第 1 章 戦間期チェコのジャーナリズム
第 2 節 女性向けのメディアとそのジャーナリスト:前史および 1920 年代 153
1. 前 史 : 19 世 紀 か ら 第 一 共 和 国 前 ま で
チ ェ コ語で 読める 女 性向け 雑 誌 が登場 し た の は
1860
年 代 で あ る 。そ れ 以前は 、オ ー ス ト リ ア 帝 国 の 統 治 の も と 、 雑 誌 を 読むの は 上流階級で ド イツ 語が 読める 女 性 たちで あ っ た 。 つ ま り 、 チ ェ コ語で書か れ た 女 性向け 雑 誌 の登場 は 、 女 性 解放 運動 の流れ と 民 族運動 の流 れ の両方を受け た も の な の で あ る 。女 性向け 雑 誌 は 、 大 き く分け て
3
つ の種 類が あ る 。 第 一 に 、 家 事や子 育 て を 主 と た るテ149 Beránková atd. (eds.), Dějiny československé žurnalistiky III. díl, s. 207.
150 1939年以降は「国民統一党」の機関紙と明記された。
151 Beránková atd. (eds.), Dějiny československé žurnalistiky III. díl, s. 207.
152 Beránková atd. (eds.), Dějiny československé žurnalistiky III. díl, s. 209.
153 本節は、Penkalová, Rubriky pro ženy v denním tisku 20. let 20. století a jejich autorky、Eva Uchalová. Česká móda 1870-1918: od valčíku po tango. Praha: Olympia, 1997、およびUchalová, Česká móda 1918-1939に依拠している。
ーマと す る い わ ゆ る 保 守 的 な 雑 誌 、 第 二 に モ ー ド 雑 誌 、 第三に 女 性 解放雑 誌 で あ る 。 中 間 層の 家庭で 家 事 を 任 さ れ た 女 性 に と っ て実用 書と さ れ る の は 保 守 的 な 雑 誌 で あ る 。 そ れぞ れ が完全 に住み分け す る の で は な く 、 モ ー ド 雑 誌 に は 家 事や育児に 関 す る 記 事 も あ れば、 保 守 的 な 雑 誌 に も小 説や詩が掲 載さ れ る こ と も あ る 。
保 守 的 な 雑 誌 の な か で 、 こ の 時 代 に 特 に成 功し た例と し てよく名が挙が る の は 、『幸せ な 家庭154』(Šťastný domov: časopis věnovaný českým ženám a domácnostem, 1904-1929)だ が 、 イ ギ リ ス の 雑 誌『主 婦』(The Housewife: A Practical Magazine Concerning Everything in and about the Home, 1886-)や 『家庭の 女 性』(The Woman at Home, 1893-1917?) などのよう な 系統 と さ れ る程 度で そ れほ ど 詳し く 解説さ れ る こ と は な い 。
モ ー ド 雑 誌 に分類さ れ る 初 期 の も の で 最 も著名な 雑 誌 は 、『ラダ 』(Lada: belletristický a modní časopis, 1861-1866)で あ る 。
1861
年 か ら5
年 間 、月2
回発 行 さ れ た 。1861
年 と い え ば、 オ ー ス ト リ ア 帝 国憲 法が 制定さ れ 、 あ る程 度の自由が 認めら れ た こ と によっ て 、 チ ェ コ 人 が 帝 国 の枠内で の 民 族 の同権化を求めた 時 代 で あ る155。『ラダ 』の創刊は 、時 代 を反映 し て い た 。作家 、編 集 者で あ り 、 か つ ド イツ 語とフラ ン ス語を学べる 女 子校を運営し て い た ア ン トニ エ・ メ リショヴ ァ ー= ケル シ ュ ネロ ヴ ァ ー (Antonie Melišová-Körschnerová, 1833-1894
