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1.グルタミン酸シグナルの欠損が胎児期の脳形成に 及ぼす影響

 脳高次機能におけるグルタミン酸シナプス伝達の役 割を解明するため,グルタミン酸受容体欠損マウスや グルタミン酸の放出を抑制するマウスなどのグルタミ

ン酸シグナルを欠損するマウスが多く作成された.し かし,in vitro の結果と異なり,ほとんどのグルタミ ン酸シグナル欠損マウスでは,脳形成の大きな異常は 観察されなかった.たとえば,グルタミン酸のシナプ ス小胞への輸送を担うシナプス小胞型グルタミン酸輸 送体(VGluT1〜3)の欠損マウスでは,グルタミン酸 の放出は抑制されるが,脳は正常に形成される17〜19). さらに,グルタミン酸を含むすべての神経伝達物質の 放出が欠損する Munc18─1 欠損マウスでも,脳の形 成異常は観察されない20).また,NMDA 型受容体欠

損マウス21〜23),AMPA 型受容体欠損マウス24〜26)

カイニン酸型受容体欠損マウス27,28),代謝型グルタ ミン酸受容体の欠損マウス29〜31)にも,顕著な脳形成 異 常 は 観 察 さ れ な い.こ れ ら の in vitro お よ び in vivo の研究結果の矛盾により,グルタミン酸の脳形 成シグナルとしての役割は不明であった.

2.グルタミン酸シグナルの亢進が胎児期の脳形成に 及ぼす影響

 筆者らは,グルタミン酸は脳形成シグナルとして重 要な役割を果たしているが,グルタミン酸シグナルの 図 3.脳形成における三つの素過程

1.神経幹細胞の増殖

2.神経細胞の移動 3.神経細胞の分化

神経細胞 放射状グリア

【脳の表層側】

欠損マウスでは,なんらかの代償作用により,その作 用が観察されないと考えた.そこで発想を逆転させ,

グルタミン酸シグナルを亢進させたら脳形成になんら かの影響が出るのではと考えた.in vivo でグルタミ ン酸シグナルを亢進させるため,細胞外グルタミン酸 濃度を増加させグルタミン酸受容体を過剰に活性化さ せる方法を用いた.脳における細胞外グルタミン酸濃 度は,細胞膜に存在するグルタミン酸トランスポータ ーにより制御されているので(図 2),グルタミン酸 トランスポーターを欠損させることにより,グルタミ ン酸シグナルを亢進させることができる.胎児期の脳 には,GLAST,GLT1,EAAC1 の 3 種類のグルタミ ン酸トランスポーターが発現している.しかし,これ ら 3 種類の個々のサブタイプ欠損マウスは,脳形成異

常を示さない32〜34).そこで筆者らの研究グループは,

サブタイプ間の代償作用を排除するため,2 種類のグ ルタミン酸トランスポーターを欠損するダブル欠損マ ウ ス を 作 成 し た35).EAAC1&GLAST,EAAC1&

GLT1 ダブル欠損マウスは正常な脳形成を示したが,

GLT1&GLAST ダブル欠損マウス(DK マウス)は 胎生 17 日ころに死亡し,脳にさまざまな形成異常が 観察された(図 4).ヘマトキシリン染色で胎児脳を 調べたところ,胎生 14 日までは野生型と大きな差は なかったが,胎生 16 日以降の DK マウスは,側脳室 の拡大,大脳皮質および海馬における層形成の異常,

扁桃体の核形成の異常が観察された(図 4).さらに,

軸索のマーカーに対する抗体(L1 抗体)と蛍光色素 のトレーサー DiI を用い,大脳皮質と視床をつなぐ軸 図 4.DK マウスで観察される脳の形成異常

海馬における矢頭は錐体細胞層を示す.扁桃体における La,BL,BM,Me,Ce は亜 核の名前.胎生 17 日目の標本.

野生型 GLAST─/─/GLT1─/─

大脳新皮質

海馬

扁桃体

索を可視化したところ,DK マウスにおいて,大脳皮 質と視床間の線維連絡は障害されていた(図 5 下段).

