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立教大学博士学位申請論文

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立教大学博士学位申請論文

規制産業の産業特質と経営革新

-清酒製造産業の経営史的研究-

Characteristics and Innovation of Regulated Industries

~A Study of Management History in the Sake Industry~

2014

7

指導教授 青淵 正幸 准教授

立教大学大学院ビジネスデザイン研究科 ビジネスデザイン専攻

博士課程後期課程 4年次 学生番号

11WG002E

右田 圭司

Migita, Keiji

(2)

目次

1

章 本研究の目的 ... 1

1

節 はじめに ... 1

2

節 本研究の問題意識 ... 4

3

節 本研究の構成 ... 6

2

章 清酒製造業における産業の特質と経営の特徴

... 9

1

節 はじめに ... 9

2

節 清酒製造業に影響を及ぼしたと考えられる歴史的背景 ... 9

3

節 清酒製造業の産業特質に影響を与えた歴史的要因 ... 11

4

節 小括

... 22

3

章 清酒製造業をめぐる外部環境と産業の特質 ... 25

1

節 はじめに ... 25

2

節 戦後における清酒製造業の産業変化とその影響 ... 25

3

節 級別制度の廃止と清酒市場の変化 ... 28

4

節 清酒の消費動向 ... 30

5

節 近代工業として産業化された清酒製造業 ... 31

6

節 小括 ... 34

4

章 清酒製造業における産業体質の特徴とその影響

... 36

1

節 はじめに ... 36

2

節 清酒製造業の現在の産業政策と経営実態 ... 36

3

節 清酒製造業の産業政策と構造的特質 ... 39

4

節 醤油産業、ワイン産業と清酒製造業の比較 ... 41

5

節 現在の清酒製造業における消費者への対応能力 -マーケティング的側面から- 46

6

節 小括 ... 51

(3)

5

章 昭和中期の清酒製造業を対象とした先行研究のレビューと経営指標

. 54

1

節 はじめに ... 54

2

節 緑川・桜井(1965)のレビュー ... 54

3

節 桜井(1982)のレビュー ... 56

4

2

つの先行研究の特徴と理論的考察

... 59

5

節 先行研究に示された経営指標の比較検討 ... 61

6

節 小括 ... 68

6

章 経営指標から見る昨今の清酒製造業と経営革新

... 71

1

節 はじめに ... 71

2

節 欠損企業の推移と現状の分析 ... 72

3

節 清酒製造業の売上高とその他の事業売上高の構成比率 ... 76

4

節 経営指標からみた現代の清酒製造業の経営 ... 78

5

節 業種別比較からみる清酒製造業の課題 ... 86

6

節 個別企業の経営分析 ... 89

7

節 オエノングループの財務分析 ... 97

8

節 小括 ... 100

7

章 本研究のインプリケーション

...103

1

節 本研究の要約 ... 103

2

節 本研究の発見と貢献 ... 106

3

節 清酒製造業の将来性 ... 108

参考・引用文献一覧 ... 110

図表リスト ... 118

付表 ... 120

(4)

1

第 1 章 本研究の目的

1

節 はじめに

われわれは、資本主義社会の中で生活を送っている。資本主義社会を支えるのは私有財 産制である。生産された財やサービスは私有財産であり、分業経済ではそれらが交換の対 象となる。交換に際して、われわれは自らの犠牲を最小限にとどめる一方で、相手からは 最大限の見返りを要求し、利潤の最大化を図 って自らの財産を守る。そして、利潤は次の 財やサービスの生産に向けられる。交換は自己責任が原則であり、交換の場である市場が 正常に機能していれば、自由な交換取引を通じて社会の富が形成される。

財やサービスの生産主体は企業であり、消費主体は家計である。一見すると企業は企業 同士、あるいは企業と家計との間で自由闊達な取引を行っているよう にみえるが、多くは 種々の経済的な規制に縛られながらの取引であるといえる。産業の発達や信頼性を確保す るためなど、不完全競争状態を前提としなければならないとき、政府や団体等が法や自主 的な規則を設けて規制が実施される。

一般に、産業の成熟に伴って規制は徐々に緩和されていくが、公益性が高い産業や独占 的な産業には依然として厳しい規制が布かれている。わが国では、建設や運輸、電力、ガ ス、金融、通信、医療などの産業が規制産業として認識されている。 経済的な規制は財や サービスの必需性による公益性と、規模の経済性による自然独占 によって必要とされ、参 入規制や退出規制、価格規制等を通じて事業者に制限を課す一方、免許制によって特定の 事業者に事業権を付与している。例えば、公益性の高い事業である 運輸産業には、参入規 制や運賃(価格)規制などの公的な介入を受けている。人や物の輸送を扱う運輸産業への 参入が自由化されると過当競争に陥り、安全性を軽視した価格競争に至ることになる1。ま た、鉄道事業などは一般に公共の代替輸送手段が存在せず地域独占状態にある。このよう な事業者への価格規制や撤退規制2は地域住民の移動手段を確保するために必要である。

一般に、厳しい規制が布かれている産業では、経営の革新を行うことはむずかしい。そ れは、規制によって産業内で選択可能な戦略が制限されているためである。規制が厳しけ れば厳しいほど、罪やサービスの差別化が困難になり、いずれ経営者は独自の戦略を描く ことを忘れるようになる。そのような産業に対して規制緩和が施されたとき、企業は既得 権益を守るような行動に出る。換言すれば、独自の差別化戦略を描くことができないため、

既 存 の 枠 組 み の 中 で 企 業 経 営 を 行 う 術 し か な い の で あ る 。 規 制 緩 和 に よ る 新 規 参 入 者は 様々なアイディアを用意して市場に参入してくる。既存企業が生き残るためには、自らの 手で革新的な経営へ舵を切る必要がある。

本研究は明治時代以降、幾多の規制と保護を受けてきた清酒製造業を題材とし、規制が もたらした産業特質について史的研究を通じて明らかにするとともに、同産業への規制が 企業の成長を阻害してきたことについて、経営指標を用いながら論を展開するものである。

さらに、先行研究がほとんど存在しない昭和

50

年代以降から平成

22

年までのおよそ

30

年間における清酒製造業を取り巻く環境を考察する。その上で、清酒製造業の経営課題を 明らかにするとともに、その産業特質を生かした経営革新のあり方を考察すること を目的 としている。