)が編 集を担当 し た 。彼 女 は 、こ の 時 代 の 女 性向け 雑 誌 に お い て 重 要 な役 割を担 っ た 。内 容は 、副題 「文芸・ モ ー ド 雑 誌」が示す通り 、小 説や詩などの 文芸と服 飾に 関 す る話題を 主 と し て取り 上げた が 、 そ れ だ け で は な く 、 民 族愛の 育成、 女 性 の仕事 で あ っ た 家 事 に 関 す るテーマも積 極的 に取り 上げた 。 特 に服 飾を通し た 民 族愛の啓 蒙156も 特徴的 で あ っ た が 、 そ れ も 最 初 の2
年 の こ と で徐々 に影を薄く し 、 国 際 的 モ ー ド の潮流に傾 倒し て い っ た157。『ラダ 』の廃刊の あ と 、メ リショヴ ァ ー= ケル シ ュ ネロ ヴ ァ ー は自身の経 験を 生 か し て 、 雑 誌『花158』(Květy, 1865-1872) の別刷「モ ー ド付録」(Modní příloha, 1867-1868) に携わ っ た が 、フラ ン ス の 雑 誌『婦 人小 冊子』(Petit Courrier des Dames,
1822-1865
) およ び 『婦154 副題は1916年から1917年の間、「家族の生活と家事に勤しむチェコの女性・少女の挿絵入り隔週刊誌」と変更された。
155 石川達夫『チェコ民族再生運動』岩波書店、2010年、172-173頁。
156 ウハロヴァーによれば、フランスのモードとチェコの民族衣装を融合させることを目的としたファッションデザインが提示 されたというが、女性の服装に対するこのような態度はすぐに見られなくなり、女性解放運動を牽引した作家エリシュカ・ク ラースノホルスカーによっても厳しい批判が向けられた。(Uchalová, Česká móda 1870-1918, s. 33.)
157 Penkalová, Rubriky pro ženy v denním tisku 20. let 20. století a jejich autorky, s. 18-19.
158 1865年から1872年の間は週刊。同時期には詩人ヤン・ネルダが編集者として参加している。1866年から「チェコの蜜蜂」
Česká včela(2週に1回の発行)、1867年から「モード付録」(月刊)、1869年から1872年の間は「バザル」Bazar(2週に1回 の発行)、1870年から「女性雑誌」Ženské listy(月刊)が付録として発行された。
人 雑 誌』(Journal des Demoiselles, 1833-1922)か ら の イ ラ ス ト等の寄せ集 めで作ら れ た も の で 、チ ェ コ独 自の頁はごく稀で あ っ た159。『花』に は 、「モ ー ド付録」の 他 に
1869
年 か ら「バ ザル 」(Bazar, 1869-1872)と い う別刷も 発 行 さ れ て い た が 、「モ ー ド付録」がフラ ン ス の 雑 誌 を も と に し て い る の に対し て 、「バザル 」はベルリ ン 発信の『バザール 』(Der Bazar:illustrierte Damen-Zeitung, 1855-1937)の チ ェ コ語版と い う位 置付け で 、ド イツの 雑 誌 を も と に し た も の で あ っ た 。
1872
年 ま で は『花』の別刷と し て 、1873
年 か ら1899
年 ま で は 、 別の 雑 誌『世 界観』の別刷モ ー ド号と し て月2
回プ ラ ハ で ド イツ 語版と チ ェ コ語版が同時 に 発 行 さ れ て い た 。「バザル 」の編 集も メ リショヴ ァ ー= ケル シェ ロ ヴ ァ ー が担い 、彼 女 は 、「バザル 」に は
20
年携わ っ た 。こ の「バザル 」の例は 、
1890
年 代 の チ ェ コ の 女 性向け 雑 誌 の 代 表 的 な も の で あ り 、経済 的 な側面 か ら 、 ド イツ 語雑 誌 の翻 訳で済ま す も のばか り で あ っ た160。フラ ン ス と ド イツの 違い は あ る が 、いずれ に し て も 、「モ ー ド付録」も「バザル 」も 、チ ェ コ独 自の 雑 誌 と呼 べ る も の で は な か っ た 。19
