• 検索結果がありません。

大管長,1945 年-1951 年

 1945 年 5 月 15 日の早朝,アメリカ東部を列車で移動中,スミス長老は伝言を 届けに来た鉄道職員に起こされて目を覚ました。当時大管長だったヒーバー・J・

グラント大管長が亡くなったのだ。スミス長老はできるだけ早く着けるよう列車 を乗り継ぎ,ソルトレーク・シティーへ戻った。それからわずか数日後,十二使徒 定員会の先任会員のジョージ・アルバート・スミスは末日聖徒イエス・キリスト教 会の第 8 代大管長に任命された。

 大管長となって最初の総大会で,自分を支持したばかりの聖徒たちに向かって 次のように述べている。「ここにいる皆さんの中で,わたしと同じくらい,自分の ことを弱く,取るに足りない者と感じている人はいるでしょうか。」38 家族に対して も同じような心情を述べている。「この職を望んではいなかったし,自分にそれだ けの力量があるとも思えなかった。でも,召された今となっては,全力を尽くして その務めを果たすつもりだ。みんなに知っておいてほしいことがある。教会の責 任が何であろうと,ホームティーチャーでもステーク会長でも,全力を尽くして果 たしていれば,その責任はわたしの職と同じように重要なのだ。」39

 スミス大管長の才能がこの召しに大変適していると感じた人は大勢いた。あ る中央幹部はスミス大管長が支持されて間もなく,彼に対する信頼の言葉を次の ように述べている。「主はある特別な使命を果たすために特別な人を召すとよく 言われます。わたしはジョージ・アルバート・スミス大管長にどんな特別な使命 があるか述べる立場にはありません。しかし,世界の歴史の中で特にこの時代ほ ど,兄弟愛が今ほど切実に必要とされている時代はほかにありませんでした。そ して,わたしの知人の中で,ジョージ・アルバート・スミス大管長ほど人類を全体 的にも個別にも,深く愛している人はいません。わたしはこのことを確かに知って います。」40

第二次世界大戦後の貧しい人々への援助

 ジョージ・アルバート・スミスが大管長に就任してわずか数か月後に第二次世 界大戦は終結した。ヨーロッパには戦争で家を失い,貧窮した人々が大勢いた。

スミス大管長は速やかに教会の福祉プログラムを稼動させ,救援物資を送った。

この取り組みについて,ゴードン・B・ヒンクレー大管長は後に次のように語って いる。「わたしもそのとき, 毎晩のようにこのソルトレーク・シティーのウェルフェ

ジョージ・アルバート・スミスの生涯と教導の業

アスクウェアへ来て,積み出し作業に携わりました。食糧は貨車に積み込まれて 港まで輸送され, さらにそこから海上を船で運ばれました。〔1955 年の〕 スイス 神殿の奉献式のときには, ドイツからたくさんの聖徒がやって来て,頬ほおを涙でぬ らしながら, あの食糧のおかげで生き延びることができたと感謝しながら語って いたのを思い出します。」41

 そのような悲惨な戦争の直後,世界の人々の中に霊的な必要が高まっているこ ともスミス大管長は知っていた。その必要にこたえるため,大管長は戦争によっ て伝道活動が中断していた国々における伝道部の再組織に着手した。また,聖 徒たちに自分の生活の中で平安の福音に従って生活するよう勧告した。大管長 は戦後間もなく,このように述べている。「現時点で感謝を表す最も良い方法は,

この悲しみに満ちた世に幸せをもたらすために最善を尽くすことです。なぜなら ば,わたしたちは皆,御父の子供であり,自分が生きてきたことによってこの世界 がより幸福な場所となるようにする義務を負っているからです。

スミス大管長と顧問のJ・ルーベン・クラーク・ジュニア(左)と デビッド・O・マッケイ(右)

ジョージ・アルバート・スミスの生涯と教導の業

 ……困っている人々を心に留め,必要としているすべての人に優しさと思いやり の手を差し伸べましょう。平和を喜ぶときに,その平和の代償として,愛する人を 失った戦没者の遺族のことを忘れないようにしましょう。……

 人々が心を神に向け,神に従順になり,それによって世がさらなる紛争や破壊 から救われるように祈ります。死者を悼むすべての人の心と家庭に,天の御父だ けがお与えになれる平安があるように祈ります。」42

福音を分かち合う機会の増加

 スミス大管長は機会があるごとに福音を紹介していたが,新たな召しによって その機会はさらに増えた。 1946 年 5 月,メキシコの聖徒たちを訪問した。教 会の大管長がメキシコを訪問するのはこれが初めてであった。スミス大管長は 教会員と会い,大きな大会で説教しただけでなく,メキシコ政府の数人の高官を 表敬訪問し,回復された福音について語った。メキシコのマヌエル・カマーチョ 大統領を訪問したとき,スミス大管長一行は次のように説明した。「わたしたち は閣下と国民のために特別なメッセージを携えて来ました。皆さんの祖先とイエ ス・キリストの回復された福音についてお話しするためです。……わたしたちに は……キリスト降誕の 600 年前,家族を連れてエルサレムを離れた偉大な預言 者が,『約束の地,……ほかのあらゆる地に勝ったえり抜きの地』として知られた この大いなるアメリカの地にやって来たことを記した書物があります。このモルモ ン書にはイエス・キリストがこの大陸を訪れ,御自身の教会を設立して十二使徒を お選びになったことも記されています。」