(5)

2

数ある規制産業の中でも、清酒製造業を本研究の題材とした理由は、以下の3つである。

1

に清酒市場は需要の減退が著しい産業と考えられるからである。清酒の生産量は昭

50

年をピークに年々減り続け、平成

22

年にはピーク時の約

35%にまで減少した(図表

1-1)。さらに、酒類全体の消費量に占める清酒のシェアは、平成 8

年には

12.6%であった

が平成

22

年にはおおよそ半分の

6.9%まで減少しており(図表 1-2)、消費者の清酒離れは

深刻な状況となっている。このことからも、その生産量がピークであった昭和

50

年以降、

大幅に減少した清酒の消費量、さらには、平成

22

年までの

15

年あまりで半減してしまっ た酒類全体における消費シェアは、清酒製造業の経営に大きな打撃をもたらしている。

図表 1-1 清酒生産量の推移

[出典]国税庁ウェブページ「酒のしおり(平成 24 年 3 月)」より筆者作成

図表 1-2 酒類の消費量と清酒のシェアの推移

[出典]図表 1-1 と同じ 。

清酒産業は、規制が緩和されても企業独自の経営ビジョンや戦略を描けていないに違い ない。それは企業規模にも影響すると考えられる。平成

22

年現在、清酒製造業を営む企

(6)

3

業は

1,300

社弱であり、多くは中小零細企業である。約

6

割は創業から百年以上も続く長

寿企業であり、清酒製造業は日本の伝統産業として、各地域の風土、風俗と密接に結びつ きながら長きにわたり育まれてきた。各地域が清酒個々の個性を作り出し、価値として認 識されているとも考えられる。しかし、実態は違った側面をのぞかせている。味の均質化 が進み、生産地域は異なるのに差別化が難しい清酒が小売店の店頭に並んでいる。コモデ ィティ化した商品では、商品の特性による差別化は難しい。消費者は自らの利便性を優先 させて商品の選択を行う。小売店の立地や売価は商品選択に大きく貢献するであろう。市 場規模が小さくなる局面においては企業間の競争が激化し、優勝劣敗のルールにしたがっ て競争が展開される。企業は自身の存続を目指して様々な戦略を駆使するものの、敗者は 市場からの撤退を余儀なくされる。

清酒製造業者が経営面で苦戦を強いられていることは、国税庁「清酒製造業の概況(平

23

年度調査分)」でも明らかである。同調査によると、清酒製造業を営む企業の約半数 が欠損企業であり、特に小規模の清酒製造業が多い傾向にある。欠損企業でなくても、収 益性は相対的に低下傾向かつ慢性的である ことが見受けられる。すなわち、清酒製造業を 取り巻く昨今の経営環境は厳しさを増しているということが窺える。それにも関わらず長 寿企業が存在しているのは、清酒の市場環境は他の産業に比べて特異であるためと考えら れる。また、それが清酒製造業の経済的、社会的自立を妨げ、経営の効率化を 阻害してい ると思われる。清酒製造業が他の産業とは異なる体質、すなわち特質を有していること を 整理することは、清酒製造業を営む企業が、昨今の厳しい経営環境を打開するための1つ の視座を提供することになる。

2

は、清酒製造業に対する規制実態を明らかにすることである。清酒製造業は明治時 代以降、政府によって徴税物製造の対象産業として位置付けられ、現在に至るまで国税庁 の管理監督下に置かれている。清酒製造業は明治時代初期に商業資本のもと、在来産業の 中でもいち早く工業化された産業である。明治政府は事業者に多額の営業免許税や酒税を 課すとともに、確実に酒税を徴収することを目的とした納税保証制度を設けて、不動産や 有価証券の担保義務、あるいは地主や商業資本などの保証能力を有する者にのみ参入を限 定した。

一方、当時の政府は、日清戦争、日露戦争時に軍備拡張を目的に清酒に増税を課したこ とと引き換えに、国立醸造試験所3を設立し、清酒製造に資する技術開発を主導して、企業 規模の大小を問わず全ての清酒製造業に最新の技術を提供した。味の均質化の原点はここ にあり、また、清酒製造業が独自の研究開発を行わなくなった原因も醸造試験所の設置に あると考えられる。第二次世界大戦戦時下には、原料となる米の不足により生産統制を布 くとともに、徴税を目的に清酒製造業に対して様々な統制を行った。このうち、原料米に 関する統制などは戦時中および戦後に米が不足していた時代のみならず、それから四半世 紀後の昭和

44

年に自主流通米制度が設けられるまで続くこととなった。

清酒製造業は明治時代初期から昭和

44

年までの約

100

年に渡って規制産業として位置 付けられてきた。いくつかの規制は緩和されて現在に至るが、今もなお厳しい規制が布か れていた当時と位置付けは変わっていないように感じられる。たとえば、現行の酒税法下 においても新規参入者には新たな清酒の製造免許の付与は原則として行われないため、新 たに清酒製造業に参入しようとする場合には既存の清酒製造企業へ資本参加するか、ある

(7)

4

いは企業を買収するしか手段がなく、参入障壁は高いままである。さらに、酒税法では酒 類の製造のみならず卸売や小売に至るまで免許制度を採用しており、新規参入業者を抑制 している。

明治時代以降、規制産業であった清酒製造業は時代の経過とともに徐々に規制 が緩和さ れているものの、実質的には規制産業からの脱却が図れていない。それは、規制緩和後に おいても競争戦略を描くことができず、旧態依然の体制を保持しようとする業界の姿勢と も捉えられる。規制による弊害が現在でも残存し、清酒製造業全体の活性化を阻害する要 因であると考えられることから、その規制実態を明らかにすることは、規制がもたらした 清酒製造業への弊害を明らかにするうえでも重要である。

3

は清酒製造企業の自助能力の有無を明らかにすることである。現在でも清酒製造業 は地主や富農、あるいは金融業や流通問屋業 といった、いわゆる地元の名士と称される者 によって営まれていることが多い。その多くが親族間による世襲経営である。そのため、