世紀に お い て は 、チ ェ コ 人自ら編 集・刊行 し た モ ー ド 雑 誌 は『ラ ダ 』1
誌 の5
年 間 に とどま り 、 そ れ 以外のほとん どは 、 チ ェ コ 人 は ド イツ や ウィ ー ン の モ ー ド 雑 誌 を受 容し 、 そ こ か らパリ の モ ー ド情 報も得る と い う状況に あ っ た の で あ る 。以 上 のよう な 主流、 す な わち一 般 女 性 読者向け に そ れ な り に商業的成 功を収 めて い た モ ー ド 雑 誌 と は別に 、 女 性 解放 運動 の 一環で 女 性 を啓 蒙す る目的 で 発 行 さ れ た 女 性向け 雑 誌 の存 在も指 摘し て お か な け ればな ら な い161。 チ ェ コ に お い て 最 初 の 女 性 解放雑 誌 と さ れ て い る の が 先 に挙げた 雑 誌『花』の別刷と し て 発 行 を開 始し た「女 性 雑 誌162」(Ženské listy
, 1870-1926
)で あ る 。創刊に尽力し た の が 、カ ロ リ ー ナ・ス ヴ ィエト ラ ー(Karolina Světlá, 1830-1899
) を含 む4
人 の 女 性 解放 運動 家 たち163で あ る 。 そ の 後 、1872
年 の『花』の休刊159 Penkalová, Rubriky pro ženy v denním tisku 20. let 20. století a jejich autorky, s. 19.およびUchalová, Česká móda 1870-1918, s.33.
160 たとえば、『モード界—婦人向けイラスト誌』(Modní svět: ilustrovaný časopis pro dámy, 1879-1927)は、ドイツの『モードの世 界』(Modenwelt, 1865-1935)の翻訳版であり、『新しいモード』(Nové mody 1889-1894, Nové pařížské mody: list paní a dívek českých 1895-1916, Nové mody 1916-1919, Nové pařížské mody 1919-1941など、誌名を定期的に替えて発行を続けた)は、1888年にウィ ーンで創刊された雑誌『ウィーンのモード』(Wiener Mode, 1889-1955)のチェコ語訳版である。(Uchalová, Česká móda 1870-1918, s. 42.)
161 以下、Penkalová, Rubriky pro ženy v denním tisku 20. let 20. století a jejich autorky, s. 20-23に依拠している。
162 1872年までは『花』の付録として、1873年から1926年までは独立した月刊誌として発行された。副題は何度か変更になっ
ている。初めは「チェコスラヴの女性・少女の関心事のための雑誌」Časopis pro záležitosti žen a dívek českoslovanskýchであった が、1874年5月1日からは「チェコスラヴの夫人・少女のあいだでの教育拡大のための雑誌」Časopis k šíření vzdělanosti mezi
paními a dívkami českoslovanskýmiに変更し、さらに1875年1月1日には「チェコスラヴの女性・女性の教育のための機関誌」
Orgán pro vzdělání žen a dívek českoslovanskýchに変更された。
163 他3人は、ソフィエ・ポドリプスカー(Sofie Podlipská, 1833-1897. カロリーナ・スヴィエトラーの妹)、ヴィエンツェスラヴ ァ・ルジツカー(Věnceslava Lužická, 1832-1920)、エヴァ・マハーチュコヴァー(Eva Macháčková, 生没年不明)である。
に伴い 、独 立の必要 に迫ら れ 、
1874
年5
月に は 発 行 人 が 、そ れ ま で の男性 の 発 行 人164か ら 、 彼 女 たちが1871
年 に設立し た団体 、 チ ェ コ 女 性 生産 協会 (Ženský výrobní spolek český, 1871-1972