 カマーチョ大統領は,自国に住む末日聖徒に対して敬意と称賛を表明し,モル モン書について大いに興味をそそられて尋ねた。「モルモン書を手に入れること ができるでしょうか。これまで耳にしたことがありませんでした。」そこで,スミス 大管長は皮表紙のスペイン語のモルモン書を大統領に進呈した。そのモルモン 書には特に興味深い聖句のリストが添えられていた。カマーチョ大統領は,「全 部を読み通します。わたしにも,国民にも,大いに興味深いものですから」と言っ た。43

開拓者の到着100周年を祝う

 ジョージ・アルバート・スミスの 6 年に及ぶ大管長任期中で最大の出来事の 一つは,1947 年,教会が開拓者のソルトレーク盆地到着 100 周年を祝ったこと

ジョージ・アルバート・スミスの生涯と教導の業

だった。スミス大管長が監督の任に当たった一連の祝賀行事は全国から注目を 集めた。その行事が最高潮に達したのは,ディス・イズ・ザ・プレース(訳注 ―

「まさにこの地である」の意)記念碑の奉献であった。ソルトレーク・シティーの 中で,開拓者が初めて盆地に足を踏み入れた場所に近い所に建てられたもので ある。 1930 年以来,スミス大管長は開拓者の偉業と信仰をたたえる記念碑を建 てる計画にかかわっていた。しかし,大管長はその記念碑が,それ以前の探検者 やほかの教会の宣教師,そして当時のアメリカインディアンの重要な指導者をも 記念するものとなるよう,心を砕いたのだった。

 ディス・イズ・ザ・プレース記念碑の奉献に当たり,当時東部諸州伝道部の会 長だったジョージ・Q・モリスは,善意の精神が強く感じられたのはスミス大管 長の努力によるところが大きいと次のように述べている。「兄弟愛と寛容の精神 が広まったのはスミス大管長の貢献によるものであり,それが奉献式にもよく表 れていた。……記念碑そのものはでき得るかぎり個人の肖像の彫刻で表現しな がら,人種や宗教の別なく,モルモンの開拓者に先立って西部山岳地帯で歴史的

ディス・イズ・ザ・プレース記念碑。開拓者のソルトレーク盆地到着を 記念するこの碑は1947年,スミス大管長により奉献された。

ジョージ・アルバート・スミスの生涯と教導の業

偉業を成し遂げた人々をたたえるものであった。奉献式の式次第の準備の段階 で,スミス大管長の希望は,州や郡や市の役人だけでなく,おもだった宗教団体 の代表者がすべて出席することであった。奉献式ではおもに,カトリック教会の 神父,プロテスタントの祭司,ユダヤ教のラビ,そして末日聖徒イエス・キリスト教 会の代表者が話者を務めた。プログラムが終わってから,東部からの訪問者が 次のように感想を述べた。『今き ょ う日,わたしは霊的に洗礼を受け直したように思い ます。わたしが目にした光景はここ以外には世界中のどこにもあり得ないもので す。今日ここで示された寛容の精神はこの上なくすばらしいものでした。』」44  高さ 18 メートルの記念碑は感慨深いものではあるが,開拓者をたたえる最良 の方法は彼らの信仰と献身の模範に従うことだと,スミス大管長は教えた。記 念碑の奉献の祈りの中で,大管長はこのように述べている。「天にまします父よ,

……わたしたちは今朝,この静かな丘の中腹で,あなたの御まえに立ち,御父の息 子娘と彼らの献身をたたえるために立てられたすばらしい記念碑を見ています。

……御父と御父の愛する御子を信じ,ここに住んで御父を礼拝したいと願うゆえ にこの盆地にやって来た,信仰深い人々と同じ精神を持つことができますように。

わたしたちの心に,礼拝と感謝の精神が引き続きありますように,お祈り申し上げ ます。」45

80歳で人生を顧みる

 スミス大管長は高齢にもかかわらず,活動を制限する以前のような病を経験す ることもなく,その任期の大半を無事に責任を果たすことができた。 80 歳の誕 生日を前にした 1950 年 4 月に出た記事の中で,スミス大管長は自分の生涯を振 り返り,神がどれほど自分を支え,祝福してくださったか述べている。

  「この 80 年というもの,わたしはイエス・キリストの福音のために世界中を 100 万キロ以上も旅をしてきました。様々な気候の場所や国々に行き,子供のこ ろから,教会員からもそうでない人からも思いやりと助けを受けてきました。どこ へ行っても,高潔な男女に出会いました。……

 ……自分のようにほんとうに弱く,もろい人間がこの偉大な教会の指導者に召 されていることを考えると,どれだけ多くの助けが必要かということが分かりま す。天の御父の助けがあることを心から感謝すると同時に,生涯を通じて励まし と友情を下さった,国内外を問わず世界中で出会った最良の男女の皆さんに感 謝します。」

 続けて,長年自分が仕えてきた人たちへ愛を表明している。

関連したドキュメント