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悔い改め

ドキュメント内 福音の原則 (ページ 112-120)

わたしたちは皆,悔い改める必要がある

• 罪とは何でしょうか。罪はわたしたちにどのような影響を及ぼすでしょう か。

 イエス・キリストを信じる信仰を持てば,自然に悔い改めへと結びつきま す。アダムの時代から今こんにちに至るまで,この世の人には悔い改めが必要でし た。主はアダムに次のように言われました。「それゆえ,あなたの子供たちに 次のことを教えなさい。すなわち,どこにいる人でもすべての人が,悔い改め なければならない。そうしなければ,決して神の王国を受け継ぐことはでき ない。清くない者はそこに住むことができない,すなわち,神の前に住むこと ができないからである。」(モーセ 6:57 )

 わたしたちがこの世に来たのは,進歩成長するためであり,これは一生続 く過程です。この間にすべての人は罪を犯すので(ローマ 3:23 参照),悔 い改めが必要となります。あるときは無知で,またあるときは弱さや,故意の 不従順から罪を犯します。聖書には次のように記されています。「善を行い,

罪を犯さない正しい人は世にいない。」(伝道 7:20 )「もし,罪がないと言う なら,それは自分を欺あざむくことであって,真理はわたしたちのうちにない。」( 1 ヨハネ 1:8)

 罪とは何でしょうか。ヤコブは次のように述べています。「人が,なすべき 善を知りながら行わなければ,それは彼にとって罪である。」(ヤコブの手紙 4:17 )また,ヨハネは「不義はすべて」罪であり( 1 ヨハネ 5:17 ),罪は「不 法」である( 1 ヨハネ 3:4 )と記しています。

 これらの理由から,主は「どこにいる人でもすべての人が,悔い改めなけれ ばならない」と言われたのです(モーセ 6:57 )。完全な生涯を送られたイエ ス・キリストを除き,この世に生を受けたすべての人は罪を犯しています。天 の御父は大いなる愛をもって,罪を悔い改める機会を備えてくださったので す。

悔い改めによって罪から解き放たれる

• 悔い改めとは何でしょうか。

 悔い改めは罪から解き放たれ,赦ゆるしを得るために備えられた方法です。罪 は霊的成長を妨げ,阻さえします。悔い改めは再び霊的に成長し進歩でき るようにしてくれます。

 悔い改めるという特権は,イエス・キリストの贖あがないを通して可能になります。

イエスが罪の代価を支払ってくださったことを,わたしたちはある意味では完 全に理解していません。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,このこ とについて次のように述べています。

 「わたしも苦しんだことがありますし,あなたがたも苦しんだことがありま す。そして時には厳しい苦悩もあります。しかしわたしは……血が汗のよう に体から出てくるような苦悩というものを理解することはできません。それは 何か恐ろしいぞっとするようなものでした。……

 ……神の御子はわたしたちが自分の罪から逃れられるように,わたしやあ なたの罪を背負われました。その重荷に耐えられる人はこれまで地上に一 人もいませんでした。」(Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー 選,全 3 巻〔 1954 - 1956 年〕,第 1 巻,130 - 131 。強調は原文のまま)

 悔い改めは時として,非常な勇気と力,多くの涙,絶え間ない祈り,そして 主の戒めに従う不屈の努力を要します。

悔い改めの原則

• 悔い改めの原則とは何でしょうか。

 スペンサー・W・キンボール大管長は次のように言明しています。「悔い 改めに王道はなく,赦しに至る優先道路はありません。金持ちであろうと貧 しい者であろうと,教育があろうとなかろうと,背が高かろうと低かろうと,

王子であろうと貧民であろうと,王であろうと平民であろうと,すべての人が 同じ道を行かなければなりません。」(『歴代大管長の教え ― スペンサー・

W・キンボール』38 。強調は原文のまま)

罪を認めなければならない

 悔い改めるには,罪を犯したことを認識しなければなりません。罪を認識

教師へ― リストを書くことによって,学んでいる人 たちの興味を引き注目させるこ とができます。悔い改めの原則について生徒や家族と話し合うとき,それらの原則を だれかに黒板や大きな紙に書いてもらうとよいでしょう。

第 19 章

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しなければ,悔い改めることはできません。

 伝道の召しをおろそかにし,そのうえ重大な罪を犯した息子のコリアント ンに,アルマは次のように勧告しています。「ただ自分の罪にだけ心を悩ま し,その悩みによって悔い改めに導かれるようにしてもらいたい。……どんな ささいなことでも罪の言い訳をしようとしてはならない。」(アルマ 42:29 - 30 )聖文は罪深い行いを正当化してはならないと教えています(ルカ 16:15