)へと替わ っ た 。初 期 の編 集は 、ス ヴ ィエト ラ ー 、ポド リ プ ス カ ー 、クラ ー スノ ホルス カ ー が担当 し 、1874
年 か ら はクラ ー スノ ホルス カ ー 一 人 の担当 と な っ た 。雑 誌名 や 注に付し た副題か ら も分か るよう に 、 女 性 を啓 蒙す る目的 の 雑 誌 で あ っ た が 、 見 た目の 華 やか さ などの魅 力的 な 誌 面 づ く り は目 指さず、商業的 な売り 上げは 期待し て い な か っ た 。 ま た 、 モ ー ド 雑 誌 のよう な モ ー ド の情 報を伝え る も の で は な く 、 あ く ま で も思 想的 に 女 性 を 民 族 的 およ びジ ェ ンダー 的 に啓 蒙す る も の で あ っ た 。同様の 雑 誌 は 他 に 、
1896
年 に は『女 性 の 世 界』(Ženský svět: list věnovaný zájmům českých paní a dívek, 1896-1930)、1900
年 に は『女 性 の視野』(Ženský obzor, 1900-1941)、1905
年 に は『女 性 の評論』(Ženská revue: list pro otázku ženskou, éthickou, kulturní a sociální vůbec,1905-1918
)が創刊さ れ た 。いずれ も 、優先順位に お い て娯 楽面 は 下位に あ り 、女 子 教 育や 雇用関係、 女 性 の社会 的立場 の変容、 女 性団体 に 関 し て 、 あ る い は様々 な分野に 関 す る難 解 な科学論 文 などで 多 く の 誌 面 を埋めた165。2. 1920 年 代 : 国 民 国 家 形 成 期 の 女 性 向 け 雑 誌 2.1. 創 刊 ラ ッ シ ュ と 民 族 意 識166の 高 ま り
19
世紀と同 じく 、女 性向け 雑 誌 の 主流は モ ー ド 雑 誌 で あ っ た 。20
世紀以降モ ー ド 雑 誌 の 創刊 数が増え た が 、1920
年 代 に は 特 に 多 く創刊さ れ た 。1900
年 代 に は3
誌 、1910
年 代 は 独 立 前が7
誌 、独 立後 に3
誌 で あ っ た と ころ、1920
年 代 に は13
誌創刊さ れ た が 、1930
年 代 の創刊 数は5
誌 に とどま っ た 。そ の こ と は 、本 論 文 の 補遺資 料4.
「チ ェ コ で 発 行 さ れ た モ ー ド 雑 誌 一覧167」(1861
年 か ら1948
年 の 間 に チ ェ コ で 発 行 さ れ た モ ー ド 雑 誌 を 一覧化し た も の )や、 資 料4.
の情 報を 基 に 雑 誌刊行 点数の推移を さ ら に 見やす く す る目的 でグラ フ 化し た 補遺資 料5.
「チ ェ コ語モ ー ド 雑 誌 の刊行 点数の推移 」を 見 れば一目瞭 然で あ る 。刊行 期 間 の長さ と 雑 誌 の 発 行 都市と の 関係に も注 目し た い 。補遺資 料
4.
に示し た 一覧の164 フランティシェク・アウグスティン・ウルバーネック(František Augustin Urbánek, 1842-1919)
165 Penkalová, Rubriky pro ženy v denním tisku 20. let 20. století a jejich autorky, s. 21-22.
166 建国期のチェコにおいては、民族意識と国民意識の境界が曖昧である。国民の概念が、憲法において人工的に「チェコスロ ヴァキア人」と定められたことによって、数において優位に立つチェコ人にとっては、民族意識と国民意識の区別がつきにく くなったからである。本論文では、特に国民としての意識が明確でない限り、「民族意識」と記すこととする。
167 一覧は、プラハにあるチェコ共和国国民図書館の蔵書リストを基に筆者が創刊年順にリスト化したものである。図書区分で
[服飾・モード・装飾品]および[服飾・ボディケア]に分類されている雑誌に加え、先行研究ウハロヴァーの『チェコ・フ ァッション』でモード雑誌とされているものを加えた上で、子ども服のモード雑誌を除外した。