現在でも本質的に、明治時代から続く産業気質や企業気質を色濃く受け継いでいる傾向が 見受けられる。たとえば、清酒製造企業を会員とする各都道府県酒 造組合、あるいは日本 酒造組合中央会(以下、「中央会」という。)4が行う政府への陳情は、いかに業界全体、ひ いては個々の企業の経営の存続が叶うかという視点でなされており、消費者の視点に立っ た業界活性化の提案や陳情はほとんど見られない。清酒製造業全体が消費者のニーズを理 解し、革新する機会を失っている。一般に消費者の視点に立たない企業経営はいずれ終焉 を迎える。清酒製造業はその産業特質から、視点は消費者よりも国家(国税庁)に向いて いるといっても過言ではない。清酒製造企業の自助能力の有無を明らかにすることは、現 状の経営状況を打破し、改善するべく戦略を構築するうえで必要なことである。

以上が本研究において清酒製造業を題材とし、その産業特質を明らかにしようとした理 由である。

2

節 本研究の問題意識

本研究の問題意識は

2

つに大別される。1 つ目は、清酒製造業の取り扱う先行研究が、

清酒製造業を規制産業として捉えていないことである。清酒製造業が規制産業であること を踏まえた上で経営学の視点から検討された代表的な 研究は緑川・桜井(1965)5と桜井

(1982)6

2

つであり、さらに、桜井(1982)以降、およそ

30

年に渡って類似の研究が 展開されていない。それは、研究に用いる資料の入手が非常に難しいことに起因するのだ ろう。それ故、清酒製造業の経営を研究対象とする研究者自体も僅少であると考えられる。

清酒製造業を取り巻く経営環境の厳しさは、減少を続ける清酒の消費量や酒類全体にお ける消費シェアからも明らかであり、その産業特質と経営課題を明らかにしたうえで、そ の特質を活かした経営革新のあり方を提示することは喫緊の課題であると言える。

2

つ目は、清酒の市場評価が正常財から劣等財へと変化していることである。たとえば、

昭和

55

年と平成

22

年のわが国における酒類全体および清酒の消費量、人口および

GDP

を比較すると、酒類全体の消費量は

30

年間で

1.28

倍に成長したにも関わらず、清酒は

30

年前の約

39%にまで減少している。他方、同期間における人口は 1.09

倍、GDP

1.85

倍へと成長している(図表

1-3)。

(8)

5

図表 1-3 清酒、酒類消費生産量および人口、 GDP の推移

[出典]国税庁ウェブページ「清酒製造業の概況(平成 23 年度調査分)」および国立社会保障・

人口問題研究所 ウェブペ ージ 「日 本の将 来推計 人 口 (平成 24 年 1 月推計 )《資料表》」

より筆者作成

このことからも、酒類全体は昭和

55

年から平成

22

年までの

30

年間において市場から の評価を高め、その価値が向上した正常財 であると言える一方、清酒は

GDP(所得)

7 増加しても消費者に選択されない劣等財となり、その価値が下がったと考えられる(図表

1-4)。その理由として、清酒製造業における規制を原因とした競争回避が考えられるが、

30

年にも渡って清酒の価値を低下させたのは問題であろう。

年度

清酒 消費数量

(千kl)

昭和55年比

酒類合計 消費数量 (千kl)

昭和55年比 人口

(千人) 昭和55年比 GDP

(10億円) 昭和55年比 昭和55年

1,504 100.00% 6,660 100.00% 117,060 100.00% 287,366 100.00%

昭和56年

1,524 101.33% 6,863 103.05% 117,902 100.72% 298,687 103.94%

昭和

57

1,491 99.14% 7,029 105.54% 118,728 101.42% 308,057 107.20%

昭和58年

1,445 96.08% 7,201 108.12% 119,536 102.12% 318,922 110.98%

昭和59年

1,324 88.03% 7,059 105.99% 120,305 102.77% 344,111 119.75%

昭和

60

1,335 88.76% 7,244 108.77% 121,049 103.41% 355,096 123.57%

昭和61年

1,380 91.76% 7,451 111.88% 121,660 103.93% 361,807 125.90%

昭和62年

1,390 92.42% 7,814 117.33% 122,239 104.42% 383,873 133.58%

昭和

63

1,409 93.68% 8,251 123.89% 122,745 104.86% 408,446 142.13%

平成元年

1,345 89.43% 8,540 128.23% 123,205 105.25% 427,115 148.63%

平成2年

1,373 91.29% 9,035 135.66% 123,611 105.60% 453,604 157.85%

平成

3

1,372 91.22% 9,281 139.35% 124,101 106.01% 464,210 161.54%

平成4年

1,369 91.02% 9,427 141.55% 124,567 106.41% 467,519 162.69%

平成5年

1,362 90.56% 9,380 140.84% 124,938 106.73% 465,277 161.91%

平成

6

1,257 83.58% 9,644 144.80% 125,265 107.01% 472,249 164.34%

平成7年

1,262 83.91% 9,603 144.19% 125,570 107.27% 483,023 168.09%

平成8年

1,213 80.65% 9,657 145.00% 125,859 107.52% 496,935 172.93%

平成

9

1,122 74.60% 9,410 141.29% 126,157 107.77% 496,836 172.89%

平成10年

1,052 69.95% 9,456 141.98% 126,472 108.04% 489,460 170.33%

平成11年

1,030 68.48% 9,554 143.45% 126,667 108.21% 493,049 171.57%

平成

12

977 64.96% 9,520 142.94% 126,926 108.43% 505,622 175.95%

平成13年

933 62.03% 9,556 143.48% 127,316 108.76% 501,618 174.56%

平成14年

888 59.04% 9,455 141.97% 127,486 108.91% 507,015 176.43%

平成

15

826 54.92% 9,120 136.94% 127,694 109.08% 517,713 180.16%

平成16年

746 49.60% 9,042 135.77% 127,787 109.16% 527,980 183.73%

平成17年

719 47.81% 9,012 135.32% 127,768 109.15% 540,025 187.92%

平成

18

688 45.74% 8,856 132.97% 127,901 109.26% 552,471 192.25%

平成19年

664 44.15% 8,761 131.55% 128,033 109.37% 562,535 195.76%

平成20年

632 42.02% 8,519 127.91% 128,084 109.42% 539,484 187.73%

平成

21

617 41.02% 8,537 128.18% 128,032 109.37% 526,735 183.30%

平成22年

589 39.16% 8,515 127.85% 128,057 109.39% 530,422 184.58%

(9)