また,大脳新皮質錐体細胞の突起の数および長さにも 異常が観察された(図 5 上段).

 DK マウス大脳皮質の形成異常の原因を解明するた め,BrdU(分裂している細胞に取り込まれる)を妊 娠後 14,16 日目の母親マウスに注入し,神経幹細胞 の増殖の異常の有無を解析した.胎生 14 日(E14)

の神経幹細胞の増殖能は正常であったが,E16 の増殖 能は低下していた(図 6 上段).次に,神経細胞の移 動に異常があるかどうかを調べるため,BrdU を E14 に注入し,E14 で生まれた神経細胞をラベルし,E16 でその移動を解析した.その結果,大脳新皮質錐体細 胞の放射状移動に異常があることが明らかになった

(図 6 中段).さらに,神経細胞の放射状移動の足場と なる放射状グリアの突起をマーカー蛋白質で染めたと ころ,突起の束化に異常があることがわかった.これ らの結果は,DK マウスでみられる神経細胞の移動異 常の原因の一つは,放射状グリアの突起束化の異常で あることを示唆している.成人脳で細胞外グルタミン 酸濃度が上昇すると,神経細胞死が観察される.しか し,DK マウス前脳において,TUNEL 陽性細胞の増 加は観察されなかった.

 以上の結果は,DK マウスでは,脳形成の主要な素 過程である,①神経幹細胞の増殖,②)神経細胞の移

動,③神経細胞の分化のすべての過程が障害されてい ることを示している(図 6).また,DK マウスの前 脳では神経細胞死が観察されなかったが,視床,脳幹,

脊髄では TUNEL 陽性の神経細胞死が観察された.

 これらの脳形成異常は,グルタミン酸トランスポー ター GLT1 および GLAST の欠損により細胞外グル タミン酸濃度が上昇し,グルタミン酸受容体が過剰に 活性化されることにより起こると考えられる.胎児脳 の細胞外グルタミン酸濃度を測定することは技術的に 困難なので,そのかわり,グルタミン酸受容体の阻害 剤(AMPA 型受容体と NMDA 型受容体の阻害剤の 組み合わせ)を妊娠中の母親に投与し,脳形成異常に おけるグルタミン酸の興奮毒性の関与を調べた.グル タミン酸受容体阻害剤により,DK マウスの脳形成異 常は正常に回復した35).さらに,脳形成異常に関与 するグルタミン酸受容体のサブタイプを絞り込むため,

DK マウスから胎児期の主要なグルタミン酸受容体サ ブタイプである NMDA 型受容体を欠損させたトリプ ル欠損マウス(GLAST,GLT1,NR1 の三つの遺伝 子が欠損したマウス,TK マウス)を作製した.TK マウスでは,DK マウスで観察された脳形成異常が,

正常に回復していた(図 7)36).これらの結果は,グ ルタミン酸トランスポーター GLT1 と GLAST の異 常は,細胞外グルタミン酸を増加,NMDA 型受容体 を過剰に活性化し,神経幹細胞の分裂,神経細胞の移 図 5.DK マウスで観察される神経細胞の突起伸張障害

上段は,DiI でラベルされた神経細胞,下段は L1 抗体で染めた軸索.

野生型 GLAST─/─/GLT1─/─

動,神経細胞の分化に障害をもたらすことを示してい る(図 8).つまり,グルタミン酸は,in vivo におい ても,脳の形成に重要な役割を果たしている.脳の形 成には,遺伝的プログラムと神経細胞活動の両者が関 与している.従来,遺伝的プログラムは脳の初期形成 に,神経活動は脳形成の最終段階に関与すると考えら れてきた.グルタミン酸は,脳の 70% の神経細胞が 神経伝達物質として用いており,神経活動依存的な脳 形成に重要な役割を果たす.筆者らの作成した DK マウスは,グルタミン酸つまり神経活動が脳の初期形 成にも重要な役割を果たしていることを示している.

