことは好まし い性質といえる.参照電圧の生成には,抵抗ストリングを用いることで1%以下の比精度を得 ることが容易であり,8ビット程度までの低分解能の用途では問題にならないと考えられる.
次に図4.13に,d =1.5σとしたまま,正規分布のσが±40%変動した場合のPDFを示す.
同図からわかる様に分布の σが小さくなった場合には,入力範囲は広がるものの,分布の広 がりに対して参照電圧の間隔が大きいため合成したPDFはリプルが大きくなり線形性は劣化 する.これに対し,σが大きくなった場合には,入力範囲は狭くなるものの,リプル量は小さ くなるため線形性を劣化させることはない.したがって,所望の線形性を満たすためにはあら かじめ分布のバラツキが大きくなることを見越して,参照電圧の間隔を小さく設定しておけば よい.