6

図表 1-4 GDP と酒類別消費シェアの推移

[出典]国税庁ウェブページ「清酒製造業の概況」およびウェブページ内閣府「国民経済計 算(GDP 統計)」より筆者作成

3

節 本研究の構成

本研究は第

1

章から第

7

章までの計

7

つの章から構成されている。第

1

章(本章)は本 研究を行う必要性を説き、研究の目的を提示する章である。

2

章では、清酒製造業に対する産業規制や保護政策がどのようなメカニズムで企業経 営に影響を与えているかの検証を目的としている。 清酒製造業が徴税物の対象産業として 制度化された明治時代からの歴史的変遷を踏まえ、 清酒製造業が他産業と比べて特別な性 質(特質)となった要因として、酒税法等の税制、資本形成、酒造組合、諸 制度の制約、

営業形態、技術と研究開発の側面から検討し 、問題点を指摘した。

3

章では、高度経済成長期以降の清酒製造業界における外部環境の変化を、生産、流 通、消費の側面から分析する。、さらにその変化が与える影響について考察する。清酒製造 業は国の徴税政策による規制や保護を受けてきた業界であったが、環境が変化し、規制が 緩和されつつある現在でも多くの清酒製造 業者は先祖より受け継いできた特権を享受して いる。また、消費者の嗜好や市場が変化しているにもかかわらず、価格の横並び、マーケ ティングの欠如、研究開発への低い意識、市場を拡大できないことなどの問題が残されて いることを指摘する。これらはいずれも規制産業として保護されてきたことに起因する 産 業特質であろう。

4

章では、清酒製造業の産業構造や企業経営に影響のある要因を自由な経済活動を阻 害する規制の観点から、規制を生産規制、参入規制、需給規制、原料規制の

4

つに分類し た上で検討を行う。その結果、清酒製造業には最低製成数量が酒税法によって規定されて

(10)

7

おり、それがおけ物取引を助長したこと、参入規制があるために清酒製造業は競争環境下 におかれることがなかったこと、酒造組合や中央会が需給 規制を行って調整を図ったこと、

原料規制では酒米として自主流通米の使用が推進されたことにより、中小企業と大企業と の格差が広がったことが確認された。規制と保護によって業界自身が自らを守ろうとした ことが、今日の環境に対応が難しい産業特質を生み出したことを指摘する。 さらに、醤油 産業とワイン産業の取り組みを参考にして、清酒製造業が歩むべき方策のヒントを提示す る。

5

章では、清酒製造業を経営学の視点から研究した

2

つの先行研究、緑川・桜井(1965)

および桜井(1982)のレビューを行う。第

4

章までは、清酒製造業における主として明治 時代以降の史的考察を重ね、清酒製造業がいかにして規制産業へと変化したかについて言 及している。それを受けて第

5

章では、清酒製造業を経営学の視点から考察した先行研究 をレビューし、昭和中期に指摘された経営課題を明確にする。さらに、先行研究で紹介さ れた経営指標の比較分析を行い、高度経済成長期と安定成長期の収益性と安定性について 検証する。先行研究のレビューと経営指標の比較を行った結果、高度経済成長期(昭和

36

年)においては、清酒製造業では規模の経済が確認されなかった。安定成長期初期(昭和

52

年)では、製成数量規模(生産規模)が増加すると経営が効率的になることが明らかと なった。規模の経済性をさらに追求するためには清酒製造業が家産資本から社会資本へと 資本構造を変更する必要があることを説く一方、清酒製造業が培ってきた産業特質がそれ を困難にしていることが確認された。

6

章では、清酒製造業が低迷している背景的要因について、これまでの章の考察を踏 まえた上で、経営指標を用いた分析を行う。それにより清酒製造業の経営実態が明らかに される。具体的には、国税庁が公表している資料をもとに業界の分析と他産業との比較を 行い、続いて個別企業の財務データを用いた財務分析を行う。分析の結果、昨今において も製成数量規模によって業績が異なることが確認された。概ね規模の経済性が働いていた。

製造業および醸造業との比較においては、清酒製造業の収益性は低い一方で安定性は優れ ていることが確認された。個票データによる

13

社の分析結果に一様性はない。その中で 秀でた業績を上げている

2

社についてその取り組みを概観した結果、革新的な経営を実践 していることが確認された。

7

章は結論の章である。第

6

章までの議論の取りまとめ、本研究の発見と貢献、およ び今後の研究課題を述べるために用意された章である。

なお、年号の表記については和暦を用いる方法と西暦を用いる方法がある。一般 には西 暦を用いるだろうが、本研究では国税庁など政府機関の資料が頻繁に用いられる。そのた め、本研究では原則として和暦を使用することとし、引用や外国の内容を展開する際は西 暦を用いることとする。

1 例えば、

2002

2

月に施行された道路運送法及びタクシー業務適正化臨時措置法の一部 を改正する法律によってバス事業の規制が大幅に緩和され、高速ツアーバスが登場した。

このバスは旅行業法における募集型企画旅行として運行される貸切バスであり乗合(路 線)バスではないため、道路運送法に規定された諸要件(安全性を含む)を満たす必要 がない。そのため、高速路線バスに比べて安価な運賃設定となっていた。2012

4

(11)

8

29

日、運転手の過労による死亡事故をきっかけに見直しが行われ、

2013

7

月末をも って募集型企画旅行としての高速ツアーバスを運行することはできなくなった。 企業体 力がなく、乗合バス事業の認可を得ることのできない中小業者のほとんどはバス事業か らの撤退を余儀なくされた。

2 鉄道事業への参入は免許制、撤退は許可制であったが、鉄道事業法の改正(

2003

4

月)

により、参入については需給調整規制を廃止して許可制に、撤退は届出制となった。こ の改正を受けて鉄道の廃線が容易となり、長野電鉄屋代線や十和田観光電鉄線が廃線と なった。

3 平成

7

7

月には醸造研究所と改名し、平成

13

4

月には独立行政法人酒類総合研究 所へと名称が変更された。酒類醸造の研究、開発等を専門に行う国内唯一の独立行政法 人である。

4 日本酒造組合中央会の成り立ちについては、第

2

章を参照のこと。

5 緑川・桜井(1965)『清酒業の経営と経済』高陽書院

6 桜井(1982)『清酒業の歴史と産業組織の研究』中央公論事業出版

7 本来は可処分所得を用いるべきであろうが、データ取得の制約から

GDP

で代替した。

(12)

