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奈良の先発配置薬業の事例分析

第7章 産業転換への適応分析

第3節 奈良の先発配置薬業の事例分析

(1)株式会社三光丸

①企業沿革

三光丸は、約700年前から日本で製造されている最も古い胃腸薬の一つと言われている。

三光丸の創製は、鎌倉時代後期1319年から1320年と伝えられ、『南葛城郡誌』によれば1772 年から1784年の製造との説もある。当初は「紫微垣丸という薬名で造られていた。

武知(1995)によると、後醍醐天皇より、太陽・月・星を意味する神羅万象に効く薬を現 す「三光丸」の名を賜ったとされている。後醍醐天皇に越後伊予守が薬を献上し、「三光丸」

と名付けられたとされる。また、日本中世文化史の研究者の黒田智によれば、後醍醐天皇の 周辺には、日・月・星の三光を天皇権威と結びつける「三光思想」が定着していた。「太平 記」にも、後醍醐天皇が討幕した折に太陽・月・金星が並んで出現し、願いがかなうと喜ば れた様子が記されている。

三光丸の当主米田家は、中世大和国において勢力を誇っていた豪族越智氏の流れで、有力 寺社との折衝役を務めながら医薬の道に貢献していた。薬剤の調整にあたったのが合薬屋 であるが、今泉の米田家は薬種屋を兼ねていた。合薬屋は薬種屋から原材料を得て、製薬を 行っていた。薬種屋は国産の薬種のほかに、大阪の道修町の薬種問屋から唐薬の仕入をして いた。合薬屋は製薬と販売をし、1818 年から1829年に今住村の合薬屋米田徳七郎丈助が、

播磨・摂津・和泉・山城・近江・美濃・尾張・伊勢・伊賀方面に行商し、大いに販路を広げ た(表7-17)。

表7-17 企業沿革 1319

~1321年

「紫微垣丸」と名付けられた薬(三光丸の前身)が、鎌倉時代の元応年間に作られて いた

1336年 「紫微垣丸」に対し、第96代後醍醐天皇より「三光丸」の勅号を賜り、薬の名称が 変わる

1550年 京都の公家、山科言継が、日記の中で三光丸について度々言及している 1573

~1592年

米田小重郎が織田信長の嫡男である織田信忠に三光丸を献上し、「軍中第一の妙薬に せよ」との言葉を授かる

1673年 米田家の先祖が高野街道沿いの旅館に三光丸を置き、販売を行なう 1772年 米田文内が三光丸の配置販売を大和から伊勢、河内方面に広める 1818

~1829年 三光丸が近畿の行商で大和売薬の基礎を築く

1866年 米田丈助が主導し、富山と大和の売薬業者が共存共栄のため、『仲間取締議定書連印 帳』という紳士協定を結ぶ

1897年 三光団社が結成され、全国的に新規得意開拓を進める 1899年 三光丸同盟会発足

1904年 三光丸の製丸が、それまでの手作業から石油発動機にかわり、生産量が大幅に増大す る

158 1914年 五角形の薬包紙を実用新案登録する 1947年 法人化し、株式会社三光丸本店となる

1957年 自動包装機による包装を開始し、生産性と品質が向上する 1965年 米田徳七郎舜亮(現シニアアドバイザー)が、取締役社長に就任 1985年 配置販売員養成組織、株式会社三光丸配置研修部が発足

1992年 センブリのエキス化生産プラント完成し、自社で原料の完全加工が始まる 1999年 三光丸クスリ資料館開設 同盟会100周年記念式典開催

2006年 さらなる品質向上のため三光丸のパッケージを一新、新充填・包装ライン稼働開始 2012年 株式会社三光丸配置研修部と資本増強のため合併し、株式会社三光丸となる 2014年 米田豊高が、取締役社長に就任

2014年 三光丸クスリ資料館が、『一般財団法人三光丸クスリ資料館』となる 出所:三光丸企業資料に基づき表に筆者作成

②企業概要

大和家庭薬の中でも老舗中の老舗であり、1319年創業で680年もの歴史をもつ健胃薬三 光丸の製造元である。大和盆地の南西部に位置し、奈良県御所市高取町一帯は、日本文化の 発祥の地であり、日本の医薬にかかわりを持ち、和漢薬の故郷として知られている。薬づく りの伝統を今日まで受け継ぐ土地柄であり、「三光丸」の製造元もその中に位置している。

約2万㎡の敷地にはくすりの資料館もある。

奈良は日本最古の朝廷が置かれた土地である。前述したように、薬との関わりが古く、奈 良県薬業史によれば611年に推古天皇が宇陀地方へ薬狩りに出かけたと記されている。

