早稲田大学大学院日本語教育研究科
2010年9月
博士学位申請論文審査報告書
論文題目:インターアクション能力育成を目指した会話教育 ―教師と学習者による研究と実践の連携の必要性―
申請者氏名:中井 陽子
主査 宮埼 里司(大学院日本語教育研究科教授)
副査 細川 英雄(大学院日本語教育研究科教授)
副査 舘岡 洋子(大学院日本語教育研究科教授)
本研究は、学習者の日本語の会話における「インターアクション能力」の育成を目指す 会話教育について分析・考察を行い、新たな提案を行うことを主目的としている。とりわ け、学習者のインターアクション能力育成のためには、教師と学習者による「会話データ 分析―会話指導学習項目化―会話教育実践(会話実践)」という「研究と実践の連携」が重 要であると主張し、会話教育のための「研究と実践の連携」について、「研究と実践の連携」
が例示されている。研究における、主な論点は以下の通りである。
① 学習者のインターアクション能力の育成
② 会話教育のための研究と実践の連携(教師と学習者が行う)
「会話データ分析―会話指導学習項目化―会話教育実践(会話実践)」
③ 言語的アクティビティと、実質的アクティビティの中の会話の特徴と能力育成
④ 日本語母語話者の歩み寄りのために必要な能力
⑤ 会話教育が主体的に行える日本語教師養成の提案
⑥ インターアクション能力育成を目指した会話教育のための研究と実践のモデルの提案
以下に、全体の章立ておよび、各章を概説する。
第1章の序論では、本研究がめざす会話教育の理念の土台となる会話、インターアクシ ョン能力、会話能力、ならびに、メタメッセージを定義づけるとともに、インターアクシ ョン能力を、「状況や人間関係などの社会的な文脈の中で、他者と関わりを持つ上で、そう した他者と協力して、言語行動、コミュニケーション、社会文化行動(実質行動)が適切 に行えるすべての能力」と定義づけている。また、会話能力を、「音声と非言語を含めた話 し言葉による、言語能力、社会言語能力、社会文化能力を含むインターアクション能力」
と捉え、メタメッセージを、「メッセージに付随して用いられるトーンや動作や表情などの 言語的・非言語的なシグナルで伝達・解釈されるもので、会話参加者の態度やお互いの関 係について付随的に伝えられるもの」と捉えている。
続く、第 2 章の「コース・デザインのための理論的背景」では、本研究で主張する教師 と学習者による「研究と実践の連携」に関する先行研究から、本研究の各分析と会話教育 実践の位置づけについて記述が、以下のように説明されている。
1.日本語教育におけるコース・デザイン(会話教育を行う際の全体像)
2.会話分析(目標言語調査・分析としての会話データ分析)
3.接触場面研究(目標言語調査・分析としての会話データ分析)
4.授業活動デザインの先行研究(ニーズ分析、シラバス・デザイン、カリキュラム・デザイン)
5.認知的視点と社会的視点
第 3 章の「言語的・実質的アクティビティの会話データの分析」では、教師による研究 と実践の連携としての「会話データ分析―会話指導学習項目化―会話教育実践」における
「会話データ分析」に関して論究している。その結果、教室内の会話練習の接触場面では、
主に、意味交渉、会話維持などができる言語能力や社会言語能力の他、非母語話者の文化 知識を持っているという社会文化能力も必要であることが明らかになった。一方、フィー ルド・トリップにおいても、主に、実質行動の課題解決ができる社会文化能力が重要であ り、それに伴って意味交渉や会話維持ができる言語能力と社会言語能力も必要となること が確認された。
続く、第 4 章「会話教育の実践研究」では、教師による研究と実践の連携としての「会 話データ分析―会話指導項目化―会話教育実践」における「会話指導項目化」と「会話教 育実践」が検証されている。その結果、「会話指導項目化」として、会話教育の先行研究、
会話データ分析、会話教育実践から得られた成果をもとに、言語的アクティビティの会話 と実質的アクティビティの会話を扱った指導学習項目を提案した。次に、「会話教育実践」
の実践研究である「言語的アクティビティの会話を扱った教育実践例」では、母語話者と 非母語話者による会話の問題点を踏まえ、会話参加者の役割の概念(聞き手/話し手)か ら、そこで必要とされる談話レベルでの会話指導学習項目を設定した。一方、「実質的アク ティビティの会話を扱った教育実践例」では、フィールド・トリップの会話データの分析 から、教室内の活動とは異なった、実際使用の機会が与えられていることが明らかになっ た。こうしたフィールド・トリップにおいて、学習者と授業ボランティアが、自律的に課 題解決をする能力を育成する機会となっている点にも言及している。
第 5 章「学習者の会話を分析する視点の育成と実際使用の実践研究」では、学習者が「会 話データ分析―会話学習項目の意識化―会話実践」といった研究と実践の連携を行う能力 を育成するために、学習者による「会話データ分析―会話学習項目の意識化」の2つの会
話教育実践を分析、検証している。このような二つの会話教育実践では、学習者の支援の ために参加していた授業ボランティアにとっても、学習者の会話データ分析の新たな視点 に触れ、「歩み寄りの姿勢」について考える機会となっていた。一方、本実践を担当した教 師にとっても、学習者による会話データ分析や授業活動の成果が今後の日本語の会話の授 業活動のデザインの参考になり、教師の「研究と実践の連携」の継続的な循環と、それら と学習者の「研究と実践の連携」の循環とを有機的に繋げるための授業活動デザインを行 っていくべきだと主張している。