9

第 2 章 清酒製造業における産業の特質と経営の特徴

1

節 はじめに

清酒製造業はわが国において歴史を有する在来産業であり、伝統産業である。その産業 構造は、明治維新以降の資本主義の発展と相次ぐ戦争と不況によ る景気変動、国家の租税 政策に伴って形成されてきた。よって、清酒製造業の産業構造を理解するためには、明治 維新以降の清酒製造業の発展過程と外部環境の変化を整理する必要がある。本章では、清 酒製造業の歴史的変遷と産業特質および経営特徴を概観し、産業としての特質や国家によ る産業規制、保護政策による問題点を整理し、指摘する。

清酒製造業界を取り巻く環境については、中央会によって昭和

47

年から平成

13

年にか けて編纂された全

8

編からなる『酒造組合中央会沿革史』に詳述されているが、同書は時 系列によって編纂されているため、産業の特質を形成したと考えられる要因については、

改めて整理する必要がある。その整理と併せて、外部環境の変化が産業構造に与えた影響 についての考察を行う。

2

節 清酒製造業に影響を及ぼしたと考えられる歴史的背景

1

項 第一次世界大戦が清酒製造業に及ぼした影響

大正

3

年に勃発した第一次世界大戦は海上輸送の安全を奪った。そのため貿易が不振と なり、日本経済は不況に陥った。しかし、戦争が長引くにつれて欧州での物資不足が顕著 となり、軍需品の注文が相次いだことで経済 は回復をみせた。酒類に関しても例外ではな かった。日本酒造組合中央会(1972)『酒造組合中央会沿革史第二編』によると、大正

4

5

月、酒造組合連合会で開かれた総会において、不況対策に関しては議題に上がらず、

活況に乗じて休廃していた業者の復帰に際して「新規営業または休業者にして再び営業を なすものに対し造石高最小限度

500

1(90kl)となすこと」2という議案が提出されたこ と、政府が第一次世界大戦の影響で輸入が途絶えた防腐剤サリチル酸の安定的な供給を図 ること、新規営業または再営業者をサポートするようになったことが記述されている。

当時の清酒の生産量(査定高)は増加の一途をたどり、海外への輸出も盛んに行われた。

大正

3

年の生産量は

368

3

千余石であったが、大正

8

年には

587

7

千石となり、

5

で約

1.6

倍の成長をみせた。製造場数が増加した、

1

場あたりの生産高も増加した。大正

4

年の

1

場あたりの生産高は

337

石であったが、大正

8

年には

569

石となっている3。需要 の増加により、酒類業界は大正

7

年頃から大正

9

年春にかけて好景気に沸いた。しかし、

大正

9

3

15

日の株式市場の大暴落、4

7

日の

3

品市場4の動揺を発端として、再び 深刻な不況に転落した。大正

10

年の後半から日本経済は立ち直りをみせはじめ、清酒の 生産量も増加し、同年の査定石数は

553

万石余に回復した。

2

項 関東大震災と慢性的不況下における酒造業界

大正

12

9

1

日、関東地方南部を襲った関東大震災によって多くの人命が奪われ、

物的な損害も甚大なものとなった。酒造業者の被害も大きく、東京および名古屋の両税務 監督管内の各税務署と酒造組合の調査によれば、被害場数は

269、酒類の損害は 1

6

(13)

10

余石に達した。

関東大震災での被害に対して、日銀や興銀などが行った預金などの放出復興計画によっ て一時的に復興景気が現れたが、インフレと 為替相場の動揺を通じて国内経済に不安定要 因が累積されていった。こうして慢性的な不況が続くことになる。この間、清酒の蔵出高 は次第に減少傾向を示し(図表

2-1)、清酒の売れ行きの低迷に伴って販売価格が下落の傾

向を示したため、酒造業者は不況の影響を受け続けた。

図表 2-1 清酒蔵出高の推移

[出典]日本酒造組合中央会(

1972)『酒造組合中央会沿革史第ニ編』 より筆者

作成

さらに、慢性的な不況の継続によって卸売物価は下がり続けた。大正

2

年を基準(100)

とした卸売物価指数は、大正

15

年は

178.8

であったが、昭和

2

年は

169.9、昭和 3

年は

170.9、昭和 4

年は

166.3

へと下落していった。図表

2-2

には東京新川における取引価格

の推移が示されており、清酒の取引価格もまた、不況の波を受けて下落していることが確 認できる。

図表 2-2 清酒取引価格の推移

[出典]図表 2-1 と同じ

3

項 清酒業界における自主規制の成立と第二次世界大戦期

昭和

6

年に勃発した満州事変や金輸出の再禁止により、わが国の経済はインフレーショ ンに転換した。経済の好転により昭和

7

年初頭から清酒の需要が増加した。しかし、大正 末期の総生産量には追いついておらず、清酒製造業の経営が安定したとは考えられなかっ

(単位:石) 蔵出高 持越高(10月1日) 大正12年 5,341,687 2,839,257 大正13年 5,082,563 2,880,860 大正14年 5,052,729 2,960,439 大正15年

昭和元年 4,767,508 2,968,797 醸

造 年 度

(単位:円)

品質 高  低

年号 飛切 最上 極上 上々 上物 中物 次物

1,200以上 950以上 875以上 675以上 600以上 520以上

1,200以上 950以上 825以上 675以上 600以上 520以上

1,250以上 1,000以上 875以上 725以上 650以上 575以上

1,050以上 800以上 700以上 575以上 550以上 500以上

大正15年 昭和元年 昭和2年 昭和3年 昭和4年

(14)

11

5。この時期、わが国の重要産業はカルテルまたはトラストの形式をもって自主的統制を 行わなくてはならない時代に突入しており、清酒業界も重要産業としての基盤を確立する ため、昭和

8

年に自主規制が導入された6。その後、昭和

10

年からの需要増大に伴い、清 酒業界の動きは総体的に活発になった。

昭和

15

年からは生産統制がはじめられた。その中で、清酒製造業の構造は相対的に前 近代的であると認識されるようになった。原因の

1

つは原料米割当制度が採用されてきた ことである。清酒の製造において業者が増産を企図した場合、原料米割当の基準である基 準指数の譲渡を受けるか、規制枠内の配分権の融通が行われていた。