- 16 参照)。

 生活のいかなる行いも,自分自身や主の目から隠すことはできません。

罪を悲しまなければならない

 罪を認めたうえで,自分のしたことを心から悲しまなければなりません。罪 を恐ろしいことであると感じ,捨て去りたいと思わなければなりません。聖 文には次のように記されています。「神の前にへりくだって,バプテスマを受 けたいと願い,打ち砕かれた心と悔いる霊をもって進み出て,自分のすべて の罪を心から悔い改め〔る〕人は皆,バプテスマによってキリストの教会に受 け入れられる。」(教義と聖約 20:37 )

• 2 コリント 7:9 - 10 およびモルモン書 2:10 - 14 を研究してください。

「神のみこころに添うた悲しみ」は,後悔の言葉とどのように異なっている と思いますか。

罪を捨てなければならない

 心から罪を悲しむならば,人はおのずと罪を捨てる(やめる)ようになりま す。盗んだら二度と盗まず,うそをついたらもはやうそをつかず,姦かんいんを犯し たら,やめることです。主は預言者ジョセフ・スミスに次のように啓示してお られます。「人が罪を悔い改めたかどうかは,これによって分かる。すなわ ち,見よ,彼はそれを告白し,そしてそれを捨てる。」(教義と聖約 58:43)

罪を告白しなければならない

 罪の告白は非常に大切なことです。主は罪を告白するよう命じられまし た。告白することにより,罪を犯した人は重荷を下ろすのです。主は次のよ うに約束しておられます。「主なるわたしは罪を赦し,またへりくだった心を もって自分の罪を告白する者たちに憐あわれみ深い ……。」(教義と聖約 61:2 )  すべての罪を主に告白しなければなりません。また,姦淫,私通,同性愛 関係,伴はんりょや子供への虐待,違法薬物の販売や使用など,教会員の資格に影 響を及ぼす重大な罪を犯した場合は,然しかるべき神権役員に告白しなければ なりません。だれかほかの人に対して罪を犯したときは,傷つけた相手に告 第 19 章

白すべきです。主と自分だけにかかわるさほど深刻でない罪は,他人を挟ま ず独りで主に告白すればよいでしょう。

罪を償わなければならない

 罪の償いは悔い改めの一部です。これは,できる限りのことをして犯した 過ちを埋め合わせることです。つまり,盗んだものを返すことであり,真実を 告げることであり,中傷して傷つけた相手の名誉を取り戻すように尽力するこ とです。このようにするならば,神は裁きの場でわたしたちの罪に言及される ことはないでしょう(エゼキエル 33:15 - 16 参照)。

人を赦さなければならない

 自分に対して罪を犯した人を赦すことも,悔い改めの必ひっ条件です。人へ の憎悪や恨み,悪感情から完全に心が清められないかぎり,主はわたしたち を赦してくださいません( 3 ニーファイ 13:14 - 15 参照)。「それゆえ,わた しはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄 弟の過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪 が残るからである。」(教義と聖約 64:9 )

神の戒めを守らなければならない

 悔い改めが完結するには,主の戒めを守らなければなりません(教義と聖 約 1:32 参照)。 什じゅうぶんの一を納めない,安息日を聖きよく過ごさない,知恵の言 葉を守らない,教会の指導者を支持しない,主や隣人を愛さないとしたら,完 全に悔い改めているとは言えません。祈りを怠り,人に不親切なら悔い改め ていないに違いありません。悔い改めると,生活は変わります。

 キンボール大管長は次のように述べています。「まず,悔い改めます。その 状態に到達したら,次に主の戒めに従うことによって,その状態を維持しな ければなりません。これは完全な赦しを得るうえで必要なことです。」( 『歴 代大管長の教え ― スペンサー・W・キンボール』43)

• この項にある教えは,悔い改めとは形式だけの一連の行為であるという間 違った考えとどのように異なっているでしょうか。

悔い改めはどのように助けとなるか

• 悔い改めはどのようにわたしたちの助けとなるでしょうか。

 悔い改めると,イエス・キリストの贖いが完全に生活に影響を及ぼすように なり,主は罪を赦してくださいます。わたしたちは罪の縄目を解かれ,喜びを 見いだすのです。

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ドキュメント内 福音の原則 (ページ 112-120)