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第4章 研究1-ベトナム語と日本語の事態把握と視点-小説からの考察

4.3 調査の概要

本節では、調査に用いた資料、分析の枠組みについて述べる。

4.3.1 資料

本研究の対象となる資料は、日本語の小説2冊(江國香織著『東京タワー』、東野圭吾著

『秘密』)の中の 1 つの章と、そのベトナム語の翻訳文である22。資料は、金恩愛(2006)

と徐(2009、2013)を参考に、「1990 年以降の作品、現代を背景にした作品、テキストに 東京以外の方言が著しく混在していない作品」(徐 2013:8)という原則に基づいて選択し た。さらに、本研究は、〈主観的把握〉の傾向が強いと言われる日本語の特徴である(話者 が事態の中に臨場し、事態の内面から描く)という傾向がはっきり見られるように、話者 が第三者で書かれたものにした。以下は、分析対象となる小説の内訳である。

小説1:江國香織(2001)『東京タワー』新潮社版を小説1にする

Kaori Ekuni著Trần Thanh Bình訳(2001)『Tháp Tokyo』NXB Văn hóa-Văn nghệ Thành phố Hồ Chí Minh

小説2:東野圭吾(2001)『秘密』文藝春秋を小説2にする

Keigo Higashino著Uyên Thiểm-Trương Thùy Lan訳(2010)『Bí mật của Naoko』Nhà xuất bản Thời đại

分析のデータとして、小説から主人公と他の人物が出る一つの大きな場面(事態)を含 む部分を選び、文〈注視点の判定〉と場面〈視座の判定〉ごとに分析する。視座は文単位 では判定できない場合もあるので、場面で見ることにした。ストーリーの内容をもとに小 説1の資料は9場面に、小説2の資料は13場面にわけた。注視点の判定は場面ではなく、

文レベルでも判定できるので、基本的に文単位で見ることにした。

22 小説の日本語の原文と訳文を比較することにした理由は、「同一の内容を異なった言語 で表現できる場を得られるという利点がある」(徐2013:8)からである

38 4.3.2 分析の枠組み

前述したように、本研究は、「視点」を〈視座〉と〈注視点〉の二つに分けて捉える。〈視 座〉といった〈話者の見る場所/話者の語る立場〉は、主に視点表現より判定する。〈注視 点〉といった〈話者の見る対象〉は、主に文の主語・主題により判定する。これらの判定 基準は、あくまでも日本語の基準であるため、ベトナム語には適切だとは言えない。しか し、ベトナム語の視点の概念が、筆者の知っている限りでは、明確にされていないため、

本研究は、日本語の基準によりベトナム語の文章における視点の判定ができるかどうかを 確かめることにした。〈視座〉と〈注視点〉の判定手順及び判定例は、以下に述べる。

4.3.2.1 視座の判定について

話者がどこに視座を置くかは、視点表現の使用と文脈によって判定する。視点表現は、

先行研究を参考に、①受身表現、②授受表現、③使役表現、④移動表現、⑤主観表現、⑥ 感情表現、の6つの表現とする。ただし、ベトナム語の表現の場合、日本語と同じように 話者の視座を表す意味かどうかは不明であるため、視点表現として扱わない。これらの表 現を日本語の視点表現に相当する言語形式として扱う23

以下の表4-3は、日本語原文における視点表現とそれに相当するベトナム語の言語形式 である。

23 例えば、ベトナム語の「授受動詞(V-cho)」は、話者と与え手・受け手との関係を問 わず「V-与える」の意味を表す全ての場合に使用されるため、日本語のように話者の 視座を表す意味をしない可能性もある。受身表現、使役表現、移動表現も日本語と同じ ように話者の視座を表す意味をするかどうかは不明である。

39 表4-3分析に扱う言語形式

言語形式 日本語(JP) ベトナム語(VN)

①受身表現 「Vられる」 「bị/được」

②授受表現 「Vて あげる/くれる/もらう」

「あげる(*)/くれる/もらう」 「V-cho」

③使役表現 「Vさせる」 「bắt/làm/khiến cho」

④移動表現 「Vて行く/来る」

「行く(*)/来る」

「V- đi/đến」

「đi/đến」

⑤主観表現 「~と思う/考える」など

⑥感情表現 「感動する/後悔する」など

「嬉しい/痛い」など

(*) 視点表現として扱わない場合もある24

4.3.2.2 注視点の判定について

話者がどこに焦点を当てて捉えるかは、JPでもVNでも同様に述語と文訳により判定す

る。第3 章 3.1.2.2(注視点の判定基準)で述べたように、能動文の動作主と受身文の動

作主、つまり文の主語を話者が見る対象(注視点)とする。

主観的把握をする言語であるか、客観的把握をする言語であるかを判定するために、主 語の明示性を検討する研究は多い(奥川2007、徐2009など)。本研究も、日本語とベトナ ム語における主語の明示・非明示の傾向を検討し、両言語における事態把握と視点を比較 する。