昭和

19

3

月に酒税法が改正され、醪へのアルコール添加に加え、清酒にもアルコー ルを混和することが認められた。アルコールが添加されたものを第 三級酒として出荷する ことにより、酒不足を補う措置が取られた。

4

項 戦後の酒造業界

第二次世界大戦後しばらくは混乱期であり、特に国民の食料問題は深刻であった。昭和

24

年の清酒用原料米は、大蔵省の多大な努力にもかかわらず、アメリ カ政府はガリオア資 7で食料の輸入をしていたため、酒造用に多くの米を割くことはできないという見解 が示 された。それ故、清酒の生産計画は

67

万石であったが清酒用の米は

48

5

千石と決定さ れた8。清酒は需要を充たせるだけの生産ができなかったのである。

大蔵省は酒造用の米の不足を補うため、醸造アルコール、糖類(ぶどう糖・水あめ)、酸 味料(乳酸・こはく酸など)、さらにはグルタミン酸ソーダなどを添加して味を調えて 造る 三倍増醸清酒、いわゆる三増酒9の開発を行って、米以外の原料を使った清酒の生産量を増 やすことを考案した。少ない米でたくさんの酒を造る方法であり、質より量が追求された 時代であった。

5

項 高度経済成長期における酒造業界

戦後の日本における高度経済成長期には、清酒製造業界も着実に発展過程をたどり、清 酒の消費量は急増した。しかし、清酒製造業では労働者の雇用に影響が生じた。若年労働 者が農村から都市へと流出し、各地の清酒製造業者は労働力の調達に苦慮するようになっ た。規制緩和が徐々にはじまったのもこの頃である。清酒製造業は戦前から戦後を通じて 国家の規制で守られており、自由な経営行動が阻害されていたが、反面、業界全体が 過当 競争から守られていたのである。そのため、規制によって安住していた業者の多くは自由 競争に不安を感じ、それまでの慣習や商習慣に固執する傾向にあった。清酒製造業が古い 産業特質を持ち続けているのは、高度経済成長期に規制産業からの脱却を図れなかったこ とがひとつの要因であろう。同時期まで政府から規制を受けていた産業は他にもあり、そ の一例が醤油業界である。清酒と同じく醸造技術を用いる醤油業界は 、清酒業界とは対照 的に一般的な経営の体質に移行したのである。清酒業界と醤油業界の比較検討は後の章に て展開する。

3

節 清酒製造業の産業特質に影響を与えた歴史的要因

歴史的概要からもわかるように、清酒製造業の産業特質はその長い歴史的発展の過程に

(15)

12

おいて形成されたと考えられる。その要因は以下の

6

つであると考えられる。

1

項 酒税法をはじめとする法律とその影響

清酒製造業に最も深い関係を持つ法律は酒税法である。酒税法は酒類の製造、販売を課 税対象として税の徴収について定めた法律であり、酒類の定義と税率、製造免許、税金の 申告および納付、諸違反行為に対する罰則が規定されている。

江戸時代、幕藩体制下において国家体制の基礎として財政の中心をなしてきたのは地租 と酒造冥加であり、明治政府はこれを本質的に引き継いだ。明治初期における近代国家の 形成過程において、国家が酒に関して行ったのは、税を徴収するための法制度の整備であ った。明治政府が酒税を全国的統一制度として整備したのは、酒が極めて有力な現実的課 税物件であったからである。酒税制度の一層の拡充に向け、種々の制度の改正がなされ、

酒から税を取る仕組みが整備されていった。

明治政府は明暦

3(1657)年以来約 200

年続いた造酒株を廃止し、明治

2

年に酒株鑑札 に切り替えた。さらに明治

4

年には酒株鑑札は大蔵省租税司よって免許鑑札として再交付 された。免許料を払えば自由に酒造が行えるようになったため、広汎に酒造業が展開され るようになった。明治

8

2

月には新たな酒類税則が制定され、免許税として酒造営業権、

売上税として醸造税、酒類請売営業税が課されるようになり、明治

13

9

月に制定され た酒造税則によって、それまでの酒類(清酒、焼酎、みりん等)ごとに課された酒造免許 税が酒造場ごとに課税されるようになった。また、醸造税は造石高による造石税となった。

明治初期は地主層の力が強く、高額な地租は取りにくいため、代わりに 酒類が税源とされ た。さらに、在来産業の中では、比較的工業化が進んでいた清酒製造業を税源の

1

つとし たと考えられる。日本酒造組合中央会 (1972)『酒造組合中央会沿革史第一編(復刻版)』

によると、江戸時代の酒株には確実な既得権が付随し、生産者の立場で完全に擁護されて いたため、造石量の過少な制限を命ぜられても利益が確保できる環境が整っていたという

10。つまり、時代が江戸から明治に変わっても、当時の酒造家は一種の安全地帯におかれ た特権階級的な存在であったと考えられる。

明治

29

年には日清戦争後の財政計画が打ち出され、酒造税法が制定されて濁酒を中心 とした自家醸造の製造が禁止された。酒造税法の制定によって酒類に対する免許税は廃止 され、造石税に一本化された。さらに日清戦争後の財政難と日露戦争への軍備拡張に向け た増税計画が公表され、酒税は清酒

1

石あたり

4

円だったものが

7

円に、明治

31

年には

12

円に、明治

34

年には

15

円に改正された。増税が繰り返されたのである11

このような度重なる増税と制度改正の背景には、酒類が多くの人にとって必需品である こと、明治初期には日本で最も生産量の多い商工業製品であったこと、当時、日本製の酒 類の輸出量も極僅かであったために貿易摩擦の心配がなかったことなどがあげられる。ま た、当時、地主層出身議員が多かった帝国議会が自己の税負担に関わる地租の増徴には反 対であったが、利害関係の少ない酒造税の増加には反対しなかったことも理由としてあげ られる。酒造業者は強く反発して酒屋会議と呼ばれる団体を結成して抵抗したが、政府は 濁酒を含む全ての自家用酒造を禁止し、醸造業者の保護を約束することで増税を受け入れ させた。しかし、相次ぐ酒税の増税によって清酒の価格が高騰したため密造も増加し、そ の取り締まりも強化された。また、酒税の増税が徐々に消費者に知れわたり売価への転化