3.グルタミン酸シグナル欠損マウスにおける代償  作用

 グルタミン酸が,in vivo でも脳の形成に重要な役 割を果たすことが筆者らのグルタミン酸シグナル亢進 モデルを用いて明らかになった.それでは,何故,グ ルタミン酸受容体やグルタミン酸放出の欠損マウス

(グルタミン酸シグナル欠損モデル)では,脳の形成 に異常がみられないのか? その原因として,グルタ ミン酸以外の神経伝達物質によるグルタミン酸の代償 作用が考えられる.GABA,グリシンなどの神経伝達 物質は,成人脳では神経細胞を過分極させる抑制性神 経伝達物質として知られている37).しかし,これら の神経伝達物質は胎児期では,神経細胞を脱分極させ,

グルタミン酸と同じ興奮性神経伝達物質として働くこ 図 6.DK マウスで観察される脳形成異常の機序

上段の黄色の細胞および中段の茶色の細胞は,BrdU でラベル された神経幹細胞,神経細胞を示す.下段の神経細胞は DiI で ラベルされた神経細胞を示す.

野生型

神経幹細胞 の増殖

神経細胞の移動

神経細胞の分化

GLAST─/─/GLT1─/─

とが知られている37).したがって,グルタミン酸シ グナル欠損モデルでは,GABA およびグリシンがグ ルタミン酸の作用を代償し,脳形成に大きな異常が起 こらないと考えられる.GABA も,脳形成に重要な 役割を果たすことが in vitro の実験から示唆されてい る が5),GABA の 合 成 酵 素 で あ る GAD65 お よ び GAD67 の 2 種類の酵素を欠損させたマウスでは,脳 内の GABA が完全に消失するにもかかわらず,脳形 成に明らかな異常は観察されない38).その原因は,

グルタミン酸,グリシンによる GABA の代償作用で あると考えられる.

 以上のように,胎児期における神経伝達物質の役割 は,神経伝達物質の機能欠損モデルでは解明できず,

神経伝達物質機能亢進モデルを用いて解析する必要が ある.それぞれの神経伝達物質の亢進モデルにおける 脳形成異常を解析することにより,はじめて,それぞ れの神経伝達物質の脳形成における役割を明らかにす ることができる.筆者の研究グループは,現在,

GABA の 脳 形 成 に お け る 役 割 を 解 明 す る た め,

GABA トランスポーター欠損マウスを解析中である.

4.グルタミン酸シグナルの亢進が生後の脳形成に  及ぼす影響

 生後の脳の成熟には,幼弱期の外界刺激による神経 回路の改築が必要である.グルタミン酸は,脳の 70% の神経細胞が神経伝達物質として用いており,

外界刺激による神経回路の改築に重要な役割を果たす.

幼弱期における生育環境の重要性は,母国語形成や運 動・楽器演奏能力として社会的にも広く認知され,古 来より“三つ子の魂百まで”として知られている.こ の現象は,シナプス回路発達における「臨界期可塑 性」として注目されていたが,その分子機構は不明で ある.臨界期可塑性として,生後の早い時期に強い感 覚刺激を受けた大脳皮質領域が拡大し,弱い感覚刺激 を受けた領域は縮小するという現象が知られている.

マウスの体性感覚野には,1 本,1 本のひげの触覚刺 激を処理するシナプスの集合体が存在する.生後 0〜

3 日までの間にひげを抜くと,抜かれたひげに対応す 図 7.DK マウスの脳形成異常は NMDA 型グルタミン酸受容体(NR1)の欠損で回復する

GLAST-/-/GLT1-/-:DK マウス,GLAST-/-/GLT1-/-/NR1-/-:DK マウスから NR1 を欠損させたマウス

(TK マウス).海馬の矢頭は錐体細胞層を示す.

野生型 GLAST─/─/GLT1─/─/NR1─/─

大脳新皮質

海馬

扁桃体

GLAST─/─/GLT1─/─