第一章 中華人民共和国における刑事訴訟法の下で証人保護の現状
第 3 節 中国古代の訴訟観
3 国民性である「嫌訟」
これまで縷々と述べていたように、訴訟活動の文脈において長期にわたり存在している
「出頭難」、すなわち証人が出頭しようとしないという問題は、被害者を含む証人および近 親者の生命権、財産権などの配慮が不十分であることに起因するものであることは否定で きない。ただ、それ以上に、中国の伝統文化に深く根ざしている「嫌訟」、すなわち「訴訟 嫌い」という国民性という問題も重要であり、それはすでに中国における司法改革にとっ て、証人の出頭の確保を阻む点として大きな阻害要因となっている。
周知のように、中国には、四千余年にわたり途絶えることのない歴史がある。古代の中 国では、長年にわたって農民蜂起、王朝交替、割拠政権、国家分裂、異民族侵入、文化融 合および版図変更などを経験し、その上、面積が広く、人口も多かったのである。こうし
38 王立民「中国古代刑訊制度的若干思考」華東政法大学学報(1999年)第3期 51頁を参照。
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た複雑な社会の状況に対応し、一方では、統治者が「乱世重典」39の指導方針を継受し、も う一方では、国民思想の統一を重視していた。それゆえに、儒教がその機能を果たすもの として脚光を浴び、歴史の表舞台に登場してきた。
実は、儒教の隆盛は、決して偶然であると言うわけではなく、しかも、当時の社会事情 を踏まえると、統治者と被統治者両者との両者にとって、その需要を満たしていたとされ る。統治者にとっては、漢朝の董仲書をはじめ、儒教の擁護者らが伝統的な儒教から統治 者に有利な部分を選出し、「三網五常」40の倫理・道徳思想が提唱され、かつ統治階級のた めに理論的根拠が提供され、後世の立法において主導的思想となっていた。被統治者にと っては、古代中国の生産方式や戸籍制度などに基づいて、世間一般の人々を一定地域に定 住させていることとなった。それゆえ、長期にわたる生産生活のもとで、人々が血縁、隣 接関係が次第に重視されてきた。だからこそ、「謙虚礼譲」という社会風潮が提唱され、「無 訟」の社会に憧れが抱かれたのである。この点は、儒教が唱えた「和を以て尊きとする」
思想と合致していた。したがって、世間一般が訴訟活動に臨む時は、嫌悪の感情を抱いて いた。こうした状況は、現在に至るまでも影響を及ぼしている。
確かに、儒教思想は、中国の主流な思想として、統治秩序や社会関係を維持するため、
重要な役割を果たしきたと言えるだろう。しかし、歴史が発展していくにつれて、必然的 な弊害が生じた。その主要な原因を問うと、むしろ儒教思想が倫理・血縁関係というもの に一方的に偏っているため、法家思想が主張する「告奸」41、「相隠」42と相容れなかったと 言えるだろう43。また、儒教が道徳と教化の役割を重視しており、「謙虚礼譲」という社会
39 『周礼・秋官・司寇』「刑新国ハ軽典ヲ用ヒ……刑乱国ハ重典ヲ用フ」。いわゆる「乱世重典」とは、社 会混乱の状態に対応して、厳しく処罰することを意味する。
40 三網は「君ハ臣ノ網タリ、父ハ子ノ網タリ、夫ハ妻ノ網タリ」、五常は、「父子親アリ、君臣義アリ、長
幼序アリ、朋友信アリ」を指す。
41 いわゆる「告奸」とは、犯罪の抑制を図るため、古代の統治者は、犯罪行為と無関係の第三者の検挙に
よる刑事訴追を行う、というものであり、制度として設けられていた。
42 いわゆる「相隠」とは、社会倫理の観点から、親族の間で訴訟、証言することを禁止する、という制度
である。
43 李哲「〈親親相隠〉的歴史根源」『河北法学』1989年1期45頁を参照。
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風潮が提唱されて「無訟」の社会に憧れが抱かれていたため、このような政府筋と民間と ともに「訴訟」に対し消極的な態度を採った、という理解が妥当である。通常の人が訴訟 を提起する場合、役人らが私情にとらわれて法を曲げることや役人同士が庇い合うことな どの諸事情を考慮し、どこかで折り合いをつけて、事を穏便に解決するほかなかった。さ らに、儒教で提唱された「礼」と「刑」という二元構造は、世間一般にとって決して平等 とは言えなかったように思われる44。
4 「官官相衛」
45および弁護士に対する社会的評価
およそ中国の古代において科挙制度が出現する前には、家柄と推薦とが、官吏登用の主 要な筋道であった。それゆえ、血縁や家柄を基礎づける階級社会において、官職選抜は、
主として家柄・才能・徳行を基準として選任され、一般大衆が役人になることは困難であ ったのである。この体制の下で、士族門閥階級が国家の重要な管理職を掌握し、教育資源・
官僚選抜および世論をも独占した。科挙制度の創設は、こういった旧体制を打ち破るもの であり、それによって、士族門閥階級は段々に瓦解していたが、人々が共同活動をする過 程において、同僚関係・血縁関係・交友関係などの複雑な人的ネットワークが結成されて いた。したがって、世間一般が弱者層として訴訟活動に携わる時には、公正な裁判を獲得 することができない、という恐れがあるため、訴訟活動を断念せざるを得なかったのであ る。
科挙制度の下では、「訟師」(古代の弁護士)という新興の職業が現れた。早期の「訟師」
は、落第秀才が最多であった。それゆえ、科挙社会を標榜する社会において、官僚と貧弱
44 例えば、「礼ハ庶人ニ下ラズ、刑法ハ大夫ニ上ラズ」。具体的には、一般庶民は、経済条件などの制限に
より、教育を受けない可能性があるため、礼儀によって庶民を律することは望ましくないのが一般的であ った。ただし、犯罪行為を行う場合には、庶民は「礼」を知らないことを理由として減刑することはでき ないとされた。貴族、科挙出身の高級官僚などは、犯罪を行う場合に、刑罰を一定の範囲内で減刑する可 能性があった。ただし、反乱罪などの重罪は、減刑することがありえないとされた。
45 役人同士が庇い合うことを指す。
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である世間一般の両者からの非難を招いたと物語られている。その非難の内実の 1 つは、
官僚階級が訴訟を受理する時、片意地なまでに「訟師」が世間一般を教唆して訴訟活動を 行ったと思いがちであったということである。もう 1 つは、訴訟を行おうとすると、訴訟 費用が高額となって世間一般が負担しかねるものとなったが、その裏で、「訟師」が、代理 訴訟を通じて巨万の富を積み上げることに対して、一般大衆の富裕層を憎むという感情を 引き起こした。そのため、世間一般では、「訟師」を「訟棍」(訴訟ごろ)と呼んでいた。
また、古代の「訟師」は、法律の専門家というわけではなく、そのうちの多数が科挙試験 の落第者として生活に迫られたことから、法律を独学で学び、「訟師」の業界に入ったので はないか、とされて学識のある人から白眼視されるといった事態も根強かったのである。
そして実際には、「訟師」が勝訴するために、ひそかに役人と結託して不法の財貨を手に入 れた、ということがしばしば見られた46。