第 6 章 ザンビア数学教師の省察に関する質的分析
第 2 節 各教師の省察の分析結果
6.2.1. バンダ先生(村落部:若手教師)
バンダ先生は, 夫と2人の子どもと暮らす31歳の女性教師である。高校卒業後, 首都で 1年間, 受付として勤務し, その後2年間の教員養成校に入学した。2006年に同校を卒業 し, 教員免許(Certificate)を取得した。2006年から基礎学校で勤務し, 本校が2校目の 勤務先となり, 2年4カ月の教職経験を有していた。
2009年より第3学年の学級担任(生徒数42名)で, 7時15分から10時30分まで, 毎 日 6授業時間 7)の授業を担当していた。時間割では, 週に 4 時間, 数学の授業を実施する ことになっていた。
普段は5時に起床し, 6時30分には家を出て, 不定期に運行するバスに約 15分乗車し, そして最寄りのバス停から学校まで, 舗装されていない道を徒歩で 20 分かけて通勤する。
授業終了後は, 学校での事務処理が終わり次第, 帰宅し, 家事や翌日の授業準備をして, 21時には就寝という日課を送っていた。
バンダ先生にとって省察とは何かを尋ねたところ, 次のような回答があり, 授業後, そ の授業がどうだったか, 直面した課題は何かなどを検討することとして, バンダ先生が省 察を捉えていることが分かった。
《私にとって?そう, 例えば…。多分, 授業をした後, それから, そうねえ…, 私に言わせれば, 成 果のようなもの…。座って, 多分, 考えます, その授業がどうだったか…, 直面した課題について…, その両面から。》(インタビュー'10/09/07)
バンダ先生の省察の内容に関するデータの概要は, 以下の通りである。
文書セグメント数に注目すれば, 教師・教授活動に関してが89と最も多く, 次に生徒・
学習活動に関する 73, 教材・数学に関する 19 と続き, 教室・学校や社会・文化的文脈に 関しては, それぞれ5, 3と数的には少なかった(資料6, pp.183-185)。
(1) 「教材・数学」
教材・数学に関する内容としては, 数学知識の意味, 知識・公式の使い方, 生徒にとって 困難な学習内容といった, バンダ先生の教材観・数学観が表れたものと, 教科書やシラバ スに対するバンダ先生の姿勢が見られた。
まず, 数学知識の意味に関する内容としては, 具体的には, 加法や減法の意味を, 合併
(あわせる)や求残(取り除く)として捉えた発言や, 除法を等分除(分かち合い:sharing)
として捉えた記述などがあり, こうした内容から数学知識の意味を重視しようとするバン ダ先生の意図が見えてくる。その一方で, 乗法の学習における乗法九九表の使用の指示や, 除法の筆算学習における計算手順の強調など, 知識・公式の使い方に意識が向いた内容も 見ることができた。
例えば, 3ケタ×1ケタの乗法の学習に関する次のバンダ先生の発言からは, 乗法の意味 を理解してほしいという思いはあるものの, それが生徒にとって困難であったため, 乗法
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九九表を用いた計算方法を強調した授業実践が読み取れる。
《(生徒に 3ケタ×1ケタの乗法をどのように計算してほしかったかという質問に対して)ええと, はい, これです。このはじめのところ。私はかけ算九九の表を示しました。はい。その表で私がや ったことは, ええと, それは, 図の上です。私は彼らに言いました。私はただ…, それを, ええと, 黒 板に(九九の表の)図を張りました。そして…, 私はただ, 彼らに九九の表を使ったかけ算の仕方 を理解してほしかったのです。…中略…たし算が「あわせる」ということや, ひき算が「取り除く」
ということを, 生徒は理解しています。しかし, かけ算がどういう意味かを理解することは, 生徒に とってとても難しいことです。2倍や3倍が何を意味するのか, 生徒にとっては難しかったのです。
ある生徒はひき算をしたりしていました。》(インタビュー'10/09/07:授業日誌'09/06/25について)
次に, 教科書やシラバスに対する姿勢についてだが, まず, バンダ先生の姿勢として, 基本的には教科書に基づき授業実践を行おうとしていることが, 記述や発言から読み取れ た。それに加えて, 教科書やシラバスに対する批判的態度も有しており, 教科書の説明や, 例題, 練習問題の数値設定に対して, 生徒の実態を考慮し, 必要に応じて内容を変更する 姿勢も有していることが読み取れた。
例えば, 次の発言では, 4ケタの加法の授業で多くの生徒が理解できなかった要因を, シ ラバスや教科書の内容に問題があると分析し, 単にそれらに従うだけでは学習内容を生徒 に理解させることはできないという, バンダ先生の考察が表れている。
