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イエス・キリストを信じる信仰

ドキュメント内 福音の原則 (ページ 106-112)

信仰とは何か

 イエス・キリストを信じる信仰は福音の第一の原則です。信仰は霊的な賜たまもの

であり,救いに欠くことができません。ベニヤミン王は次のように宣言して います。「悔い改めて,主イエス・キリストを信じるのでなければ,……決して 救いは与えられない ……。」(モーサヤ 3:12 )

 信仰とは,「まだ見ていない真実のことを待ち望む」ことです(アルマ 32:

21 。ヘブル 11:1 も参照)。信仰とは日々の活動を動機づける,行動と力の 原則です。

 知恵や知識が得られると信じなかったら,勉強するでしょうか。こうすれ ば何かを達成できるという希望がなくて,毎日努力するでしょうか。農夫は 収穫を期待せずに植えるでしょうか。結末が見えなくても,わたしたちは望 みに基づいて行動します。これが信仰です(へブル 11:3 参照)。

 聖文には,信仰によりいかに偉大なことが成し遂げられたかが数多く記さ れています。

 信仰によって,ノアは箱舟を造り,洪水から家族を救いました(へブル 11:

7 参照)。モーセは紅海の水を分け(へブル 11:29 参照),エリヤは天から火 を下すよう祈り求めました(列王上 18:17 - 40 参照)。ニーファイは飢きんを 求め(ヒラマン 11:3 - 5 参照),同じように飢饉をとどめるよう主に願いまし た(ヒラマン 11:9 - 17 参照)。海が静まり,示現が開かれ,祈りがこたえら

教師へ― 本章は4つの項で構成されており,各項の見出しがどれも信仰についての 質問になっています。質問を利用しながらレッスンを進めることができます。クラス の状況が小グループの話し合いに適していれば 次のように行うとよいでしょう。生徒 を4人のグループに分けます。各グループで,本章の各項を一人に一つずつ担当しても らってください。各自は,担当する項目に関して以下を行います。(1)割り当てられた 項を読む。(2)項の見出しの質問に答えるのに役 立つ聖句を見つける。(3)その項 に関連する個人的な経 験について考える。(4)その項について考えたことをグルー プのメンバーに紹介する。

れたのは,すべて信仰の力によるのです。

 聖文を丹念に学ぶと,信仰とは人の心の内にある真理への強い確信であ ることが分かります。この確信が善い行いを促すのです。このことから,わ たしたちは次のように自問します。だれに対して信仰を持つべきであろうか,

と。

• あなたが日々行うことについて考えてください。結末が見えなくても日々 行っていることに何がありますか。信仰によって,どのように行動を促され ているでしょうか。

なぜイエス・キリストを信じる信仰を持つ必要があるのか

 わたしたちは信仰の中心を主イエス・キリストに置かなければなりません。

 イエス・キリストを信じる信仰を持つということは,主の命じられることに はどんなことでも従うだけの信頼を主に寄せるということです。イエス・キリ ストを信じる信仰を持ち,従順な弟子となるときに,天の御父はわたしたちの 罪を赦ゆるし,主のみもとに戻る備えをさせてくださいます。

 使徒ペテロは次のように教えています。「わたしたちを救いうる名は,これ を別にしては,天下のだれにも与えられていない ……。」(使徒 4:12 。モー サヤ 3:17 も参照)ヤコブは,人は「イスラエルの聖者〔イエス・キリスト〕に 対して完全な信仰を抱〔か〕なければならない ……。そうでなければ,人は 神の王国に救われない」と教えました( 2 ニーファイ 9:23)。救い主を信じ,

悔い改めることによって,生活に主の贖あがないが十分に効力を及ぼすようになりま す。また,信仰によって,誘惑に打ち勝つ力をも得ることができます(アルマ 37:33 参照)。

 天の御父を信じる信仰をも同時に持たなければ,イエス・キリストを信じる 信仰を持つことはできません。御二方を信じるならば,天の御父と御子から 遣わされる聖霊が,あらゆる真理を教え,慰めを与えてくださることも信じる でしょう。

• イエス・キリストを信じる信仰は,教会の召しを果たすときにどのような影 響力を持つでしょうか。家族関係や仕事においてはどうでしょうか。永遠 の命を望むことにおいてはどうでしょうか。

どのようにしてイエス・キリストを信じる信仰を増すことができるか

 イエス・キリストを信じる信仰を働かせることでもたらされる多くの祝福を 知れば,イエス・キリストを信じる信仰を増すように努めるはずです。救い主 第 18 章

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は次のように言われました。「もし,からし種一粒ほどの信仰があるなら,

……あなたがたにできない事は,何もないであろう。」(マタイ 17:20 )からし 種は非常に小さな種ですが,生長すると大きな木になります。

 どのようにすれば信仰を増すことができるでしょうか。ほかの技術を磨く 方法と同じです。木彫りや機織り,絵画,料理,陶芸,楽器演奏などの腕はど うしたら上がるでしょうか。学び,練習し,たゆまずに励むことです。こうす れば上達します。信仰も同様です。イエス・キリストを信じる信仰を増したい と思うならば,たゆまずに取り組むことです。預言者アルマは,神の言葉を,

