第 2 章 介護労働の特性と人材マネジメント
2. 介護職員の意欲・能力を高める人材マネジメント
2.3 介護職員の能力向上につながる人材マネジメント
次に介護職員の能力向上につながる人材マネジメントについて検討する。本研究で能力 とは職務を遂行する上で必要な能力であり、能力向上とは個人の職務遂行能力が高まることと定 義する。個人の能力を高めることは、組織における人材育成の根幹である(守島,2010a)。学習研 究においては、能力向上は「学習の生起」として捉えられる(中原,2010)。学習とは「経験によって、
知識、スキル、信念に変化が生じること」を指す(松尾,2006)。
本節ではヒューマン・サービス、および介護労働における知の獲得の考え方を確認した上で、
介護職員の能力向上に関連する人材マネジメントについての先行研究を検討し、本研究の着眼 点を提示する。
(1) ヒューマン・サービス、および介護労働における知の獲得の考え方
前節で述べたように、ヒューマン・サービス従事者は、プロフェッション(専門職)であり素人では 真似のできない高度な知識や技術を修得していることが前提となる。そのため法律によって一定 期間の専門教育を受けることが規定されている。ただし、それだけで直ちに的確なサービス提供 ができるようになるわけではない。これもすでに述べたように、ヒューマン・サービスを担うプロフェッ ションのインテリジェンスの特徴は、複合性、非マニュアル性、信頼関係の重視の 3 つである(田 尾,2001)。再度その点を簡潔に確認すると、複合性とは人間がサービス対象であるため、一人ひ とりが異なり、人間そのものを構成する様々の要因が複雑に絡み合っていて、それを正確に観察 したり測定したりするのが難しいことである。非マニュアル性とはマニュアル的には表現しにくく、カ ンや経験、度胸のようなものが必要になることである。信頼関係の重視とは、相互の信頼関係がな ければサービスが有効に働かないということである。ヒューマン・サービス技術の特性は、人間を扱 うゆえの不完全さ、不確かさであり、“因果関係や科学性を超えた何か”により制約を受けているこ とである(田尾,1995)。
介護福祉分野においては、Evans(1999)は理論教育と実践の結びつきが希薄であること、理 論から実践へという演繹的方法をとるより、実践から理論へという帰納的方法をとる傾向が強く、現 場実践における経験重視のアプローチが重要であるとしている。Evans(1999)は、介護福祉の実 践現場での経験が知識習得の中心となっている様子を「玉葱モデル(onion model)」として提示 している(図 2-1)。
60
図 2-1 玉ねぎモデル(The ‘onion’ model of practice learning)
出所:Evans(1999),p.35をもとに筆者邦訳追加.
中心に学習者である介護職が位置づけられ、実務経験を積むことで知識習得が進む。実務指 導者はその外側に位置付けられていることからうかがえるように、実務指導者が現場での指導・支 援にあたり経験の付与や意味づけを行う役割を担う。教育担当者は現場を離れた教育訓練を行う 役割を担うが、最も外側に位置づけられており、学習者に対する影響力は実務指導者より弱い。
Evans(1999)の 理 論 モ デ ル は 、Kolb(1984)の 経 験 学 習 論(experiential learning)や 、 Schӧn(1983)の反省的実践家論(reflective practitioner)、Lave & Wenger(1991)の状況学習 論(situated learning)等に基づいている。介護労働における知の獲得(学習/能力向上)を検討 する上で重要な理論であるため、以下、それぞれについて概要を紹介する。
Kolb(1984)の経験学習とは「具体的経験(concrete experience)」、「内省的観察(reflective observation)」 、 「 抽 象 的 概 念 化(abstract conceptualization)」 、 「 能 動 的 実 践(active
experimentation)」の4つのサイクルで構成される(図 2-2)。「具体的経験」とは目の前の困難な
仕事において経験を積み重ねること、「内省的観察」とは自らの経験を観察し、経験の意味を振り 返ること、「抽象的概念化」とは振り返りで得た経験の意味を重ね合わせ統合し、理論化すること、
「能動的実践」では新たな局面での意思決定や問題解決のためにそれらの理論を活用することで ある。経験を内省し、内省により得た経験の意味を統合・理論化し、新たな局面にそれを活用する ことで、個人の学習が生起するという学習モデルである(Kolb,2014)52。Kolb によれば、知は経験 の咀嚼と経験の変容の結果であるとする。経験の咀嚼は、具体的経験と抽象的概念化が直接関 連し、経験の変容は内省的観察と能動的実践が直接関連する。この 4 つの学習プロセスに対応 させて、経験(experiencing)、内省(reflecting)、思考(thinking)、実践(acting)という行動をとる ことが重要であるとしている(Kolb,2014)。
52 Kolbは、教育学の分野におけるDewey(1938)、Lewin(1946)らの学習モデルを検討した上で、ビジ ネスにおいて応用可能なモデルとして体系的かつ簡略に示した(Kolb,2014)。
61
図 2-2 経験学習モデル(The experimental learning cycle)
出所:Kolb,D,A(2014),p.51をもとに筆者邦訳.