《(なぜ生徒はたすことができなかったのかという質問に対して)私が思うに, 問題はこのシラバス。
生徒にとってあまりにも長すぎます。でも, たし算はそう問題ではありません。問題なのは, 最初 の列を埋め, そして2番目, 3番目の列を言葉で埋めること。これが問題でした。数を展開式の形で 表示することが少し難しかったようでした。…中略…もし生徒が理解できていないようであれば, もっと「簡潔な教授法」を考えなければならないと思います。ときどき, 単にシラバスや教科書を 追っていくだけでは, 生徒が理解することは困難です。教師として, 生徒が理解できるよう, より簡 潔な教授法を授業の前に見つけます。》(インタビュー'10/09/07:授業日誌'09/02/23について)
このように, バンダ先生の教材・数学に対する内容から, 数学知識の意味理解を重視し つつも, 生徒の実態に応じて手続き的理解を優先させるといった教材・数学の捉え方と, 基本的には教科書に従いながらも, 生徒の実態などに応じて, 自分なりに解釈や取り扱い を工夫しようとする, 教科書・シラバスに対する姿勢を, バンダ先生が有していることが 推測できる。
(2) 「生徒・学習活動」
生徒・学習活動に関する内容としては, 数学学習に関する生徒への期待や, 学習評価, 生 徒のつまずきに関するものがあった。
数学学習に関する生徒への期待については, 例えば, 2009年9月25日のインタビューに おいて, 数学授業で最も注意している点を質問したところ, バンダ先生は「私は, 生徒に理 解してほしい。特に, 私が最も注目するのは, 生徒が理解したかを確認することです。も し生徒が理解していないことが分かったならば, 説明をするつもりです。」と回答し, 生徒
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ここで, バンダ先生がいう理解の対象が問題だが, それはバンダ先生の学習評価に関す る記述や発言から読み取ることができる。
バンダ先生の学習評価に関する記述では, 生徒の学習成果を教師が評価することとして 学習評価が捉えられており, 具体的には, 「○○ができた」や「○○が言えた」といった, 外 面的に観察可能な行動を表現したものが多く用いられていた。これはバンダ先生の学習評 価が, 知識・理解や表現・処理といった観点を中心に行われていることを表しており, そ れが数学学習に関する生徒への期待の内実といえる。
ちなみに, バンダ先生が使用している教師用指導書では, 学習評価の観点として, 関 心・意欲・態度や数学的考え方も明記されている 8)ものの, そうした観点からの記述は見 られなかった。したがって, バンダ先生が生徒に期待するものとして, 生徒の関心・意欲・
態度や数学的考え方の向上は, あまり意識されていないと思われる。
学習評価に関するバンダ先生の記述は数多く見られたが, ここでは, そうした記述の質 的な水準に注目したい。バンダ先生の学習評価の記述を質的に比較すると, ①学習成果の 表面的記述, ②学習成果の具体的記述といった水準に分類することができる。
学習成果の表面的記述とは, 学習課題や練習問題が, 単にできたかどうかを記述したも のを意味し, そこでは, 何ができて何ができなかったといった内容には触れられてはいな い。例えば, 次のような記述が表面的記述にあたる。
《授業はうまくいった。生徒は練習問題を正しく解くことができた。》(授業日誌'09/06/23)
《 授 業 は う ま く い か な か っ た 。 生 徒 は 練 習 問 題 を 正 解 す る こ と が で き な か っ た 。》( 授 業 日 誌 '09/07/02)
それに対し, 学習成果の具体的記述とは, 生徒は何ができて, 何ができなかったという 内容も含めた記述を意味し, 例えば, 次のような記述があった。
《授業はうまくいった。生徒は 100飛びに数えることができ, 与えられた数列(数のパターン)の 空欄の数を言い当てることができた。》(授業日誌'09/02/19)
《本時の授業はうまくいかなかった。なぜなら, 生徒は, (計算盤で表された 4 桁の数の)位の数 を言うことができなかった。千の位, 百の位, 十の位, 一の位を数えることができなかった。》(授業 日誌'09/01/27)
こうした記述に対して, なぜできて, なぜできなかったのかを分析し, その要因などを 記述した, 学習成果の分析的記述といえるものはあまり見られず, できなかった生徒がス ローラーナーであることを指摘する程度の記述しか見られなかった。例えば, 上記の授業 日誌('09/01/27)では, 生徒は位の数を言うことができなかったとバンダ先生は指摘した が, その要因には, 単に計算盤の各位の玉の個数を数えることができなかった, 位を識別