奈良には現在62社の製薬メーカーがあり、配置薬、薬局向け、医療用などの薬が製造され ている。富山同様、奈良のくすりも売薬とともに発展してきた。

奈良の配置薬メーカーの中でも、和漢胃腸薬「三光丸」をおよそ 700 年にわたり守り続 けてきたのが株式会社三光丸(以下、三光丸)である。

奈良の配置薬で使用される得意帳(富山では懸場帳)は、売場得意先を記入した帳簿であ る。配置薬の得意先顧客の売掛帳であり、配薬上から債券的価値を持つ。得意帳は、現在の 配置している得意先の薬価・将来の売買の可能性を持っており、暖簾的価値を持っている。

よって一種の財産となり売買の対象となった(表7-18)。

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表7-18 企業概要 従業員数 105名(2017年9月現在)

離職率 回答なし

資本金 4,800万円

売上高 9億4,400万円(2013年9月期実績)

事業比率 健胃薬「三光丸」の製造・販売、健康食品の販売 出所:現地ヒアリング調査(2017年9月)に基づき表を筆者作成

③事業内容の特色

1947 年に法人化し、1957 年に自動包装による包装を開始し生産性と品質が向上した。

1965年に 33 代当主米田徳七郎が社長に就任し、風邪薬や目薬なども製造していたのを三 光丸のみの製造に絞ってブランド化を図った。設備が少なく、製造コストも低く抑えること ができ、三光丸の製造販売に注力できた。当時の原料のセンブリのエキス化、GMPに適合 した新工場の建設や原料倉庫の新設で、原料のセンブリを安定して常備できるようになっ た。

三光丸には、センブリ、オウバク、ケイヒ、カンゾウの4種類の生薬が配合され、着色料 として薬用炭が使用されている。三光丸の効果・効用は、生薬の相互作用・相乗効果により、

胃弱、食べ過ぎ、食欲不振、胸やけ、嘔吐等の改善である。

例えば、三光丸1箱6包入り750円である。成人は1回量30粒(1包)、1日3回用つ まり2日分である(表7-19)。

表7-19 三光丸の成分 成分・分量について(1日量90粒)

センブリエキス 450mg(原生薬センブリ相当500mg)

オウバク末 900mg ケイヒ末 900mg カンゾウ末 450mg

着色剤薬用炭 126mgと結合剤寒梅粉・米粉を含有している 出所:三光丸企業資料に基づき表を筆者作成

全国への販路拡大にともない、大相撲の懸賞広告で知名度を上げるなど、積極的な経営改 革を行った。現在の社長は米田豊高氏で、新たな販路開拓として東南アジア圏への進出を考 えている。

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三光丸は一人帳主が90%であり、平均年齢は68歳である。新規に参入してくる人よりも 年齢もあり、リタイヤする人が多い。現在、配置薬の販売は廻商をし、その後年1~2回使 われた三光丸等の薬代を集金し、残った薬を新しい薬にかえるという伝統の配置薬の販売 方法をとっている。

配置薬は人件費が多くかかり、コストがかかる。最近では配置薬より健康食品を主体とし て売る大阪の会社などもある。三光丸では社員が健康食品を売っても、給料が上がらないシ ステムである。現在ネット販売は行っていない。三光丸を取り扱う全国ネットは、約150~

160社である。都心の得意先から薬局で三光丸を扱ってほしいという希望があり、現在、東 京四谷などの薬局に三光丸を置いて試験的に販売を行っている。配置先は地方が多く都心 は少ない。東京はマンションが多くインターホン越しでは対面による販売が出来ず苦戦し ている。

三光丸の経営方針は「丁寧につくり、丁寧に売る」という言葉に凝縮されている。これは 三光丸の原料は天然由来であるため限りがあり、決して無限ではないという意識の表れで ある。「原料をよく吟味し、心をこめて製造する」ことを心がけている。それは、すなわち 付加価値が高く安売りはしないという方針にもつながる。また薬の良さを分かってもらっ た上で飲んでほしいため、ネット販売は行っていない。三光丸に特化し、「一粒一粒を大事 に、そして丁寧にお客様に選んでいただけるブランド」を目指しているのである。今後は、

薬局やドラッグストアへの展開で知名度のアップ、腹痛を起こす人の多い東南アジアへの 進出を計画している。

三光丸は採用において 14日間を試用期間として設けている。その後の退職者は 30~40 名前後であり、会社全体の離職率は 50%前後という高い離職率である。配置薬の行商をす る販売員の確保が難しい現状となっている。富山でも 3 年以上いるのは珍しいと言われて いるが、奈良でも同じである。一人前にするのは3年かかると言われているが、長く続く販 売員の育成が重要である。三光丸では、月間 80 万円の配置薬の販売高を目標としている。

大阪の配置薬の会社では月間 120 万円を目標とし、健康食品を主体で販売しているところ もある。健康食品が主体では配置薬の存在が薄れてしまうことから、三光丸では 700 年の 伝統を守り、「三光丸」を「丁寧に大切に守っていく方針」にゆるぎはない。