Schӧn(1983)による反省的実践家(reflective practitioner)は、不確実性に対処する専門家 の技術獲得スタイルである。Schӧn は、技術合理性に基づく従来のプロフェッション(専門職)の分 類を否定する立場をとり、「反省的実践家」において実践は、所与の科学的技術の適用でもなけ れば、スペシャリストとしての役割の限定でもないとした。クライアントが抱える複雑で複合的な問 題に、「行為の中の省察(reflection-in-action)」として特徴づけられる特有の実践的認識論によ って対処し、クライアントとともにより本質的でより複合的な問題に立ち向かう実践を遂行するという ものである。
Schӧn の反省的実践家における「行為の中の省察(reflection-in-action)」は、「知」が人間の
外側にありそれを誰かに伝達してもらうのではなく、「知」は人間の内側にあり、それを行為の中で 醸成させていくという学習観に基づいており、それを「行為の中の知(knowing-in-action)」と呼ん でいる。自らの中にある「行為の中の知」を知り、さらにそれを創造していくために必要な観点が
「省察(reflection)」である。
Schӧn によれば、省察には3 種類ある。1 つ目は「行為の中の省察(reflection-in-action)」と
呼ばれるもので暗黙のうちに知っていることを振り返りながら行為を実践することである。2 つ目に、
「行為の後に行われる省察(reflection-on-action)」と呼ばれる、行為の事後に、実践やその思考 について振り返り、行為の中の知がどのような結果につながったのかを明らかにすることである。3 つ目に、「行為の中の省察に関しての省察(reflection on reflection-in-action)」と呼ばれる、省 察のプロセスそのものを省察することがあげられている。3 番目の「行為の中の省察に関しての省 察」は、個人レベルのダブルループ学習53に相当すると考えられる。
53 Argyris &Schӧn(1978)は、組織学習研究において、シングルループ学習とダブルループ学習という
概念を提唱している。シングルループ学習とは、組織の目標やルール、体制などを所与として、手段や
62
もう1つSchӧnの反省的実践家の重要な観点は「対話(conversation)」である。Schӧnは「行
為の中の省察」を促すために、「状況との対話(conversation with situation)」が重要であると指 摘している。「状況との対話」とは、状況の抱える複雑な問題を認識し、その反応を確認しながら、
また新たな知を引き出すプロセスである。状況といかに省察的な対話ができるかが重要になるとし ている。
状 況 学 習 論 と は 、 知 識 ・ 技 能 が 状 況 の 中 で 獲 得 さ れ る と す る 考 え 方 で あ る 。Lave &
Wenger(1991)によれば、学習は仕事の中の日常的行為に埋め込まれたものであり、仕事場とい うコミュニティが実践を通じた学習の機会と位置付けられるとする。そのような実践のコミュニティに、
最初は見習いなどの周辺的役割から参加し、熟達するに従って中心的なメンバーへと参加の度 合いを高めていく。このような学習を、意味を獲得する参加の軌道の中で捉え、コミュニティにおけ る正統的周辺参加であるとし、徒弟制度に似ていることから認知的徒弟制度と呼ばれている54。コ ミュニティの中では、様々なレベルの暗黙知や実践知55が学習される(金井・楠見,2014)。
わが国の介護福祉学においては、介護福祉研究とは「実践学」であり「臨床の知」であるとされ る(日本介護福祉学会事典編纂委員会編,2014,pp.176-179)。「臨床の知」とは、哲学者の中村 雄二郎氏が提示した概念で、臨床実践とは場所的、時間的に限定された中で行われるものであ るがゆえに、「臨床の知」とは直観と類推の積み重ねから成っているとする。だからこそ、ここでは 特に経験が大きな働きをし、また大きな意味を持っていると指摘する(中村,1992)。このような立場 から介護福祉においては、「理論の実践化」ではなく、「実践の理論化」が必要であると強調されて いる(田中・栃本編著,2012; 日本介護福祉学会事典編纂委員会編,2014)。
西川(2004a)は、Kolb(1984)の経験学習、Schӧn(1983)の反省的実践家、Evans(1999)の玉 ねぎモデルを引用しながら、介護における経験や省察の重要性を示した。西川は介護職の技能 形成には、形式知より経験知56の形成および蓄積が重要であるとし、その理由として、次の3つを あげている。第 1 に、人間を扱うゆえに個別性が高く、介護を必要としているため不安定性が高く、
標準化や結果の予測が不可能であるため、形式化が困難であるとしている。例え形式化はできて もその応用には限界があり、そのコストは高く逆に効果は薄いとする。第2に、介護職の経験知は、
行動を修正し問題の解決が図られることである。ダブルループ学習とは、組織が様々な組織活動の内容 とその結果を評価するために現在使っている論理の妥当性を検討し、それが妥当性を失っている場合に は新しいものに置き換えることである(Argyris & Schӧn,1978, p.19)。