信仰によって養い育てなければならない種にたとえて次のように語りました。

 「しかし見よ,もしあなたがたが目を覚まし,能力を尽くしてわたしの言葉 を試し,ごくわずかな信仰でも働かせようとするならば,たとえ信じようとする 望みを持つだけでもよい。わたしの言葉の一部分でも受け入れることができ るほどの信仰になるまで,その望みを育ててゆけ。

 さて,御ことを一つの種にたとえてみよう。さて,もしあなたがたが心の 中に場所を設けて,種をそこに植えるようにするならば,見よ,それがほんと うの種,すなわち良い種であり,またあなたがたが主の御たまに逆らおうとす る不信仰によってそれを捨てるようなことがなければ,見よ,その種はあなた がたの心の中でふくらみ始めるであろう。そして,あなたがたは種がふくらみ つつあるのを感じると,心の中で次のように思うであろう。『これは良い種,

すなわち御言葉は良いものに違いない。これはわたしの心を広げ,わたしの 理解力に光を注ぎ…… 始めている。』

 さて見よ,これによってあなたがたの信仰は増さないであろうか。」(アルマ 32:27 - 29 )

 したがって,神を信じたいという望みに基づいて行動することによって,神 を信じる信仰を増すことができます。

 さらに,自分の願い,望み,必要について天の御父に祈ることによっても,

信仰を増すことができます(アルマ 34:17 - 26 参照)。しかし,なすべきこ とは求めることだけであると思ってはなりません。聖文には次のように記され ています。「信仰も…… 行いを伴わなければ,それだけでは死んだものであ る。」(ヤコブの手紙 2:17 )次に挙げる物語は,行いによって信仰を示したあ る男性の話です。

 この男性は聖文を勉強したいと思っていましたが,字が読めませんでした。

男性は字を学べるように助けを求めて天の御父に祈りました。ある日のこ と,村に一人の教師がやって来ました。男性は教師に頼んでアルファベットを 教えてもらい,発音や単語のつづり方を学びました。やがて簡単な単語が読 第 18 章

めるようになり,練習すればするほどさらに読み書きができるようになりまし た。男性は,主が教師を送ってくださり,字が読めるように助けてくださった ことに感謝しました。この男性は信仰と謙けんそんさ,知識を増し,教会で支部会 長を務めるまでになったのです。

 スペンサー・W・キンボール大管長は次のように説明しています。「信仰 には行いが伴わなければなりません。知識を与えてくださいと主に願うこ とは,何と愚かなことでしょう。逆に,知識を習得し,積極的に学び,考えを はっきりさせ,学んだことを忘れないようにするうえで主の助けを願うことは,

何と賢明なことでしょう。」(Faith Precedes the Miracle〔 1972 年〕,205 。 強調は原文のまま)

 信仰には,自分が望み,祈り求めていることを成し遂げようと最善を尽く す行いが伴わなければなりません。キンボール大管長はこう述べています。

「信仰のうちにわたしたちは種をまき,やがて花が咲くという奇跡を目にしま す。人はしばしば誤解して,この過程を逆転させています。」大管長の説明 は続きます。多くの人は健康の法則を守らずに,健康と活力を,什じゅうぶんの一を 納めずに繁栄を求めます。また,主に近くありたいと思いながら,断食と祈り をしたいとは思いません。安息日を聖なる日として守らず,また主のほかの戒 めを守らずに,然しかるべき季節に雨を,国の平和を求めています。( 『歴代大 管長の教え ― スペンサー・W・キンボール』142 参照)

 信仰を増す一つの大切な方法は,主の言葉を聞き,研究することです。教 会の集会で主の言葉を聞き,聖文から御言葉を学ぶことができます。「また,

すべてが信仰を持っているわけではないので,あなたがたは知恵の言葉を熱 心に求め,互いに教え合いなさい。まことに,最良の書物から知恵の言葉を 探し求め,研究によって,また信仰によって学問を求めなさい。」(教義と聖約 88:118)

• 信仰と行いの間にはどのような関係があると思いますか。

信仰の後にどのような祝福があるか

 信仰の賜物を通して,奇跡が起こり,天使が現れ,御霊の賜物が授けられ,

祈りがこたえられ,人は神の子となります(モロナイ 7:25 - 26,36 - 37 参 照)。

 「信仰があるときに,使徒や預言者,祝福師,牧者,教師,賜物,知恵,知 識,奇跡,癒いやし,異言,異言の解釈などがもたらされます。このすべては地上 に信仰が現れるときに現れ,地上から信仰が消えるときに消えます。なぜな ら,これらは信仰の実だからです。…… 信仰を持つ者は,信仰を通して必要 第 18 章

ドキュメント内 福音の原則 (ページ 106-112)