(16)

13

が容易になったこともあり、日露戦争がはじまった明治

37

年を皮切りに、明治

38

年、明

41

年、大正

7

年、大正

9

年、大正

14

年と増税が続き、日中戦争がはじまった昭和

12

年以後は、毎年増税されることになった(図表

2-3)。

図表 2-3 国税収入に占める酒税の割合の推移

[出典]国税庁ウェブページ「酒税収入の累年比較」「国税収入の累年比較」より筆者作成

昭和初期にも税制改正が繰り返された。日本酒造組合中央会(1974)『酒造組合中央会 沿革史第三編』によると、広田内閣が昭和

12

1

月に総辞職をした後に成立した林銃十 郎内閣では、結城蔵相が前蔵相のまとめた租税制度を取りやめ、議会に臨時租税増徴法案 を提出したことが記されており12、その法案に酒造税の増徴に関する項目が盛り込まれて いた。酒造業界と国会議員で議論が重ねられたが、酒造税の増徴に関する法案は原案どお り可決され、同年

3

30

日に公布された。

同じ年(昭和

12

年)の

7

月、日中事変勃発に伴う軍事費の膨張を賄うため、近衛内閣

(蔵相は加賀屋興宣)は北支那事変特別税を創設し、臨時利得特別税等を増徴した。昭和

13

2

月の第

73

回議会に支那事変特別税法案が提出され、物品税の第三 種物品として酒 類が課税対象とされた。その内容は、清酒、白酒、 みりん、焼酎および麦酒に対して1石 当たり

5

円の物品税を課すというものである。前年の酒造税 1石当たり

5

円増徴に続き、

物品税

5

円が課税されたことについて、酒造業界では不満を抱きながらも戦時体制下であ るが故やむを得ないと感じていたようである。なお、移出課税としたため、政府は酒造税 法中改正法律を公布して、酒類販売業免許制度を実施した13

その後、第二次世界大戦に突入し、軍事費が増大したため、政府は公債および 借入金、

租税の増徴で対応にあたった。昭和

18

年の税制改正では、酒類の品質に応じて酒税負担 額に差を設けつつ、主として酒類庫出税を増徴した。清酒については第一級から第四級の 四階級に区分し、第一級酒は庫出税を1石につき

415

円、第二級酒は

240

円、第三級酒は

110

円、第四級酒は

100

円とした14。級別制度は改変を繰り返しながら平成

4

年まで続く

(17)

14

ことになる。級別制度が清酒製造業に与えた影響は大きい。正味の品質の格差ではなく、

税収のために価格が決定される仕組みは価格のシグナル機能を失わせ、顧客ニーズを鑑み ない商品生産が行われることになったのである。味覚や香りによる製品の差別化ではなく 税収による級別が価格差を反映することになり、顧客の多様なニーズを開拓することがな かったのである。

酒税法以外にも酒造業に関する法律が存在する。酒税法は酒類の定義や課税率について 詳細に規定しているが、表示については触れられていない。細かく規定した法律が、酒類 団体法である。同法は酒税保全の目的から酒類の事業者団体に対して酒類の需給調整行為 を可能にすることを目的とした団体法であると同時に、酒税法では規定されない酒類の製 品に表示すべき事項などが定められおり、酒税法を補完する役割を持っている。

同法によると、酒類製造業者および酒類販売業者は大蔵大臣の認可を受け、原則として 税務署の管轄区域を基準に酒類の種類別、卸売・小売別に、それぞれ法人格を有する酒造 組合または酒販組合を組織することができるとしている。また、組合は政府の行う酒税の 保全措置に協力するほか、酒類の需給が均衡を失したことにより酒類の代金の回収が遅れ る等のため酒税の納付が困難となり、または困難となる恐れがあると認められる場合にお いては、組合員に対して酒類の製造石数、販売石数あるいは価格に関する規 制をも行うこ とができるとしている15

また、昭和

53

年の法改正によって信用保証事業等特別会計で行われた構造改善給付 金 も設立された。構造改善給付金は、昭和

53

4

27

日から昭和

56

11

30

日までに 清酒製造業を廃止した者に支給されたものであり、財源は現存の清酒製造業者からの納付 金と信用保証事業の運用益および剰余金、金融機関からの借入金が充当された。構造改善 給付金は転廃給付金と合併給付金に分類される。転廃給付金は上記の期間に清酒製造業を 廃止した者の中で、酒税法第

17

条第

1

項の規定により清酒の製造免許の取消しを申請し、

その取消しを受けた者に対して支給された。合併給付金は清酒製造業者である法人と合併 し、清酒製造業者である法人に対して出資し、他の清酒製造者とともに清酒製造を行う法 人を設立するため、清酒製造業を廃止した者に支給された。

以上のように、清酒製造業を取り巻く外部環境の変化を歴史的に整理すると、日本にお いて、酒類全般は酒税法を中心とした法規制によって運用されていることから、清酒製造 業は産業に対する政策実行というよりも徴税の効率化を目的とした法制に縛られる業界で ある。清酒製造業は明治から昭和初期に至るまでは、酒税収入が国庫収入の中で大きな比 率を占めていたため、それが現在にも踏襲されている。国として酒類全般をどのように規 制するかについて諸種の法制、法体系が存在するが、現代の清酒製造業の構造および清酒 製造業が有する経営特質の多くは、明治維新後に実施された酒造制度に関わる諸制度の制 約を与件として形成されていること、その酒類の規制と取り締まりは税を管轄する大蔵省

(現財務省)が行ってきたことが確認された。

現在は税収に占める酒税の割合は低下し、国家としても徴税できる産業としての魅力が 喪失している。規制産業として国家に守られていた清酒製造業では、規制が徐々に緩和さ れ、結果的に清酒製造業は自由競争市場に晒されていることになった。

(18)

15

2

項 資本形成の特殊性から見た酒造業者の変遷

酒造りは、古代律令国家における宮廷や神道の儀式のためからはじまり、その後は荘園 領主、寺社等の特権支配階級の自給用として造られた。次第に寺社が金融の中核機能を果 たすようになり、その投資先の