4.3.2.3 場面における〈視座〉と〈注視点〉の判定例

本項では、JPとVNのそれぞれの判定例を挙げる。JPは、小説1(「東京タワー」)の場 面2を、VNは、小説2(「秘密」)の場面2を例として取り上げる。JPに対しては、まず 視点表現を抽出し、その視点表現と前後の文脈により視座を判定する。次に各文・各節の 主語・主題を判定し、その主語や主題により〈注視点〉を判定する。VN に対しては、日 本語に直訳してからJPとほぼ同じ基準で〈視座〉と〈注視点〉の判定を行う。つまり、注 視点は、基本的に文レベルで判定するが、視座は、文レベルではなく場面レベルで判定す る。

24 「あげる」に対して「渡す・支える」の意味で用いられる場合、つまり中立的な視座で 用いられる場合もある。同様に「行く」も、ある場所からある場所まで「移動する」と いう意味をし、中立視座で用いられる場合もある。従って、「あげる」/「行く」の場合 は、視点表現として扱えるかどうかは文脈や文での意味により判断する。

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(1) 日本語原文・場面2(JP2)の〈J6-J13〉 25 (p.63)

…〈透は〉26 一度、詩史に誘われて27写真家の個展に行ったことがある。ビルの中の小さ なギャラリーで透と詩史の他に、客は一人しかいなかった。詩史 28はその写真家と親しそ うだった。〈詩史は〉肩に手をかけてひきよせあい、外国人のように頬をつける挨拶をした。

写真家はやや戸惑いぎみに、しかし上手にそれを受け止めた。〈写真家は〉詩史の両肩に 手を置いた。はっきり憶えているのだが、その瞬間、透は二人の関係や接触にではなく、

写真家の年齢にはげしく嫉妬した。この男は、自分の知らない―そしてもはや永遠に知る ことのない―詩史を知っているのだ。〈透は〉そう思うと腹が立った。…

 話者が透の視座で描いている

 注視点:〈透〉→詩史→〈詩史〉→写真家→〈写真家〉→透→〈透〉

(2)ベトナム語訳文・場面2(VN2)の〈V7~V12〉29 (pp.55-56)

Có lần Shifumi rủ cậu đi xem một triển lãm ảnh cá nhân.

ある度 詩史 誘う 彼 行く 見る 一つ 展覧会 写真 個人 Hôm đó, ngoài hai người chỉ có đúng một khách vào xem.

その日、二人以外 しか 一客 見に入った

Có vẻ đã thân quen với tay nhiếp ảnh, Shifumi đặt hai tay lên vai lão ta,

らしい 親しかった と 写真家 詩史 置く 両手 上に肩 そのおじさん rướn người chạm má, chào hỏi như kiểu ngoại quốc khiến lão ta hơi lúng túng dù vẫn 前向き 体 つく頬 挨拶 ように 外国風 させる おじさん 少し 戸惑うでも khéo léo khẽ ôm lấy hai vai đáp lễ.

うまい 軽く 抱く 両肩 返礼

Khoảnh khắc ấy, đột nhiên ngọn lửa ghen tuông trong Toru bùng cháy,

その瞬間 突然 火 嫉妬 中に 透 燃え上がる nhưng không phải vì mối quan hệ hay sự đụng chạm giữa hai người, mà là cậu でも ではなく ため 関係 或いは 接触 間 二人 それは 彼 phát ghen với tuổi tác của lão nhiếp ảnh gia ấy. (…)

嫉妬する と 年齢 の あの写真家

25 J-番号:基本的に「。」ごとに数えた日本語原文の文番号。例:〈J6-J13〉は、分析の対

象となった日本語小説2のデータにおける文No.16から文No.13までのことである。

26 〈 〉の中は、非明示注視点(=文に明示されていないが述語の用い方及び文脈によっ て判定された注視点である。

27 下線部分は、視点表現である。

28 ☐の中は、明示注視点(=文に明示された注視点)である。

29 V-番号:基本的に「。」ごとに数えたベトナム語訳文の文番号 例:〈V7-V12〉=文16~文13

41 Hẳn lão biết về một Shifumi mà mình chưa biết và có lẽ でしょう おじさん知る について 一つ 詩史 自分 知っていない そして 多分 vĩnh viễn không thể nào biết được. Ý nghĩ đó khiến Toru sôi máu.

永遠 できない 知る その考え させる 透 沸騰する 血

直訳:一度詩史は彼を個展を見に行くのを誘ったことがある。(その日、見に行った客は 二人の他、一人しかいない)。写真家と親しかったらしく、詩史は彼30の肩に両手を置き、

前のほうに身体を出し、外国人のように彼と挨拶し、(その挨拶で)彼が少し戸惑うが、

軽く両肩を抱き、上手に挨拶を返した。その瞬間、突然透の中で嫉妬の火が燃え上がった が、二人の関係或いは接触だからではなく、それは〈彼は〉その写真家の年齢に嫉妬した。

彼が自分の知らない、多分永遠に知らない詩史を知っているだろう。その考えで透は血が 沸騰した。

 視座:前半〈不明〉、後半〈透〉

 注視点:詩史→詩史・写真家→透(の嫉妬の火)→透(の血)

次は、分析の対象となった全調査資料の判定結果を述べる。