第 6 章 「 教師の会話を分析する視点の育成の実践研究」では、教師が「会話データ分 析―会話指導項目化―会話教育実践」という「研究と実践の連携」の中でも、特に、会話 を分析する視点の育成のための「会話データ分析」の段階に焦点を当てた日本語教員養成 コースの教育実践を分析した。本教育実践の分析結果から、今後の会話教育のための日本 語教員養成に必要な点について、「①会話データ分析による視点と自己の会話調整能力の育 成」、「②インターアクションの実体験」、「③会話データ分析の会話教育実践への応用」と いう三点が提案された。
結論である、第 7 章では、総括として、会話教育実践研究の意義を主張した上で、以下 の6点について提言している。
1.本研究で分析した教育実践の認知心理学的な授業活動デザイン
2.自律的に育成する会話能力と会話教育のための「研究と実践の連携」の意義 教師と学習者による「双方の学び」の意義についての言及。
3.母語話者に対する接触場面での歩み寄りのためのインターアクション能力育成の提言 4.会話教育のための教員養成への提言
学習者のインターアクション能力育成のための会話教育が行える日本語教員養成で必要とさ れる能力育成の提案。
5.会話教育実践モデルの提案・今後の課題
学習者が様々な社会的な会話場面・領域に日本語で参加していくのを支援するためには、「① 日常生活のインターアクション場面」「②教室内のインターアクション場面(会話教育実践)」
「③教室外のインターアクション場面(会話教育実践)」の三つの場面と、それらを有機的に連
携させる「④会話授業活動デザイン」が必要である。
6.インターアクション能力育成を目指した会話教育のための「研究と実践の連携」のモデルの提案
以上、各章を概説した。総合的な見地から、インターアクション能力の育成をめざした 会話教育というテーマで、教師と学習者による研究と実践の連携の必要性という観点から、
会話場面を相互に観察・分析し、学習者のインターアクション能力を育成しようと試みる 研究の目的、意義は高く評価できる。また、お互いに協力し合いながら会話をすることで 相手と、積極的にかかわり、親しみを表しつつ参加者間のインターアクション能力の育成 を目的とした会話データ分析による会話指導学習項目を作成し、それによって、会話教育 実践を行うという研究デザインについては、すでに多くの研究・教育実績を有し、十分な キャリアの上に立脚した申請者ならではの研究であると認められる。
そうした実践経験から導き出された、教師と学習者による連携という視点の中で、教師 の「会話データ分析→会話指導項目化→授業計画→会話教育実践→振り返り・改善」と、
学習者の「会話データ分析→会話学習項目の意識化→学習計画→会話実践→振り返り・改 善」とが相互に刺激しあうものである、という主張も大いに賛同できる。こうした主張は、
研究と実践の連携モデルが学習者、教師双方をつなぐ形で提示されており、双方が実践デ ータをもとに検討される点は、緻密な研究プロセスを踏襲していると判断される。この両 者の関係を、深く考察した場合、日本語学習者のインターアクション能力の育成という観 点だけでなく、「日本語母語話者の歩み寄りのために必要な能力」、および「会話教育が主 体的に行われる日本語教師養成の提案」についても実践研究が行われているため、当該論 文のオリジナリティが強く押し出されていると判断できる。
一方で、課題とすべき点としては、インターアクション能力及び教育観に関して、すで に批判的な立場が表明されており、インターアクション能力は、結局人間理解に繋がる重 要なキーワードであり、この教育研究活動を支えている、申請者の言語観・教育観に関し て、より踏み込んだ議論が必要である。さらに、会話分析を協働的に行うことで、学習者 が自分の会話行動に気づくとする主張だが、会話現象の詳細に分析的に関わることによっ て、逆に、自己表現・他者理解という本来のコミュニケーションの意味を失い、きわめて 表層的な情報のやり取りや知識の多寡を問題にするような関係になってしまう。そうした
問題への考察が求められる。
「インターアクション能力」の「向上」や「育成」を、どのように測るのか、また、そ の「能力」は、外側から観察して測ることが可能か。個人が自らの中に獲得する能力とし てコミュニケーション能力育成を捉えるかぎり、そうした能力観は,学習者を社会から切 り離し,コミュニケーション行為をスキル化、パッケージ化することで、目的化してしま うと懸念される。これは、認知的成果(宣言的知識)と行動的成果(手続き的知識)の両 方を考慮に入れた授業デザインによる、知識の積み上げによって発話が実現されうるのか という問いかけとも関連する。いずれにせよ、ミクロの会話分析が、コミュニティへの十 全的な参加を保障するかという問いに対する、より強固な理論的フレームワークが求めら れる。
教師は、会話指導学習項目を広く蓄えることによって、学習者に合わせた選択肢を提供 すべきであるとする考え方とも関連し、本研究における「社会的」とはどのような意味か。
会話教育実践において実践共同体への参加(協働的な課題解決)=社会的と記述されてい るが、相互行為そのものの中でコミュニケーションが構成されていくと考えると、「社会的」
の意味は違ってくるはずであるが、これに対しても、今後、申請者の立ち位置が、求めら れる。
以上、本研究の評価、ならびに今後の課題とすべき項目について詳述した。すでに学会 発表や論文執筆を通して、形にしてきたものを集大成させた研究であり、大きな研究テー マでありながらも、データの分析に基づいた、具体的、かつ詳細な検討が試行されている ことは、大きな評価点であると言える。また、さまざまな実践に裏打ちされ、多くの先行 研究に当たっており、研究に拡がりがある点などに、申請者の強い論究力も感じ取れる。
いくつかの課題も指摘され、研究の完成度をさらに高める作業を行うことが求められるも のの、問題の所在や対処すべき点に対しては、申請者が培ってきた実践教育経験を通して 得られた分析力や検証力によって、対応できるものと思われる。よって、本論文は、学術 研究として高く評価することができ、本論文を以って博士学位請求論文に値するものとす る。