1

つとして酒造業が発達したと考えられている。そのため、

自立した専業酒造業はほとんど見られなかった。専業酒造業の成立は酒麹座として営業特 権が与えられ、商業資本の活動が活発になった室町時代以後のことである。その後、織田 信長による商工業振興策の楽市・楽座によって座制度は崩壊し、酒造りの開業は自由にな った。そして、江戸時代に米遣いの経済の体制が進むと、物価安定と米価調整の目的で酒 造りは再び支配階級の統制下におかれた。たとえば、

17

世紀半ば以降に発令された造酒株、

寒造り令、酒造制限令などがそれを物語っている。

このような幕藩体制における酒造統制の中で酒造業の規模は増大し、元禄年間(1688~

1703

年)には工場制手工業の段階に入っていた。酒造りの主生産地である伊丹では堺 を中 心とする一般商業資本が主で、東日本では近江商人に代表される金融を主とした商業資本 によって成立したものが多かったようである。清酒製造業の創業資本は自作農、地主兼営 の商業資本、純粋な商業資本、前期的な高利貸金融資本、酒造家の次男や三男による分家、

番頭、手代、杜氏等の独立などに分類できよう。

明治

9

年の大蔵省租税局の統計によれば、当時の酒造免許場数は

26,171

場であり、そ のほとんどが江戸時代の造酒株を明治

2

年に酒造鑑札へと切り換えている業者であると推 定される。明治

2

年以降に新規で酒造鑑札を取得して開業した酒造家もあるが、この頃の 酒造家の多くは、創業年代の古い業者である。

前述のように、酒税は明治時代になっても主たる財政源であり、酒造業者には多額の酒 税等が課せられた。その上、明治

23

年には酒税の保全を目的とした納税保証制度が導入 され、保証物として不動産や有価証券の担保提供、あるいは保証能力のある保証人を立て ることが義務づけられた(図表

2-4)。このことが、一般資本の安易な参入を制限し、昔か

ら清酒製造業を営んでいる企業が永続することにつながった。江戸時代からの風習をその まま現代にまで引き継ぐことになった理由のひとつであると考えられる。

図表 2-4 納税保証制度による保証物の内訳 (明治 40 年)

[出典]桜井(1982)『清酒業の歴史と産業組織の研究』より筆者作成

全 額 金 銭 55 (0.6)

金 銭 お よ び 他 の 物 件 174 (1.8)

有 価 証 券 547 (5.6)

有 価 証 券 お よ び 他 の 物 件 697 (7.1)

土 地 5,244 (53.6)

土 地 お よ び 他 の 物 件 1,080 (11.0)

建 物 885 (9.0)

建 物 お よ び 他 の 物 件 1,098 (11.3)

計 9,780 (100)

(単位:人 カッコ内は構成比=%)

(19)

16

また、政府は納税保証制度発足当時には造石税の

4

分の

1

に相当する保証物の提供を命 じたが、明治

29

年の税制改正で全ての清酒製造業者に造石税の

2

分の

1

に相当する保証 物の提供を命じた。その結果、酒造業者は土地の所有を進めさせることになった。地主兼 営資本の中には、商業資本から発足した清酒製造業者が多いが、納税保証制度によって生 産数量に見合った担保物件の提供が命令され、土地の集積を図らざるを得なくなった結果、

地主兼営資本の形に変わった者も多くなったと考えられる。

さらに、清酒製造業は多額の創業資本を要する上、当時は酒造技術の進歩も見られず、

腐造による経営への負担が大きかったことや、株式投資制度が未発達であったために、一 般投資家は酒造業を特別視し、酒造業への投資は限られた地主資本や商業資本、あるいは 高利貸資本などが中心であった。このような、経済的要因や国からの規制などにより、清 酒製造業の大半が、必然的に地元の名士でなければ務まらない構造ができあがったと推察 される。

明治時代以降、寄生地主資本による兼業清酒製造業が主となり、経済界のみならず政界 においてもその中心的役割を担う階層となっていったことは容易に推察でき、そして、清 酒製造業は富国強兵のための増税政策のもとで国策によって安全で効率的徴税用の工業製 品的酒類製造業として発展していった。

それ以降、大正末期までは製造技術の未発達と過酷な造石税制度のために酒造家の新旧 交替が繰り返された。第一次世界大戦の反動による不況と昭和初期の世界恐慌の影響を受 け、酒造家からの転廃業者が続出した。この間に個人から法人への変更により 新たな免許 を得た酒造家もあるが、実質的な新規開業は見られなかった。さらに、昭和

6

年の満州事 変の勃発から第二次世界大戦が終結した昭和

20

年に至る間は新規開業がなく、逆に戦役 と不況の反復の過程で事業者数は減少した。さらに、清酒製造業界では第二次大戦後の農 地改革や財閥解体等により専業酒造業として一般商業資本中心の経営にならざるを得なく なった。それでも、その後に転廃業者の復活がなされ、昭和

33

年には清酒製造業者数が

4,021

者まで増えた。

このように、現代の清酒企業のほとんどは、近世封建時代の商業資本、封建農村の 階層 分解によって台頭してきた地主、富農、高利貸資本、問屋資本、明治維新後の寄生地主、

富農、問屋資本等の前期的な産業的中産階級として発展した企業である。家業継承者が多 く、企業の創世の経済的、社会的背景が一般企業と異なる。

清酒製造業は中小零細規模業者が多く、古い歴史を有している企業が多い。古くは江戸 時代に創業しており、比較的新しいものでも大正時代の創業である。現存する清酒製造業 の平均営業年数はおよそ

100

年くらいであり、その経営は資本主義経済の発展の中で、わ が国固有の在来産業として盛衰を繰り返してきた(図表

2-5)。これら企業の経営者の多く

は、前経営者の子または孫などの直系親族、前経営者の娘婿、配偶者、その他の親戚、兄 弟などの傍系親族などがその任についており、親族以外の経営者は非常に少ない同族企業 である。地元において清酒製造業の経営者や幹部たちは商工会議所、ロータリークラブな どの団体において名誉役員を務める者が多く、地方自治体の議会議員、国会議員などの公 職についている者もいる。代々受け継いできた土地を利用した不動産業や、農業や林業、

漁業などの副業を行う者も少なくない。

先祖より受け継いできた企業であるため、一 般の企業が経営方針として目指している企

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