54 伝統的徒弟制度が親方のもとでの弟子の身体的スキル獲得が中心であるのに対し、認知的徒弟制度 は、認知的なスキルや知識の学習をも含んでいる(金井・楠見,2014)。
55 野中・竹内(1996)は、Polanyi(1967)による暗黙知(tacit knowledge)と形式知(explicit knowledge)と いう2つのタイプの知を用いて、組織における「知」を再定義した。暗黙知とは、言語化しえない・言 語化しがたい知識で、経験や五感から得られる直接的知識である。それに対して形式知は、言語化され た明示的な知識で、形式的・論理的言語によって共有・伝達できる知識である(野中・紺野,2003)。その 後、野中・竹内(2011)は形式知と暗黙知の概念を使うだけでは十分に説明できないとし、実践知
(practical intelligence)という第3の知識を利用しなければならないとした。実践知とは、経験から得ら
れる暗黙知で、価値観や道徳についての思慮分別を持つことにより、現実の具体的な文脈や状況におい て最善の判断を下し、行動することを可能にする。実践知の起源は、アリストテレスが分類した3つの 知識の1つ、フロネシスという概念にあたる。3つの知識とは、フロネシス(何をすべきかを知る[know what]。高質の暗黙知。実践知)、エスピメーテ(普遍妥当な科学的知識[know why]。形式知)、テクネ(ス キルベースの技術的知識[know how]。暗黙知)である。
56 ここでの経験知とは、西川(2004a)の文脈より、経験により獲得される暗黙知と実践知を指すと想定 される。
63
認知的、技術的側面だけではなく感情的側面も重要であるためである。真の感情は現場でしか経 験できないとする。第 3 に、介護職にとっての知識は、Schӧn が「行為の中の知」(knowing-in-action)として示したように、形式知にせよ暗黙知にせよ、既に存在するような性質の知識ではなく、
利用者との関係の中で常に創造され変化していく性質を持つ。さらに、その知識は介護する側と される側の関係性に依存するため、特定の利用者に対する特定の介護職の知識であり、人が違 えば同様の知識を得るとは限らない。そのため知識の体系化は進まず、形式知は発達しない。以 上の理由から、既存の知識そのものの獲得よりも、自らの経験や省察を通じた知の獲得・蓄積、そ してその獲得プロセスが重要になると述べている。西川(2009)は、介護は、必要な知識やスキル が短期の講習や研修で身につくものではなく、長期の実践学習を要する知識労働であるとしてい る。
(2) 介護職員の能力向上/学習/人材育成に関連する研究
次に、介護職員の知の獲得(能力向上/学習/人材育成)に関する実証研究を確認する。
2000年の介護保険制度施行当初は、そもそも獲得すべき知識や技能とは何なのか、それ自体が 明確ではないことから、業界標準の職業能力評価の基準作りが、公的団体および業界団体等に より積極的に行われている57。そうした中、わが国の介護分野で介護職員の技能向上に着目した 本格的な研究としては、西川(2004b,c)や佐藤・大木・堀田(2006)をあげることができる。
西川(2004b,c)は訪問介護員の技能向上につながる経験特性や、振り返りに関する個人特性、
さらに技能向上につながる職場要因について検討している。西川(2004b,c)は、訪問介護員の職 務遂行能力について、直接スキル(家事、身体介護、痴呆介護58)と間接スキル(人間関係スキル、
介護目標の理解度、組織員資質、問題解決能力)、およびその加重平均を総合スキルという独自 の尺度を設定し、管理者による評価と自己評価を組合せて調査・分析を行った。その結果、管理 者評価によると、直接スキル・間接スキルともに、経験 5 年目までは徐々に伸びるが、そこで飽和 状態に達する。これらのスキルが最も上がるのは1年から2年にかけてである。ただし、問題解決 能力は5年後も上がることが示された。
また技能向上につながる経験の特性に関しては、訪問介護員の技能は、担当する利用者の数 が増えるほど向上すること、それも一定の利用者への対応だけではなく異なる多様な利用者に対 処することであると報告している。さらに技能向上につながる職場要因としては、エンパワー風土 (訪問介護員同士が意見交換し、新しい機会にチャレンジするなど)、組織学習促進(事例の共有、
改善点の定期的話し合いなど)、スキルアップ促進(教育訓練や評価制度の整備など)の3つの事 業所の取り組みのうち、エンパワー風土は直接スキル・間接スキル・総合スキルいずれの間にも有 意な相関を示した。また組織学習促進は、初心者において効果的であると報告している。
西川(2004b,c)の研究により、訪問介護員の技能は経験の長さと担当利用者の数に関連する
57 例えば、佐藤・大木・堀田(2006)による訪問介護員の能力測定のための基準作りの試み、日本在宅介 護協会(2004)による訪問介護員の職業能力評価基準、中央職業能力開発協会(2013a.b)による在宅および 施設介護における職業能力評価基準、日本ホームヘルパー協会(2010)による訪問介護員のコンピテンシ ーモデル作りなどがあげられる。政府が推進する介護プロフェッショナルキャリア段位制度は、こうし た基準を参考にしながら作成されている。
58 当時は痴呆症という言葉が使われていたが、現在は認知症という言葉に置き換えられている。